表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/37

第5話 おやすみDJ。 その6

 僕たちはカフカを連れつつ、ぶらぶらと外を散歩し始めた。国道を越えて、堤防へと至る。あの、まー君たちが始めて小説賞を受賞した日、僕が疾走してたどりついた、あの堤防。ハルが母親に挑戦状を叩き付けた、あの河原へ、僕たちは向かっていた。

 その道すがら、僕は彼らといろいろな事を話した。あれから出入りしたワナビ荘の住人たち、あれからワナビ荘であったいくつかの事件や騒ぎ、そしてドラマ。その中には、このメンバーと過ごしたときに経験したもの以上のものも、いくつか含まれていたのだった。

 東田という、最初は画家を目指していたが、DJに憧れて、今はクラブのオーナーをしている青年のこと。仁科という、はじめはお嬢様気質だったが、徐々に人に尽くすことに喜びを覚えるように変わっていき、今では介護職についている女性のこと。そのほか、ここに記し切れないくらいに、様々で多種多様な、若者たちの人生模様。

 ワナビ荘という寮に関わった――、数えきれないくらいにバラエティ豊かな、若者たちの物語。

「ワン」

 カフカが突然興奮して吠えたと思うと、だっとばかりにひもを振り切って走り出す。何事かと思ってカフカの向かう先を見ると、そこには見覚えのある、凶悪なオーラを出すタクシーが停まっていた。

「まー君にみちるさん! 二人とも、日本に帰ってたのか」

「当然です。リョーコさんにハルさん、もっちーさんにのんちゃんと、あの頃のワナビ荘メンバーが集まると聞いては僕も黙っていられません。うっかり駆けつけちゃいました」

「お久しぶりです、みなさん」

 相変わらずのまー君と、ぺこりとお辞儀をするみちるさんである。期せずして、あの頃のワナビ荘メンバーが、十年というと気を経てこうして全員揃ったわけである。

 ただ一人、我らが偉大なる大家、DJを除いて。

 あたりはすっかり暗くなっていた。そらにはぽっかりと満月が浮かんでいる。

「今日はいい月ですねえ。そういえば、ここで私がお母さんに戦線布告した日も、満月でしたねえ」

 ハルが嬉しそうに言う。ワン、とカフカも応じるように鳴いた。

「満月……、そういえば私が出たコンクールの前日――、あの日も満月だったね」

 のんちゃんが僕をちらりと見る。僕はその日のことは、実はとても鮮明に覚えていたのだけれど、あの後あったことを思い出すとつい照れくさくなり、「そうだっけ」としらばっくれるのだった。

「僕がみなさんにみっちゃんの話をした、『ゴーストタクシーの夜』も満月でしたね」

「そうそう、あの、光玄社に持って行く原稿、あれが描き終わらなくて月に向かって吠えた日も――、あの日も、こんな風な、満月の晩だった」

 みんなが懐かしいような気持ちになって、空を見上げる。そうだ、月はいつでも、僕たちの事を変わらずに見つめ続けてくれたんだな。まったく当たり前のことだけど、僕はなんだか感慨深く、そんなことをしみじみと考えるのだった。

 こうしていると――、なんだかあの頃に戻った気分になる。僕たち全員がまだ何も知らない、ただ夢を追いかけるだけのしがないワナビで、必死に、もがくように生きていた、あの頃に。

 これからワナビ荘に戻り、少し談笑したのち、また僕たちはきっともとの生活に戻っていくのだろう。リョーコたちは漫画家として、まー君たちは旅人、僕は公務員、のんちゃんは先生としての、それぞれの生活がある。もうあの頃とは違う、大人としての。

 だけど、今、この瞬間だけ――、月の光を浴びている、この今だけは、僕たちはきっと、あの頃の「ワナビ」に戻れる、そんな気がした。

 DJも、今頃この月を見ているのだろうか。

 またそのうち、会いたいな。

 そっと、みんなに見えないように、僕の手を握ってくるのんちゃんの、やさしい手のひらの感触を感じながら――僕はそんなことを思うのだった。


「DJ……、僕はどうしたらいいんだよ。教えてくれよ!」

 僕が黒川と喧嘩をしたあの夜のことだった。

 あの日の僕は、嫉妬や敗北感で、自分がみじめでどうしようもない、そんな気持ちに陥っていた。黒川の言っていたことは、実は、その多くが当たっていたのだ。僕は、悔しかった。リョーコにも、ハルにも、まー君にも、みちるさんにも、先を越されて、悔しかった。そして、みんながいなくなって、寂しかった。情けないけれど、もう頭の中がそんな感情でぐちゃぐちゃになって、どうしようもなかったのだ。

「僕はもう、自分が嫌だ……、こんな自分が大嫌いだ。頼むよ、どうしたらこんな僕でも、自分を誇れるようになるんだよ……、教えてくれよ、DJ」

 僕は泣きながらそう訴えた。もう、どうすれば自分を好きになれるかわからない。僕は、頭を抱え、誰かに助けを乞うことしか、できなくなっていたのだ。

 だけど、そんな僕の頭を――、DJはその大きな手で優しく撫でると、ぐいっと抱き寄せてくれた。そのたくましい胸は、まるで父親みたいだった。

「いいのよ、いいの。迷ったって、自分を嫌いになったって……、長い人生の中には、そんなこともあるわ。あなたには、あなたのペースがあるの。焦らなくたっていいのよ」

 DJは、まるで子どもをあやすように、静かな口調で、僕に語りかけてくれた。

「あたしがこのワナビ荘を始めて以来、たくさんの若者たちが、私の目の前を通り過ぎて行ったわ。いえ、私の上を――と言った方がより実感に近いかしら。夢を叶えた者、叶えられなかった者、遊んでいた者、真面目だった者、日々を楽しんでいた者、苦しんでいた者、いろんな若い人たちが、ここの門を叩いては、去って行った」

 DJは続ける。それはまるで、遠い、いつかの自分をなつかしんでいるようだった。

「そうやっていろんな子たちの人生を見てきたあたしだからこそ、わかるの。あなたは大丈夫。ちゃんとやっていけるわ。これまでも、これからも、あたしはあんたがやれる男だって信じてる。だけど、辛くなったら、また今日みたいに、いつでも泣いていいのよ。あたしはあなたたちをいつでも受け入れる、ワナビ荘の父親なんだから」

 僕は、いろんな感情がごちゃ混ぜになったその夜の僕は、DJの胸で思う存分泣いた。まるで幼い子どものように、気が済むまで、わんわんと泣いたのだ。

 そして、やがて泣き疲れて、そのままソファに横になると、強烈な睡魔に襲われた。だから僕は、「おやすみ……」とひとことだけ呟いて、全てをきれいさっぱり忘れて、眠ろうと決めたのだ。眠ってしまえば明日が来る。明日が来れば、否応なしに、また僕は歩きださないといけない。だから、今は、今だけは、いろんなこと――、いろんな悩みを全て忘れて、眠ってしまおう。

 新しい物語を描くのは、それからでも遅くはない。

「おやすみ、DJ」

 僕はDJがそっとかけてくれた毛布の感触を、消えゆく意識の中でこっそりと味わった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ