第5話 おやすみDJ。 その5
「あ、もっちー!」
ワナビ荘の庭の木に水をやっていると、懐かしい声が聞こえた。見ると、すっかり大人っぽくなったリョーコが門の外から覗き込んでいた。
「あらあら、あの無精だったもっちーがホントにワナビ荘の管理人やってるのねぇ。うん、感心感心」
「……相変わらず一言多いな、リョーコは。まあ入れ、スイカも切ってあるぞ」
「わーい」
「おっじゃまっしまーす!」
今までリョーコの後ろに隠れていたのか、ひょっこりと現れるハルである。こいつはなんというか、うん、変わらないな。
「あー、カフカ! まだいたんだ!? 元気ー?」
「ワン」
カフカも嬉しそうに尻尾を振る。
「休日とは言え、こんなところに遊びに来て、連載は大丈夫なのか? アニメの方も好調みたいだし、けっこう忙しいんじゃないの?」
「だいじょーぶ、もう五週間先の原稿まで終わらせちゃったから。あたしたちこう見えても業界では有名なのよ、描くのがやたら速い漫画家、ってことでねー」
「ああ、確かにお前は異常な速筆だからな……」
「あっ、リョーコさんにハルさん。お久しぶりです、よく来てくれました。今夜は泊まっていきますよね」
「あー、そうしたいとこだけど、アシさんにうちの鍵渡しちゃってるからなー。あたしたちが帰らないとアシさんが帰れなくなっちゃう……」
「鍵を郵便受けに入れてもらうとか」
「あーダメダメ、ウチのマンションそれでけっこう泥棒に入られてんの。申し訳ないけど、明日も早いから遠慮させてもらうわ。またの機会に」
「そうですか。残念ですけど、仕方ないですね」
そう言って――、僕の妻、のんちゃんはにっこりと笑う。
リョーコたちがここで暮らしていた頃から、早くも十年の月日が経っていた。
DJの正体が城島ダイヤだったと知ったのは、彼が引退して沖縄に引っ込むと言い出した、つい半年前のことだった。
「あたしねえ、実は作家の城島ダイヤだったのよ」
「ふざっけんなあああーー!」
そう告白された時、僕は混乱してDJにラリアットをしたたかに食らわせた。嘘だったら許せなかったし、本当だったらさらに許せない。僕が城島ダイヤの大ファンだと知っていながら、今まで隠してきたのはいったいどういう了見なのか。
そして、かくして彼は本物の城島ダイヤだったのである(衝撃の展開)。
「あたしがみんなに見せてたのは、趣味で書いた原稿よ。自室ではずーっと商業用原稿を書いていたわ。あたしは自分で出版社に原稿を持って行く人間だったから、ワナビ荘にも出版社の人は寄ってこなかったしね。そもそも、来るな、って言ってあったし」
なぜ隠していたのか、という問いには、彼は平然とこう答えた。
「そりゃあ、知られたくないからに決まってるじゃない。『あの』城島ダイヤがここに住んでる、なんて知られたら、嫌じゃない。有名人ならよくあることよ」
自分が有名人であることには絶対の自身を持っているDJである。そういえば、城島ダイヤはどこにも顔を出さないことで有名だったな……。今さらながらに、こんな身近に憧れの人がいたことに気付けなかった自分が憎い。
「そういえばDJはお昼はずっと引っ込んで何か書いてたしねー。私はてっきり応募用原稿書いてるんだと思ってたけど、そっかー、あの場所で傑作は生み出されていたというわけかー」
DJが城島ダイヤであるという事実を知った後のリョーコやのんちゃんは思いのほか冷静であった。ただ、「DJはやっぱりタダモノじゃなかった」という純粋な賞賛があっただけだ。
そして、話は戻るが、そのDJが執筆業を引退し、沖縄に引っ込むことに決めたのだった。
「あたしはもう体力的にもいいとこまで来ちまったわ。女房も子どももいない身だけど、そろそろ、親孝行しなきゃね、と思って」
そう言って、彼は沖縄に住む高齢の両親のもとで一緒に住むことに決めたのだそうだ。若いころ、親の反対を無視して家を飛び出し、作家業を始め、さらに事故で亡くなった叔父の土地を拝借して「ワナビ荘」の経営を始め――、そんな怒涛のような生涯を送ったDJが、最後に下した決断は、親と和解し、若いころ反発した親に今度は尽くすということだった。
彼がDJとして活躍していたクラブも(あまり出番がなかったのでなんだか忘れ去られていそうだが)半年前に閉鎖となった。閉鎖パーティーの際は、多くのDJのファンたちが駆けつけて、かなりの規模の式典となった。やはりDJは、城島ダイヤとしてでなく、ディスク・ジョッキーとしても実に多くの人々を魅了していたのだな、と改めて思い知らされた。
そんなわけで沖縄に戻ることにした彼が、「ワナビ荘」の第二のオーナーとして指名したのが、地方公務員として就職し、自活しつつも、今でもワナビ荘で暮らし、作家業を目指し続ける僕だった。
「もっちー、第二の『DJ』を勤められるのはあなたをおいて他にはいないわ。よかったら――、いえ、ぜひ、『ワナビ荘』二代目DJを襲名してちょうだい」
そんなわけで、僕はワナビ荘の経営権をDJから譲り受けたのだった(手続きなどがいろいろと大変で苦労した)。もっとも、僕が行っているのは経営だけで、この土地も建物の所有権も、名実ともに未だにDJのものである。
僕はDJについて、彼の実家へ行き、ご両親と対面した(なぜそういう流れになったかはわからない)。まだまだ元気でかくしゃくとしたお年寄りで、DJの生活的支援も必要かどうかもわからないくらいだった。なんというか、沖縄のイメージ通りであった(ステレオタイプだろうか?)。
そして、こうしてワナビ荘へ帰ってきて、リョーコたちに襲名を報告して、その結果「お祝いしなきゃね」ということでリョーコたちがワナビ荘へわざわざやってきてくれた、という状況で――ようやく今に至る。
さて、ハル☆リョーコの近況はというと、前述の会話からも分かる通り、彼女たちは今や誰もが知るところの(言い過ぎか)人気漫画家である。アニメ化もし、興行収入は好調。すでに映画化の話も来ているということだ。あの頃のワナビ荘メンバーの中では最も成功を納めた二人であるということができよう。
蛇足かもしれないが、リョーコの弟のユウジくんは長い長いリハビリの末、ある程度は仕事もできるようになり、現在ではデスクワークについている。社内野球というかたちで、念願の野球にも参加できているとのことだ。
ハルと母親のトモエさんとの関係は、その後詳しくは聞いていない。仕事上での付き合いはきっちりやっていると思われるが、親子の関係がどうなのかは、僕たちが立ちいる必要もない問題だ。だが、何もあの頃のようなトラブルらしきものが見受けられないということは、それなりにうまくやっているのだろう。
「あ、そうそう。あの二人は今度はベトナムへ行くって言ってた」
「あの二人って、あの例の二人?」
「そうそう、あの二人。また現地で職務質問を繰り返し受けることになりそうだねー」
「いい加減やめればいいのに、ゴーストタクシー……」
まー君とみちるさんのカップルは、本を五冊ほど出したところで、突然作家業休業宣言を出したかと思うと、なんと世界中を旅すると言い始めたのだった。世界中でゴーストタクシー業でお金を稼ぎながら、その土地その土地の文化を知り、歴史を知り、生活を体験することで、それまでの自分になかったいろいろなものを得、吸収しながら有意義な人生を送っているのだという。ある意味羨ましい。
(まだまだ世界は広かったです。僕たちは井の中の蛙でした)
まー君が感慨深げに語った言葉が印象的だった。
「まあ、あの二人ならどこへ行ってもうまくやることだろう。みちるさんがついてるんだし」
「そだねー。あの二人には日本は狭すぎるよ……ん、このジュースおいしい。のんちゃんが作ったの?」
「はい。ワナビ荘の庭で取れた野菜で作った、名付けて『ワナビジュース』です」
「うーん、『ワナビ』っていう言葉がますます野菜か何かに聞こえて来ました……」
そして我が妻――のんちゃんは、もう教師生活五年目に入る。現在は近所の公立小学校で小学二年生の担任をしている。
僕たちは、のんちゃんの教育大学卒業、就職に合わせて結婚をした。してみると実にあっさりしたもので、案外それまでの生活と変わらなかったことに純粋に驚いた。それくらい僕とのんちゃんの関係は、安定していたというか、もはや一つの家庭として完成していたということなのだろう。
そして今、僕たちは晴れてワナビ荘で、念願の同居を果たしたのだ。僕が二代目DJとして、彼女とワナビ荘を共同経営する形で。
「ワン」
さっきからワンとかうるさいのがいるので、ついでに紹介しておこう。ワナビ荘のマスコットであるところの駄犬カフカは、結局大した見せ場もないまま、しかし十年という月日をまるで感じさせないくらいに、飄々と生きてきた。ある意味一番変化の無い奴である。DJは沖縄に連れて行こうと思っていたらしいが、僕ができれば譲り受けたい、と申し出て、結局ワナビ荘に残ることになった。まあ、こいつがいないと、ある意味ワナビ荘らしくないしね。
「それにしても、結局DJいなくなっちゃったんだねー、この東京から。なんだか寂しくなるね」
「まあね。だけどまあ、彼も親御さんに寂しい思いさせてたわけだし、里帰りしたのは正しい判断だと思うよ。それに、これからは僕たちがワナビ荘のDJとしてしっかりやっていかないと」
「DJ、最後になんか言ってた?」
「ん……、いや、別に。あの人はあえて口に出すタイプじゃないからなぁ。ただ、最後に『あんたもさっさといいもん書いて世に出なさいよ。そしてそんときゃ城島ダイヤの愛弟子として胸を張りなさい』って、いろいろとアドバイスをくれた」
「へー、どんな?」
「バーカ、そりゃ企業秘密だ」
「はー。しかし、こうしてると昔を思い出しますねー」
ハルがスイカをシャリシャリと食べながら何気なく呟いた。すでに日は落ちかけ、空は赤くなっている。みんみんみんと、夏を告げる蝉が鳴き始めていた。
「そうだなー、思い出すな。あの頃はみんな、若かった」
「何よー、今だってあたしたちは若いわよ。作家はいつまで経っても若いもんなの。老けるのはもっちーだけ」
「ねえ、みなさん、外に出てみません? カフカの散歩も兼ねて、少しだけ、夕涼みに」
のんちゃん突然の提案である。彼女も昔が懐かしくなったのだろう。すぐさまハルが「賛成!」と立ちあがる。「ほら、せめてスイカ最後まで食え」と僕がはやるハルをたしなめる。まったく、いくつになっても子どもみたいなところは変わらない。
「いいんじゃないですか、行ってきたらいいと思います」
そのとき、キッチンから黒川が声をかけてくれた。彼はもう丸十年ここで僕と一緒に暮らしている。すっかり弟のような存在だった。
「メシの用意は俺がやっておきますから。先輩たちは思う存分、昔の思い出でも語ってきてください。積もる話があるんでしょう」
「……悪いな。いつもお前には助けられるよ」
「いえいえ」