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第5話 おやすみDJ。 その4

 飛行機を下りると、東京の暑さがむわっと全身を包んだ。すぐに空港内へ向かう冷房の効いたバスに乗り込むのだが、日差しのうっとうしさはバスの中でも防げなかった。

 なぜ東京は、こういう嫌な暑さなのだろう。僕は襟をぱたぱたさせながら空を仰いだ。ついさっきまでいた沖縄では、確かに肌を焼く日差しもきつかったし、湿気もそれなりにあったが、なぜかこういう、全身を痛めつけられるような暑さではないのだ。理由はわからない。悪いのは、東京の空気かもしれない。

 僕が空港ビル内に入り、荷物を受け取り到着口から出ると、そこには笑顔の妻が待っていた。

「おかえりなさい。ずいぶん荷物が多いのね」

「これから僕が『ワナビ荘』を経営するわけだからね。いろいろとアパート経営に必要な本とかを読んでたのさ。それにしても、東京は人が多いよね。早くも那覇に戻りたくなってきたよ」

「私はいっそ沖縄に住んでもいいんだけど……。あなたがこっちに住むって、決めたんでしょ」

「ああ」

 僕は気持ちを奮い立たせるようにぐいっと前を向いた。

「僕は、作家になるんだからね」


 まだ若かった僕は妻と同時に独身寮「ワナビ荘」の経営を始めた。ここがワナビ荘と呼ばれる理由は、夢を持つ若者たち、「なりたいもの」がある若者たちが集う場所だから――。そんなところだったと思うが、まあ、それはある意味で後付けであり、実際には単なる偶然によるものだった。

 寮の経営を始めたとき、部屋は全部で四つ。そしてそこに住んだ若者全員が、たまたま「なりたいもの」がはっきりしていたのだ。

 一人は作家、一人は漫画家、一人は舞台俳優、一人はデザイナー。それぞれが夢に向かって努力を重ねる、そんな場所にこの寮はなっていった(一応付け加えておくと、漫画家とデザイナー志望だった若者は夢を叶え、作家と舞台俳優だった若者はそれぞれに別の分野で現在は仕事をしているが、それぞれに充実した人生を送っているであろうことは間違いない)。

 もっとも、若者は皆何かしら「なりたいもの」を持っているのかもしれない。理想の自分というものを、持っているのかもしれない。本当に無差別に入居者を選んでも、けっこうな確率で、その寮は「ワナビ荘」となるのではないか。僕はそんな風に思っている。

 「wanna be」。なんとも良い響きではないか。

 ワナビという言葉は、差別的ニュアンスで使われることもある。時には皮肉な意味を込めて、呼ばれることもあるそうだ。

 だが、そんな風な冷たい視線を向けられたからと言って、僕たちワナビがそれを気にする必要があるだろうか。

 たとえどんな理由があっても、何か目標があって、それに向かって必死で努力している人間を、皮肉な目で見たりする連中に対し、僕たちが気後れしたり、遠慮する必要が果たして――、あるだろうか。

 むしろ、上等じゃないか、何とでも言うといい――、そう僕は思っている。

 僕たちは夢を持つ者。それがどれほど実現からほど遠い、気宇壮大なものだったとしても、それを追いかける僕たちは、僕たち自身を誇りに思い続ける。

 それが、僕たち――、「ワナビ」だ。

 ワナビというのは、誇り高き生き物、なのだ。

「これから……、ここで、私たちの生活が始まっていくんだね」

 今でも思い出す。僕と妻が、この「ワナビ荘」で共同生活を始めた日のことを。

「ああ。立派に経営していこうぜ、このワナビ荘を」

「ところで、これからあなたをなんて呼べばいいかな。今まで通りでいい? それとも」

「ああ、それは」

 そうだ。呼び名は大切だ。作家はワナビ時代から、いわゆるペンネーム、二つ目の名前を持っているものだ。そう、呼び名と言えば――。僕は、僕の師である偉大なる人物の名前を思い出していた。

 その人の名は「城島ダイヤ」。次々と人気作を生み出し、一世を風靡したライトノベル作家である。僕は彼に直接的に世話になり、いろいろと作品作りについても指導してもらった過去がある。

 僕は思いついた。あの人の名前を借りてはどうか。ただ、そのままいただくのはさすがに失礼に当たるだろうから、ここは――。

「DJ」

「え?」

「ダイヤ・城島。略してDJ、だ。いい名前じゃないか」

「DJ……、DJ、ね」

 妻は顔をほころばせた。どうやらナイス・ネーミングだったらしいと僕はひと安心する。妻は思っていることが顔に出やすい。だからこうして笑顔になってくれるということは、素直に成功した、と思っていいということだった。

「よろしくね、DJ。ステキな作家さんになってね」


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