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第4話 うらぶれ案山子は月夜に吠える その10

「おい、応援グッズは後ろのトランクに乗せろって言ってんだろ! これじゃ後部座席をグッズが占領してて誰も座れないじゃねえか!」

「み、みなさん押し合いへし合いしないでください。ドアが外れます」

「DJは体が大きいから助手席に乗ってよー! 暑苦しくて会場まで持たないじゃないの!」

「あーもう、あんたたちうるさいから全員降りなさい! どうせ会場そんなに遠くないんだからみんな電車で行けるでしょう! まったくもー!」

「私は体が小さいからどこでもすき間に入って乗って行けますよー」

「み、皆さん落ちついてください。もともと詰めれば六人は余裕で乗れる車ですから……そうだよね、まー君」

 誰がどのセリフの主かお分かりだろうか(と言って当てようとする方はいらっしゃらないと思うのでさっさと先に進めようと思う)。僕たちはのんちゃんの声優コンクール会場へ向かうためにまー君のゴーストタクシーを召喚したわけであるが、結局全員乗り切らなかったので、すったもんだの一悶着しているわけである。

 そういえば、関係ないけどすったもんだっていう言葉の響き、凄くエロくない?(本当に関係がない。話を盛り上げる気があるのか)

 ちなみにのんちゃんはとっくに会場入りしている。本番まであと一時間、きっと今頃彼女は緊張の頂点にいるに違いない。こんな時こそそばにいてあげたい気もするが、今ののんちゃんなら一人でこの試練を乗り越えられるのでは、という気もするのである。

「さて、全員乗りましたか……。出発しますよ、みなさん……」

 まだ少しも運転していないのにぜいぜいと肩で息をしているまー君である。無理やり全員を車内に押し込むのに相当の体力を使ったようだ。まったくもって損な役回りである(人ごと)。

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

「まだ何か……?」

 リョーコの呼びかけに、さすがに疲れた顔でまー君が振り向く。そこにはぎゅうぎゅうと折り重なった四人の姿が。あまり長く振り返っていたい光景ではない。

「あと一人だけ、連れていきたい子がいるの! ちょっと寄り道、お願いできる?」

「は……?」


 どきどき。

 すでに本番まで二十分を切っている。今回のコンクールの出場者は全部で六十人いるということだ。そして、そのうち、私の順番はちょうど十人目であった。全体の数を考えても、かなり前の方である。具体的には九人目より後で、十一人目より前だ(こういう意味のないことを考えてしまうあたり、いかに私が緊張しているかがリアルに伝わるのではないかと思われる)。

 しかし……、私はステージ脇からそっと会場を盗み見る。審査員の先生方の他、おそらく出演者の関係者なのだろう、多くの観客が会場を埋め尽くしていた。中にはアマチュアながらに親衛隊がいるらしい子もいるようだ。いいなぁ……、と思いつつ、自分にもワナビ荘のみんながいることを思い出し、ついつい笑顔になってしまう私である。

 だが、今はそのワナビ荘のみんなが見当たらない。どうしたんだろう、もっちーの話によると、全員でまー君のゴーストタクシーに乗ってくると言っていたけど……、ひょっとして渋滞にでも捕まっているのだろうか。それとも、事故にでも遭ったか。すぐにマイナス思考をしてしまう点、私はまだまだ変わっていない、と反省することしきりである。

(だけど……、本当にもうすぐだ)

 どきどき。胸の鼓動は時間が近づくごとに高くなっていくばかり。本番三十分前に比べ、二十分前になるとおよそ二倍大きな音で心臓が鳴っている。この比率でいけば、十分前にはさらに二倍で最初の四倍、本番のときはさらに二倍で最初の八倍の大きさの鼓動となり、あまりの負担に心臓が止まってしまいそうだ(こんなことを考えられるあたり、まだ余裕があるのでは、という見方もできるにはできる。自分を客観的に見る視点は大切だ)

 会場が、わっと賑やかになる。ついに一人目の候補の子が、演技を始めたのだ。課題演技のセリフを、よどみなく、美しい声で、すらすらと紡ぎ出す一人目の参加者……。私はゴクリと唾を飲んだ。思った以上にレベルが高い。この戦いを、私はくぐり抜けていかないといけないのだ。

 さて、そんな風に緊張していると、どうしてもトイレが近くなってしまう。私は、本番前にもう一度――と思い、ステージ裏をそっと離れて女子トイレへと向かった。

 そして、深呼吸をしながら用を足し、洗面台で顔を洗って、気合を入れるためにパン、と顔を叩いて、よし、と鏡の自分に向かって握りこぶしを作ってみたりして――、そこで、私の表情は凍りついた。

「よお、楽しそうにしてんじゃん」

 ――柳田さん。

 やめて。

 お願い、今日だけは。

 鏡には、私の背後の個室に隠れていたのだろうか、意地悪い表情で私を睨みつけている柳田さんがはっきりと映りこんでいた。私は、自分の足が、手が、震え始めるのを感じていた。やめて、やめて……、こんな、大事な時に。

 今だけは、やめて。

「あたしもアンタが楽しそうにしてると嬉しいよ。ねえ、今日はどんなことして遊ぼうか」

「や、やめ、て……」

「あん? 遊んであげよう、って言ってるだけじゃん。嫌がることなんて何もないよ。それともー、アンタは、あたしと遊ぶの嫌い……」

「や、やめて……やめて……」

 そのとき、私の中で何かが吹っ切れた。

「やめてっ! もう、私に構わないで!」

 突然大声を出した私に、面食らった表情をする柳田さん。私はそのまま、頭の中がうまく整理できないままに、だけどはっきりと、言葉を発し続けた。

「私、もう、あなたに構われたくない! これが、これがあなたの遊びだっていうのなら、私、あなたと遊ぶのが嫌い! あなたの遊びに付き合うのが嫌い! 嫌い、嫌い、大嫌い! だから、もう私に構わないで、私で遊ばないで! 私のことは、もう放っておいて! 私も、柳田さんのことは、もう二度と、構わないからっ!」

「ん……だと、こらァ」

 柳田さんの表情が鬼のように歪む。私はすでに、目に涙をいっぱいに溜めていたが、後悔はなかった。私は、言いたいことを言ったのだ。なにも、悔やむところなんてない。むしろ清々しいくらいの気持ちだ。私は、柳田さんの顔から目を逸らさなかった。

「てめぇ……、黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって。今まで可愛がって来た恩を忘れたのか、オイ! こりゃあ、まだまだ可愛がり方が足りなかったみてぇだな、おお!?」

 柳田さんが私を殴ろうと拳を振り挙げた。私はギュッと目を閉じる。後悔はない。ここで殴られても、私は、自分の言いたいことを言った、自分の主張をまっとうした。誇りを持って、殴られよう。

 ――しかし、拳は振り下ろされなかった。

「ああら、アナタ、うちの可愛いのんちゃんを可愛がってくれたのねん。それじゃあ、あたしからもたっぷりお返しに可愛がってあげなくちゃねぇ」

「だねー。DJの猫っ可愛がりは半端じゃないから覚悟した方がいいよー、いじめっ子さん」

「なっ……、ど、どうして」

 柳田さんの拳は中空で、DJの太い腕にがっしりと掴まれていた。彼の背後には、ハルさんとリョーコさんの姿も。

「み、みなさん……」

 また、助けに来てくれたんだ。

 私はじわりと暖かい涙が溢れてくるのを感じた。

「お、おめえ、男じゃねーか! ここは女子トイレだぞ! 男が入ってくるんじゃねえ、セクハラで訴えるぞ」

「あら、イヤねえ。あたしは男でもあり女でもあるのよ。私のような人間にとって、性別なんて些細な問題なのォ。イケズなことを言うんじゃないの!」

 そういう問題だろうか。私はいつもの調子のDJに、思わず吹き出してしまった。

「のんちゃん先輩、もうすぐ先輩の出番です。こっちから行きましょう、急いで!」

 ハルさんが誘導してくれる。「うん!」 私は溢れる涙をぬぐいながら、伸ばしてくれた彼女の腕をしっかりと握った。温かい、ハルさんの体温が伝わってきた。

「さて、次はエントリーナンバー10、北原乃梨恵さん十八歳の登場です! 声優学校でもなかなかの好成績を収めていると評判の彼女、今回はどんなパフォーマンスを見せてくれるのか!」

 ハルさんに引かれ、私は――、私は一気に、舞台の上へと躍り出た。そこで、私はあらためて、自分の置かれた状況に思い至る。

 眼下には審査員の先生方の厳しい視線。会場いっぱいには、知らない人々の顔、顔、顔、それらが一斉に私のことを見つめているのだ。それもただ見ているのではなく、私がどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、どんな声を出すのか――、期待している目、あるいは好奇の目を寄せているのだ。

 もし失敗すれば、私は彼らを一斉に失望させることになる――。そのプレッシャーが、さっきのトイレの中以上に、私の足を震えさせた。

 ど、どうしよう――。

 声が出て来ない。何かをしようとしても、体が動こうとしない。あれほど練習したのに、頭の中でシミュレーションも繰り返ししたのに。マイクスタンドの元へ歩み寄ることもできない。このままでは、何もできずに終わってしまう。どうすればいいんだろう、どうすれば、どうすれば……。

 そのとき、はっと思い至って、私は会場内を見回した。そうだ、もっちー……。もっちーはどこにいるだろう。今、このかいじょうのどこかで私のことを見てくれているのだろうか。まー君は。みちるさんは。ついさっき見たリョーコさんやDJたちも、今のこの私の姿を見てくれているだろうか。

 そして私は見つけた――、横断幕を持って、ハチマキをして(のんちゃんLOVEと書かれていた、さすがに恥ずかしい)、メガホンを持って私のことを見つめてくれている、彼らを。まー君を、みちるさんを、……もっちーを。

 そして、もう一人――、

「……リカちゃん」

 どうして彼女がここに。一瞬疑問に思ったが、すぐにわかった。もっちーかリョーコさんあたりが、連れてきたのだろう。先生の晴れの舞台を見せるために、そして私にも、生徒が見ているというプレッシャーを与えることで、ちゃんとした演技ができるよう、気を引き締めさせるために。――あるいは、授業中を思い出させるため、だろうか。

 そうだ、ここは塾の教室だ。

 私は思った。目の前にいるのは、偉い審査員の先生方なんかじゃなくて、かわいい生徒たち。私がこれからするのは、何の変哲もない、いつもの授業。まるで生徒にわかりやすく言い聞かすように、語りかけるように、ゆっくりと、平常心でしゃべれば何も問題はない。

「――エントリーナンバー10番、北原乃梨恵。課題演技を始めさせていただきます」

 そして私は、全身の力を抜き、いつもの教室にいる心地で、「授業」を始めた。

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