第4話 うらぶれ案山子は月夜に吠える その8
「なあー、聞いてんのか、あぁーん?」
……まったくもって、うかつだった。
あれだけ気をつけていたはずなのに……、今日はどこか浮かれていたから、こんなところで捕まってしまったんだろう。
いよいよ声優コンクールという日の、その前日のことである。
「調子乗るんじゃねえって、何度言ったらわかるんだよ! せっかくあたしらが何度も警告してやってんのに無視しやがって、このっ!」
もっちーから助言を受けた後の私は、リカちゃんにもう一度向き合うことを決め、とことん、何も言わない彼女に付き合った。リカちゃんが私に対し、言葉を発してくれるまでの根競べ。……そんな状況が一時間も、続いたのち、リカちゃんはついに折れて、それまでの親への不満や学校への不満、塾への不満、そして私自身への不満も含め、思い切り自分の想いをぶちまけてくれた。
嬉しかった、単純に。
彼女が私に全ての思いのたけを、今まで溜めこんできたことをぶつけてくれたことが嬉しかった。ようやく彼女に、信頼できる相手だ、と言ってもらえた気がした。
それから、勉強と関係の無い部分での相談ごとにも乗ってあげられるようになった。なんだか、昔の自分を見ているようで、どこか悲しく、だけど嬉しい気持ちになった。一日でも早く、リカちゃんが笑顔で勉強できるように、たとえ学校へ行けなくても、楽しい場を作ってあげられるように――、私は頑張ろうと心に決めていた。
そんな風にリカちゃんのことを考えていたせいであろう、私の顔は明るかったと思うし、それが柳田さんたちの神経を逆撫でするものであることも重々承知していながら、私は柳田さんたちのよく使う(というかたむろしている)、人通りの少ないトイレの近くを通ってしまったのだ――。
「いいか、今すぐ声優コンクールも事態しろよ。お前なんかに出る資格はないんだからな。……聞いてたら返事くらいしろよ! 黙ってちゃわかんねえじゃねえかよ!」
当然私は連れ込まれて、これまでにないくらいのレベルでの暴力を受けた。
お腹を蹴られ、足を蹴られ、胸を蹴られ……、またしても外からは目立たないところばかりを狙われた。両腕は抑えられているから逃れられない。私は必死に膝を丸めて胴体を守ろうとするが、うまくいかない。口からしょっぱい液体が流れた。
「泣くんじゃねえよ、会話になんねえだろが……、ほら、あたしらに謝れよ、ごめんなさいって頭を下げるんだよ、なぁ!」
ぐいっと頭を掴まれて、無理やり上向かされる私。この頃には、もういろんなことがどうでもよくなっていた。ああ、結局こうなるのか……、色々頑張ったけど、無駄だったかのかなぁ、私、もっちーやDJや、いろんな人に支えられてここまで来たけど、やっぱり間違ってたのかなぁ……。柳田の言葉攻めに遭い、どこか本気でそんな風に弱気になってしまっていた、そのときだった。
「のんちゃん!」
聞き慣れた声がトイレに響いた。えっ、この声は……、そんなばかな。どうしてここに。
「ちっ……んだよ、てめえの彼氏かよ。ざけやがって」
トイレの入り口に立っていたのは、もっちーだった。驚いたような目でこちらを見つめている。悪態をつきながらも、人に咎められるのはまずいのだろう、早々にトイレから撤退していく柳田さんたちである。「どけよ!」柳田さんはもっちーの体を強く押すと、どたどたと廊下を走り去ってしまった。まったく、退散だけは一流な人々である。
「のんちゃん、大丈夫か。今のが柳田?」
「もっちー……、来てくれたんだね」
私は、こんなところでももっちーの顔が見られたことが――、もっちーが助けに来てくれたことが嬉しくて嬉しくて、それまでとは違う温かい涙を流していた。
「DJが、ひょっとしたらということがあるから、コンクールまで面倒を見てやれって言ったから、念のため様子を見に来たんだけど……。ごめんね、遅かったみたいだ。もっと早くこんな状態に気付いてあげられたら……。ひどい、こんなに赤くなってるじゃないか。すぐ医療室に行こう。あと、きちんと学校側にも報告しないと。これは立派な暴行だ」
「で、でも……。明日がコンクールの日なのに、あまり大ごとにするのは……」
「馬鹿野郎! そんなこと言ってる場合かよ……。コンクールなんて関係ない、今、のんちゃんが困ってるんだから、ちゃんと助けてくれって、声を出さないとダメだ。手を伸ばさないとダメなんだ。助けを求めるのを我慢する理由なんてどこにもない」
「だけど……」
「だけどもヘチマもあるか!」
そう怒鳴って人を呼びに行こうとするもっちーの、その腕を、私はがしっと掴まえた。
「のんちゃん……、気持ちはわかるけど」
「お願い!」
思った以上に大きな声が出た。私は内心でハラハラしながらも、懸命に続けた。しゃべるたびに腹に痛みが走った。
「明日まで……、明日まで待って。明日のコンクールだけは、無事に終わらせたいの。何事もなく、問題なく、平和なままで……、みんなに心配かけずに。それが終わったら、助けを、ちゃんと求めるから」
「だけどのんちゃん……そんな体で、そんな声でコンクールなんて」
実際、私は行きも絶え絶えといった疲弊度であった。腹へのダメージが大きいので、声を出すだけでかなりしんどい。だけど……、
「明日は、頑張る。本気で、頑張るから」
「のんちゃん……」
もっちーは何も言わなくなり、力なくうなだれてしまった。ごめんね、もっちー。心配してくれているのに、こんなことを言っちゃって……。
だけど、大丈夫。もっちーの優しさは私にもう十分伝わっているし、これからは、辛い時は絶対にちゃんと抵抗する。もっちーにも相談するし、学校側にも抗議するくらいの度胸はついている。
私は、ちゃんと、助けを求める。
だけど、今日は――、今日だけは。
「わかったよ。頑張ろう、のんちゃん」
もっちーはようやく、笑顔を見せてくれた。