第4話 うらぶれ案山子は月夜に吠える その7
のんちゃんは学習塾でのアルバイトに少しずつ慣れてきて、僕は小説を少しずつ書き進めた結果ようやく終わりが見えてきて、ハル☆リョーコは漫画の掲載がとうとう一週間後に迫り、DJは相変わらず日がなスピリチュアルなものと会話しつつ夜はクラブでブイブイ言わせており――、そんな日常が流れてゆく中のある日のこと、僕たちは突然、思いもよらぬ報告を受けた。
まー君とみちるさんが、ワナビ荘を出て行くというのである。
「ありゃー、作家になる夢が叶ったからって、もうワナビ荘とはさよならってわけ? くーっ、薄情者だねえ! リア充爆発しろっ!」
「そうじゃありませんよ、僕たち、本格的に付き合うっていうか、同棲することにしたんです。で、そうなるとここではもう住めないから……」
「なんてこった! リア充すぎて目眩がするぜ……」
その場にぶっ倒れるリョーコ。つくづく面白い反応をする奴だ。
「しかしまた、ずいぶんと急なのね。お別れ会くらい盛大に開きたかったけど」
「まあ、そう遠くへいくわけじゃありませんし。これからは駆けだし作家として、毎日二人で切磋琢磨です。なってからが厳しいといわれるこの業界ですから、死ぬ気で頑張りますよ」
みちるさんが眩しい笑顔でDJに応じる。
「あ、でもそれじゃあタクシードライバーの仕事は」
僕が尋ねると、
「もちろん、続けますよ。彼女のために作ったゴーストタクシーですからね。彼女専門の運転士を、これから何十年でも続けて行くつもりです」
「かっくいー!」
そんな会話をしている中、のんちゃんだけが黙っている。「どうしたんです?」とまー君が話しかけると、のんちゃんはふるふると肩を震わせはじめ、そしてわっとばかりに泣きだしてしまった。
「ま、まー君、みちるさん……。ぜ、絶対また遊びに来てくださいね、い、いつでも、楽しみにしてますから……。わ、私たちのこと、忘れないでくださいね」
「のんちゃん……」
みちるさんは泣きじゃくるのんちゃんをギュッと抱きしめた。思えば、のんちゃんはこのワナビ荘に来てからようやく友だちらしい友だちができたわけで、そういう意味ではまー君やみちるさんとの別れは、友だちとの別れのほとんど初体験になるわけか。そういえばまー君ともいろいろあったなぁ……。と、ついガラにもなくじーんと来てしまう僕なのであった。
「いつか、また晴れの舞台で会いましょう。私たちはホラー作家、のんちゃんは人気声優、ハル☆リョーコさんは人気漫画家、DJともっちーさんは人気小説家になって……。みんなで記者会見で顔を合わせたり。ふふ、そのときが本当に楽しみです」
「み、みちるさぁん……」
こんな感じで涙、涙のお別れを経て、ワナビ荘を去っていったまー君とみちるさんだが、この一週間後の週末には普通にワナビ荘に遊びに来て夕食をごちそうになって、あまつさえ勝手に泊まっていった。まったく、のんちゃんの感涙はいたづらになりにけり、である。
しかし、これを契機にワナビ荘の環境自体が少しずつ変わりつつあることも事実のようだった。まー君の入っていた部屋は入居者の募集広告が出され、料理や掃除、その他のアパート内での当番もがらりと変わった。一人の人間がいなくなるというのは、そういうことなのだ。
「あたしたちも、そのうちここを出てくことになるのかなー………」
ふうっと、タバコの煙を吐き出しながら、遠い目をして呟くリョーコ。今のはなんとなく、のんちゃんには聞かせたくないセリフだな、と僕は思った。
のんちゃんは、昼は声優学校で訓練、夜は学習塾で講師をする二重生活をそれからしばらく続けていた。声優学校では相変わらず嫌がらせを受けているらしいが――、のんちゃんはそれらを全て無視するようにしたし、回避できるものは徹底して回避した。荷物はすべて常に自分で持ち歩くようにしたし、トイレや校舎裏などで一人になることが無いよう気を配った。聞えよがしな悪口などもイヤフォンをして発音の練習をすることでシャットダウン。ただただ、自分を高めることだけに専念した。
柳田たちとしては、その様子が余計に面白くなかったらしく、執拗にあの手この手でのんちゃんを攻めようとした。一度、多くの人がいる場所で、のんちゃんの手を引っぱって人気のないところへ連れて行こうとする、という暴挙に出たそうだが、講師が見とがめたため失敗に終わったという。柳田たちも、かなり鬱憤が溜まっているということか。僕はこの件がどうしても不安だったが、のんちゃんは「まだ大丈夫、まだやれる」と意外に強気であった。
塾の方では、のんちゃんはあまり飲みこみのよくない子たちを相手に熱心に勉強を教え続けた。特にリカちゃんに対してはいろいろ親身になり、まるで我が子のように可愛がりながら勉強を教えているらしい。このアルバイトを始めてからというもの、のんちゃんは前にも増して楽しそうに、生き生きとしてきたように見えたので、僕としてもやはり紹介して良かったと溜飲を下げていたのだが、一回だけ、のんちゃんが顔を真っ赤にして涙をいっぱいに溜めながらバイトから帰ってきたことがあった。
「ど、どうしたののんちゃん? 何かあった?」
「……私、もう、塾の先生やめる!」
そう言い出したときにはさすがに僕も慌てた。彼女も少々ヒステリックになっていたようで、よく落ちつかせてから詳しい事情を聞くと、リカちゃんと大ゲンカになったのだそうである。
「私が何を言っても答えてくれなくなって……。私と目を合わせようとしないし、ずっと不機嫌そうな顔してるし。で、ちゃんとこっちを見なさいって怒ったら、ものすごく不満そうな顔をしてきたから。それで、それで」
「あー……。反抗されたわけか」
「もうどうしていいかわからない……。子どもって何考えてるかわからない。やめたい……」
頭を抱えてうずくまるのんちゃん。僕はその様子が不思議に思えて、思わず尋ねてみる。
「何考えてるかわからない? それホント?」
「……えっ」
「だって、リカちゃんは学校でいじめられたり、不登校になったりしてるんでしょ。そして、先生に不機嫌な顔を見せたり、反抗したりしている。そういう子の気持ちって、のんちゃんにわからないとは思えないんだけど」
「…………」
のんちゃんはしばし考える。いじめられっ子、いろんな人から無視されて、意地を張るようになって……、確かに自分とよく似ている、と思う。だったら、時々そうやって他人に嫌な面を見せてしまう子どもの気持ちも、確かに……。
「というか、のんちゃんが理解してあげないとダメだよ、その子の気持ち。ある意味でリカちゃんはのんちゃんに甘えてるんだよ。厳しく接することも大切だけど、でも、反抗されたからって見離しちゃダメ。リカちゃんにはのんちゃんしかいないんだから」
「私しか、いない……」
「そう、のんちゃんしか」
のんちゃんはそれきり黙ってしまった。だけど、僕の言いたいことはしっかり伝わったと思う。その翌日も、のんちゃんはいつも通り、泣き言なんて一つも言わずに、あるバイトに出かけて行ったからだ。
のんちゃんを見守る僕の脇に、DJのデカい図体が並ぶ。にこにこと何やら嬉しそうだ。
「あの子、成長したわよねー……」
「ああ、大人になった」
「あんたもいい仕事したわね。あの子が変われたの、あんたのおかげって部分も大きいわよ」
「いやあ、全くもってその通り。もっと褒めろ」
「肝心のあんたはイマイチ成長してないみたいだけどね。あんた今アルバイトしてたっけ。今月の家賃、まだ受け取ってない気がするんだけど」
「う……」
さすがDJ、突っ込みは容赦ない。
「そ、それより、のんちゃんの声優コンクールもうすぐじゃないか? な、みんなで応援しに行く準備しようぜ。なんならのんちゃんガンバレって横断幕でも作って、親衛隊っぽい格好をしていけば、すでにファンがついてるーってなって評価が上がるかも……」
「そうね……」
心ここにあらずといった感じでぽつりとDJが返してきた。普段のDJにはこういうことがあまりないので、僕はつい気になってDJの顔をまじまじと見てしまった。
「無事にいけば、いいんだけどね」
DJの顔はいつの間にか曇り模様だった。本当に、人のいいおっさんだ。今週中にはちゃんと家賃を納めてあげよう、と心に決める僕であった。