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第4話 うらぶれ案山子は月夜に吠える その6

 さて、その次の日。

 ここからの語り部はふたたび僕へと移る。

 僕がのんちゃんを連れて行ったのは、ある学習塾であった。

「じ、塾?」

 明らかにたじろいでしまっているのんちゃんに僕は言う。

「ここは受験対策をバリバリやるっていうタイプの塾ではなくて、いわゆる補修塾だね。学校の授業についていけなくなって、より簡単なところからやり直すっていうタイプの。集団授業だから、大勢の前でわかりやすく話をしないといけない」

「お、大勢の前でって」

「のんちゃんには、ここで講師のアルバイトをしてもらう」

「えええっ!」

 のんちゃんは目を丸くした。まったくもって信じられない、という顔である。

「僕の友達から頼まれたんだよ、ちょうど講師に欠員が出ちゃったらしくて、誰かを紹介してくれないか、ってね。――いいか、のんちゃんに足りないのは人前で堂々と話す度胸だ。いくら演技ばかりがうまくても、この先のんちゃんが世の中を渡っていくためには能力として足りないんだ。具体的には、のんちゃんに必要なのは、話術だ」

「話術……」

「そう。のんちゃんは人にきちんと話をして、自分の考えをわかってもらう、自分の想いを理解してもらうということをできるようにならないといけない。凄く極端な言い方をすると、のんちゃんが自分の気持ちをきちんと言葉にできていれば、あんなにのんちゃんが思い悩むまでに事態が悪化しなかったかもしれないし、バイトもクビにならなかったかもしれない。それに、講師は声を使う仕事だ。アドリブ力も試される」

「そ、それはそうだけど……」

「そんじゃ、頑張って」

「頑張ってって……」

 背中をどんと押されて、その場に取り残されるのんちゃん。そりゃあ、次のバイト先を斡旋してくれたのは嬉しいんだけど、経験もないのにいきなりやらされても困るというか……、これでは、まるで押しつけられたような状態ではないか。

 のんちゃんははあっ、と溜め息をついた。塾の校長先生が「一緒に頑張りましょうね」とニコニコしながら手を差し出してくる。年配の女の先生だ。「松野」というネームプレートを提げている。「よろしくお願いします……」のんちゃんもまた、しょぼくれた顔をしつつも手を差し出し、握手に応じた。

「よし、ちゃんと最初の挨拶はできたようだな」

「ねえねえ、なんであんた帰るふりしてあの子のちゃっかり様子見てんのよ。ちょっと過保護じゃない?」

「そういうリョーコこそ」

「……」

 おせっかいな二人である。

「しっかし、けっこうな荒療治というか、強引なやり方するわねもっちーも。本当にこれでのんちゃんの悩みは解決すんの? ただのいじめなんでしょ、あんたかDJあたりが乗り込んで犯人をぶっ飛ばせばそれでいい話じゃん」

「まあ、変わるきっかけってことさ。のんちゃんがいつまでもこのままでいていいとも思えないし、あいつはああ見えてけっこう子ども好きだ。性に合うんじゃないかと思ってな」

「本当におせっかいねー……」

 ほどなくして、のんちゃんの模擬授業が始まった。

 観客は校長先生、事務の女性二人、他に先生が一人。僕たちは教室の外からそっと見守っていた(ひょっとしたらとっくにばれていたかもしれない)。小学生の算数の授業だったのだが、これが見ていられないほどにひどいものであった。

 まず、足し算をするために黒板にリンゴやみかんの図を描くのだが、ものすごく下手である。リンゴもみかんも見分けがつかない上に、描く場所も滅茶苦茶。一生懸命足し引き算の概念を教えようとするのだが、図がわかりにくい上説明もしどろもどろなので、子どもはおろか大人にもきちんと意図が伝わるか危うい。

「こ、これはヒドイ……」

「あ、校長先生が頭を抱えてる」

「よくあれで声優になりたいなんて言えたものねー、それもすでに一年以上専門学校に通ってあれでしょ………?」

「まあ、基本的なスキルはあるから、慣れればすぐに上達するんじゃないかとは思うけど……」

 そう願わないわけにはいかない。


 のんちゃんの授業は翌週から始まった。学年は小学五年生、生徒は五人。どの子も、学校の授業についていけなくなったり、不登校になったため学校ですべき学習ができない子など、補修を必要とする生徒ばかりだった。

 のんちゃんは不器用な絵や図で必死に算数を教えようとする。だが子どもたちは正直だ。彼女の授業がわかりづらければ聞かないし、図や字が下手くそならばノートもとらない。彼女がどれだけ頑張っても、いやむしろ無理に頑張れば頑張るほど、子どもたちはしらけ、授業に対する興味を失っていく。

「ねえねえ、さすがにかわいそうじゃない? やっぱり向いてなかったんだよ、あの子には。ほら、完全に眠っちゃってる子までいるし……」

「確かにこの教室の状況はひどいな。だけど、これを何とかするのがのんちゃんの仕事だ。向いてる向いてないじゃ、ない」

「きびしー」

 なんだかんだでまたのんちゃんの様子を見に来ている僕たちである。リョーコなどは原稿が押していて忙しいだろうに、さながら本当の姉であるかのような心配ぶりであった。

 僕がもう一度教室を覗いたとき、ふっと、ある子どもの姿が目についた。髪の長い女の子である。彼女は特に面白くもなさそうな無表情のまま、じっと、のんちゃんのことを見つめていた。なんとなく光を感じない、暗い目だ。

「あの子、唯一のんちゃんの授業をちゃんと聞いてるね」

「だけど、手はろくに動いてないし、のんちゃんに当てられても無反応よ。本当に理解してんのかな? 大人の前では『良い子』を演じちゃうタイプじゃないの?」

「彼女は、学校でいじめられて不登校になったリカちゃんという子です」

 突然第三者の声がして、「ひぃっ」と驚いて振り返る僕とリョーコ。そこには、塾の校長である松野さんが穏やかな表情で立っていた。

「学校ではいつもあんな風に、真面目にじっと先生の話を聞いていて、特に問題も無い、普通の子だったといいます。だけど、突然よく理由の分からないいじめの標的にされて――。彼女は一度も親御さんや先生、あるいは自分をいじめるクラスメイトの前で泣いたり怒ったり、感情を見せることはしなかったそうです。腕にできた痣にお母さんが気付くまで、いじめの事実についても一言も相談していなかった」

「そうなんですか……。それは、お母さんたちに心配をかけまいとして?」

「かもしれません。とにかく、お母さんに追及されて、彼女はいじめられている事実を白状しました。そしてその日から、もう学校へは行きたくない、またいじめられるから、と――不登校児になってしまったのです。今から四ヶ月前のことです」

「なるほど……」

 僕は頷きながら、のんちゃんとリカちゃんという生徒の境遇を重ね合わせていた。いじめられ、誰にも相談できずに一人で思い悩んで……。ひょっとしたらこの二人は似た者同士なのでは……。

 そうこうしているうちに、授業終了の鐘がなる。キーンコーンカーンコーン。のんちゃんは溜め息をつきながら、最後の挨拶をして授業を終えた。結局またうまくやれなかった、そんな疲労感が表情から見てとれた。

 僕たちは慌てて物影に隠れる――といっても、すでにのんちゃんにはバレているだろうが。のんちゃんはがらりと扉を開けて教室から出てくると、また一つ大きなため息をついた。

 その様子を見ていると、僕はなんだか彼女にとても悪いことをしてしまったような気がした。ひょっとしたら、僕のしたことは間違っていただろうか?

「先生」

 そのとき、とても小さな、か細い声で、そう呼ぶ声がした。のんちゃんははじめ自分が呼ばれたと気付かない様子で、教室を去ろうとしたが、再び「先生」とやや強い声で呼び止められ、ようやく振り向いた。

 そこには、さきほどじっとのんちゃんを見つめていた、リカちゃんが立っていた。手には、ついさっきの授業で使用したテキストがしっかりと握られている。

「ど、どうしたの……? な、何か……」

 質問だろうか。だけど、子どもと一対一になって指導した経験はない。これが初めてになるのだろうか。ドキドキ……。のんちゃんは緊張した様子で、次の言葉を待った。

「先生は……、どうしてそんなに寂しそうなの?」

「えっ……」

 一瞬何を言われたのかよくわからなかったようだ。寂しそう……? 不慣れでしどろもどろな授業の出来に文句を言われるのならば、無理もないとは思うのだが……。寂しそうと思われる授業を、自分はしただろうか? のんちゃんは迷っているようだ。

「私と、同じような顔をしてる」

「……」

 のんちゃんはリカちゃんと見つめあった。その目の中に、お互い、何かを探しているかのような時間が過ぎ去った。

「……生徒との対話が始まるわね。行きましょう」

「えっ?」

 松野校長が小声で言った言葉の意味がわからず、僕は思わず聞き返した。

「生徒との信頼を築く方法は、個人的なコミュニケーションをとることよ。彼女はリカちゃんと、どこか似た目をしている。だから、今、心を許そうとしている。今までなかなか他の先生方に心を開こうとしなかった、あの子が。……これは、北原先生にとってもとても大切な経験になるはずよ。今は二人きりにしてあげましょう、彼女たちが何か、助けを求めてくるようならば、そのときに手を差し伸べればいい」

「……そうですね」

 二人は早くも親密な空気を作り、何やら話し込んでいた。確かに、外野たる僕らがここにいても無粋なだけだ。僕とリョーコは目を合わせてそっと頷き、学習塾を後にした。

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