第4話 うらぶれ案山子は月夜に吠える その5
そして住人たちが寝静まった深夜二時ごろ、私はのっそりと部屋から起き出し、暗いリビングでテレビをつけてぼんやりとしていた。膝もとにカフカがするりと滑り込んできてワンと鳴く。私は、久々に自分以外の生き物の体温、温かさを感じられたような気がして、やっと少しだけ表情をほころばせた。ふかふかの頭を優しく撫でてやると、カフカは気持ちよさそうに目を細めた。
「ねぇカフカ……、私、どうしてこんなことになっちゃったのかな」
私はカフカを撫で続けながら、小さな声で話しかける。
「ただ、普通の生活が――、私にも友だちとか、仲間とか、そういうものが手に入ったと思ったのに。どうして、こんな風に、恨まれたり、憎まれたり、怒られたり――、何もかもがうまくいかなくなっちゃったんだろ」
言いながら、じんわりと涙が浮かんでくるのを感じていた。誰も聞いていないと思うから、カフカしか相談できる相手がいないから、だからこんな風に正直に話せるんだろう、と私は思った。
「だけどきっと、全部私が悪いんだよね――、不器用だったり、空気読めてなかったり、バカだったり、周りに迷惑ばっかりかけてる私が――、だから、嫌われて当然なんだお。あーあ、いろいろとやっちゃったなぁ。これじゃ、声優オーディションなんか出たらもっといじめられるだけだよ、もうチャレンジなんて、やめた方がいいよね。柳田さんの言うとおり……。どうせ叩かれるだけなら――、……また前みたいに、大人しく一人で黙々とやってたころの私に戻れるかなぁ」
言いながら、ぽろり、と一筋の涙が私の頬を伝った。熱い涙だった。
「だけど、戻りたくないなぁ――もっちーたちと会う前の自分には。どうせなら、学校では嫌われてもいいから、ワナビ荘では、明るい自分でいたい、みんなとワイワイやれる、元気のいい自分でいたい――、そう思うよ。……あはは、だったら最初からそうすればよかったのにね、どうして学校でまで調子に乗っちゃったんだろ……。バカだ、私……」
「そいつは違うな」
私ははっとした。今、カフカ以外の声がした――、それもすぐ近くから。すっかり聞き慣れた、あの声が。……私はすぐに状況を理解し、思わず耳たぶがかーっと熱くなるのを感じながらも、ゆっくりと振り向いた。
果たしてそこには、Tシャツに短パン姿のもっちーが立っていた。
「乗れる調子があるなら、ぜひとも乗ってみるべきだ。そもそもの調子が出ない奴なんて世の中にはいっぱいいる。だから、もし今までにない流れができたならそこには乗るべきなんだ、のんちゃん。そこでたとえ失敗したとしても、その経験は決して無駄にはならない」
「も、もっちー……」
「……バイト、クビになったのか」
無言でこくりと頷く私。その目にはいっぱいに涙が溢れていた。きっと何か嫌な事があったのだろう、ともっちーは察してくれたようなようだった。
「なら、ちょっと僕から提案があるんだ。実は、のんちゃんにぴったりのアルバイトがある。ぜひやってみないか。きっとのんちゃんのためになると思うし」
「え……」
思わぬ言葉に呆然とする私。新しいバイト……。何だろう。話の流れから言って、またコンビニのような業種とは考えにくいけれど……。
「学校でも、何があったかは知らないけど……、その、僕はのんちゃんは悪くないと思う。今までちょっと人づきあいが少なかったから、経験不足から失敗しちゃっただけで……、そんなのは誰にでもある話だろう、って。むしろ、その程度の失敗を笑って許してやれない周りが悪い」
「そ、そうかな」
「そうだよ。人間の器が知れるってもんさ。あとは……、もしのんちゃんが助けを求めてくれるならば、僕が直接学校に乗り込んで解決してやる。何が何でも、だ。のんちゃんには僕たちがいるんだから。僕だけじゃなくて、DJも、まー君も、リョーコも。ハルも、みちるさんも、みーんなのんちゃんの味方なんだ。それを忘れないで」
「う、うん……」
「あとさ、……声優コンクールの出場、やめるなよ」
「え……」
「みんな、楽しみにしてるんだ。のんちゃんの晴れの舞台をな。もちろん、ワナビ荘のみんなのために出場しろとは言わないし、どうしても嫌なら無理にとは言わないけど……、本当は出たいんだろ。それなら、その気持ちを曲げるべきではない」
「……ん……」
私は頷いて目を閉じた。もっちーの言葉がしっかりと私の心に染み渡ったような気がして、じんわりと嬉しくなった。ずずっ、と私は音を立てて鼻をすする。もっちーは「汚いぞ」と言ってティッシュ箱を手渡してくれた。盛大に音を立てて鼻を噛むの私。ああ、やっぱりこういう、格好つかないあたり、私は私なんだなぁ、と妙なところで安心したりする。
「あ、あとのんちゃん」
「ん……なに」
「カフカが死にそう」
気付くと、私の腕の中でカフカが泡を吹いてぴくぴくしていた。どうやらいつの間にか強く抱きしめていたらしい。私は慌てて手を離す。その場に倒れてぴくぴくと震えているカフカ――、うん、ちゃんと生きているようだ。ほっと安心して「ごめんね」とカフカに謝った。
その温かい体温が体を離れると、少しだけ寂しい気もしたが、すぐにもっちーが隣に座ったので、その寂しい気持ちは長続きしなかった。何も言わず、そっともっちーによりかかる私。テレビは音も立てずに、退屈な風景の写真と天気予報を映している。私はそのまま、すっかり安心してしまい、すやすやと気持ちのよい寝息を立て始めた。