第4話 うらぶれ案山子は月夜に吠える その4
しかし、翌日からも似たような状況は続いた。突然発声練習用のテキストがカバンから無くなったり、聞えよがしに自分の悪口をいう集団がいたり……。その過程から、だいたい誰が自分に対する嫌がらせを行っているか、大体は把握できた。リーダー格は、ずっとアイドル声優を目指してトレーニングを続けてきたが、新人に次々に抜かされ、未だに日の目を見ることができずにすでに二十三歳になっている、柳田さんという女性の先輩らしいこと。そしてその取り巻き二人がこれまでの嫌がらせの実行犯であろうこと。漫画やドラマの中だけかと思っていたのに、こんなことが現実にあるんだなぁ、と新鮮な驚きを感じるとともに、なんだか気の滅入ってしまう私であった。
最近、のんちゃんの元気が無くなった、ということでもっちー、DJはもちろん、リョーコやまー君もしきりに私のことを心配してくれた。しかし、彼らを面倒に巻き込みたくなかった私は、絶対に事情を話そうとはしなかった。私を本当の家族のように可愛がってくれている彼らのことだ、もし本当のことを知れば、学校に武器を持って乗り込んでくるくらいのことはしかねない。「最近、疲れがたまっちゃって……」と曖昧に笑い、重い頭を抱えながら眠りにつく。そんな日々が続いた。だから、本当に毎日まるで雪だるまのように疲れが溜まっていったし、それが声優としてのトレーニングに影響が出ないはずがなかった。
「ちょっと、何やってるの北原さん。全然腹から声が出てない!」
「あ、は、はい」
どこか上の空で演技をしていた私は講師に容赦なく叱られた。注意を受けたのちは、表面上は力を入れて熱演をして見せるのだが、声に魂が入っていないことは誰の耳にも明らかであった。
「あなたどうしちゃたの? 恋の悩みでもできた? 昼間っからぼんやりとしちゃって、意識が別のところに行ってたら演技なんてできっこないわよ。顔洗って出直して来なさい」
ぴしゃりと言われ、しゅんとしょげながら化粧室へ向かう私。そんな私をくすくすと嘲笑う声は、きっと嫌がらせをしてきた連中のものだ。私はもはや怒りも憎しみも抱くことができず、ただただ悲しくなって背筋をぐにゃりと曲げてしまった。猫背ののんちゃんの復活、である。
最近はスカウトの人も、あまり積極的に話しかけてくれなくなった。以前は「素質がある」「磨けば光る原石だ」と、彼女のことを褒めてくれた人なのだが……、素質があっても身を入れて演技しないと使いものにならないということか。私は鏡に映る青白くなってしまった自分の顔を見ながら、なんだか泣きたいような気持ちに襲われた。ああ、このまま死んじゃおうかな……。ぼんやりとそんなことを思ったとき、トイレのドアが開いて入ってきた人影があった。
「あんた、最近調子悪そうじゃん。ちょっと前までアゲアゲだったくせに。何かあったの? 声優オーディション、出るんじゃなかったの?」
けらけらと笑う派手な髪をした女性は、いじめの主犯と思われる柳田さんであった。何という白々しさだろう。私は思わず顔を伏せてしまう。
「ちょっと、なんとか言ったらどうなのよ……。心配して声をかけてあげてんのに」
「え、えと……、その」
柳田さんはうまく言葉を紡げない私をどん、と強く押す。よろめいた私はその場に倒れてしまう。そんな弱っている私の髪の毛を柳田さんは掴みあげて、無理やり立たせようとした。
「いい、あんたが悪いのよ。ネクラでコミュ障の能なしのクセして、あんな風に調子に乗ったりするから……。あたしたちがあんたに身の程ってものを教えてあげてるの。だって、ああでもしなきゃ、あんたあの後いくらでも増長してたでしょう。そしたら、きっともっと酷いいじめをあたしたち以外から受けてたわよ。いい、この世界はね、出る杭は打たれるものなの。覚えときな。あたしたちは、みんなの不満がどうしようもなくなる前にあんたを打っておいてあげたわけなんだから、むしろ感謝されるべき立場なのよ。ほら、礼を言いなさいよ、あんたに世の中の厳しさを教えてあげたあたしに……、何よ、その目は!」
いつしか柳田さんを強く睨みつけていた私は、直後、腹に強い衝撃を感じた。膝で蹴りを入れられたのである。私は息ができなくなり、咳をしながらその場にうずくまる。
「ふん、ブスのくせに、ニコニコ笑って媚びやがって……。いい、声優コンクールにも出るんじゃないよ、あんた。あんたみたいな下手くそが出たって、恥をかくだけなんだから、最初から出ない方が傷口は小さくて済むよ。警告してあげてんの、あたしは。ねえ、なんとか言ったらどう? 今ここで言いなさいよ、コンクールに出るのはやめる、って。ねえ、言いなさいよ、言いなさいよ!」
またしても腹を蹴られる。しかし私は痛みにも耐え、ひたすら耐え、何も言わずにただただ耐え――。その後、柳田さんによる暴力は数十分続いた――、それも、外からは見えないような部分ばかりを狙って。
……力の無い私は、反撃もできず、ただ柳田さんを強い視線で睨み返すことしかできなかった。
悪いことというのは重なるものだ。その夜、私がコンビニでアルバイトしていたときのこと、陳列する商品を運ぼうとしていた私は、昼に打たれた傷が痛んだせいで、棚に並べるべき商品を床にぶちまけてしまったのである。
「あーもう、何やってんだよ! ぼんやりしてんじゃねえよ!」
「す、すみません……」
すぐに片付けようとする私だったが、傷の痛みが増してうまく立ち上がれない。そレでも無理して立ちあがろうとした結果、もう一度その場に転倒してしまい、実に間抜けなことに、床に散らばった商品の上にその体を預けてしまって――、いくつもの商品をぺちゃんこにしてしまったのである。
「お前、ふざけんなよ! ドジとかじゃ済まされねえんだぞ、これじゃ売り物にならないじゃね―か」
「す、すみません、べ、弁償します、今すぐに片付けますから、その……」
「あー、もういい。お前はもう帰れ」
「えっ……」
「明日から、もう来なくていいから」
もともとお世辞にも優秀とは言い難い仕事っぷりの私であったが、これが決定打となって、契約打ち切り決定であった。世にいうクビである。こう言われてしまっては、私はもう、何も言えなくなってしまった。それでも一応片づけだけはきちんと済ませてから帰ってきた私は、なんだかとても馬鹿正直というか、損ばかりしているような、とても馬鹿馬鹿しい気持ちに気持ちになってしまった。
ワナビ荘に帰ってきてから、私は何も言わずに部屋に引きこもったままだった。さすがに何かがあったと察したワナビ荘のみんなは、いろいろと想像して気を揉んでくれたが、のんちゃんとてもう大人、自分から相談してくるまではそっとしておこうと――そういう結論に落ち着いた、ようだった。