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第3話 我が名はシメキリ・クイーン その7

 で。

 直前の段落で描写したと全く同じ光景が僕の目の前に広がっているわけだが。

 全員がワナビ荘のリビングで、黙々と、一言もしゃべらずに原稿に向かって作業をしている。トーンを貼っている者もいればベタを塗っている者もいる。全員、席の移動すらしていない。トイレと水分補給のときに少しだけ席を外す程度で、あとはひたすら作業に没頭している。外は暗く、どれくらい時間が経過したのか傍目にはよくわからないであろう。(変わらないのはソファで寝そべっているカフカくらいである。お前も手伝え。)

 だが!

 実は、本当のことを言うと、実際のところ、なんと、あれから一度日が昇り、沈んだのである!

 信じられるだろうか!

 つまり今は八月三十一日の夜であり――締め切りの夜なのである。もう郵便局も閉まっている。本当にこれ、間に合うの? とみんなが心の中では思いつつも、口に出せず、作業を行っているというのが実のところであった。

 どうなるんだ?

 タイムアップになったら、結局ハルは「間に合いませんでした」で済ませられるのか?

 そんな言葉が――、あれほどの啖呵を切ったハルに言えるだろうか。

 それで本当に乗り越えられるのか? あの、トモエさんを。

 否。

「終わったあああああ!」

 リョーコの叫びである。ついに全てのページのペン入れ、およびベタ塗りが終了したのだ。

「DJ、そっちはどう!?」

「あと数分でトーン終了よ。のんちゃんは?」

「ばっちりだお! 背景完璧! ただ細かい修正に三十分は欲しいトコロ」

「ありがとう。まー君は車出す準備しといて」

「ラジャーです!」

「お、おいおい。車って、まさか……」

「そのまさかよ。光玄社まで直接乗り込む! ハル、最後の一枚はあんたが仕上げなさい。お母さんに見せて恥ずかしくない出来にね! 一番大切なシーンなんだから!」

「もちろんです! 任せて下さい!」

 さながら統率の取れた軍隊のように当意即妙な受け答えであった。間違いなく、ワナビ荘の全員の心が一つになっていた瞬間だと言えるだろう。僕は手を動かしながらも、よくわからない感動に包まれていた。

 そして、予定よりも大幅に遅れて、八月三十一日、午後十一時。ようやくその瞬間は訪れる。

「でぇーきたぁああーーー!」

 ハルが高々と原稿をかざす。パチパチパチ、とまばらな拍手。のんちゃんとみちるさんはすでにぐったりしていた。

「よし、乗りこめ!」

 ハルはできたばかりの原稿を胸に抱えると、まー君のゴーストタクシーの助手席に乗った。運転席ではすでにまー君が発進準備体勢である。

「よっしゃ、行って来なさい! リョーコ、もっちー、まー君、そしてハル。無事を祈ってるわ!」

 DJが僕のお尻を引っぱたく。くそう、後で見てろよ。僕はDJをぎろりと一睨みすると、リョーコと共にゴーストタクシーに乗りこむ。その瞬間にまー君は急発進。夜の街を、ひときわ目立つゴーストタクシーが疾走する。

「スピード出し過ぎて捕まんないでよぉ、まー君」

「気をつけますが保証はできません。それよりしっかりつかまっていてください!」

 ギュオオオ、と普段は耳にしないような怖ろしい音を上げてカーブを切るゴーストタクシー。首都高へと入り、ネオン煌めく繁華街、そして青白いオフィス街へと進んでゆく。ワナビ荘から光玄社までは、普通車で移動しても、一時間で到着するかどうかは怪しい距離であった。

「……ああっ、アレ見て、もっちー!」

 リョーコが何かに気付いてフロントガラスの向こうへと指をさす。――なんということだ! 僕は首都高の曲がった先の道、目の前に広がる光景に思わず頭を抱えた。渋滞である。それも、かなり大規模な。

「まずい、これじゃあ間に合わない……」

 あっという間に渋滞に巻き込まれ、数メートルも動けなくなるゴーストタクシー。締め切りの夜十二時まで、すでに三十分を切っていた。

「……もっちーさん」

 顔面蒼白、と言ってもいいほど青白い顔をしたハルがこちらを振り向いた。ガタガタと震えている。ここまで、……ここまで来て、もう間に合わないという現実を目の前に突きつけられたのだ。震えもしよう。

 どうするか。事情を話せば、トモエさんもわかってくれるか。この時間まで精一杯頑張ったんだと。誠意をもって謝れば、ほんの少し遅れても許してくれるんじゃないか。僕たちはここまでよくやった、努力だけでも認めてもらえば、それでいいじゃないか。……そんな考えが僕の頭をよぎった。

 ――だが、しかし、僕は。

「……諦めんのはまだ早い!」

 バターン!

 僕はゴーストタクシーの扉を開く。渋滞の高速道路のど真ん中である。途端に、周りの車両から抗議のクラクションが一斉に鳴らされるが、もはや気にしている暇も惜しい。僕はハルの座る助手席の扉を開き、手を伸ばす。

「ハル、降りろ! 走るぞ!」

「は……、はい!」

 一瞬躊躇したものの、心を決めて僕の手を掴んだ。じんわりと汗をかいていた。僕はその手を離すまいと懸命に握りしめながら、車体の間をぬって走り始めた。

「ち、ちょっと君たち! なにやってんの! 危ない、止まりなさい!」

 背後から静止の声がかかるが、僕たちは止まれない。締め切りは絶対だ。

 これは、漫画の締め切りであると同時に、ハルとトモエさんの戦いの締め切り、なのだ。時間内に届けてはじめて、ハルはトモエさんと戦う資格を得ることができるのだ。ここで間に合わなければ、ハルは負けだ。誰がなんと言おうと負けなのだ。

「負けさせない……、負けにはしないぞ、ハル!」

 そして、僕たちは走った。

 夜の街を。光玄社のある方向へ向かって、一目散に。何度も呼び止められたが、振り返らなかった。僕たちは、疲れた体で、もう何日も寝不足のふらふらの頭で、無我夢中で、締め切りへ向かって、走った、走った、走った。

 そして、もうすっかり息をするのも忘れたころ――、僕たちは辿り着いた。

 光玄社のオフィスビル。まだ半分くらいのフロアからは煌々と明かりが漏れ出ていた。エントランスにもちらほらと人影が見える。

 そして、一人で玄関前に立って外を眺めているスーツ姿の一人の女性がいた。しきりに腕時計を気にしていた。僕は彼女の姿を認めるなり、最後の力を振り絞ってハルをぐいっと引っぱり、彼女の前にどんと押し出した。完全に息が切れて伸びていたハルは、それでも落とさずに必死に持ち運んでいた原稿を両手で彼女に差し出すと、「じゃ、じゃまあみやがれ……」と言い残してその場にバタンと倒れた。

 ……渡った。

 彼女の手に、原稿が。

 ついに、渡ったのだ。

 僕は思い出したように腕時計を見る。長い針はちょうど数字のゼロを指した状態だった。僕たちは間に合ったのか、それとも……。

「お疲れ様、ハル☆リョーコさん。光玄社漫画賞の応募原稿、確かに受け取りました。応募作品につきましては、弊社にて厳正なる審査を行わせていただきます」

 彼女のはっきりと通る声。その言葉を聞いて、ようやく僕も足の力が抜けた。よろよろとその場にくずおれる。よかった、間に合ったんだ……。

 そう思った途端、怒涛のように眠気と疲れと体の痛みが押し寄せ、僕は泡を吹いて気を失ったのであった。

「よくやったね、ハル。見直したよ」

 そんな声が聞こえた気がしたのは、夢だったのか、はたまた現実か。

 今となっては確かめるすべはない。

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