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第3話 我が名はシメキリ・クイーン その5

 まー君とみちるさん。

 が、ホラー小説賞をとった。

「「うそおおおおおおおおおおおおおおっ!?」」

 住人たちの絶叫がワナビ荘にこだまする。

「マジマジ、もう発表になってたの!? やったじゃん!」

「発表はまだです。ついさっき編集社から電話があって。佳作ですけど、賞金十万円と、公式に出版、って……」

「や、やったね、まー君……」

 まー君の手はぶるぶると震えており、みちるさんはぽろぽろと涙を流していた。僕は頭の中がかあっと熱くなるような、いつものダイニングの景色がぐにゃぐにゃと揺れるような、そんな錯覚を覚えていた。

「あらー、凄いじゃない、やったわね! おめでとう、あなたたち! 今夜は祝杯ね!」

「お二人とも、尊敬しちゃいます! こんなに有名な賞で佳作をもらえるなんて。本当におめでとうございます!」

「うーん、嫉妬で今夜はメシマズ! でも本当に二人とも凄いわー」

「本当に凄いです。おめでとうございます、まー君、みちるさん」

「よかったぁ、よかったぁ……」

 みちるさんは、よほど嬉しかったのだろう、床に蹲ったままずっと嗚咽を漏らしていた。すごいすごい、おめでとうとハル、DJ、リョーコ、のんちゃんの四人は二人をはやし立てた。みんなが笑顔で、心から二人を祝福していた。

 僕だけが、何も言えずにその光景をただぼんやりと見ていた。何か言おうと思っても、言葉が出て来なかった。

 ……僕は、みちるさんとまー君が寝る間も惜しんで作品を書いている間、 書いている書いているとは言いながら、本当にちょびっとずつしか作品を書き進めていなかった。今日は気が進まないとか、調子が悪いとか、忙しいとか、自分にいろいろと言い訳をして、まともに自分の作品と向き合う時間をとってこなかった。

 リョーコやハルの頑張りも、リアルタイムで見ていたはずなのに。

 どこかで僕はそれらを、見てみないふりをしていた。

 その結果、これだけの差がついてしまった。その現実を突如、目の前に突きつけられたのだ。

 ショックだった。

 見えないところで(実際はけっこう見えてたけど)必死に努力を重ねていた二人が。何も見えていなかった自分が。そして今、こうして受賞した二人を、素直に祝福してあげることのできない自分が。

 そう、僕は、ひょっとしたら、いや――おそらく、彼らが落選することを心のどこかで願っていた。

 いつまでも自分と同じレベルにいてくれることを、ひそかに願っていた。

 そんな僕だったから、とてもじゃないけど心から「おめでとう」なんて言うことはできない。僕はよろよろと震える足でまー君に近づき、一言「よかったね、お疲れさま」と声をかけ、「ちょっとトイレに行ってくるよ」と何でもない風を装ってこっそりと外へ出た。

 綺麗な月が出ていた。僕は、住宅街の中伸びる道を、あてもなく歩き出した。最初はゆっくりと、徐々に早足に。車の通る広めの道路へ辿り着く頃には、僕はすでに殆ど駆け足になっていた。

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……。

 何に対して悪態をついているのかもわからずに、そうぶつぶつと繰り返しながら、僕はやがて全速力で走り出す。国道を逸れ、月の照らす堤防へ達したとき、僕は誰を憚ることなく大粒の涙を流した。

「う……、う、うああああっ」

 僕は草の上にバタンと倒れ込み、上着の袖で涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をぬぐった。草と涙の混じった、しょっぱくて、どこか懐かしい味とにおいが鼻の奥から伝わってきた。

「あああああっ!」

 僕は大声をあげた。それは都会の夜空をほんの一瞬震わせたように思えたが、すぐに行き交う車の音と川の流れる音にかき消されてしまった。

 ……思い切り泣くと、気持ちが良いんだな。

 そんな当たり前のことを今さら我が身をもって実感する。しばらく僕はそのままの姿勢で夜空を見上げていた。ぽっかりと、丸い月が浮かんでいた。草の香りと、どこからともなく漂ってくる何か焦げたようなにおい、川と車の音、生ぬるい風、軽い疲労感……。そんな何気ないあれやこれやに包まれて、しばらくぼーっとしていた。

「……何してるんです?」

 そのまま三十分も過ぎたころだろうか、遠慮がちに僕に話しかけてくる人影があった。ハルだった。

「お前こそ、なにやってんの、こんなとこで」

「……別に、です」

 ハルは堤防をそろそろと降りてきて、僕の横で腰をおろした。残暑のぬるい空気の中、芝生は微かに湿っており、座ると生地がぐっしょり濡れちまうぞ、と注意しようかと思ったが、ハルはそんなこと一向に構わない様子だった。

「あーあ、もう」

 ハルは空を見上げて溜め息をつきながら、けだるそうな声を上げた。都会の空にはなかなか星は見えない。一番星も流れ星も、人間からその身を隠しているから、願い事をどこに向かってかけたらいいかわからない。それが東京の空だ。

「逃げてきちゃいました。なんだか涙が出そうになって、慌ててそれを隠そうとして……、大急ぎでみんなの輪を離れました。結局とっても目立っちゃいましたね。こういうときにうまくごまかせないのが私です」

「涙……」

「ダメですねえ。私、悔しい。あの二人が、うらめしいです」

「…………」

 僕は少なからずその言葉には驚いた。あれだけ喜んでいたように見えたハルが、そんな風に感じていたとは。

「物心ついたときから漫画家になってやるんだー、って意気込みながら、彼らみたいにちゃんとした結果も出せずここまで来ちゃって……。そんな自分が、悔しい。嫉妬してる自分が、なんだかイヤです。私、素直にあの二人の受賞を祝ってあげられなくて……本当にイヤな奴です……」

 膝を丸めて顔を隠すハル。彼女の心情吐露はまとまりがなく、思いついたことをそのまま口に出している感じだったが、それゆえよく彼女が胸に抱いているもやもやが理解できた。なぜならそれは、僕も今この瞬間に、彼女と同時に抱えているものだったからだ。

 僕は自分と同じものを抱えているハルに、どう声をかけていいかわからず、……気付くと口をついて出るに任せていた。それは僕自身も思ってもみないセリフであった。

「……いいじゃん、嫉妬しても」

「え?」

「受賞者に嫉妬、けっこうじゃねえか。羨ましいっていう想いはそのままモチベーションにつながるもんだろ。大いに嫉妬しろよ。それに……、お前には協力者がいるじゃねえか。ハル☆リョーコはどうなったんだ?」

「あ……」

 思い出したようにハルは顔を赤くした。そう、彼女は作家としてリョーコと組むと約束したのだ。もはやハルの作品は、ハル一人のものではないはずだ。そのことを今まですっかり忘れていたことを恥じるように、ハルはぐっと顔を上げた。

「八月の漫画賞!」

「は?」

 僕は一瞬なんのことかわからなかった。

 漫画賞……、ああ、そういえば。僕は光玄社での記憶を手繰る。トモエさんが言っていた、八月締め切りの漫画賞……。ちなみに今は八月下旬。締め切りまで一週間もない。

「応募します!」

「……え?」

「今から描いて、応募します!」

「おいおい、ちょっと待て、そりゃあいくらなんでも」

「よっしゃ!」

 背後から元気のいい声が響いた。僕たちは同時に振り向く。そこには、腕組みをして仁王立ちになり僕たちを見下ろすリョーコの姿があった。チェシャ猫のごとく満面の笑みを浮かべている。

「よーやくやる気になったね、ハル。その言葉を待ってたよ。あたしの方はスタンバイOKだよ、いつでもどんと来い! 残り約一週間、本気のあたしたちを見せてやろうぜ!」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 リョーコに向かって深々とお辞儀をするハル。その目にはもう迷いはないように思われた。ハルはその場でおもむろに携帯電話を取り出すと、短縮ダイヤルで誰かにかけた。川から少し強い風が吹き、ハルとリョーコの髪を揺らした。

「わ、私、薬師寺ハルです。光玄社の薬師寺トモエさんでしょうか。あ、あの、わ、私……」

 ほんの少しだけ言いよどんだのち、ハルは吹っ切れたように、

「私、八月の漫画賞に応募します! これまでにトモエさんが見たこともない傑作を引っさげて行くから、今から首を洗って待ってろッ!」

 僕とリョーコは思わず目を丸くした。受話器の向こうからは沈黙が流れてくる。ざざっ、と一陣の風が通り過ぎると、遠く車の行き交う音以外は沈黙が夜の堤防を支配した。ごくり、とハルが唾を呑む音が聞こえた気がした。

「あっはっはっはっはっは!」

 沈黙を破ったのは、受話器の向こうのトモエさんだった。普段の様子からは想像もできないような明るい笑い声が、少し距離を置いた僕たちにも聞こえた。僕は思わずリョーコと顔を見合わせる。

「いいね、そういうのを待ってた! こないだのあんたはちょっと元気がなさすぎて張り合いがなかったところなんだ。いいよ、遠慮なくどんと来い! 来るものは拒まず、去るものは追わず。あんたの力作、期待してるよ」

 それはすでに親子の会話だった。ああ、と僕は思った。ようやく、この薬師寺親子の本当の姿を見た気がした。二人は作家と編集者でもあり、同じ趣味を持つ友人同士でもあり、また時にはいがみ合い、時には寄り添い合う、どこにでもいる、普通の親子だったのだ。

「それじゃあね。今から早速原稿やらないといけないから、電話なんかしてる暇ないんだ。光玄社で会いましょう!」

「ああ、待ってるわ。しっかりやりなさい。そうそう、当然ながら締め切りは厳守ね。三十一日の夜十二時までに届かなかったらアウトだから。それじゃ、あたしも仕事が忙しいの。長電話なんかしてる暇ないのよ。またね」

 そんな風にして電話は切れた。僕とリョーコは呆気にとられてハルを見つめていたが、僕らの戸惑いなどお構いなしに、ハルはくるりと振り返るといきなり僕の手を取ってこう言うのだった。

「もっちー先輩、もう一回手伝ってください! 一週間で完成させるにはアシスタントが必要です! 一緒に頑張りましょう!」

「やっぱり僕も巻き込むんかーい!」

 僕の絶叫を最後に、ようやくその夜の堤防に静寂は戻ったという。

 その日から早速、僕たちにとって本当に熱い「夏」が始まったことは言うまでもない。

 せっかく湧きあがってきた僕のやる気がほぼ全てハルの漫画の製作に費やされたことも言うまでもなかった。

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