第3話 我が名はシメキリ・クイーン その4
「ああ、それならわかってたよ」
その夜、ワナビ荘に戻ったハルは(僕の)部屋にこもってしまい、鍵をかけて入れてくれなくなった。仕方なく僕はリビングでジュースを飲みながらリョーコと今日のことについて話をしていた、そのときのこと。リョーコは事もなげに、僕が思わず目を向くようなセリフを吐いたのである。
「あたしはあの子の思うままにネームを切らせた。結果できたのは、勢いはあるけど、まだまだ未熟な作品とも呼べない作品。ハルのお母さんの指摘は鋭くて、さすがプロだと思うけど、でもその半分くらいならあたしがネームを見た段階でも言えたこと」
「……そうなのか?」
僕は驚いてソファから立ち上がった。カフカは驚いてキッチンの方へと逃げていく(「カフカ? ちょっとあっち行ってなさい、今お料理作ってるんだから……、あっち行けっつってんだろがぁ!」とDJが切れる声がきこえた)。
「そーね、あたしも伊達に漫画描きやってないからねー。多少は見る目を養ってきたつもりよ」
「それなら……、それなら、どうしてちゃんとそれを教えてやらなかったんだ? お前が手を加えるだけでも、今よりもっといい作品になっただろうに。コマ割とか、セリフの言い回しとか……」
「あのねぇ」
リョーコは読んでいたBL小説をパタンと閉じた。
「あたしはあくまで絵を描くだけ。話を考えるのはあの子の仕事なの。だいたい、そんなことしたら八割方あたしの作品になっちゃうじゃない」
「うーん、そりゃあ、まあ……」
「アドバイスを与えるのは編集の、もっと言えばあの子のお母さんの仕事。大体、あの子は自分の力でお母さんに挑みたかったんでしょ? あたしはそれに手を貸すだけの存在よ」
――ということは、ある意味で作品の出来を度外視して、ハルの戦いに協力してくれたということか。あれだけの原稿を描いてまで、ハルを作家として育てるために、あえて不完全なままトモエさんにぶつけさせた。
「優しいんだな、リョーコは」
「べ、別にあの子のためを思ってやったんじゃないんだからねー。勘違いしないでよねー」
なげやりなツンデレである。
しかし、その結果ずいぶんとへこまされたハルが今後どうなっていくかは気になるところである。今も(僕の)部屋にこもったままだし……。もしこのまま再起することなく、落ち込んで今後作品が描けないとなれば、せっかくのリョーコの気遣いも無駄に終わるというものだ。
「それならハルがそれまでの子だったってことねー。これしきで作品を作れなくなるようなら、ワナビ失格、ってところ。あたしもいい絵の練習になった、くらいに思って諦めるよ」
――私、ワナビになりたいんです、か。アイワナビーワナビー。このワナビ荘に初めてやってきた日にハルが言っていたセリフである。確かに、「ワナビになる」ということ自体が実はそれなりに大変なようだ。何しろ、何があろうと書き続け、あるいは描き続けないといけない。どれだけへこもうと、どれだけ辛かろうと、どれだけ没にされようと、だ。
それから数日が経過すると、ハルはさすがに表面上は元気を取り戻し、以前のように僕やのんちゃんとはしゃぐようになっていた。が、あまりペンを執っている場面は見かけなくなった。リョーコもあえて何も言わないようだった。そんな風に、なんとなくあの日のことはうやむやになり、没になった原稿も、触れていいのか悪いのかよくわからない位置に、まるで賞味期限切れのお菓子のようにぽつねんと置かれたまま、いくつか平和なの月日が過ぎていった。
そしてそんな折、八月も最後の週に差し掛かったころのことである。思わぬニュースがワナビ荘を席巻した。