第2話 腐女子よ、マリーゴールドを抱け その6
「……もっちー! それに、みんな……」
イベントが終わり、僕たちが病院に駆けつけると、病院廊下の椅子でうなだれていたリョーコが立ち上がった。その顔は気疲れのせいかすっかり青ざめていた。
「ユウジ君は?」
「うん、もう大丈夫。今は薬で寝てる……。さっきは取り乱してごめんね、もっちー」
なんだか急にしおらしくなってしまったリョーコを前に、なんだか物足りない気もする僕である。「あ、ああ」と曖昧に返事をしておく。
「それにしても、ユウジがあんなになるまで気付かないなんて、やっぱりあたしはダメな姉だよ。あれだけ普段から好きだのなんだの言っておきながら、イベントになるとほったらかしだもん。きっと天罰だったんだよ、あたしに対する」
「そうでもねえぜ、ほらよ」
僕はカバンの中から今日の戦利品を差し出した。それは、真新しい、赤い色をしたキャッチャーミットだった。
「これ、実はハルが手に入れてくれたんだ。じゃんけんで勝ち残ってな。最後はもちろん参加者全員の前で勝利のダブルVサインさ。……なんか言うことがあるんじゃないのか、リョーコ」
「……うん」
ぽん、とミットを受け取り、リョーコはハルに「ごめん」と頭を下げた。「そ、そんな、頭を上げて下さい。私もいろいろと悪かったです」と慌てるハル。どうやらこれで一段落のようだ。その場にほっとしたような、和やかな空気が流れた。
「……あ」
ミットをじっと見つめていたリョーコがハッと顔を上げ、思い出したように言う。
「そういえば、作家さんのサイン……」
「あー、あれなー。僕がそっちのじゃんけんやってたんだけど、最後の最後で負けちまった」
「……もっちー」
リョーコの顔は冷静だが、頭に思いっきり(怒)マークが浮かぶのを誰もが見た。あーあ、いつものリョーコに戻って嬉しいやら悲しいやら。
「あとであたしの部屋に来なさい。今日のお礼に、朝までみっちりしごいてやるから」
「ひ、ひいいい!? い、いくらなんでももう体ボロボロです! それだけは許してっ!」
「ダメ、許さん! このチャンスを逃したら向こう一年は手に入らないレア物なんだぞおお!」
早速がやがやと暴れて「病院では騒がないでください!」と看護師さんにたしなめられる僕たちであった。そんな中、まー君はにぎやかな輪から離れて、一人ぼそっと呟く。
「自分の手柄をさらっと人に譲って、どっち女の子の高感度も上げるとか……、もっちーさん、マジでイケメンです」
その三日後。
僕はふたたび病院を訪れた。ユウジ君がすでに元気になっているとかで、様子を見に、である。一応プレゼントの渡し主として、ユウジ君の喜ぶ顔を見ておきたかったし。
昼間の病院内は入院患者や見舞客でごった返していた。受付で部屋番号を尋ね、僕はユウジ君の病室へ向かった。が、残念ながらそこに彼の姿はなかった。
病室には、「ユウジへ」とリョーコ独特の丸文字で書かれたカードの挿してある、籠入りの花束が置かれていた。お見舞いだろうか。僕は籠を持ち上げて匂いをかいでみた。
この花は何といったか――、鮮やかなレモン色の、小ぶりな花弁を眺めながら僕は思い出す。そう、確か、「マリーゴールド」と言ったっけ。
なぜこんな花を?
そもそもリョーコは大して花好きではなかった気もするが……。なんとなくそのあたり、引っかかりつつも、僕は籠をその場に置いた。とりあえず、あいつらを見つけないと。
仕方なく僕は軽く彼の姿を捜索することにした。心当たりはトイレか、あるいは――中庭。僕は三階の廊下から日の差す中庭を見下ろし、そこで意外な光景を目の当たりにする。
中庭では三人の若者がキャッチボールをしていた。一人は車椅子に乗って赤いキャッチャーミットをつけたユウジ君、一人はリョーコ、そしてもう一人は――ハルであった。
リョーコはハルに屈託のない笑顔を向け、ハルはリョーコに同じように笑顔を向け――、そこには完全に互いを許し合った二人の姿があった。僕はこれ以上自分のすることはないな、と感じ、そのまま何も言わず病院を後にした。
その夜、リョーコはハルと一緒に帰ってきた。DJも、もちろん僕たちも彼女を歓迎した。リョーコと一緒に食事を楽しむハル、テレビを見るハル、くだらない話で笑い合うハル。そうした光景を見ているだけで胸がすくような思いだった。
リョーコとおっぱいを触り合うハル、リョーコとポッキーゲームをするハル、リョーコと一緒にお風呂に入るハル……。
……ん?
「おいおい、ちょっと仲良すぎじゃあ……」
「あ、もっちー! 聞いて聞いて」
ハルにパジャマを着せて自分の部屋に連れ込もうとしていたリョーコががっと僕の手を握った。っていうかあんたら、同じベッドで寝るつもりじゃないだろうな。
「あたし、今まで自分の視野が狭かったことに気付いたの……。ハルに出会ってようやく気付いたわ。あたし一人じゃ知ることのできなかった世界。とても素晴らしい世界がこの世にはあったのよ」
「そ、それってまさか……」
「そう、百合の世界! BLもいいけど、これからの時代、ガールズ・ラブよ! 早速次回のイベントに参加するわっ!」
「や、やっぱり~……」
こんな感じのわかりやすいオチも、なかなか乙でいいものだ。
あれ以来結局ほとんど落ち込む暇もなく、リョーコは執筆に没頭しているし。
ハルもリョーコに教えられて、見よう見真似の漫画製作などを始めた模様。休日なんかはワナビ荘のダイニングは姦しき女の仕事場と化すようになった。
まさしく、「何に落ち込むべきだったのか忘れてしまった状態」なのだろう。まったくたいしたものである。
僕がそれを言うと、彼女たちは決まってこう返すのだ。
「腐女子って生き物はね。最強なのよ」
僕も見習うべきかね。
追伸。
後で調べてみたところ、リョーコがユウジ君に送った花、「マリーゴールド」の花言葉は、「嫉妬」「可憐な愛情」そして「健康」だったそうな。
果たして、彼女がどういうつもりで――、どの花言葉を意識してこの花を彼に送ったかは、永遠の謎である。
案外、全部かもね。
やっぱり、女って、怖い。
かもしれない(ちゃんちゃん)。