sideユーリ②
頭の中で魔法を発動するための紋章を構築し、
『紋章記述』
ユーリが両手をかざして唱えると、ユキチの足元に、淡く赤色に発光する盾形の紋章が現れた。
紋章は、一度小さく明滅すると、白い炎に変化し、足元からユキチの全身を覆った。
ユキチの姿が見えなくなる。
「ユキチ様!――このぉっ」
ナギが悲鳴を上げながら、ユーリに掴みかかった。
パニックになってユキチを助けるかと思いきや、すぐさま敵に掴みかかるとは、意外に度胸がある。
ユーリは冷静に分析しながら、ナギに首を絞められそうになった。
「待って、待ってナギ!
わたしは何ともないの!」
少し慌てたユキチの声が響いて、ナギは手を止めた(ユーリの首に手が掛ったままであるが)。
白い炎の中から、ユキチの手が伸び、ぱたぱたと埃を払うような動きをする。
それに合わせて、炎はみるみる小さくなり、数秒で消えた。
炎に包まれる前と全く変わらない麗しい姿で、ユキチが現れる。
ユキチは、涙目のナギの頭をよしよしと撫でた。
「ごめんね、驚かせちゃったわー。わたし、魔法効かないのよ。勇者補正」
「えっ」
「いい加減放してくれないか?」
嘆息してユーリが言うと、ナギはぱっと首を解放した。
ナギは、一瞬申し訳なさそうな顔をしたが、すぐに拗ねた表情を浮かべた。
「それならそうと、先に言ってくださいよ!
せめてアンナかユーリさんも教えてくれればいいのに。
驚いたんですよぉ」
「実は、今のパレードでやることになっているの。
いきなり魔法で火をつけて、でも勇者だから無事でしたーってパフォーマンス」
「……種も仕掛けもある手品じゃないですか……」
「それが問題なのよねー。小さい子が真似をすると危ないと思うの。
ほら、手品とか見るとやりたがるじゃない?
わたし以外がやると、大怪我じゃすまないし。
わたしだって、魔法じゃない本物の炎なら普通に危ないし」
うーん、と手を組んでユキチは唸った。
アンナはユキチのドレスを丁寧に調べながら、こちらも唸った。
ドレスも魔を帯びないよう特注でつくったものだ。
「どこも燃えた部分はないようです。
これならもっと大きな炎でも大丈夫でしょう。
ただ、煙の匂いがついてしまうかもしれません」
「そう……なら、水にした方がいいかしら……。
でもインパクトがないわね」
「遠くから見る人でもわかるようにっていうのも難しいです」
ああでもない、こうでもないと話し合う2人を見ながら、ユーリの気持ちは先程より少しすっきりしていた。我ながら大人げないとは思うが、ドレスに八つ当たりできて丁度良かった。
一方で釈然としない表情をしたままなのは、ナギである。
「もうちょっと説明してくださいよー!」
「ユキチ様はお忙しい。先生は俺だ。質問は?」
「なんで、ユキチ様は魔法効かないの?」
「勇者だからだ。厳密に言うと、ユキチ様には魔力が欠片もない。
魔を持たない人だ。
魔でない者に、魔は作用しない。先程教えた、大原則だ」
あちらの人間が全て魔を持たないというわけではない。
基本的にあちらの人は、魔力を持ってはいるが、彼らの世界では強く封じられているらしい。
フリードリフィアの世界に来て、封が無くなり、魔力に目覚めるものはいる。
そういう者は、たいてい膨大な魔力を秘めている。
ユキチ様の侍女を務める水野凪と、高浜安和のように。
だが、完全に魔力を持たずに生まれたのは、勇者であるユキチ以外にはいない。
ナギは、まだ首をかしげている。
「でもユキチ様、魔法使って異世界と往復するじゃん」
ナギは、天然にしてがさつであるが、頭の回転は悪くない。
教えるユーリにとっては、割とやりがいのある生徒だ。
「あれは、ユキチ様の力ではない。魔王が残したブーツの力だ。
ブーツに元から、魔法発動に必要な紋と魔力が込められている。
ユキチ様は、発動するとき、決まった動作を取るだけでいい」
「へえええ。
要するに、電子レンジ作る知識と技術は無いけど、スイッチ押してご飯を温めるのはできるってこと?」
「……だから、なんだそれは。
ともかく、魔力無しで、魔法を発動することは可能だ。
先程のブーツほどの力は特殊だが、簡単な魔法なら、紋と力が組み込まれている魔道具を使えばいい。
魔力の弱い者や知識の無い者は、そうしている」
「ほぉおー。便利な世の中だなー。
ありがとーユーリ先生」
ユーリは無言で、机をまたコツコツ叩いた。
ナギは慌てて羽ペンを握り、授業内容をまとめていく。
ユキチとアンナは、まだゴソゴソと相談し合っている。
ふとナギは顔を上げた。
「あ、もう1つ。
さっき魔法発動したとき、首絞めてごめんなさい。
効かないって知らないし、ユーリさんちょっと怖い顔してたんだもん」
それだけ言って、再び机に向かうナギには、ユーリの複雑そうな表情は見えなかった。
○●○●
「で、またダンスですよっと……。
あれ、ラカムはまだなの?」
お馴染みのダンス練習用小ホールに辿り着くと、中を覗いて、ユキチは首を傾げた。
生真面目なラカムは、たいてい先に来て用意をしている。
「夜にまで騎士をお呼びすることはできません。
今回は私が相手をします」
ユーリが淡々と告げると、ユキチはぱかっと口を開いた。
「ユーリ、踊れるの!?」
「人並みには」
「……どうせ、わたしは人並み以下ですよ。わかっています」
足元を気にしながら、ユキチは項垂れた。
夜会用の靴を履いての練習は、初めてである。
かかとの高い靴では、いつも以上に緊張するのだろう。
「私の言う人並みは、貴族の端くれとしてです」
「ああ、ユーリは伯爵家だったものね……」
「あんな家でしたが、母が存命の頃は、貴族としての教養はやらされたんです」
ユキチは少し顔をしかめた。
ユーリの実家の話になると、ユキチはいつもこの顔をする。
怒っているような、心配しているようなそんな顔。
「ほら、お手を」
「……はい」
ユーリの手に、ユキチの白い手が載せられる。
勇者として荒事に精通したその手は、柔らかくはないものの、とても温かい。
「ユキチ様、今日は手拍子はやめましょう」
「え、でも」
「手拍子ばかり気にしていらっしゃいますから」
「う……だって合わせないと」
「ユキチ様、合わせるならアンナの曲に」
ユーリがホールの隅を示す。
アンナが、椅子に腰かけながら、にっこりと笑った。手には、レイジアーナと呼ばれるフリードリフィアで一番人気の横笛を携えて。
「私が演奏致しますから。
夜会で使われる曲を実はこっそり調べてきたんです」
「調べたのもすごいけれど、夜会で演奏されるような曲を吹けるのもすごいわね」
「ふふ。実は学生時代、吹奏楽部でした。
フルートが得意で、コンクールでも入賞したんですよ。
こちらにフルートはありませんが、レイジアーナの音色がとても綺麗で、練習していたのです」
では、と声をかけて、アンナが演奏を始めた。
ゆったりとした人気のある曲だ。初心者にも踊りやすいため、よく使われる定番曲。
曲に合わせて、ユーリがゆっくり身体を動かすと、ユキチもぎこちなく動きだした。
多少怪しいながらも、普段より格段によく動けているユキチは、ユーリの傍で、少し嬉しそうな顔で笑った。
○●○●
「何故、俺の酒を開けている」
ユキチが就寝し、一日の仕事を終えてユーリが自室の扉を開けると、つんと酒の香が漂ってきた。
ゼ―トムが、勝手にユーリのベッド下に保管されていた酒を浴びるように飲んでいるのだ。
「おーうお帰り!これ上手いぞ、お前も飲めよ」
「それは俺の酒だ。それに高いやつから開けるな。せめて飲むなら、つまみくらい作れ料理人」
ユーリは基本無口だが、毒舌を行使するときには、饒舌になる。
ゼ―トムの横にどかっと座り、酒を奪った。
「どうせ俺は見習いよーう。
聞いたか?エンリエッタ様のお話ー」
「振られたか、縁談か」
「なんだ、知ってやがんのか畜生」
「想像はつく」
少し離れたところに領地を持つヴァインデスラ子爵が、令嬢を伴って、帝都に上がったというならば、目的は限られるだろう。
ユキチは面識があるらしく、仕事上お世話になっている方だ。
「こないだ奥方が亡くなられたグレイスル侯爵家に後妻で入るんだとよ。
お貴族様の政略結婚なんざ、俺達にはわかんねーなあ。
あんなに綺麗な嬢様が、年の離れた爺のところへ嫁がんでも」
「グレイスル家か。まぁ妥当なところだろ。
で、お前は傷心と。
だから身分違いなんて見るなと言ったのに」
ユーリはあからさまに嘆息した。
ゼ―トムは、ごそごそと次の酒を開ける。それもユーリのものだ。少し値の張る帝歴670年の一本。
「うるせーお前が言うな。
お前だって、主人さんのことが好きなんだろ?」
「……そういうあれではない」
「嘘つけ、見てりゃ分るんだよ」
「違う。恩人だ」
意地になって言い返すユーリを、ゼ―トムは余裕の表情で笑った。
「なんだ。じゃあ、自覚ないのか。
そのうち自分で気づいて、お前も苦しむがいいさー」
「……明日、自分で起きろ」
まだ飲み続けるゼ―トムを放置し、残りの酒を匿いながら、ユーリは眠りについた。
こうして今日も一日が終わる。
ユーリにとってユキチは、本当に恩人だ。
居場所の無くなった実家から、有無を言わせず連れ出してくれた。
色の濃い髪を、ユーリの出自を馬鹿にせず、むしろ喜んでくれた。
しばらくぶりに、他人から笑顔をもらった。居場所をもらった。
それだけだ。
それだけの恩人である彼女。
ただ、彼女が、ユーリにとっての今のすべてになっているだけだ。
遅くなってすみません。
ようやく魔法を出せた!
魔法の単語とかそのほかもろもろは、紋章学から取っています。
が、なんちゃって紋章学で、似ているだけで、内容ぜんぜん違うので、真に受けないでください。
お次はいよいよお祭りかなー?