3話・夢の中の勇者
またあの夢を見る。
これで何度目なんだろう。最初は辛かったけれど、今は見るとただひたすら消耗する夢。
何かもかもが白い部屋だった。大理石でできた壁、柱、床。ここが地下にある魔城の最奥部だなんて思わせないほど、神々しい白の部屋。けれど、とても冷たく感じる白の部屋。
その部屋の主も白かった。床にまで流れる白髪、深窓の令嬢より白い肌。ただその瞳のみが、唯一血が通っていると思わせる紅だった。
白い部屋には、汚点のようにわたしの仲間が転がっていた。死んではいないけれど、一撃も与えないまま、金縛りによって動けなくさせられている。
立っているのは、わたしと白い男――魔王だけ。
紅の双眸が、ひたすらわたしに注がれている。
静かだった。
わたしは、一歩一歩魔王に近付いた。足音だけが大理石に響く。
覚えた魔法も、勇者だけが装備できる伝説の剣も何もいらない気がした。いや、それで攻撃することもできた。ただ、どうしてか、この部屋でそんなことをするのは無粋に思えたのだ。
マントの内側から、ナイフを取り出す。なんの変哲もないただのナイフ。魔物を倒すために使ったことはない。果物を切ったり、縄を切ったり、あるいは獣の皮や肉を剥いだりした日常生活で活躍するナイフだ。
あと一歩で、魔王にぶつかるというところで、わたしは止まった。
「貴方は……死にたがってるのね」
「そう見えるか」
初めて、魔王の顔が動いた。口を開いて声を発しただけなのだが、それまでの魔王はピクリともせず、銅像のようだったから。
「なぜ死にたいの?」
純粋な疑問だった。幾人もの人を殺し、街を焼き、やりたいように残虐行為を繰り返したはずだ。そんな魔王に思考があり、死にたいと思うなら、それは何故だろう。
人生に飽きたとか、世界に絶望したとか、そんなものだろうか。
魔王の声はとても静かで、なぜか大理石の部屋には響かなかった。
「嬉しくて哀しいからだ」
「は……?」
「我は永きを生き、その中で悲しみも喜びも何度もあった。だが、両者が一度に訪れた今が一番満たされている。
今、死にたい」
やっぱり魔王だ。人間の勇者ごときのわたしに、そんな感情は理解できない。
でもお望みなら、遠慮なく。
「そう。じゃぁ行くわよ。わたしもね、貴方を倒して家に帰るって目標があるの。お互い得なら覚悟はしやすいわ」
帰る。どうしても日本へ帰りたい。一人ぼっちの母のもとへ。わたしが生まれる前に父は死に、両親も兄弟もいない母は一人だ。たった一人でわたしを育てた。そして、わたしがいない今、彼女は本当に一人だ。
帰りたい。安心させたいのもある、わたし自身が日本の暮らしに満足していたこともある。
でも帰りたいという気持ちは、たぶん理由なんて必要ないほどの衝動だ。あそこが、故郷。ただひたすらに帰りたい。3年前、勇者として召喚されて初めて『郷愁』というものを真実理解した。一瞬たりとも我慢できないほどに帰りたい。
「帰るのか」
「……?ええ、そうよ。貴方にも理解できないようなところへ」
「そうか。ならば帰るが良い***よ。我も還ろう」
やはり静かに言って、魔王が目をとじた。彼が目を閉じると、なにもかもが真っ白に思える。
それを合図にわたしは、ナイフを突き出した。彼にもたれ掛かるように、身体ごと。
彼は、血を流さなかった。ただ、深くため息を吐いた。
そして足元から白く霞み、やはり静かに大気へ溶けていった。
目の前から完全に消滅すると、後ろからざわざわと音が戻ってきた。仲間たちが体を起こしはじめたのだ。
「***!よくやった!!」
「終わったんだ!本当に終わったんだい、ひゃっほー!」
「怪我はない?***ちゃん」
振りかえると、彼らはバタバタと駆け寄ってきて、それぞれ歓喜や安堵の表情を浮かべていた。
「ええ、大丈夫」
「しっかし、変な奴だったな魔王め」
「まぁ……魔王の真意を理解するなんてあたしらには無理だろうさ」
「ところで、***。それは、なんだ?」
重い盾を装備した甲冑姿の仲間が、ガチャガチャいいながら、わたしの後ろを指差した。魔王のいたところだ。
くるりと振りかえると、
「あら、宝箱」
「魔王でもあるのか、ドロップアイテム」
「おお!開けてみろよ!」
「結局あたしら何にもできなかったし、***ちゃん貰いな」
魔王からのドロップなのに、普通の魔物から出るのと同じ、何の変哲もない木の箱だった。先程までの魔王といまいちそぐわない。
屈みこみ、ぱかんと開く。鍵もなにもいらなかった。入っていたのは……
「ブーツ。しかも女物っていうか、サイズが……」
「小柄な女用。てか、明らかに***ちゃん用だー」
「ちょっと見せてみ?」
鑑定眼を持つ仲間が、ブーツを調べた。みるみるうちに彼の眉間に皺が寄った。
「なんだこりゃあ!ありえねー装備だぜ。さすが魔王って感じだ」
「なんだい、早く教えなって」
眉間に皺を寄せた顔から一転、彼はわたしにニカッと笑ってみせた。
――だめ。見たくない
「良かったな、***。帰れるぞ」
「え……!?」
「魔王さんが何を思ったか知らんがな。こいつぁ『世界を渡れるブーツ』だ。これがあれば、100%お前は帰れる」
喜びで涙が滲んで、その後のことはぼんやりしている。
ブーツを装備して、鑑定した仲間が言うとおりに使う。
一瞬立ちくらみのような感覚が走り、視界が暗転する。
次の瞬間には、水の中のようなところにいた。濡れる感触はないけれど、何かに包まれている。そして、流れに押されて、ある方向へ身体が流れていく。まるで川の中だ。
――いや。嫌。起きろ、自分
しばらく流れて、ひどく温かい感覚が走り、水の中から放り出される。
――起きて!覚めて!起きろっていってるでしょうが!
ゆっくり目を開けると―――
ひどく懐かしい、ビルに縁取られた空が見えた。
●○●○
「いや!」
ユキチは、自分の叫び声に驚きながら目を覚ました。
全身から汗が吹き出し、心臓辺りがどくどくと言っている。喉がカラカラ。
数秒だけ目を閉じて、ゆっくりと起き上がった。帝都の王宮、その自室の豪奢なベッドだ。蚊帳ではなく天蓋なんてものがついている。ふわふわすぎて、いっそ寝にくい敷布団から抜け出す。
部屋についている露台へ出た。秋の終わりの涼しい風が、そよそよとナイトドレスを揺らす。
「ああ……疲れた。なんで夢で疲れなくちゃいけないのかしら、ちくしょー!」
冴え冴えとした満月に向かって、怒鳴る。
一人になると言葉が荒れることもユキチの癖だ。
ちなみに今、後ろからそっと見守ってくれる人物は、気の置けない人物だからノーカウントである。
「上着を羽織ってください」
「ユーリね、ちょっとは励ましたり慰めてたりしないと、男としてどうかと思うわよ」
「御望みならば」
「……貴方、もてないでしょ」
「それなりです」
それなりにもてるのか、もてないのか。どちらであってもユキチは気にしないのだが。
振りかえると、ユーリの灰色の長い髪が、風に煽られてくちゃくちゃになっていた。
いつも冷静沈着、ピシッとしたユーリとのギャップに、ユキチは吹き出した。
「あーあ、朴念仁のユーリのおかげで、感傷が吹き飛んじゃったわ。お茶入れてちょうだい」
「眠らないので?」
「こーゆー夜はね、徹夜で読書するのもオツなものよ」
ユキチはこの世界の文字もスラスラ読むことができる。内容が頭に入ってくるのだ。これぞ異世界勇者補正。
身体の温まるお茶を飲みながら、ゆっくり小説を読み進めた。
神話をモチーフにした悲恋の物語だ。
主人公は、最後愛するヒロインに殺されることを選んだ。
翌朝、結末まで読んだユキチは、『辛気臭い』と評した。
徹夜のユーリは翌朝もピシッとした装いだったが、目の下のクマはくっきり浮き出ていた。
前回一文が長く見づらかったので、今回からやたら改行していきます。
前のも暇ができたら直すと思います。
深夜に夜這いしてくるユーリ君。ダメだろう!