AIに文章を書かせるのはダメ。でもネタ出しならOK (。´・ω・)?
最近、小説投稿サイトなどでAI作品についての議論を見ていると、少し不思議に思うことがあります。
多くの場合、問題視されるのは「AIに文章を書かせたかどうか」です。
本文を生成AIに書かせた作品には「AI利用」と表示するべきだ。
コンテストではAI生成作品を分けるべきだ。
こうした意見はよく目にしますし、サイト側も本文生成については規約を設けたり、AI利用作品にタグを付けたりしています。
そこまでは理解できます。
ところが、AIに「何を書くか」を相談することについては、驚くほど緩い気がするのです。
内容について何十時間とAIに相談しても、本文さえ自分で書けば「人間が書いた小説」として扱われる場合が多いように見えます。
でも、それは少し変ではないでしょうか。
小説は文章だけでできているわけではありません。
設定があり、人物がいて、物語の展開があり、伏線があり、結末があります。
むしろ作品によっては、「どういう文章を書くか」よりも「何を書くか」のほうが重要でしょう。
それなのに、主として文章を生成したかどうかだけで線を引くのは、かなり奇妙です。
もちろん、小説サイト側にも事情はあるでしょう。
本文がAI生成かどうかは、まだ規約として定義しやすい。
一方で、作者が自宅でAIと何時間壁打ちしたかなど、外から確認する方法はありません。
「そのアイデア、本当に自分で考えましたか?」
などと調査することも現実的ではありません。
だから結局、管理しやすい「文章生成」だけが目立って規制されているのでしょう。
しかし、それは「文章生成だけが創作におけるAI利用である」という意味ではありません。
むしろ今後は、
「本文生成にAI使用」
「文章校正にAI使用」
「プロット作成にAI使用」
「設定・原案にAI関与」
くらいに分けて考えたほうが実態に近いのではないでしょうか。
そもそも「AIを使った」「AIを使っていない」という二択自体が、すでに現実に合わなくなりつつあります。
誤字脱字を直してもらっただけの人。
文章表現を整えてもらった人。
設定について壁打ちした人。
プロットを考えてもらった人。
本文を一部書いてもらった人。
作品をほぼ丸ごと生成してもらった人。
これらを全部まとめて「AI使用」と呼ぶのは、あまりにも大雑把です。
そして逆に、「文章を自分で打ったからAI非使用」という考え方も、同じくらい大雑把でしょう。
AI時代の創作で問うべきなのは、
「AIを使ったか?」
だけではなく、
「作品のどの部分に、どの程度AIが関与したのか?」
ではないでしょうか。
文章だけを特別扱いして、ネタや設定やプロットへのAI利用を事実上ノーカウントにする。
その線引きは、そろそろ限界に来ているような気がするのです。




