真実の愛だと言うのなら、乗り越えられますわよね?
「それは……ちょっと、都合がよすぎるのではありませんか?」
私の言葉に、アルベルト様が愕然とした様子を見せた。
「『お前を愛することは無い』……と言ったのは、旦那様ですし、離縁する、と言ったのも旦那様です」
私の言葉に、彼の顔色はどんどん悪くなった。
それもそうだろう。
確かに彼はそう言ったのだから。
私はニッコリと笑って、彼に一枚の書類、つまり離縁届を差し出した。
「署名、いただけますわよね?」
☆
結婚式の夜、寝室に旦那様はやって来なかった。
朝まで起きていようと頑張ったのだけど、どうやら私は途中で眠気に負けて寝てしまったようだ。
起きると、メイドたちに支度を整えてもらったが、彼女達の雰囲気は妙に刺々しい。
寝落ちしてしまったからだろうか。
困惑していると、朝食の席で旦那様が宣言するように言った。
「俺がお前を愛することはない」
と。
突然のことだったので、とても驚いた。
唖然としていると、旦那様は嫌そうなものを見る目で私を見たあと、興味を失ったように視線を手元のフォークに移した。
「俺には愛している人がいる。この結婚は、父が無理に推し進めたものだ。俺は納得していない」
「納得していないのに、式に出られたんですか?」
これは別に、煽りとかではなく、不思議に思ったからこそ聞いたことなのだけど。
だけど私の言葉は彼を不快にさせたようだった。強く睨み付けられる。
「父の命令だったんだよ!」
「お父様に逆らうことが出来ないから、と?」
「そうだ」
「その……ええと、あなたの愛する方と言うのは、このことを知っているのですか?」
「何が言いたい?マリアに何かしてみろ。お前を殺してやる」
朝から純度の高い殺意を受けた私は驚いた。
だけど──なるほど、と理解もしていた。
(昨日寝室に来られなかったのは、意図的だったのね)
私みたいに、寝落ちしたのかと思った。
それなら、と私はフォークでレタスを刺しながら感想を口にした。
「マリアさんが不憫ですね」
「お前のせいだろう!」
「私のせいなんですか?」
「そうだ!!お前が、俺と結婚したいなどと言うからこんなことになった!!」
食事中だというのに、アルベルト様がガタンッと音を立てて席を立つ。
怒り狂う彼を見て、私は首を傾げた。
「えっ……そんなこと、言ってませんけれど」
「嘘をいえ!!だから父は断れなかったと言っていた。公爵令嬢のワガママには応えねばならないからな!!」
「言ってません。父に確認します」
「ハッ、泣きつくつもりか。それで、マリアを排除しようというんだな。言っておくが、俺の愛はマリアにある。真実の愛だ。お前ごときがどうこうできるものではない!」
「アルベ……旦那様はどうしたいのですか?」
名前で呼ぼうとするとものすごい顔で睨まれたので、私は言葉を変えた。
アルベルト様は、それでも不満そうに席に座り直す。
「お前とは離縁する」
「…………結婚しなければ良かったのでは?」
やはり、そこに着地する。
というかこのひと……。
(自分でどうしようもなかったからって、私に責任を押し付けようとしている……?)
流石に、口にしない。
これ以上夫婦の関係が悪化したら、社交にも障るからだ。
「したくなかったと言ってるだろ!」
もはや、今更どうしようもない問題だ。
彼もそう思ったようで、顔を真っ赤にして怒った。
「離縁……期限を決めます?」
「どういう意味だ?」
「一年。今から一年後に、離縁しましょう」
私の言葉に、アルベルト様がぽかんとする。
人差し指を立てて、私は彼に提案する。
「一年の間に、旦那様は根回しを済ませてください。その日のために、私も父を説得しておきます」
「何を企んでいる?」
「酷いですわね。私も、あなたのような方とは結婚したくなかった、と言っているのです」
それに、話が食い違っていた。
父からは、アルベルト様の家……伯爵家から縁談が来ていると聞いていたのだ。
良縁だし、恋人もいないと報告を受けていた。それなのに蓋を開けたらこれなんて……。
恨みますわよ、お父様。
私はにっこり笑って、アルベルト様に言った。
「試練だと思ってくださいませ」
「……試練?」
「真実の愛だと言うのなら、乗り越えられますわよね?……ということです」
そう言って、私は席を立った。
この結婚は最悪だ。
だけど、食事だけは良かった。
これなら一年、耐えられる。
そう思って── 一年が経過した、のだけど。
「契約の破棄なんて認められませんわ」
あの日のように朝食の席で、切り出したのだ。
今日は期限の日ですね、と。
そう口にすると、アルベルト様は盛大にうろたえ、フォークを落とした。
絨毯に落ちたので、音は吸収された。
すぐにメイドが新しいフォークを持ってくるが、アルベルト様は受け取らない。それどころでは無いと言った様子で私を見ていた。
「どういう意味だ!?だって、マリアは……」
「そうですわね。マリアさんは、つい半年くらい前に私に毒を盛った罪で、今も牢獄ですね」
「なら!!」
「だとしても、契約は契約ですもの」
私は首を傾げた。
この人は何を言っているのかしら?と思ったのだ。
後日確認すると、嘘を吐いているのは伯爵──つまり、アルベルト様のお父様だった。
伯爵は、公爵家と縁続きになりたいがために、アルベルト様に嘘を吐いて婚約を呑ませた。
お父様は、伯爵の熱心な説得で婚約を承諾したというのに、こんなことになって、お怒りだ。
離縁は決定事項である。
私が説明すると、アルベルト様はわなわなと震えた。
「……嫌だ」
「はい?」
「俺はマリアを失った。きみまで失うなんて耐えられない!」
そして、ぐるっとテーブルを回って、私の前に跪く。
「…………なんの真似ですか?」
「やり直させてくれないか。頼む。俺にチャンスをくれ」
「チャンスならありましたわ。ほら、結婚したじゃないですか」
「あの時は……!!違う。エリーゼ。今の俺はきみを愛しているんだ。だから……」
そして、冒頭に戻るのである。
「それは……ちょっと、都合がよすぎるのではありませんか?」
そして、アルベルト様の手を振り払った。
確かに、マリアさん事件の前後から、彼の態度は変わった。
今まで排除してやる!!と言わんばかりの敵対心が消えたのだ。
だから、この半年間はとても穏やかだった。
これなら、離縁しても、今後険悪になることはないかも……と期待していたのだ。
だけどまさか、契約の破棄を求められるとは思わなかった。
「『お前を愛することは無い』……と言ったのは、旦那様ですし、離縁する、と言ったのも旦那様です」
「それは…。だが、あの時は」
「署名、いただけますわよね?」
私が離縁届を差し出すと、アルベルト様は黙ってしまった。
その後、項垂れた彼は離縁届を手に取ると──なんと、それを破った。
破り捨てたのである。
「何を……!!」
「きみは酷い女だな。俺に好きな女を断罪させておいて、自分も俺の前から消えるのか?」
「最初から、そういうお話でしたよね?」
「お前は、俺からマリアを奪った」
「マリアさんが私に毒を盛ったことが発覚して、憲兵に連れていかれたのでしたね」
「お前が来たから、マリアはおかしくなったんだ!!」
「……お話はこれで終わりですか?」
それならこれで、と席を立とうとすると、アルベルト様が怒鳴った。
「俺は認めない。絶対署名なんかしないからな!!」
「それなら結構です。代理人として、お義父様……もう他人になりますけれど。伯爵にサインをいただきます」
「ハ!正当な理由がなければ、代理人のサインは認められない!」
「ですから、正当な理由を作り上げるんですのよ。……旦那様。私は契約を履行していただきたいのです。あなたと交わした契約書を然るべき場所に提出しても構いませんが、そうなると公爵家の恥になります。ですから可能ならその手は取りたくありません」
あの日に交した契約書は、今も有効だ。
それを伝えると、今度はアルベルト様の顔が青くなった。
もうどうにも出来ないと悟ったからだろう。
「……代理人のサインが認められる正当な理由。たとえば、本人の腕が使い物にならなくなった……とか。十分適用範囲内ですわよね?」
私の言葉に、今度は先程とは違う理由でアルベルト様の顔が青くなる。
私はにっこり笑って言った。
「腕、大事ですわよね。次期伯爵様」
「エリーゼ……きみはそんな人だったのか」
つぶやく彼に私は何を今更、と思う。
【そんな人】じゃなければ、そもそも離縁なんて承諾しない。
私は父に似て、効率重視なところがある。
つまり、今の言葉はただのハッタリではない。
私は続けて言った。
「ちなみに先程、あなたが破り捨てた離縁届ですが、念の為予備を用意しています。今度こそ、サインいただけますね?」
私の問いに、アルベルト様は答えなかった。
そうこうしているうちに、公爵家の馬車が到着した。
ここまで来ると、アルベルト様も諦めざるを得なかったのだろう。
公爵家の侍女と侍従、そして騎士に氷のように冷たい目で見られ……いやもはや射抜かれながら、サインする羽目になった。
(だから早くにサインしておけばよかったのに……)
お父様の怒りは凄まじかった。
まあ、それもそうだろう。
頼み込まれたから許可したというのに、実は息子に愛人がいて、期限付きの結婚でした~なんてバカにしているとしか思えない。
今後、伯爵家は公爵家に頭が上がらないだろうなぁと思いながら、私は離縁届を受け取った。
それから、ふと思い出す。
「そういえば……私はあの日、あなたに言いましたわね」
不思議そうにアルベルト様が顔を上げる。
「真実の愛なら、乗り越えられますわよね?と……。つまり、こうなった以上、あなた方の愛は真実ではなかったのですね」
私の言葉に、アルベルト様は絶句した。
半年前、マリアさんが私に毒を盛るまで、彼らは口癖のように言っていたのだ。
真実の愛はここにある、と。
マリアさんが捕まってからは聞かなくなった言葉なので忘れていたが……契約書の話をしたことで、あの日交わした会話を思い出したのだ。
アルベルト様は青を通り越し、白い顔で震えていた。
☆
「……と、まあこんな感じで出戻り娘となったのよ」
侍女のリタに説明しながら、私はメッセージカードを書く。
宛先は、子爵家。
「お嬢様はこれからどうなさるつもりですか?」
「お父様に説明した通りよ。今度こそすきにさせてもらうの」
どうして、アルベルト様は思いつかなかったのだろう。
ご自分に恋人がいるように、私にも恋人がいる──あるいは、恋人ではなくとも想う相手がいるかもしれない、と。
なぜ考えつかなかったのだろうか?
私がアルベルト様との結婚を強請ったと思い込んでいた時ならともかく。
真実が明らかになってなお、思いつかなかったのは不思議だ。
予定調和、という言葉がある。
結果良ければ全てよし、みたいな。
アルベルト様はそうしようとしたのだろう。
結果的に、今が幸せならまるまるOK、みたいな。
「……勝手な人だわ」
最初から好きじゃなかった。
……私には最初から好きな人がいた。
相手は、子爵家の嫡男。
お父様に伝えてみたけれど、格差結婚になるからやめなさいと諌められた。
それだけで、私の恋はとどめを刺された。
お父様は私に、彼のことを忘れさせるように、すぐに縁談をまとめてきたのだ。
それが、アルベルト様との婚約だった。
不本意なのは私も一緒だった。
あれは最悪な結婚だった。
だけど──その結婚が、私に希望を見せた。
アルベルト様と結婚すると決まった時、彼を忘れる努力をした。
アルベルト様を夫として支えようと思った。私なりに、頑張ろうと思ったのだ。
だけど初夜の翌日。
あの朝食の席で、考えが変わった。
一年我慢すれば、私は自由の身だ。
このことをお父様に伝えれば、きっとお父様はとても怒るだろう。
そしてこんな婚約をまとめてしまったことに罪悪感を抱くはず。
それを逆手にとって、今度こそ私は私の思うように縁談をまとめてもらうよう交渉したのだ。
出戻りとなったことで、私という価値に瑕疵がついたのも大きい。
結局のところ、出戻りということで、私の価値は大きく貶められた。
だけど、だからこそ、私は彼と結婚できるようになったのだ。
仕上げたラブレターを手に取る。
短い文章だけど、きっと彼は分かってくれる。
【明日の昼。あの向日葵花壇の前であなたを待ちます】
それは、私と彼が初めて出会った場所。
王都通りの中央広場。噴水の脇にある、大きなひまわり花壇の前で、私は彼と出会った。
☆
「エドガー!」
呼びかけると、そのひとはそこにいた。
私は、思い切り彼を抱きしめた。
もう、周りを憚る必要は無い。
だって、私と彼の婚約は認められた。
抱きしめると、エドガーが驚いたように私を見ていた。
抱きしめ返そうとして、躊躇したのか、手が浮いている。
「エリーゼ……。離縁したと聞いたよ」
「ええ。離縁したの。ねえ、私、あなたと結婚できるの」
「エリーゼ……」
エドガーの反応は鈍い。
なぜ?どうして?
やっぱり、一度結婚した女はもう嫌だろうか。
アルベルト様との会話を思い出す。
『父の命令だったんだよ!』
『お父様に逆らうことが出来ないから、と?』
『そうだ』
あれは、私にも言えることだった。
お父様に逆らうことが出来ず、結婚した。
アルベルト様と私は同じ立場にあったのだ。
あの日、私が彼に問いかけた言葉を思い出す。
『真実の愛だと言うのなら、乗り越えられますわよね?』
アルベルト様とマリアさんの半ば壊れてしまった。真実の愛ではなかったのだろう。
それなら……
「ねえ、エドガー。私はまだあなたが好きよ。あなたを愛してる」
エドガーは答えない。
もう、愛は失われてしまっただろうか。
だとしても。
「もう私のことは好きではない?それでも構わないわ。ごめんなさい。私、あなたと婚約できただけでとても嬉しいの。もうあなたが私のことを好きでは無いのだとしても、それならふたたびあなたを振り向かせるだけだわ」
「エリーゼ、僕は今もあなたのことが好きだよ。……大事なんだ。大事だから、不安だ」
「何が不安?私みたいな女を妻にすることが?」
不安に思って顔を上げる。
エドガーは苦笑していた。
それから、ジャケットのポケットから、ハンカチを取りだしてくれた。
それを見て、思い出す。
エドガーも同じことを思い出したようだ。
「初めて会った時を思い出すね。あなたはここで泣いてた」
「……迷子になったの」
「知ってる」
エドガーとの出会いは、もうずっと前だった。
今から十年くらい前、私は勝手に馬車をおりて市井を歩いて……迷子になった。
そこで、彼と出会った。
『あなたは、エリーゼ嬢だよね?パーティーで見た事がある。一人?護衛は?』
そう言って、彼は公爵家まで送り届けてくれた。
あの時も今も、エドガーの目の優しさは変わらない。ずっと、私の好きな人。
エドガーは私の目元をハンカチで拭うと、笑って言った。
「僕でいいの?本当に」
「あなたじゃなきゃだめ。ねえ、エドガー。私と結婚することで、きっと、あることないこと言われるわ。でも……」
「構わない。あなたと結婚できるなんて、夢みたいだ」
エドガーが、私を抱き上げた。
通行人がこちらを見るのがわかったけど、構わなかった。
私はエドガーにしがみついて、言った。
「真実の愛だと言うのなら、乗り越えられるわよね?真実の愛なら、きっと……」
私は出戻り娘だし、それでなくとも、公爵令嬢と子爵令息の結婚だ。
なにかと言われることが多いだろう。
だから、尋ねた。乗り越えられる、と言って欲しかった。
私とエドガーなら大丈夫だ、と。
アルベルト様とマリアさんはあんなことになった。
それなら、私たちは……。
「真実の愛?」
彼がキョトンと私を見る。
そして、「ああ」と思い出すように言った。
「最近よく聞くフレーズのやつか。有名な演劇に出てくるセリフだっけ」
頷いて答える。
エドガーは笑って答えた。
「気持ちは流動体だ。同じ形ではいられない」
「っ……」
「エリーゼ、知ってる?愛はたくさんの種類があるんだよ。慈愛、親愛、敬愛……。形が変わっても、きっと、僕の想いはあなたにある。この恋も、いつか愛に変わるだろうけど、そういう変化もいいでしょう?」
「エドガー……。ええ、そうね。私も……私もあなたが好き!大好きなの。ずっと。初めて会った時から!」
叫ぶように言って、彼に抱きついた。
もしかしたら、私は怖かったのかもしれなかった。
あんなに愛し合っていたアルベルト様とマリアさんの愛は、呆気なく壊れた。
マリアさんの愛は憎悪に変わり、アルベルト様は心変わりした。
だけど──いや、だからこそ、エドガーの言葉にはホッとした。
気がつけば、私たちは随分注目を集めていた。
エドガーと顔を見合せて、二人で笑う。
信じようと思った。今の、この気持ちを。
初めて会った時のように、向日葵がキラキラと咲いていた。
fin.