二人だけの舞踏会
パーティー会場に足を踏み入れた瞬間、色とりどりのドレスが目に飛び込んできた。けれどその実、白と黒の濃淡ばかりで、まるで皆で申し合わせたように同じような印象を纏っている。
わたくしは、紫を選んだ。
薄いラベンダーのような、けれど光の加減で藤の花にも見える柔らかい色。胸元にはレースを重ね、裾にはほのかに揺れるチュール。流行とは少し外れた、けれど心が落ち着く色と形だった。
リリアーナのスケッチを見たあの日から、どこかで決まっていたのかもしれない。
──これは、彼女の花に呼応する、わたくしなりの一輪。
けれど肝心のリリアーナが、どこにもいない。
入り口の脇、窓際の列席者の陰、飲み物の給仕台の近く……探せど、あの特徴的なピンクの髪も、ふわふわとしたドレスも見当たらなかった。
ふと、笑い声が耳に入った。
冷たいガラスのような笑い方。決して笑われる者と視線を合わせようとしない、悪意溢れる声色。
「ねえ、今日アレいないんだって!」
「空気読めない子に来られても、みんなが困るでしょう?鬱陶しいから、あいつの招待状捨ててやったわ」
「あんなピンクの芋くさいフリフリドレスで来たって、笑い者になるだけでしょ。逆に感謝してほしいわ、あのゆるふわ」
手に持っていた扇がカツリと小さく音を立てた。
わたくしはゆっくりと彼女たちに歩み寄り、その場で立ち止まった。
「今の話、詳しく伺っても?」
三人の令嬢たちはわたくしに気づくと、途端に笑みを引きつらせ、互いに目配せを始めた。
「え、あ……あの、これは、ただの冗談で──」
「招待状を捨てたというのが『冗談』であれば、まだ救いがあるのですけれど」
扇を閉じ、静かに言葉を続ける。
「……ふざけたことを、なさいますのね……!恥を知りなさい!!!!!」
その場の空気が凍りついた。
わたくしはそれ以上言葉を重ねることなく、くるりと背を向けた。
リリアーナがいない。
そして、彼女は招待されなかったのでも、欠席したのでもなく、招待状を失ったのだとすれば──
「お願い、扉を開けて。少し探したい場所がありますの」
教室、図書館、サロン、わたくしは何度も学園の構内を思い返した。
リリアーナが向かいそうな場所。落ち込んだ時、隠れたくなる場所。
……あそこしかない。
薄明りの庭園。
昼間よりも静かで、夜風に葉がささやく音だけが響く。
歩み寄った先で、ピンク色のふわふわしたものが、低木の影で動いた。
「……やっぱり、ここにいたのね」
リリアーナは気づいた様子でこちらを向くと、ばつの悪そうな笑顔を浮かべた。
「あ、エレノア様……その、えへへ……わたし、おっちょこちょいだから、招待状、落としちゃったみたいです☆」
わたくしはしばらく黙って彼女を見つめた後、小さく息をついた。
「人間、生きていれば、そういうこともありますわ」
「え?」
「……でも、これだけは言えるわ。あなたは、絶対に悪くない」
その言葉に、リリアーナはきょとんと目を丸くし、それからふわりと笑った。
「うわあ……エレノア様、今日もお美しいですね……」
「あら、それだけ?本日は『優雅』とか『聡明』とかは省略?」
「す、すみません!取り乱してて、褒めるの忘れてました!えーっと、華麗で、優雅で……」
まったく。こんなときでも慌てて褒め直そうとするあたり、実にリリアーナらしい。
「……王子様はいないけれど、わたくしと一緒に踊らない?」
「えっ……でも、わたし、靴も、ドレスも……こんな格好で……」
「関係ありませんわ」
わたくしは一歩近づき、手を差し出した。
「ダンスに必要なのは、音楽と、踊りたい気持ちと、素敵なお相手。あなたは全部、揃っていますもの」
リリアーナはしばらくの間唖然とした後、小さく笑って、手を取った。
夜風がふたりの周りを舞い、どこからか微かに音楽の残響が届く。会場の扉が開いたのだろうか。
それを合図に、わたくしたちは、誰もいない庭園の中央で、そっとステップを踏み始めた。
リリアーナの足取りはぎこちなくて、スカートはあちこち草に引っかかりそうで、それでも彼女は一度も足を止めようとしなかった。
わたくしもまた、今日だけは形式も規則も忘れて、ただこの時間を味わうことにした。
「ふふっ、楽しいですわね」
「はいっ、エレノア様と踊れるなんて、夢みたいです!」
ええ、わたくしにとっても、少しだけ夢のような時間よ。
その夜、庭園に咲いたふたつの花は、誰よりも自由に揺れていた。