そのドレスは誰が為に
進級パーティーは、学園生活の中でもとりわけ格式ある行事のひとつだ。
主催は学園の上層部。会場は例年通り、大講堂の天井を飾る金のシャンデリアの下。
出席する生徒の多くが、次代の貴族社会を担う令嬢や令息たちである以上、その場にふさわしい身なりと振る舞いが求められるのは、言うまでもない。
ゆえに、この時期になると、皆がこぞって仕立て屋に駆け込み、色味は控えめに、装飾は上品に、体のラインを強調しすぎない「礼儀ある美」を目指して準備に入る。
わたくしも当然、その例外ではなかった。
今季は白地に銀糸を織り込んだスリムなドレスを注文している。
上品で、控えめで、それでいて地味すぎず──少なくとも、これまでのわたくしであれば、それが「正解」であると疑いなく信じていた。
けれど今、その「正解」は、目の前の少女の笑顔によって、少しだけぐらついている。
「見てください、エレノア様!わたし、こんな感じのドレスを作ろうと思ってるんです!」
彼女は嬉々としてスケッチノートを差し出してきた。ページには色鉛筆で描かれた、一着のドレスの絵。
それはまるで花そのものだった。ピンクを基調に、袖と裾には何層にも重なるチュール。細かいフリルとリボンがあちこちにあしらわれており、スカート部分には薄桃色の花びらのような装飾が咲きこぼれている。
控えめに言って、派手で、浮いていて、そして──可愛らしい。
「……これは、あなたがデザインなさったの?」
「はい!ずっとこんなのが着てみたくて!生地はもう注文したんです。ピンクのオーガンジーとチュール、それからお花のモチーフのレース!」
目を輝かせながら早口でまくしたてるその様子に、わたくしは思わず目を瞬かせた。
「でも……進級パーティーでは、たいてい白や黒のドレスが好まれますわ。特に今年はスリムなラインが流行っていますし、あなたの身長ですと、なおさらその方が映えるのではなくて?」
言葉を選びながら助言すると、彼女はきょとんとした後、ふわりと笑った。
「わたし、この色が好きなんです。それに、ふわふわしてるデザインも大好きで!それを着て、進級のお祝いがしたいんです!」
なんということのない、ただの感想。
けれどその一言が、胸のどこかにひっかかった。
わたくしたちは、何を着るかを「自分がどうありたいか」ではなく、「どう見られるべきか」で選んでいる。
少なくとも、そうすることが賢い振る舞いとされてきた。
たとえば目立ちすぎないこと。
たとえば場の空気に溶け込むこと。
たとえば相手の格式を立てるために、自分を引き算すること。
それが貴族として、令嬢として、そして侯爵家の嫡女として育てられてきたわたくしにとって、あたりまえの美意識だった。
けれど──この子は、違う。
彼女は誰にどう見られるかより、自分が何を好きかを優先する。
しかもそれを、迷いもなく、恥じることもなく口にする。
変なのは、いったいどちらかしら。
無邪気に笑う彼女に、わたくしは、思わず視線を逸らした。
「……進級のお祝いパーティーなのに、自分が好きなドレスを着られない方が、よっぽど変ですわよね」
唇に紅茶を含んで、ごまかすように返す。
いつの間にか、その素直な価値観が、わたくしの中に波紋を広げていた。
進級とは、学びの節目であり、新しい自分への一歩だ。
その祝いの場で、わたくしは「誰かの視線に耐えるための装い」を身につけようとしている。
彼女は「自分が心から好きなもの」を纏おうとしている。
どちらが正しいというわけではない。けれど、どちらが素直で、どちらが自由かは、言うまでもない。
「……楽しみにしていますわ、あなたのドレス」
そう言うと、リリアーナはまた、ぱあっと顔を輝かせた。
「本当ですか!?うれしいですっ!わたし、頑張って仕立てますね!」
ええ、きっと、あなたのことだから、全力で作り上げるのでしょうね。
そして当日、あなたのドレスはきっと、会場の誰よりも目立つことでしょう。
わたくしは静かに、紅茶の香りをもう一度胸に吸い込んだ。
彼女が咲かせようとしているその花を、わたくしもまた、楽しみにしているのだから。