紫色の憂鬱
午後のティータイムは、本来であればもっと優雅で静かなもののはずなのに、どうしてこうも耳障りなのかしら。
わたくしはティーカップにそっと口をつけながら、目の前で繰り広げられる『華やかなお喋り』に微笑みだけを貼りつけていた。
「ねえ聞いた? ジェラルド家のメイド。お茶会で紅茶をこぼして、クビになったんだって。前から鈍臭い子だって思ってたのよね」
「私も使えない子だなって思ってた。そういえば、知ってる?ランドール家の上のお姉様が家に帰ってきたんだって」
「そうそう、今さら戻ってきてもって話なんだけど……うふふ、一体誰が面倒見るのかしらねえ」
とりとめのない話題から、いつのまにか誰かの失敗談や悪意ある噂話にすり替わっていく。それがこの場の常だった。お菓子と紅茶の甘さに乗せて、よく研がれたナイフのような言葉が飛び交う。
わたくしの周囲に座っているのは、いわゆる「取り巻き」と呼ばれるご令嬢たち。
自分からそう望んだことは一度もないけれど、家柄や立場の都合上、自然とそういう人間たちが集まってくるのだ。
もちろん、彼女たちが皆悪い人間だとは言わない。気配りのできる子もいれば、話題に明るい子もいる。けれど、こうして集団になると途端に空気が濁るのは、なぜかしら。
「最近さ、本当にアレが鬱陶しくて困っちゃうのよねえ。見ててイライラするわ」
ひとりがふと言えば、すぐにもうひとりが笑いながら応じる。
「本当よね。空気が読めないにもほどがあるわ。あんな調子でよく学園に通えるなって感じ。生きてて恥ずかしくないのかしら?」
「いっそ来なければいいのに。誰も困らないし、むしろ助かるわ」
紅茶のカップを置く音がひとつ。
カチャリと、妙に耳に残る高い音。
わたくしはカップに手を添えたまま、静かに口を開いた。
「……アレ、とはどなたのことかしら?」
一瞬で場が静まりかえった。
先ほどまで軽やかに笑い声を上げていた令嬢たちの頬が引きつり、慌てて言葉を探しているのがわかる。
「え……えっと、その……いやですわ、エレノア様。ご存知でしょう?」
「そうそう、エレノア様が一番アレに迷惑をかけられているじゃないですか?ほら、空気が悪くなるっていうか」
そう言って誤魔化そうとする笑顔を見て、わたくしはあえて微笑みを崩さぬまま、静かに続けた。
「ええ、空気が悪くなるのは嫌ですものね。だからこそ、少しだけ申し上げておきますわ」
ゆっくりと、丁寧に言葉を紡ぐ。
「人には相性があります。誰とでもすぐに打ち解けられる人ばかりではありませんし、好みや価値観の違いから、誰かに苦手意識を持つこともあるでしょう。その気持ちは否定いたしません。わたくしも、誰とでも仲良くできるほど出来た人間ではありませんしね」
そこまで言うと、少しだけ息を吸って、カップをソーサーから持ち上げた。
「でも、それはあくまでも『心の中』の問題です。気に食わないからと言って、他人をアレ呼ばわりしたり、陰で集まって笑い者にするような振る舞いを、わたくしは好きにはなれません」
わたくしの声は決して強くはなかったけれど、言葉の端々には確かな冷気を帯びていたのだろう。
取り巻きの一人がハンカチで口元を覆い、もう一人は伏し目がちにカップの中身を見つめている。誰も返事をしなかった。
けれど、それでよかった。
わたくしは誰かに屈服してほしいわけではない。ただ、『笑っていいことと悪いこと』の区別を思い出してほしいだけだった。
「さて……お茶のおかわりをいただけるかしら?」
わたくしがそう口にすると、ようやく場の空気がゆるりと動き、誰かがポットを手に取った。
笑顔は保ったまま。優雅な仕草も崩さない。それがこの世界の礼儀というもの。
けれど、わたくしの言葉は確かに届いたはずだった。
紅茶の香りにまぎれた毒を、ほんの少し洗い流せたなら、それで十分。
──この静かな午後を、できればもう少し穏やかなものにしたいと願うのは、きっとわたくしのわがままではないはずだから。