ピンク・タイフーン
リリアーナからもらった不思議な色のジャムは、想像を裏切ってとても美味だった。
最初に瓶の蓋を開けたときは、正直言って躊躇した。ピンクと紫の中間、まるで魔女が作りそうな不気味な色合いだったから。
だがパンに塗って一口食べてみると、甘酸っぱいベリーのような香りがふわりと広がって、見た目とは裏腹にとても美味しかった。
あの子、味覚のセンスだけは天才的なのかもしれない。
そんなことを考えながら学園の廊下を歩いていると、明るい声が耳に飛び込んできた。
「おはようございます、殿下!」
声の主は言うまでもなく、桃色の天然台風――リリアーナである。
「……君は、この前ぶつかってきた子か。次は気をつけてね」
そう言って笑う王太子アルフレッド殿下は、さすがに余裕のある対応だった。広い心をお持ちなのか、それとも単に慣れただけなのかは定かではないけれど。
リリアーナは深々と頭を下げる。
「はいっ!次の次は、絶対にぶつかりません!」
……次がある予定なのが、もはや不安材料でしかない。
そのまま彼女は、廊下に現れる貴族令息たちに挨拶をして回った。
「グランス侯爵家のフレデリック様!本日もお洒落ですね!」
「ふふ、ありがとう。君も今日の髪飾り、なかなか似合ってるよ。……ちょっと派手だけどね?」
フレデリックは少し面白がっている様子だった。社交の場には慣れている彼らしく、軽く受け流している。
「おはようございます!クライン様!」
「……誰だっけ、君?」
冷ややかな視線を返したのは、冷淡で有名なゼルン子爵家の令息クライン。早々に足早に立ち去ってしまった。
「エヴァン様!今日は良い天気ですね!」
「え、あ、うん。……うん、たぶん?」
名前を呼ばれた伯爵家の令息エヴァン・ド・ルフォールは戸惑いつつも、ぎこちなく手を挙げて応えていた。生真面目な彼にとっては、リリアーナの距離感はやや過剰だったのかもしれない。
周囲の女生徒たちが、その様子を見て囁きはじめる。
「また男の子ばっかりに話しかけて……」
「ほんとよね、あの子いつもそう。あざとすぎるわ」
「平民上がりのくせに、学園の華にでもなったつもりかしら」
そんな声が聞こえてきて、わたくしはほんの少しだけ、眉をひそめた。
――違うわ。リリアーナは、誰に対してもあの調子よ。
むしろ、あなたたちが挨拶されそうになると逃げるから、結果として男子ばかりに懐いているように見えるだけじゃありませんこと?
あの子は、いつだって真っ直ぐで、誰かを区別したりしない。たとえ空気を読まず、少し騒がしくて、目立ってしまったとしても、それは計算じゃなく、本能でそうしているだけ。
そうやってひとり廊下の片隅から眺めていると、リリアーナがぱっとこちらを向いた。
目が合うと、彼女は顔を輝かせて、勢いよく駆け寄ってきた。
「エレノア様!ごきげんよう!」
元気いっぱいの声と共に、彼女はスカートをつまんでお辞儀をする。
「ごきげんよう、リリアーナ。朝から、ずいぶんとご機嫌ね」
「はいっ!だって今日は朝から憧れのエレノア様にお会いできましたもの!」
……やれやれ。まったく、どこまで過剰な褒め言葉を浴びせれば気が済むのかしら。
でも、そんな風に臆せず懐いてくる彼女を、わたくしは嫌いではない。
むしろ――
「……わたくしも、あなたのおかげで楽しい朝になりましたわ」
そう告げると、リリアーナは本当に嬉しそうに笑って、ちいさく跳ねた。
まったく、本当に困った子。
けれど、彼女が今日も笑ってわたくしの隣にいるなら――それも悪くない。
周囲の女生徒たちはまだ視線をこちらに向けているけれど、わたくしは気にも留めなかった。