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第4話 友人という名の観察者①

 伯爵家の庭に設えられた小さなティーテーブル。その上には、凝った装飾のティーセットや菓子皿が整然と並んでいた。鮮やかな緑をバックに咲き誇る花々が、まるで絵画のように目を楽しませる。けれど、そこにいる人物たちの心のうちは、さほど穏やかではなかった。


「リディア、あなた本当に大丈夫? お顔が少しやつれているみたいだけれど」


 そう声をかけたのは、カトリーヌ・フォン・エイヴァリン。社交界きっての名家出身で、端麗な容姿と優雅な物腰が評判の令嬢だ。じっと見るだけでも気後れしそうな美貌の持ち主だが、その瞳の奥には冷え切った輝きが潜んでいる。


「ええ、平気よ。これくらいどうってことないわ」


 リディアは指先でティーカップをゆっくりなぞりながら、力の入らない微笑を浮かべる。婚約破棄の騒動から日が経ったとはいえ、まだ立ち直ったとは言い難い。しかし、表向きは取り繕わねばならない。とりわけ、こうして“友人”を家へ招いた手前、弱々しい姿だけを見せるわけにはいかないと感じていた。


「でも、あなた、あのレオンハルト様に……しかも社交界の夜会で……。思い出すだけでも胸が痛むわ。無理はしないでね」


「……ありがと。カトリーヌが心配してくれるだけで随分と楽になるわ」


 優しい言葉だが、リディアはその裏を読み取れないまま返事をする。何しろ、カトリーヌは昔から彼女の親友を自称してきた。リディアが夜会の恥をかかされたときも、一見同情してくれたように見えた。その態度に甘えることで、孤独を紛らわせられる部分があるのも事実だ。


 一方、カトリーヌの方は、涼やかな目でリディアの顔色をうかがいながら、茶を一口すする。その唇に柔和な笑みを宿すたび、まるで慈悲深い聖女に見えなくもない。だが、その胸の奥では別の炎が燃えている。


(リディアがあんな惨めな目に遭うだなんて、最高の見世物だったわ。あの高慢な令嬢が、これからどうやって周囲を巻き込んで暴走していくのか、考えただけでワクワクする)


 そう――カトリーヌは他人の不幸や悲劇を眺めるのが趣味だ。童話の中の悪役が最後に転落する結末を見るような感覚。それを至近距離で楽しめるなら、こんなに刺激的なことはない。


「実際、レオンハルトとあの女……シャーロッテのことなんだけど。私、もう彼らを地獄に落としたくて仕方ないの。こんな恥をかかされたんだもの。許せるわけがないわ」


 リディアは吐き捨てるように言い放つ。その目にはまだ怒りの炎が宿っている。カトリーヌはふんわりと目を細めてから、さも驚いたように口元を押さえる。


「あらあら。そんな物騒なことを言って大丈夫? もし誰かに聞かれたら……」


「ここは伯爵家の庭よ。誰も勝手に近づいてこないし……いいのよ、あなたには特別に本音を漏らしているだけ。カトリーヌだけは私の味方でしょう?」


 その言葉に、カトリーヌは小さく笑みを深める。“味方”とはなんと都合のいい表現だろう。だが、これこそがリディアを煽る好機でもある。親友を装って彼女を焚きつけ、ますます危険な道へ誘う――それがカトリーヌの楽しみなのだから。


「もちろんよ。あなたのことは大切なお友達だもの。どうか私にも何でも相談して」


「ありがとう。……シエラがね、レオンハルトの身辺を探ってくれてるんだけど、もう少し情報を集めたいの。あいつがどんな汚点を抱えてるのか、徹底的に暴き出してやりたいわ。もしカトリーヌが何か知ってるなら協力してくれない?」


「ええ、構わないわ。私の知り合いにも公爵家やシャーロッテと懇意にしている子がいるから、さりげなく話を聞いてみるわね」


 軽やかな口調で答えるカトリーヌに、リディアはほっとした表情を浮かべる。“友人”の力添えが得られるという安心感が、彼女を少しだけ和ませていた。

 そんな様子を遠巻きに見ているのが、侍女のシエラだ。少し離れたところで控えているが、その瞳には危機感が宿っている。リディア様はカトリーヌを深く信頼しているようだが、直感的に何かが引っかかるのだ。


(カトリーヌ様はきれいで、いつも笑顔でいらっしゃるけれど……どうしてだろう。あの人の瞳を見ていると、底知れない暗闇を感じる……)


 シエラは抱いた疑念を振り払えずにいたが、リディアの前で下手に忠告するのもはばかられる。結局、この場では黙っていることにした。


「ところで、リディア」


 急に声を潜めるカトリーヌ。その仕草に、リディアは小首を傾げる。

 カトリーヌは静かに視線を落とし、まるで秘密の相談を切り出すように口を開いた。


「あなた、本当にレオンハルトを追い詰めるつもりなのよね? ただの嫌がらせレベルで済ますつもりはないんでしょう?」


「ええ。奴が心底絶望するまで、地獄の底まで落としてやる。あのシャーロッテだって例外じゃない。私を公衆の面前で嘲笑した罪、どうやって償わせるか……考えただけでもゾクゾクするわ」


 リディアの瞳には狂気の光が宿る。以前なら上品でプライドの高い貴族令嬢に見えたが、今では復讐心が色濃く滲み出ている。カトリーヌにとっては、それすらも上質な娯楽だ。

 一方、そうした会話を耳にするシエラは、リディアの背後で額に汗を滲ませる。さすがに公の場で堂々と話す内容ではないし、この庭だって完璧に密室というわけでもない。だが、リディアは怒りをこらえきれず口を滑らせることが多いし、カトリーヌもそれを煽っている。まるで危険に誘い込む蛇のようだ。


「本当に頼りになるわ、カトリーヌ。私、あなたがいてくれて嬉しい。……少なくとも、ほかの連中はみんな私を見下してるから」


「何を言ってるの。あなたこそ私にとって特別な友人よ。だから力になりたいの。それに……どんな結末になっても、私は最後まであなたのことを見守るわ」


 カトリーヌがそう告げるとき、その視線はまるで獲物を観察する鷹のようだ。リディアの破滅、レオンハルトの破滅、シャーロッテの破滅……どれが先に訪れるか分からないが、いずれ大きな悲劇が待っている。カトリーヌはそれを遠くから眺め、最高のショーとして楽しみたいのだ。


「それじゃあ、そろそろ失礼するわね。また改めて情報を持ってくるわ」


「ええ、よろしくね。無理しないで」


 カトリーヌはにこやかに会釈すると、軽やかな足取りで伯爵家の門へと向かう。リディアは名残惜しそうな表情を浮かべ、彼女の後ろ姿を見送る。

 カトリーヌがいなくなったあと、シエラはそっとリディアに近づく。


「リディア様、申し上げにくいのですが……カトリーヌ様にはお気をつけになったほうが」


「なに? どういう意味?」


「私には……あの方があなたのことを本当に心配しているように思えなくて。あの笑顔の奥に、何か別の意図がありそうで……」


 シエラは言葉を選びながら、必死に忠告しようとする。だが、リディアの反応は芳しくない。彼女にとっては、カトリーヌこそが唯一、素直に憂さを晴らせる相手なのだ。

 事実、あの破滅的な夜会の後に同情を寄せてくれたのもカトリーヌだったし、情報を集める協力者になってくれそうなのも彼女だけ。シエラの懸念は聞く耳を持たぬといった態度だ。


「友達を疑うなんて真似、私はしたくないわ。あなただって、私のために動いてくれてるでしょう? カトリーヌだって同じ。あの子は悪い子じゃないわ」


「……ですが、リディア様――」


「もういい。あなたが心配なのはわかるけど、私もそこまでナイーブじゃない。ちゃんと判断するから」


 そう言いながらリディアは、どこか面倒くさそうにため息をつく。それ以上シエラが食い下がることは難しく、悔しげに唇を噛む。

 実際、リディアはカトリーヌの本性に気づいてはいない。それどころか、自分にとっての味方として信じ切っているところがある。恨みを抱えて孤立しているリディアにとって、カトリーヌは“自分を理解してくれる存在”に思えるのだ。

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