第19話 血染めの結末②
一方、屋敷の外側ではレオンハルトとシャーロッテが護衛を連れて一旦退避したものの、あまりの炎上に周辺も危険が及んでいる。落ち着いたところで周囲の被害が拡大し、避難経路があちこちふさがれているらしい。いつのまにか二人も脱出が困難になっていた。
「レオンハルト様、火勢が予想以上です! 早くこの場を離れましょう」
「わかってる……くそ、あの狂った伯爵め。最後の足搔きで屋敷に火薬を仕掛けてやがったのか?」
「いや、放火したのが誰なのかは分からないけど……とにかく火が回ってるわ」
シャーロッテが怯むようにレオンハルトの腕をつかむが、火の粉が飛んできてドレスの裾を焦がす。二人もまた自分たちの勝利を確信していたが、ここで逃げ延びなければ盛大な炎に飲まれる危険がある。
「ちっ、伯爵家との決着はついたが、こんなところで焼け死ぬなんて冗談じゃない。護衛ども、道を開けろ!」
「はっ……しかし道が塞がれています! 倒木や瓦礫が……」
火の手に包まれた玄関周辺は瓦礫だらけだ。外壁が崩れ、廊下も崩落していて、思うように進めない。レオンハルトは怒りと焦りをこめて「何のための護衛だ!」と怒鳴り、部下たちが必死に瓦礫を撤去しようとするが、火勢と煙に圧倒されて作業が進まない。
こうしてレオンハルトとシャーロッテもまた、思わぬ絶体絶命の窮地に落とされていた。このままでは“勝ち組”だったはずの二人も炎に絡め取られかねない。
「レオンハルト……どうするのよ……燃え尽きちゃう……っ」
「くそ……公爵家の誇りがこんな場所で終わるか、冗談じゃない……!」
周囲から崩壊音が続き、火炎が勢いを増している。まさか伯爵家がここまで惨劇の場と化し、レオンハルトたちまで危機に瀕するなど、誰が想像しただろうか。だが、狂った世界は容赦なく全てを巻き込み、血と炎の渦へ投げ込む。
◇ ◇ ◇
リディアとシエラは辛うじて外の庭を抜け、森の陰で息を整えていた。燃え立つ伯爵家を遠目に眺めながら、リディアは震える唇でつぶやく。
「ここまで……めちゃくちゃにしといて……あの男たちがのうのうと生きてるわけないでしょう……」
「リディア様……もう十分では? 伯爵家は炎に包まれ、アルトゥーロ伯爵も死んだ。あなたは生き延びただけで……」
「生き延びただけじゃ足りないの。あいつらが死んでこそ私が勝ったことになる!」
シエラの言葉にリディアは苦く首を振る。そこへ、瓦礫の陰から血まみれの護衛兵が転げ出てきた。彼は公爵家の紋章をかたどった胸当てを付けているが、負傷がひどいのかよろけて倒れた。
「れ、レオンハルト様が……廊下で瓦礫に閉ざされて……!」
「レオンハルトが、屋敷に……?」
一瞬、リディアの眉が動く。あの男と女は既に逃げ出したと思っていたが、どうやら火の勢いが予想を上回り、脱出し損なったようだ。もし運が悪ければ、このまま焼け死ぬかもしれない。
それでも、リディアは歯を食いしばり、血走った瞳で屋敷を見遣る。もしあいつらが生きているなら、ここで止めを刺す好機かもしれない。けれどシエラが傷だらけで、リディア自身も歩くのがやっとだ。
「リディア様、どうします……? 今戻れば、燃え尽きて私たちも死ぬかもしれません」
「わかってるわ……でも、悔しい。こんな形で終わるなんて……あいつらを目の前で殺せないなんて……」
拳を握りしめ、震える唇から息を漏らすリディア。狂気の執念が彼女を突き動かすが、既に体は限界だ。シエラもまた満身創痍で、この上さらに火の中へ飛び込めば二人とも助からないだろう。
結果、歯ぎしりを噛み殺すように「くそっ……!」とリディアが叫び、シエラは労るようにそっと腕を握る。屋敷の壁が大きく崩れ落ち、内部で炸裂する音が響き渡る中、二人はそこから動けず、火の粉が夜空に舞うのを眺めるしかない。
「父様もカトリーヌも……死んだわ。あいつらの死顔も見たし、いいのよ、でも……本命の獲物を逃したような気分……」
「リディア様、こうなれば……次があるかもしれません」
「ええ。火事に巻き込まれて死ぬならそれでもいいけど……生き延びてたら絶対に……!」
リディアの瞳が炎の色を映し込みながら、青白い怒りを湛えている。カトリーヌを斬り捨てた満足感より、宿敵を倒せなかった悔しさが遥かに強かった。今や荒野の風が屋敷から吹き付け、二人の髪を焼け焦がれた匂いとともに揺らす。
屋敷の壁が次々に崩落し始め、地響きのような振動が足元を揺らす。まるで建物が“血染めの結末”の最期の悲鳴を上げているようだ。かつての名家伯爵邸は、今宵をもって血と炎の処刑場に成り果てた。
「ほぼ全員……死に絶えたのね。あの父様も……あの裏切り者カトリーヌも……」
「はい……狂った行動の果てでしょう……」
シエラが切なげに目を伏せる。リディアの胸に渦巻く殺意はまだ消えないが、この燃え盛る光景の中で、生き残っているのはリディアとシエラぐらいかもしれない。レオンハルトやシャーロッテがどうなったかは定かではないが、無傷ではいられないはずだ。
いずれにしても、この大火が収まれば伯爵家は完全に跡形もなく消える。まさに血染めの大団円が始まり、主要登場人物が次々に死や破滅を迎える流れに突入したのだ。
「…………終わりか。こんな形で……」
リディアはひとつ大きく息を吐き、もはや火事の凄絶さに呆然となるしかない。シエラが支えていなければ立ち上がれないほど身体は疲弊し、どうにか意識を保っている状態だ。
炎と煙の向こうで、もしレオンハルトやシャーロッテが逃げ切れずに死ぬなら、それはそれで結末かもしれない。あるいは苦しみながら出口を探しているのか。リディアは心底から「もうどうでもいいわ」と思いながら、それでもこのままでは終われないという矛盾した感情に苛立つ。
「シエラ、私たちも無事じゃ済まないわね」
「ええ、しかし……私たちはまだ死んでいません。先へ進みましょう」
「そうね……ここに留まっても、ただ焼け落ちるだけ」
ほとんど意地と執念だけで支えられた二人は、炎上する屋敷を背にして歩き出す。周囲には倒れた公爵軍の亡骸、崩れた門扉の破片など悲惨な光景が広がる。人の断末魔が遠くで響くが、もうその声に耳を傾ける余裕はない。
こうして燃えさかる“血染めの処刑場”から、リディアとシエラはかろうじて脱出した。ほぼ全員が地獄に落ち、狂った世界の終わりを連想させるほどの破壊が広がった伯爵家。アルトゥーロもカトリーヌも、連鎖する裏切りと殺意の果てに死んだ。
しかし、リディアの復讐が完全に果たされたわけではない。あの男と女――レオンハルトやシャーロッテ――彼らが死んだかどうかは不明だ。何よりリディアは「自らの手で殺したい」という欲望が滲んだままだ。
「次があるのかしら? こんな体でも……まだ、憎しみが消えない」
「リディア様……」
「分かってるわ。まずは逃げる。生きてるかどうかもわからないあいつらより、私たちが死んだら意味がないもの」
そう言ってリディアは、シエラを支えつつ闇へ消えるように歩き去る。途中で振り返ると、まるで壮大な墓標のように大火が屋敷を呑み込み、一斉に崩壊していく姿が見えた。これが名門伯爵家の最後の姿か――リディアはわずかな哀愁を胸に抱きながら、苦く吐き捨てる。
「みんな死んで……血まみれになって……最後はこんなもの……。でも、私は……まだここで終われない」
これこそ“血染めの結末”の始まりにすぎず、主要登場人物が軒並み死や破滅を迎える流れは、さらに加速していくに違いない。今、伯爵家の屋敷が示す地獄絵図は、その最終章への入り口にすぎないのだから。
こうしてリディアたちが朦朧としながら屋敷の境内から出たとき、背後で最期の爆発音が轟き、火の粉が夜空に花火のように散った。まさに破滅の凶兆を象徴するような光景だった。遠方でかすかに人の声がするが、それすらも炎の轟きに掻き消される。
「シエラ、行きましょう。ここに留まっても灰になるだけ。あいつらが生きてるなら、まだ戦う機会はあるわ」
「はい、リディア様。わたくしの命も、あなたのために残しておきます」
最後の衝撃で屋敷の壁が完全に崩れ落ち、中から柱や梁が火に包まれて落下する光景を、二人は振り返らずに背を向ける。伯爵家という名の権威が消滅し、そこには焼け焦げた瓦礫の山ができるだろう。
アルトゥーロも、裏切り者カトリーヌも、みなそこで終わった。レオンハルトやシャーロッテの運命は、この夜の惨劇の最中でどうなったか定かではないが、貴族社会など形だけの幻想だったことをこの炎が証明している。
血と炎に満ちた“処刑場”が、ついに限界を超えて崩れゆく様を遠景に、リディアとシエラは闇の向こうへと消える。次は誰が死に、誰が生き残るのか。狂った世界の歯車はさらに加速し、今夜の血染めのクライマックスは、一瞬たりとも安らぎを与えずに幕を引いていった。




