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狂気の令嬢復讐譚 ~愛も忠誠も裏切りも、すべてが血に染まる~  作者: ぱる子


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第19話 血染めの結末①

 燃え盛る伯爵家の炎は、まるで夜空を侵食する巨大な獣のようだった。

 つい先刻まで貴族としての誇りを保っていたかもしれないその屋敷は、今や血と炎と瓦礫にまみれ、内部では狂った人々が最期の殺し合いを繰り広げている。真紅の火柱が天へ向かって吠え立ち、烟があたりを包み込む様は、まさに地獄の凱歌に等しかった。


    ◇ ◇ ◇


 屋敷の二階で、リディア・ド・グラシアは痣と血に染まったドレスを引きずりながら、廊下をふらつく足取りで進んでいた。彼女の隣には、まだ意識を保つ侍女シエラが寄り添い、互いの身体を支え合っている。


「シエラ……もし倒れそうだったら言って。こんな地獄で私一人だけ生き延びても意味ないわ」


「大丈夫……リディア様こそ、気を強く持って。あの者たちを仕留めるには、今しかありません」


「ええ、わかってる。……火が回りすぎて、次こそ本当に私たちが死ぬかもしれない。だけど諦めないわ。あいつらを道連れに……!」


 リディアの瞳には、炎の赤が混ざり合ったような狂気の光が宿る。自分を裏切ったカトリーヌ、そして宿敵のレオンハルトとシャーロッテ。誰一人として生かしておくつもりはないという殺意が、痛む傷を奮い立たせる原動力だった。


 しかし邸内は既に炎と煙で満ち、出口がどこなのかすら判別しづらい。床のあちこちが焦げやすく、倒れた梁が熱を帯びて歩行を阻む。二階の床下から響く轟音が生々しく、いつ崩落してもおかしくない状態だ。


「くっ……もう……崩れそう……」


「リディア様……! あそこに……人影が……」


 シエラが指さす先には、真っ赤な煙の向こうでうずくまる一人の影が見えた。ドレスの裾が焼け焦げ、扇子を必死に振って烟を払おうとしている姿――カトリーヌ・フォン・エイヴァリンだ。


「カトリーヌ……っ!」


 リディアの呼吸が荒くなる。先刻、裏切りの笑みを浮かべ、リディアを売り飛ばしたあの女が、こんなところまで来て逃げ遅れたのか。まさに狂乱の夜の因果応報――リディアはそう感じると、怒りを胸に抱えて足を踏み出す。

 カトリーヌは声にならない咳を繰り返しながら、ようやくリディアたちに気づく。顔をあげると、そこには燃える廊下を背景にしたリディアが、黒い眼差しを向けて立っていた。


「リ、リディア……助けて……っ! ここ、もう駄目……抜け道がふさがれて……!」


「ふざけないで……あなた、私を裏切ったくせに、こんなときだけ助けを乞うの?」


「ちがっ……そんなつもりじゃ……」


 カトリーヌは苦しそうに扇子を落とし、四つんばいの姿勢で言い訳を並べ立てようとする。しかし、リディアの表情を見て、ひどく冷酷な殺意を感じ取ったのか、怯えたように小さく身を竦める。


「あなたがあのとき邪魔しなければ、私はあいつらを殺せたかもしれないのに……!」


「ご、ごめんなさい……私……ただ……面白い展開が見たかっただけで……」


 心底震える声がか細く聞こえる。ここまで追いつめられたカトリーヌは、ついに言い訳をする余裕すらなくなったらしく、その瞳から涙のようなものがこぼれ出る。


「面白い展開……? 人をもてあそんで、裏切って、それで最後は助けて? ふざけないでよ……!」


 リディアの声は絶叫に近い。短剣の柄を握りしめると、荒い呼吸を整えるように深く息を吐き出す。一方、シエラはそっとリディアの背後で警戒しながら、戦闘の態勢をとる。


「リディア……わたし、必死にあなたを止めないけど。もう殺すしかないなら……手伝いますか?」


「ううん……これは私がやる。あなたには他の敵が来たときに備えてほしい」


 そう言い終わると、リディアはカトリーヌの目の前へ一直線に歩む。火の粉がドレスの裾を焦がし、煙が喉を焼くが、それ以上に心中の怒りが強く彼女を突き動かした。


「リディア……ごめん……本当に、悪気は……」


「悪気はなかった? 笑わせないで。あなたは人の破滅を楽しんでた。最初から私を裏切る予定だったんでしょ」


「違う、違うの……ただ、気が変わっただけ……」


「黙れ……今さら、何を……」


 リディアはためらいなく短剣を振り上げる。カトリーヌは咄嗟に手を広げ、必死に顔を背けるが、リディアはその腕を構わずに斬りつけた。血飛沫が炎の光で赤黒く染まり、カトリーヌが短い悲鳴を上げる。


「ぎゃあっ……!? い、痛……!」


「裏切り者……! 私を売りやがって……よくも……!」


 さらにもう一閃。カトリーヌは腕を庇いながら背中から倒れ込む。這いつくばるように逃げようとするが、焼け落ちた床材が邪魔をして、ほとんど身動きが取れない。

 血まみれで咳き込みながら、彼女は最後の賭けに出るように嘲笑ともつかない声を上げた。


「ふ……ふふ、最悪……ね。あなたも……私も……狂ってるわ。これで、満足……?」


「黙れ……黙って死になさい」


 リディアは容赦なく短剣を突き立てる。カトリーヌが痛みに苦悶の声を上げても、彼女は一瞬もためらわなかった。怒りと憎悪の発散――すべてがカトリーヌの肉体を刻むという形で爆発した。

 あれほど涼しげに人を弄んでいたカトリーヌも、この世で最後の絶叫を遺し、その瞳からはうつろな光が失せていく。同時にリディアの唇が震え、「今さら弁明なんて……遅すぎるのよ」とつぶやいた。


「リディア様……行きましょう。ここでゆっくりしていたら、私たちも火にのまれます」


「……わかってる。ごめん、シエラ」


 リディアは短剣を抜き取り、カトリーヌのもう動かない体を一瞥する。この姿こそ“自業自得”と胸中で吐き捨て、炎と煙の中を駆け出す。背後でカトリーヌが最後に笑ったように見えたのは錯覚かもしれない。ともあれ、裏切り者の死をもって一つの決着がついた。


    ◇ ◇ ◇


 一階の廊下には、さらに激しい炎が回りこんでいた。先ほどまで狂乱していたアルトゥーロの声は聞こえず、代わりに崩れた柱や梁が散らばり、まるで巨大な獣の骸のように通路を塞いでいる。リディアは火炎を避けるように細い隙間を探し、シエラとともに進む。


「これ以上は……ちょっと無理があるわね……」


「それでも行くしかありません。まだ外へ出る道があるかもしれません」


 シエラの足もふらついており、リディア自身もまともに息をするのが苦しい。そう考えたとき、視界の先に大きく崩れた壁の一部が目に入った。そこから屋敷の庭がちらりとのぞいている。


「やった……外とつながってるかも……!」


「行きましょう……っ」


 呼吸もままならぬまま、その崩れた壁まで走り寄る。しかし、そこには思わぬ姿があった。アルトゥーロ――リディアの父が、半ばがれきに押しつぶされる形で倒れている。床には大量の血溜まりができ、腹部には瓦礫が突き刺さったように見える。周囲は炎に囲まれ、彼が今まさに死にゆく瞬間なのは疑いようもない。


「父様……」


「リ……ディアか……」


 アルトゥーロは苦しい息をしながら、血まみれの腕で身体を起こそうとするが、動けずに咳き込む。目の奥にはまだ狂気が滲んでいたが、もはや抵抗する力も残っていないらしい。


「こんな……形で……伯爵家が……崩れるとは……」


「……自業自得じゃない、父様。あなたが作った闇が燃え広がっただけよ」


「貴様……! ここまで私を追い詰めて……っ。巻き添えにしてやる……!」


 そう言いながらも、アルトゥーロは満足に剣を握る力すら失っており、わずかに手を伸ばそうとしただけで腕ががくりと落ちる。咳き込みが止まらず、口から血を吐きながら、目がかすんでいく。

 リディアはそんな父を冷めた眼差しで見下ろす。かつて誇りあふれる伯爵家の当主として君臨した男は、今、血にまみれて、狂気の末に自滅の道を辿った。ただ、一欠片の哀れみも湧かないのは、ここまでの軋轢があまりに深いからだ。


「父様、もう終わりね。あなたが守ろうとした伯爵家も、あなたの人生も。……さようなら」


「ま、待て……娘の分際で……勝手に……」


 崩落の衝撃で更に瓦礫が落ち、アルトゥーロはその下敷きになるように視界から消えていった。わずかに「うがぁ……!」といううめき声が聞こえたあと、火と煙に呑み込まれて沈黙する。

 リディアは無表情のまま、それを見届けると、シエラの腕を引いて壁の穴から外へ飛び出す。さらなる瓦礫が上から降り注ぎ、そこにアルトゥーロの姿は完全に埋もれていった。


「お父様、死んだみたいですね……」


「……そうね。私の知る伯爵家も、これで崩れたわ」


 いつしかリディアの目からは涙も何も出てこない。まるで全てを受け止めたあとで、心が乾ききっているかのようだ。シエラはかろうじて体を支えながら、炎に包まれる屋敷を振り返る。


 そこには、爆発が続いて気勢を上げる炎と、悲鳴を上げる梁の音が交響する血染めの舞台。まさしく「血染めの結末」が伯爵家を飲み込んだ光景だった。

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