第12話 友人の裏切り①
伯爵家の屋敷には、朝から刺すような沈黙が漂っていた。あの“暗殺未遂”の夜会から数日が経つが、リディアの苛立ちと焦燥はひと向けに収まらない。伯爵家の使用人たちもいつにも増して神経質になっており、小さな物音でも息を呑むような緊張感が張りつめている。
失敗のあと、リディアはシエラとともに「誰が邪魔をしたのか」「なぜ計画が狂ったのか」を徹底的に分析した。もしかしたら単なる偶然かもしれない――ただし、妙に胸に刺さる“不自然な偶然”が多すぎる。特に、毒を盛ろうとしたタイミングでカトリーヌがシャーロッテとワインを取り違えるような動きを見せたり、レオンハルトを別方向へ誘導するはずが逆に場を混乱させたり……。いくつも事例を上げれば、どうしてもカトリーヌの行動が引っかかる。
「……リディア様、やはりカトリーヌ様の存在が怪しいと思われませんか?」
廊下の片隅で、シエラがいつものように控えめな声で問いかける。周囲にはほとんど人影はなく、念のため周囲を見回してから口を開いた。
「私だって、今はそう思い始めてるわ。でも……カトリーヌは昔からの友人なのよ。裏切る理由があるの?」
「理由は分かりません。ただ、少なくとも夜会でのあの妙な動きは偶然とは思えない。リディア様が毒を仕掛けようとしていた瞬間に、あの方がうまく取り繕うように割り込んでいました」
「…………」
リディアは目を伏せ、唇を噛む。思い出すと苛立ちが募る。
確かにカトリーヌは、表向きは“友人”としてリディアの暗殺計画を手伝うと言っていた。しかし結果は無関係の令嬢が倒れて騒ぎになるだけで、あの男と女――レオンハルトとシャーロッテ――にはかすり傷ひとつ与えられなかったのだ。
「シエラ、もしカトリーヌが本当に私を裏切っているなら……どうしたらいい?」
「……リディア様のお考え次第です。邪魔になるなら排除すべきでしょうし、利用できるなら利用し続ければいい。でも、わたくしとしては危険人物だとしか思えません」
「そう、よね」
“友人を殺す”という選択肢が脳裏をかすめるが、リディアはまだ即断できない。幼い頃からの付き合いもあり、一度は心を許した仲だ。それを簡単に捨てることなど、本来ならば考えられない。
けれども、この狂った世界では“多少”おかしな結末になっても不思議ではない――そう思うと、リディアの胸は重苦しく痛む。
「とりあえず、あの子のことを詳しく探って。何か裏があるなら、早めにつかんでおきたいわ」
「かしこまりました。ここ数日の動向を確認し、カトリーヌ様が何をしているかを報告いたします」
「頼むわ、シエラ。私の目が節穴だったのかもしれない……」
そうつぶやくリディアの声には苛立ちと戸惑いが混ざっていた。もはや、親友を簡単に信じられない自分自身にも腹が立ち、暗澹たる気持ちを抑えきれないのだ。
◇ ◇ ◇
同じ頃、カトリーヌ・フォン・エイヴァリンは別の場所にいた。王都の外れ、貴族が所有する小さな離れの屋敷。その一室で、レオンハルト・フォン・シュタインヘルツと向かい合っている。
レオンハルトはソファに足を組み、カトリーヌを見下すような視線を向けていたが、彼女はまるで意に介さず、にこやかな笑みを浮かべる。
「わざわざお呼び出しありがとう、レオンハルト様。私もお話ししたいことがありましたの」
「そっちから話したいことがあるって聞いてたけどな。……ところで、あの夜会の騒ぎ、面白かったじゃないか。毒殺未遂だって? まさか伯爵家のやつらがやったんだろう」
レオンハルトは愉快そうに鼻を鳴らす。表向きは被害者の立場だが、下手に証拠をつかませないよう護衛を増やしていて正解だったと内心でほくそ笑んでいる。
「あら、そんな事件があったなんて怖いですね。わたくしは単なる傍観者でしたけど、可哀想に巻き込まれた令嬢もいるようで」
「へっ……伯爵家も追いつめられてるんだろうな。で、カトリーヌ、お前は何を言いたい?」
「単刀直入に言えば、“リディアは今度こそ直接殺しにかかる”と考えられます。あの子、毒で失敗したら次はもっと過激な手段を取るでしょう。わたくし、彼女の動向を見ていてそう思うの」
言葉を聞いたレオンハルトの眉がピクリと動く。カトリーヌが裏でリディアと接触していることは理解しているが、まさかここまであけすけに情報を漏らすとはと驚きを禁じ得ない。
「ほう。それを俺に伝えに来たってことは、何が狙いだ?」
「簡単です。あなたがリディアを倒したいように、わたくしも“なるべく面白い展開”を望んでいるんです。そして、あなたが彼女を確実に潰せるなら、その手助けをすることには大いに興味がある」
「面白い展開……ね。お前、やっぱり普通じゃないな」
レオンハルトは口角を吊り上げる。目の前の令嬢は、どうやら他人の破滅や争いを娯楽にしているらしいと察している。そして、その傾向は自分自身にとっても悪い話ではない。利用できるならお互いに得をすればいいだけのこと。
「で、何を提案する? 俺にどう動いてほしいんだ?」
「そうですね。まず、リディアはまだわたくしを“友人”として信じかけている。それを活かして、彼女の計画を掌握してしまうのはどうですか。次に暗殺を試みるとき、あなたは先回りして彼女をおびき出すことができるでしょう」
「なるほど。要するに、お前が伯爵家から情報を引き出し、俺に渡すってことか。その見返りは?」
「報酬はいろいろありますが……わたくし、金銭以上に“自由に動く権利”や“情報への優先アクセス”が欲しいわ。あなたが公爵家の当主になれば、いくらでもわたくしのメリットは広がる」
「はは、強欲だな。でも、いいぜ。上手く行けば伯爵家も葬れるしな」
互いに探り合うような笑みを交わし合う。カトリーヌは微笑みを崩さず、レオンハルトは不敵な眼差しで応じる。ここに“密約”が成立した形だ。
カトリーヌの目的はただひとつ、「リディアとレオンハルトを衝突させ、どちらかが破滅する様を最前列で観劇する」こと。その過程で自分が利益を得られれば言うことはない。レオンハルトの力を利用しながら、リディアの計画を外から眺める――それが何よりも彼女にとって愉快な展開なのだ。
「じゃあ、俺に情報を流すんだな。リディアはどんな手を使おうとしてる? 暗殺が失敗したあと、奴は刃で来るか?」
「ええ、きっとそうなります。あの子はもう後戻りできない。だからあなたも早めに手を打ったほうがいいわ。失敗は許されないでしょう?」
「ふん、言われずとも。こっちもあいつに好き勝手やられちゃたまらんからな」
こうして会話を交わした後、レオンハルトは「早めに切り上げる」と言って立ち上がる。シャーロッテの名は口にしないが、おそらく彼女にも情報を伝えて警戒を固めるつもりだろう。
密談が終わり、カトリーヌは一人になった離れの部屋で小さく笑う。彼女の脳裏にはリディアとレオンハルトが血を流し合うような光景が映し出され、愉悦を誘っていた。
(リディアは私を疑ってるかもしれないけど、まだ決定的な証拠はないでしょうね。ふふ、もう少しこのまま楽しませてもらうわ)




