第11話 狂気の夜会②
「リディア様……申し訳ありません。私がもう少しうまくやっていれば」
伯爵家に戻った後、シエラは床に膝をつき、項垂れている。計画は大失敗。標的を仕留めるどころか、無関係の令嬢を危険にさらしてしまい、大騒ぎを引き起こして帰ってきただけだ。
「あなたのせいじゃないわ。……でも、なんでこんなことに? あの女が受け取るはずだったグラスを、他の人が……」
「周囲の動きが予想より早かったです。カトリーヌ様も囮になってくれるはずが、何か様子が変でした」
その言葉にリディアはハッとする。夜会の最中、カトリーヌが明らかに狙ったような動きでシャーロッテからグラスを遠ざけていたこと、そして最後に無理やりリディアの前に割り込んできたことが脳裏をよぎる。
「まさか……カトリーヌが邪魔をしたの? どうして……」
そこに答えはない。だが、何者かが暗躍していたとすれば、計画が台無しになった説明がつく。無論、単なる偶然の可能性も否定できないが、シエラは疑念の視線を隠そうとしない。
「リディア様、もしこの暗殺未遂が広まれば、あなたが疑われるリスクがさらに高まります。現に毒で人が倒れたという事実は、社交界で大きく扱われるはず」
「わかってる。……くやしい! あの二人を殺し損ねただけじゃなく、逆に私の立場が危うくなるなんて」
「さらに、アルトゥーロ伯爵様がこの一件を知ったら、どうなるか……」
「……父様は怒り狂うでしょうね。だけど今さらよ。私がやるって決めたことだし、失敗したんだから仕方ない」
リディアは机を叩き、荒い呼吸を整える。毒殺計画の大失敗による屈辱が、彼女をもう一段深い狂気へと誘うように感じられる。
「今度はもっと確実に、直接殺してやる……こんな毒なんてまどろっこしい。夜会も人目が多すぎる。もっとシンプルに、刃を使えばいい」
「リディア様……」
シエラの目に宿るのは、主と同じ狂気の炎。毒で失敗したなら刃で仕留めればいい――それが彼女らの答えだ。伯爵家の権威を捨ててでも達成するべき復讐が、手段をさらなる暴力へとエスカレートさせる。
◇ ◇ ◇
「リディア! お前が夜会で毒殺を画策したそうだな……!」
翌日、書斎でリディアは父アルトゥーロから怒鳴り声を浴びせられる。やはり情報が入り、娘の暗殺未遂を知ったのだろう。彼は拳を振り上げる勢いで詰め寄ってくる。
「どうして知ってるのよ……父様、こんなときに大声出さないで。周囲に聞かれたら困るでしょう?」
「ふざけるな! 何をやっているかと思えば、暗殺未遂の騒ぎを起こすとは……伯爵家がどれほど追いつめられてるかわかってるのか!」
「追いつめられてるのは父様のせいでしょう。私の復讐計画に口出す資格なんてある?」
「なにを言ってる! これ以上騒ぎを起こせば、我々まで疑われる! 王宮がすでに伯爵家を監視しているというのに!」
「だから? 失敗したのは認める。でも、だからってもうやめるつもりはないから」
リディアは毅然と宣言する。アルトゥーロはあまりの強硬姿勢に苛立ち、机を叩く音が部屋中に響いた。
「お前という娘は……! 伯爵家を潰す気か!」
「いい加減にして。私の復讐を妨げるなら、父様の方こそ邪魔者よ」
「……何だと……?」
怒号の応酬は、まさに狂乱の親子喧嘩へ発展しかけるが、そこにシエラが割って入る。「リディア様、ご主人様、ここは落ち着いてください」と小さく声を上げ、火の粉が飛ぶのを防ぐように挙動する。
互いに険悪なまなざしを向け合う中、リディアは最後に「もう父様には頼まないわ。私が勝手にやる」と言い放ち、部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
暗殺未遂による騒ぎは、社交界で瞬く間に広まり、リディアへの風当たりはさらに強くなる。実行犯が誰かは確証がないが、“あの高慢ちきな伯爵令嬢がやったのでは”という噂が火のように燃え上がり、彼女の孤立を深めた。
それでもリディアの憎悪は衰えず、むしろ失敗による屈辱が狂気を加速させる。シエラもまた、「次こそもっと直接的に殺すべきですね」と提案を強め、その危険度を増す。
裏で糸を引くカトリーヌは、そんな混乱を遠巻きに眺めては「ふふ、誰が邪魔をしたのかしら」と知らん顔で微笑む。少なくともリディアの目に、「私の計画を妨げたのは誰?」という疑念がちらつき始める。
(まさかカトリーヌが邪魔を……? そんなわけ……でも、あのとき妙な動きをしてたような……)
リディアが問いかける相手はもういない。友人を名乗るカトリーヌへの視線が鋭さを増しつつあるものの、決定的な証拠はない。したがって疑念は消えずに渦巻き、復讐と嫉妬と不信の炎を一層大きくしていく。
狂った世界の歯車は止まらない。次なる血生臭い計画へ向けて、リディアの脳裏にはさらなる暴力のシナリオが湧き上がる。――今度こそ、必ず殺す。
毒殺未遂の夜会は、リディアが執念を燃え上がらせる引き金に過ぎなかった。失敗で生まれた恐怖と怒りが、彼女を後戻りできない破滅への道へと駆り立てる。残るは、誰がどんな形で死に、誰が裏切るか――それだけの問題だ。
こうして夜会は悲鳴と混乱を残したまま幕を下ろし、リディアの計画は一時頓挫。しかし暗い夜の底に、彼女の叫びが木霊する。
「誰が……邪魔をしたの? 次は絶対に……二度と失敗なんてしない……!」
その声は空虚なホールの片隅に染み入り、聞く者もなく消えていった。だが、その余韻こそがリディアを狂気の深みに突き動かす力となる。シエラは「もっと直接的に殺してやりましょう」と微笑み、カトリーヌは「次の展開が楽しみね」と心でささやき、シャーロッテとレオンハルトは護衛を強化し、不気味な緊張が社交界を包み込む。
こうして暗殺未遂という形で終わった“狂気の夜会”は、さらなる復讐劇の序章にしかすぎない。今後、何が血に塗れてもおかしくない世界の歯車は、止まることを知らず回り続けるのだ。




