第7話 牙をむく伯爵②
屋敷の一角にある小部屋で、リディアは愛用の椅子に腰掛け、窓の外を眺めていた。庭では花が咲き誇っているが、彼女の瞳に映るのは遠い空ばかり。
「リディア様、ご機嫌いかがですか」
そっと扉を開けて入ってきたのは侍女のシエラ。静かな足音と落ち着いた声が、まるでリディアの一部であるかのように自然だ。
「あまりよくないわ。父様と少し口論になったの。まあ、想定の範囲だけどね」
「私から何かお手伝いできることがあれば、なんなりとお申しつけください。リディア様が望むなら、どのような方法でも構いません」
「ふふっ、頼もしいわね、シエラ」
リディアはゆるりと立ち上がり、シエラに歩み寄る。近づいてその顔をのぞき込むと、侍女の瞳には狂信ともいえる忠誠が宿っていた。
「父様が計画している捏造工作も悪くはないけど、私には物足りないの。もっと直接、あの二人を痛めつけたいわ」
「……レオンハルト様とシャーロッテ様、ですよね?」
「そう。噂だけで足を引っ張るなんて、生ぬるいと思わない? あいつらが苦痛で叫ぶくらい追い込まなきゃ、私の気が済まない」
「おっしゃる通りかもしれません。実際、レオンハルト公爵家には裏の護衛網もありますし、捏造だけで崩すのは時間がかかりそうです」
「でしょ? 私たちはもっと行動的になるべき。……でも、父様は大反対なのよ。まあ、わかるわ。伯爵家が表立って暴力を行使したら、名前に傷がつくって」
リディアは口角を上げて笑う。その笑いには危険な香りが漂っていた。まるで「そんなこと言っても、私はやるわよ」と宣言するかのようだ。
「ご命令があれば、私が直接動きます」
シエラはそこで一歩踏み出し、リディアに頭を下げる。その姿は儚げな少女に見えるが、血に染まることを一切厭わない冷徹さを持ち合わせている。
「シエラ、あなたが思っている以上に危険なことになるかもしれないけど……いいの?」
「はい。リディア様のためでしたら、どのような手でも使います。裏社会であろうと、法に背く行為であろうと」
「心強いわね。……そう、私とあなたで父様ができないことをやる。それでいいじゃない」
リディアはシエラの手を握る。まるで主従を超えた共犯者の契りを確かめ合うように、二人の視線が絡み合う。侍女の従順さと令嬢の凶暴さが融合する光景は、伯爵家の闇を象徴していた。
ちょうどそのとき、小走りに廊下を踏み鳴らす足音が近づいてくる。扉を乱暴に叩く音が響き、リディアは眉をひそめる。
「リディア様、失礼しますっ」
飛び込んできたのは伯爵家の下働きの青年。息を切らしながら、まくし立てる。
「だ、大変です! アルトゥーロ伯爵様の部下が、町で揉め事を起こしたとかで……何人か公爵家の者と鉢合わせになったそうです!」
「はぁ? もう衝突したの?」
「はい、詳しいことはわかりませんが、賭場あたりでトラブルになったとかで……公爵家の取り巻きもそこにいたらしく、今は小競り合いに発展しているそうで……」
リディアは舌打ちし、シエラは冷やかな目を細める。伯爵家側の裏社会の面々が、捏造工作の準備中に公爵家の人間と遭遇してしまったのかもしれない。
「父様もさっそくやらかしてくれるわね。こんなトラブル、早すぎるでしょ」
「どうしますか、リディア様。アルトゥーロ伯爵様に知らせるべきでしょうか?」
「父様ならもう聞いているはず。だけど、ここで私が出て行っても面白くないわね」
少し考え込んだリディアは、シエラに視線を送る。侍女は静かにうなずき、リディアの本心を汲み取ったようだ。
「どうかリディア様、私に調べさせてください。もし公爵家が勝ち誇っているようなら、その隙をついて追撃できます」
「ええ、そうね。父様の失態は父様が始末すればいい。私たちは私たちで、さらなる一手を模索するわ」
リディアが淡々と告げると、青年使用人は目を丸くする。伯爵家の令嬢とは思えないほど冷徹な指示――だが、彼女から感じる凄まじいオーラに反論などできない。
「わ、わかりました。何かあればまたお知らせに参ります……!」
青年が慌てて部屋を出て行くのを尻目に、リディアは窓の外へ目を戻す。果たして、アルトゥーロの裏工作がこんなにも早くトラブルを起こすとは想定外だったが、ある意味で“好都合”かもしれない。
公爵家と伯爵家の対立が表面化すれば、たとえレオンハルトが有利でも、社交界での波紋は大きい。そこにうまく割り込めば、リディアの独自の狙いを仕掛けるチャンスが生まれるかもしれない。
「面白いわ。父様がどうあがこうと、あの男と女を追いつめるきっかけになるなら、手段など選ばない。……シエラ、あなたの動きが重要になるわよ」
「はい、リディア様。公爵家との小競り合いが大きくなるなら、それに乗じて私たちも行動しやすくなります」
「そうよね。さっき父様に『余計なことはするな』って言われたばかりだけど、私のやり方で結果を出せば、何も言えなくなるわ」
狂気じみた閃光が、リディアの瞳に宿る。彼女の復讐心は、今や「父の計画を助けるため」ではなく「自分の欲望を満たすため」に大きく動き出そうとしていた。
アルトゥーロが生粋の権力主義者であるように、リディアは自分の憎しみを晴らすことに全力を注ぐ。互いの利害は一致していても、その先にある“やり口”は食い違い始めている。伯爵家の内側で渦巻く違和感が、これからさらなる悲劇を引き起こすだろう。
◇ ◇ ◇
一方、街の賭場付近では、公爵家の取り巻きが騒ぎを起こしていた。レオンハルト本人は姿を見せないが、彼の資金源や愛人の一部が関係しているらしい。そこにアルトゥーロの部下が割り込み、小競り合いがエスカレートする。
「おい、お前ら……何が目的だ? まさか公爵様に歯向かう気か?」
「何を言ってる? こっちにも後ろ盾があるんだ。くだらねえ挑発してると痛い目見るぞ」
低い怒号が交わり、殴り合い寸前の空気が張り詰める。公爵家と伯爵家――本来ならば貴族同士の戦いはもっと優雅な場で行われるはずだが、裏社会ではあからさまに荒んだ対立が生じていた。
血を見るまでの騒ぎにはならなかったものの、互いが殺気を散らしあった現場には不穏な空気が漂う。いずれ、本格的な衝突が起こっても不思議ではない予感を残していた。




