第6話 想い人の微笑み①
豊かな陽光が大理石のフロアを照らし出す白亜の会場。その中央には、牡丹のような優雅なドレスを纏った令嬢たちが談笑し、金糸のレースがきらきらと輝いていた。まるで花園の真ん中に舞い降りた蝶のように、シャーロッテ・ベル・ローウェルが笑みを浮かべて歩むと、途端に注目の的になる。
「まぁ、あれがシャーロッテ様? 可憐で愛らしい方だと噂は聞いていたけれど、本当にお美しいわね」
「ええ、聞けば公爵家の若き当主候補、レオンハルト様とも親しい間柄だとか……」
会場のあちらこちらからささやかれる声を、シャーロッテは耳をそば立てながら受け流す。見て見ぬふりをしながら、適度に柔和な微笑を返すその姿は、まさに“可憐な令嬢”そのもの。
今日のパーティは、名家のご令嬢たちが一堂に会する社交界デビューの場に近い性質を持つ。シャーロッテはそれを最大限に利用しようとしていた。
「シャーロッテ様、実は先日の夜会であなたをお見かけしたのですが……その、リディア様の件、大変でしたね」
半ば好奇心を押し隠した婦人が近寄ってきて、シャーロッテに声をかける。リディアが公衆の面前で婚約破棄されたあの夜会は、今でも人々の話題に上り続けていた。
シャーロッテはわざと困ったような笑顔をつくり、かすかにうつむいてみせる。
「本当に……私、リディア様にはどうお詫びしていいか……。もともと婚約者はリディア様だったのに、結果的に私がレオンハルト様とご一緒する形になってしまって……申し訳なくて」
「いえいえ、シャーロッテ様がお気になさることはないのでは? リディア様の性格に問題があったという噂もございますし……」
「でも……あの方も本当はお優しい方でいらっしゃるんです。私が余計なことをしてしまったばかりに……」
そこでシャーロッテは少しだけ涙ぐんだような表情をつくり、慌ててハンカチを取り出す。すると、婦人だけでなく周囲にいたほかの令嬢たちも「なんて純粋なんでしょう」「やはり被害者はシャーロッテ様ね」と、同情を惜しまない。
その空気こそ、シャーロッテが望んでいたもの。華やかな社交の場で、リディアを“悪者”、シャーロッテを“気の毒な被害者”に仕立て上げること――それが狙いだ。
「どうかリディア様を責めないであげてください。私には……あの方もまた、傷ついているのだと思うんです。ただ、私が迂闊でした……ほんの少しでもレオンハルト様とのご縁を深めてしまったせいで、彼女を悲しませてしまいましたの」
すがるような瞳。あたかも「私には責任があります」という謙遜にも似た態度。しかし、その実、言葉の端々で「でも悪いのはリディア様かもしれない」という印象を強めている。
「シャーロッテ様は本当にお優しいのね。あちらにいたリディア様は……確かに高飛車で、周囲を見下していた印象は否めませんでしたもの」
「そうそう、あれではレオンハルト様に見限られても仕方ないわね」
「でもご本人はそれを認めないでしょうし……きっとあなたを恨んでいるわよ。お気をつけになって」
「はい……ありがとうございます。けれど、私はリディア様にお詫びをする機会を探しているんです」
まるで天使のような謙虚さを装うシャーロッテ。その潤んだ瞳を見れば、大抵の人物は「なんて健気なのだろう」と感動する。しかし、その内面はまるで冷えきった刃。
シャーロッテはこのパーティの席で思う存分、自身を“被害者”に仕立て上げることに成功していた。そうすれば、自分こそが公爵家の正統なパートナーであり、リディアが不相応な相手だったという空気を自然に醸成できる。
「……嘘泣きも慣れたものね」
ふと、小さな声がシャーロッテの耳に届く。そちらを見れば、カトリーヌ・フォン・エイヴァリンがワイングラスを手に、壁際で優雅な姿勢を保っている。にこりと笑い、シャーロッテに目配せしてきた。
「まあ、カトリーヌ様。ご機嫌麗しゅう」
「あなたこそ、こんなところで涙を流しているなんて。あまり大袈裟にしすぎると、かえって不自然じゃない?」
「ご心配ありがとう。でも、私としてはありのままをお話ししているつもりよ。リディア様には本当に申し訳ないと思ってるんですもの」
言葉の表面は上品で柔らかなのに、カトリーヌとシャーロッテの目の奥には奇妙な火花が散る。互いが“作り物の仮面”をつけていることを、どこかで理解しているかのようだった。
カトリーヌはワイングラスを傾けてから、さらりとうなずく。
「ええ、わかるわ。あなたこそ“可憐な犠牲者”を演じるにはうってつけのドレスと表情。そして、社交界にそんな芝居に騙されやすい人は多い。役割を全うするのは大変でしょう?」
「……お褒めにあずかり光栄です。ええ、これも自分のためですから」
シャーロッテは毅然と微笑み、軽やかに一礼する。そこへ別の貴族夫人が声を掛けてきて、ふたりの会話は一時的に途切れた。
◇ ◇ ◇
「シャーロッテが同情を買ってるって? しかも私が悪者ですって?」
後日、その噂をリディアが耳にしたのは、愛想のない明け方だった。シエラが情報を持ってきて、上ずった声で報告する。
「はい……噂によりますと、シャーロッテ様は周囲の同情を一身に集めておられるご様子です。『リディア様の性格のせいで、彼女も仕方なくレオンハルト様に近づいてしまった』みたいな話になっているとか」
「ふざけてるわね。どんな嘘を並べているのか知らないけど、私があの男から振られたことをネタにするなんて……!」
リディアの瞳が怒りで燃え上がる。机の上に置かれた花瓶が、彼女の震える腕に引っかかり倒れそうになるが、シエラが素早く支えた。
「リディア様、どうか落ち着いて。シャーロッテ様は、きっとさらなる計画を裏で進めているはずです」
「わかってる。わかってるわよ、そんなこと! でも腹が立って仕方ないじゃない!」
このところ、“リディア様は公爵家との婚約に失敗した高飛車令嬢”という認識が社交界に広まっている。いくら伯爵家の看板があっても、それだけで全てを覆すことは難しい。まして、シャーロッテが現実にレオンハルトの側近のように振る舞っているため、彼女こそ“気の毒な令嬢”に見える始末だ。
「また、シャーロッテ様は公爵家の重役たちにも取り入っているらしく、アルトゥーロ伯爵の……つまりリディア様の父上の裏仕事についても嗅ぎ回っているとの話です」
「そう……私たちの首を絞める気ね。父様の裏を暴こうなんて、まさかそんな度胸があるとは」
「レオンハルト様や重役たちと手を組めば、何か大きな動きになりそうです」
シエラの言葉を聞いて、リディアはますます表情を曇らせる。シャーロッテはただのライバルというより、背後に公爵家全体を控える巨大な敵となりうる存在だ。




