猫の配達人?
(ね、猫!?)
そこにいたのは猫だった。
いや、正しくは、人間のカタチをして、人間の服を着た巨大な猫だった。
運転席でクークー寝ていた。
(なに、これ?)
フィードバックする記憶と、そしてナゾの乗り物とおかしな巨大猫。
意味不明の状況にミリアはフリーズしていた。
いやいやと頭をふり、まじまじと猫(?)を観察する。
コスプレか何かだろうか?
いや、それにしてもリアルすぎる。着ぐるみにはとても見えない。
呼吸と共にかすかに動くさまなんて、まさに大きな猫そのものではないか。
と、その時だった。
眠っている大猫がピクッと耳を動かした。
目を開いてミリアの方を見て「お!」と言わんばかりの反応をした。
そして次の瞬間、窓ガラスらしきものが音もなく幻のように消え、巨大な猫の顔がニュッと窓から張り出した。
もちろんミリアはその瞬間、後ずさろうとした。
でもその瞬間、また頭の中に何かがフラッシュバックした。
『おとうさん、おとうさん!!』
『ミリア、必ず迎えをよこすから。だから、お母さんとふたりで待っておいで、いいねミリア!!』
それが本物の父の記憶なのだと、なぜかミリアは疑わなかった。
そして、この乗り物を見て記憶がフィードバックする理由もわかった。
そう。
ミリアの父親は死んだのではなく、これによく似た乗り物でミリアの元を去ったのだ。
間違いない。
ミリアの中の、ミリアの名前を決して変えさせない『何か』が、そういってる気がした。
「きみがミリアさんかい?」
「え?あ、は、はい!」
ミリアはすぐ我に返った。
「そうかい、良かった良かった、うん、こちらの情報とも合ってるみたいだね。きみに郵便だよ」
「え、郵便?」
「そうさ郵便、星間トラファガー便だよ」
「せいかん……とら……ふぁがー?」
そんな郵便サービスなど聞いたこともない。
なんだそれとミリアは思うが、事態はそのまま進んでいく。
ポンと手紙っぽい封筒を渡された。
「いやー、ソルってこんな遠かったんだねえ、しかも定期航路もない上に被監視区域っていうじゃん?
しかもなんか連邦軍がピリピリしててさぁ、星域に入れてくんないのよコレが。
一番小さい潜入用シャトルを借りてさ、第五惑星の裏から念の為にステルスまでかけてさ、バレないようにこっそりきたんだ。いやー大変だった!」
「……」
「おっと、住んでる人にこんな言い方してごめんね!」
「え?あの?」
意味がわからなかった。
ついでにいうと、手紙そのものも意味不明だった。
見た目はただのエアメール。
だが、ちょっとおかしい。
日本語でミリアの住所が書かれているのだけど、本来は全然別の住所が書かれていたようだ。その住所の横に線が引かれていて、そして今の住所が、差出人とは別の人らしき筆跡で書き足されている。
さらに一番下には見知らぬ文字が書かれ、下線がつけられている。
そして、まだ他にも追記されたメモがいくつもあった。
さらにいうと。
「あの、これ苗字違ってます。うちは石上です、野島じゃないですよ?住所はここみたいですけど」
「ん?いやそれ違わないよ。ちゃんと調べたからね」
猫は小さく首をふった。
「詳しい事情はよくわからないけど、君はもともとノジマ・ミリアさんだよ」
「でも」
「転居の際にイシガミ姓に変わってるね」
「それもおかしいです。うちは引っ越しなんてしてませんし」
「うん、おうちは引っ越してないね」
「え?」
「変わったのはきみだけだよ、俺はお宅の事情をよく知らないけどデータはそうなってるね」
「……え?」
ミリアの目が点になった。
だけど同時に、記憶の中に浮かんできたものがあった。
『いいかい、きみは今日からイシガミヤスコだ。ノジマミリアという名は忘れるんだ、いいね』
ハイと言いかけたのだけど、自分の中の何かが異をとなえて──その流れに従う。
『わたしはミリアです』
『そうはいってもご両親はもういないし、だから──』
『わたしはミリアです』
『……』
『無理ですね、名字はなんとか消せますが名前は無理です』
『おかしい、なぜ思考制御が効かない?』
『理由がわかりませんが、自分の名前に強い執着があるようです。まるで楔でも打ち込まれてるみたいに』
『誰かが先に思考制御をかけたということかね?』
『わかりません、しかしこれは暗示では無理でしょう』
『もう薬を使うしかないんじゃ?』
『ダメです、何が起きるか予測がつかない!』
『ふむ、ならば名前はそのままにしましょう。父親は死んだとできるか?』
『それなら何とか』
『それしかないですかな』
ずいぶんと不愉快な記憶だった。
人の名前を、記憶を、勝手に変更しようとする人たち。
母を失い、さらに名前まで奪われてたまるものか。
もちろん当時のミリアはここまで論理的に考えていたわけじゃない。
けれど、自分にまつわる悪意には正しく対応していた。
「あ、マイナス反応。虐待?いや違うな。これはむしろ──いや、なるほど、だからトラファガー便なのか」
そんなミリアの反応を見た猫は、フムと考えるように自分のヒゲをなでた。
「ミリアさん、そこに書いてある文字は読める?」
「いえ、読めません」
宛名の下にある文字は、ミリアが見たこともないものだった。
「オッケー、配達時の指定条件に合致、と。じゃあちょっと失礼」
「え……え?」
瞬間、ミリアは何が起きたのかわからなかった。
何か銀色のものをつきつけられたかと思うと、身体に電流が流れた気がした。頭の中が真っ白になり、一瞬なにもわからなくなった。
「大丈夫かい?」
「……は、はい」
どうやら前後不覚になったのは一瞬らしい。気づけばミリアはそのまま立っていた。
「もう一度読んでみてくれる?」
「え、あ、はい……あら?」
謎の文字は、やはりそのままだった。
なのにミリアはその文字を読めるようになっていた。
そこには、こう書いてあった。
『被監視区域ソル宙域第三惑星日本国』
「これって……」
「おー、読めたようだね。じゃあ、あとこれもね」
そういうと、猫はさらに別の封筒も渡してきた。
そちらも元の手紙と同じ封筒だったが、文字が全く異なっていた。全てその、さっきまで読めなかった文字で書かれていた。
『娘へ。この中を読んでキミがもし望むなら、中の指示に従いなさい』
(娘!?)
「うん、読めたようだね。そんじゃあ最後のお仕事、と。ちょっと貸して」
「あ、はい」
猫に渡すと、猫は封筒に何か手を加え、そして返してきた。
「はい、返すよ」
「?」
「ああ大丈夫、君はその手紙を読んで──がんばってね」
「え、あ、あのっ!」
思わず猫を止めようとしたのだけど。
「まいどありー!」
そういうと窓が閉じて、すぐに乗り物は空に浮かび上がった。
そしてみるみるうちに空を飛び、どこかに去ってしまった。
「なんなのよ」
後には、ぽかーんとして立ちすくむミリアだけが残された。