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SIDE1

 女の子は男の子より早熟だと言う。

 しかし、レイモンド・リコッタとアデレード・バルモアの場合は違った。

 レイモンドは聡明で、アデレードは実にぼやっとした子供だった。母親同士が友人で何かにつけて二人でいることが多かったが、鈍臭いアデレードの手を引いてレイモンドがあれこれ世話を焼くのが常だった。でも、レイモンドが嫌々アデレードの面倒を見ていたかといえば違った。レイモンドは、へらへら笑って自分の後をついてくるアデレードを可愛いと思っていた。だから、アデレードが虐められると怒って助けに入ったし、アデレードが他の子と仲良くすると面白くなくて邪魔しに行った。レイモンドはアデレードが好きだった。幼い小さな初恋だ。一方のアデレードも優しいレイモンドが大好きだったから、


「アディは僕のこと好き?」


 と尋ねられると、


「うん、好き!」


 とにこにこ答えていた。周囲もそんな二人を微笑ましく見守っていた。


 

 そんな日常が続く中、五歳になったレイモンドはリングボーイとして従姉の結婚式に参加することになった。レイモンドは、綺麗な花嫁を見て、アデレードもきっとこんなドレスを着たら喜ぶに違いない、と思った。だから、式から帰ってきた翌日、その気持ちのままに、


「アディ、僕のお嫁さんになってくれる?」


 とアデレードにお願いをした。


「お嫁さんてなに?」


 しかし、結婚式に参加したこともなければ、花嫁を見たこともないアデレードは首を傾げた。


「えっと、結婚式をして、僕と一緒に仲良く暮らすことだよ」

「レイがうちで一緒に住むの? いいよ!」

「違う違う。僕はリコッタ家の跡取りだから、アディが僕の家に住むんだよ」

「え! じゃあ、アディのパパは?」

「アディのパパはバルモア家でお仕事があるだろ? 一緒には来れないよ。代わりに僕の父上と母上がいる。アディは僕の父上と母上も好きだろ?」


 アデレードはちょっとの間考えて、


「でも、パパだけ除け者はかわいそうだよ?」


 と困ったように言った。


「アディのパパにはアディのママがいるだろ?」

「え! ママも来ないの?」

「来ないよ」


 レイモンドの返事を聞いて、アデレードはびっくりした顔をした後、わんわん泣き出した。ママが一緒に来ないことは最初から頭になかった。だって、レイモンドの家に遊びに来る時はいつもママが一緒だ。だから、レイモンドの家に住むことになっても当然ママと一緒で、パパがどうするのかだけが心配だったのだ。


「うわぁぁぁん、ママぁ! ママぁ!!」


 五歳のアデレードには、レイモンドと仲良く暮らすことと、パパがひとりぼっちで可哀想なことは、悩むべき事柄だったけれど、ママとレイモンドとどっちを選ぶかは圧倒的大差でママだった。


「どうしたの? アデレード! 怪我したの?」

「レイモンド! 何があったの?」


 アデレードの泣き声に、二人の母親が慌てて駆けつけた。アデレードは、転んだり、物にぶつかったりして、結構頻繁にびぇびぇ泣く。だから、部屋に入って来るまで二人の母親は大して心配はしていなかった。しかし、泣いているアデレードの傍で、同じように涙しているレイモンドを見つけて血相を変えた。落ち着いたレイモンドが泣くなんてよっぽどのことだ。しかし、何があったか尋ねてもアデレードの話は要領を得ないし、レイモンドは唇を噛み締めて俯くばかりだった。それでも根気よく話を聞いて分かった事実に母親達は顔を見合わせた。


「あのね、アデレード、今すぐママと別れて暮らすわけじゃないのよ?」

「そうよ。アデレードちゃんが大きくなってからの話よ。それに今みたいにママとはいつでも会えるのよ」


 お互いにお互いの子供を抱き上げた母親達は苦笑いし、アデレードに結婚について説明した。


「ほんと?」

「本当よ」


 するとアデレードは「そっかぁ」と泣き止み、


「じゃあ、大きくなったらレイのお嫁さんになる」


 と現金ににこにこ笑い始めた。


「ほら、レイモンド、アデレードちゃんがお嫁さんになってくれるって」


 母の腕の中であやされながら、ぐすぐすしていたレイモンドも、アデレードの言葉にうんうん頷いた。

 五歳の子供が好きな子に「お嫁さんになって」とお願いするのは微笑ましいことだし、五歳児に「今日から母親と別れて別の家で暮らせ」と言って拒否しないわけはない。誰が悪いわけでもなく、大人になって思い返せばきっと笑い話になるような出来事だった。

 実際に、その後もレイモンドとアデレードは変わらず仲が良かった。


「大きくなったらアデレードをお嫁さんにする!」

 

 とレイモンドはしょっちゅう言っていたし、アデレードも嬉しそうに頷いていた。両両親もこのまま二人が結婚してくれたら、と願っていた。何の問題もなく見えた。

 だから、本人も気づいてないほどレイモンドの深い深い心の底に「アデレードは泣くほど僕のお嫁さんになるのが嫌」と刷り込まれていることは誰も気づかなかった。「僕のことを好きだって言っていたくせに」という思いと共に。


***


 レイモンドは成長するごとに、自分を知った。勉強も、運動も、人の半分の努力で人より上手くこなせること。容姿に恵まれていること。家は裕福な伯爵家で、欲しいものはなんでも手に入ること。それに比べてアデレードは侯爵家の令嬢ということ以外は凡庸だった。だというのに、


(なんで俺ばっかり)


 という考えがレイモンドを支配した。

 レイモンドは随分早くから恋愛感情としてアデレードを好きだったけれど、のほほんと鈍いアデレードは、チョコレートケーキが好きなのと同じくらいの熱量でレイモンドを好きだという状態が長く続いていた。アデレードの「好き」は自分のそれと比べて安っぽい。だから、レイモンドの怒りは段々蓄積していった。

 学園に入学してからは、殊更にそんな気持ちが膨れ上がった。単純明快にいえば「この俺様がお前如きを好きになってやったんだから、お前はその倍俺を好きになって俺に尽くせ」という傲慢な思いが湧いた。だが、レイモンドに言い寄ってくる令嬢は沢山いたけれど、アデレードが慌てたり焼きもちを焼く様子はなかった。自分はアデレードが他の人間と仲良くしていると不快でならないのに、


(なぜだ?)


 とレイモンドは強く苛立った。

 アデレードは自分が他の令嬢を好きになることはないと高を括っている。自惚れている。同時に、レイモンドは自分の気持ちを見透かされていることが、恥ずかしかったし、悔しかった。実際には、アデレードはただ誠実にレイモンドを好きでいて、自分が他の男の子に靡かないから、レイモンドもそうだと呑気に思っていただけだった。しかし、二人の気持ちは大きく剥離してしまっていた。

 だから、レイモンドはわざと他の女の子を優先してみせた。流石に露骨にそんな態度をとればアデレードは傷ついた顔をした。レイモンドはそれで気持ちが晴れるのを感じた。自分ばかりアデレードを好きなことが納得できない鬱屈を、アデレードを傷つけることで埋めた。ちゃんと自分と同じ分だけ自分を好きになってくれないアデレードが悪い。自分の愛情は重く強く、アデレードの愛情は軽く弱い。アデレードはちゃんとレイモンドを好きだったのに、レイモンドはそれを認めなかった。その後も、試すような行為は段々エスカレートしていった。

 ただ、レイモンドの中に「結婚したらやめよう」という思いが漠然とあった。レイモンド自身の意識にも上がっていないことだったが「お嫁さんにならない」とアデレードが泣きじゃくったことに、そもそもの原因があったから。自分が傷ついた分と同じだけアデレードを傷つけたい。そしたら対等になれる。そして、結婚したら全てを精算して新しく始められる、とレイモンドは取り憑かれたように妄信していた。

 だが、メイジー・フランツが現れたことで、レイモンドの描いた未来の歯車は狂った。


***


 リコッタ伯爵の妻ポーラは、夫の遠縁であるフランツ男爵家の娘メイジーを居候させるのは反対だった。適齢期の息子のいる屋敷へ同年代の令嬢を住まわせるのは体裁が良くない。しかし、夫から、


「フランツ男爵の事業が失敗して多額の借金を背負うことになったそうだ。爵位を返上して領地を売り払えばなんとか一家で細々暮らしていくくらいの金は残るらしい。だが、せめて娘にはちゃんと学校を卒業させてやりたいと、卒業までの一年足らずうちで面倒を見てやって欲しいと頼まれたのだが」


 と相談されて反対するのは心苦しかった。

 メイジーはこの先、貴族でなくなり平民として働くことになる。学校を出ているか、出ていないかで働き口に雲泥の差が出る。僅か一年足らずの学費と生活の保証をしてやることでメイジーの一生が大きく変わるのだ。


「わかりました。でも、メイジー嬢には侍女をつけて同じ部屋で寝かせるようにしてください。レイモンドと下手な噂が立っては困りますから」


 ポーラが暗にちゃんと動向を見張っておくように伝えると、


「そんなに心配しなくとも、間違いなんか起こらんだろう」


 とリコッタ伯爵は呑気に笑った。ポーラは内心イラッときたが、確かにまだ何も起こっていないので、そのまま口を噤んだ。

 しかし、悪い勘は当たった。

 卒業すれば平民となるメイジーが学校にいるうちに貴族令息を捕まえようと躍起になることは予想できたし、当然その令息の中にレイモンドが含まれることも想像していた。が、それより問題なのは、メイジーが形振(なりふ)り構わない馬鹿ではなく、いかにすれば自分の利になるかちゃんと算段する強かな娘であることだった。

 メイジーは、レイモンドと親しくすることを母親の自分が望んでないと悟り、最初のうちはあまり関わりを持たずにいた。しかし、二週間ほど経った頃、明らかに元気のない振る舞いをするようになった。心配したリコッタ伯爵が理由を尋ねると、学校生活が上手くやれていないのだと言う。転校したばかりで友達もおらず、実家のことが何処からか漏れて嘲笑されて辛い、と訴えた。美しく儚げなメイジーが涙すれば、本当に悲しそうに見える。虐めを受けていると聞いて放っておくわけにもいかない。当然、リコッタ伯爵はレイモンドに、メイジーが学園に慣れるまで手助けするよう命じた。

 しかし、ポーラは本当に虐めがあるのかを疑わしく思った。もし事実ならば学園へ直接訴えるべきでは? とも提案した。が、


「そんなことをすれば余計に酷い虐めに遭ってしまいます。後、半年間の間のことですから、レイモンド様が助けてくださればきっと我慢できます」


 というメイジーの言葉で、結局、レイモンドがメイジーと行動を共にして様子を見ることになった。そして、そこから二人の仲は急速に深まっていった。学校ではアデレードを放って、メイジーとばかり過ごしていると聞いた。そんなレイモンドに、ポーラは何度も苦言を呈した。口約束ではあったが、学園卒業後、レイモンドはアデレードを妻に娶る予定だ。そのアデレードを放ってメイジーを優先するなどありえないことだ。


「メイジー嬢の世話を焼くのはよいけど、アデレードちゃんを蔑ろにするようなことはやめなさい。本当に愛想を尽かされるから」

「蔑ろになんかしていない」


 しかし、その度レイモンドはうんざりしたように答える。

 夫に相談しても、


「メイジーを一人にしてまた虐められたら可哀想じゃないか」


 と言い、挙句、


「アデレードちゃんは良い娘さんだけれど、レイモンドが乗り気じゃないのに、君の親友の娘だからと言う理由だけで無理やり結婚を勧めるのはどうかと思うよ」


 などと言い始めた。その時、ポーラの中で何かが切れてしまった。


「そうね。わかりました」


 その日から、ポーラは「アデレードちゃんをうちの嫁に」というスタンスを一切やめた。これまでレイモンドが蔑ろにする分、ポーラが陰になり日向になり、アデレードを大事に大事にすることで辛うじて均整が取れていた。その(なかだち)がなくなればどうなるか。レイモンドとアデレードの関係が崩れるまで、全く時間は掛からなかった。





「アデレードちゃんはどうしたんだ。最近全然来ないじゃないか」


 初めにその異変を口に出したのはリコッタ伯爵だった。毎朝レイモンドと一緒に登校していたアデレードが迎えに来ないことを懸念して尋ねたのだろう。何を今更、という乾いた思いでポーラは惚けたことを言う夫に、


「さぁ、喧嘩でもしたのじゃないかしら?」


 と返した。

 実際にレイモンドとアデレードの間に揉め事が生じたのは一月も前だ。あの日、レイモンドはアデレードとの約束に、メイジーを同伴して行った。いつもならポーラが怒って止めるが放っておいた。夕方レイモンドとメイジーは楽し気に帰ってきたが、翌朝からアデレードはリコッタ邸へ迎えに来なくなった。細かい事情は不明だが、デートに他の令嬢を同席させて怒らないはずがない。非はレイモンドにあることは間違いない。それでも、今までならアデレードは黙って我慢することが多かったし、怒っても翌日には機嫌を直してやって来た。しかし、今回は違った。そのことに関してポーラは不穏を感じた。自分が間に入らなかったことで生じた亀裂とは別に、アデレードの中に何か大きな変化が生じたのではないか、と。

 でも、ポーラはそれならそれで良いと思った。親友の娘であるアデレードのことは確かに可愛い。だが、自分の子供より可愛いはずがない。ポーラがこれまでアデレードを大切にしてきたのは全部レイモンドの為だった。何故なら、レイモンドは文句を言いながらも、季節ごとの行事や公式のパートナー同伴の夜会には必ずアデレードを伴うから。「親がうるさい」という体を取ってはいるものの、実際それは「これをしなければアデレードが離れていく」という(かなめ)のことばかりだった。レイモンドは、卒業したらアデレードと結婚するつもりでいるし、実際それが極当たり前に叶うと思っている。レイモンドはアデレードを蔑ろにするくせに常にその動向を意識して、自分から離れないように気まぐれに優しくする。ポーラはそれを見抜いていたから、手遅れになる前に、レイモンドを叱りつけ、アデレードを可愛がり、卒業後、二人が結婚できる道を繋いできた。しかし、そのことが夫には何も伝わっておらず、レイモンドの態度は改まらなかった。挙句、二人がメイジーを優先することに、ポーラはほとほと嫌気がさした。


(こんなことならアデレードちゃんをもっと早くに自由にしてあげれば良かった)


 ポーラは、これまでのことを思い出し、自分が引き留めていたことでアデレードの人生を歪めてしまったのじゃないかと感じた。「リコッタ家の嫁」として扱うことでアデレードの恋心を煽ってきたのだ。だから、ポーラは、アデレードが来なくなってからの一月間、二人に関して一切口を挟まなかった。

 ただ、アデレードと、親友でありアデレードの母であるナタリアには、レイモンドの非礼を謝罪に行った。そしてそこでアデレードに縁談が持ち上がっていることを知った。相手は隣国の侯爵家の嫡男で白い結婚制度を利用したお試しの婚儀だという。これまでレイモンド以外の男性に目もくれなかったのにどうしたというのか。自棄に陥っているのではないか。だがそれをレイモンドの母親である自分が口にすることは憚られた。第一、ナタリアとバルモア侯爵がアデレードの意志に任せているなら余計な口出しをすべきではない。ポーラは心配と申し訳なさで胸が締め付けられたが口を噤んだ。しかし、そんなポーラの内心を見透かすように、アデレードは、


「おば様、心配しないで。上手くいかなければ戻ってくればいいだけだし」


 とけろっとした顔で笑った。自分に対して、もっと恨みつらみを口にしてくれてよいのに、とポーラはなんとも言えない気持ちになった。


(……娘になって欲しかったわね)


 ポーラは、その時、アデレードの幸せを心から祈った。

 そんな怒涛の一月が経過しているのに「アデレードちゃんは最近来ないな」などと尋ねる夫にたいして、ポーラは怒りを通り越して笑いが込み上げた。お望み通り、レイモンドが乗り気ではないアデレードとの婚儀はなくなったのだ。だが、それを告げるのはアデレードが出国した後の方がいい。一月あって何もしなかったのに、今更どこぞの馬鹿の横槍が入っては困るのだ。それに、これは長年積み上げた歳月の結果なのだから。

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