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「ドレスを?」

「はい、旦那様が奥様に夜会用のドレスを贈りたいとのことでして、ダレスシトロン服飾店のオーナーデザイナーに予約が取れました。急ですが、奥様には本日午後一時に店まで来訪して頂きたいのです」


 ペイトンは「来週からは早朝出勤しなくてよくなる」と言っていた通り、今朝は一緒に朝食を取った。といっても挨拶以外は殆ど無言で、チラッとだけ、


「今日は何をするんだ?」

「特に何も。何かすることありますか?」

「いや、好きなことをしていなさい」


 という会話があった程度だ。その時には、ドレスの話なんて全く出なかった。


「どうして急にドレスなんて……」


 素朴な疑問として尋ねると、


「昨夜、奥様を守って差し上げれなかったことを反省しておられましたから。奥様を大切にしていると世に知らしめる為ではないですかね」

「私、そんなことを言ったんじゃないんだけど」

「えぇ。分かっております。ですが旦那様のお気持ちですから遠慮なくお受けになればよろしいかと」


 アデレードは困惑した。ジェームスは昨日の会話の何を何処まで知っているんだろうか。今後、夜会に出席した時のことを懸念して「女の喧嘩に口出しするな」みたいなことは言った。食前酒だけでなくワインを二杯飲んでいて気が大きくなっていたことは認める。でも、自我はちゃんとあったし、正しい主張だったはず。ドレスが欲しいなど一音たりとも発していない。


「誤解があるようなので、一旦お断りして、もう一度ちゃんと話し合った方がよいのじゃないかしら」

「いえ、構いません。それより奥様がお断りになる方があの方は傷つきますから」


 傷つく? 初対面で暴言吐いておいて何を言っているんだ、とアデレードは思った。アデレードはあの言動を根には持っていない。全く根には持っていないが、最初に先制したのはお前なのだから、こっちも言いたいことははっきり言うぞ、という考えは常に意識の中にある。

 しかし、同等以上の爵位の貴族の贈り物を無下に断ることは失礼にあたる、という貴族特有のマナーがある。結局、アデレードはジェームスの説得と「暇だし行こうかな」くらいの軽いノリでダレスシトロン服飾店へ向かうことにした。



 ジェームスが手配してくれた馬車に乗り、何処にあるのかわからぬまま現地に着いた。ダレスシトロン服飾店と看板が上がっているが、商いを営んでいるようには見えない。重厚な煉瓦造りの閑静な屋敷で人の出入りがまるでない。看板が掛かっているので間違いはないだろうが、半信半疑で八段の階段を上り、厳ついライオンのドアノッカーに手を掛ける。振りが足りなかったせいで頼りない音がした。が、扉番が内側に控えていたらしくすぐに扉が開いた。

 黒い燕尾服。正装したドアマンが、


「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか」


 と尋ねてくる。アデレードは「バルモア」と言いかけて、改めて自分が「フォアード」であることを自覚した。


「アデレード・フォアードと申します。一時に予約を入れてあるはずです」

「失礼しました。フォアード小侯爵夫人、小侯爵は既にお着きです」


 ドアマンが軽く手を挙げると女性従業員が案内にやってきた。先導されるまま従う。

 通された部屋はあまり広くない応接間で、テーブルを挟んだソファにペイトンと女性が向かい合って座っていた。

 ジェームス曰く、ダレスシトロン服飾店はバリバラ王国では知らぬ人のいない有名店らしい。そう思って見るせいか、窓に掛けられているカーテン一つとってもセンスがいい。花瓶やキャンドルスタンドといった調度品も、必要な所に洒落た品をバシッと置いてある。部屋は狭いが圧迫感のない配置だ。


「本日はお越しくださり有難うございます。私はこの店のオーナーデザイナーをしておりますテレンダー子爵家のグラディスと申します。どうぞグラディスとお呼びください。以後、お見知りおきを」


 五十代くらいの女性が立ち上がって頭を下げる。オーナーデザイナーと言うから男性だと思っていた。


「こちらこそ宜しくお願いします」


 アデレードがスカートを摘んでお辞儀すると、


「可愛らしい奥様ですこと」


 とにこやかに言った。こういう場合、高確率で嫌味な場合が多いが、グラディスからは陰湿な気配はなかった。


「どうぞお座りください」


 勧められてペイトンの横に腰を下ろす。入室してきてから一言も言葉を交わしていないので、


「旦那様、ジェームスさんからお聞きしましたが、仕事を抜けて来てくださったのでしょう? 有難うございます。それにドレスも」


 と謝辞を述べると、


「いや。気にしなくていい」


 と足を踏んで謝まった時のような態度で返された。お礼の言い甲斐がないというかなんというか。


「奥様の買い物に仕事を抜け出てお付き合いくださる旦那様などそうそういらっしゃいませんよ。羨ましいですわ」


 グラディスが微笑む。客商売なので流石に上手いこと言う。余計な発言はせずアデレードも愛されている新妻に見えるように笑い返した。


「それで早速ですが、ドレスに関してご希望はありますか? 夜会用に、と小侯爵からお聞きしましたが、色味や形など奥様のお好みを教えてください」

「好みですか……」


 「ない」と答えたら困るだろうな、とアデレードは口篭った。ここ数年はレイモンドの好みに合わせたドレスばかり着ていたから、好みなど考えたことはない。流行り廃りのないオーソドックスで個性のないドレスだった。嫁いでくる時に新調したドレスも母と姉が選んだ物だった。ただ一つだけ条件をつけたが。


「青色以外ならなんでもいいです」


 アデレードが言うと、


「青はお嫌いですか? 奥様は色が白いからお似合いになると思いますけれど」


 グラディスが疑問符を浮かべた。

 昔は好んで着ていたが「レイモンド様の瞳の色のドレスを着てくるなんて、迷惑がられているくせに図々しい」とくすくす嘲笑されて以来着なくなった。


「青いドレスにはよい思い出がなくて……」


 アデレードが苦笑いすると、それ以上グラディスが踏み込んでくることはなく、


「承知しました。では、暖色系のお色味にしましょうか。黄色や赤色なんかもきっとお似合いになりますよ。こちらに色見本がありますから」


 とテーブルに置かれた資料を開いた。辞典並に分厚い。四角に切られた生地の見本が色ごとに綴られている。


「同じお色味でも生地によってまた違いますからね」


 とグラディスが説明をしてくれるのを聞きながら、昔のことをまた思い出した。まだ、なんの憂いもなく好きなドレスを来ていた頃、母親に連れられて行った服飾店で今と同じように沢山の見本地を見せてもらって、あれこれ悩み抜いた。ワクワクした気持ちで。いつからこんな風になってしまったのだろう。


「ジョンブリアンなんか綺麗だと思いますよ。このメイズとかもいいですね」


 グラディスが明るい黄色を指して言う。


「派手じゃないですか?」

「そんなことはございませんよ。奥様はお若いですし、肌もお綺麗ですから、明るい色でも燻んで見えたりしませんから」


 そう言われたら素直に納得してしまう。

 輿入れに際してドレスを作ってもらう時も、母と姉が、


「新婚の花嫁が身につけるのだからちょっとくらい華やかにしないと」


 と言っていたけれど、完成したドレスは全部淡い色だった。普段地味なドレスばかり着ていたから、あまり濃い派手な色にしては嫌がるかもしれないという配慮だったのだろう。どうでもよくて丸投げしていたことが、なんだか申し訳ない気持ちになった。


「だったらそのメイズって色にしてみます」

「畏まりました。では一着目はこちらで、二着目はどう致しましょう?」

「え?」

「小侯爵様から、三着新調するよう承っております」


 来た意味あるのか、というほど空気状態の隣に座っているペイトンを見る。ペイトンは、アデレードの視線をどう解釈したのか、


「いや、必要な分だけ買ったらいいが、取り敢えずの話だ」


 と言ってきた。


(誰も何も文句なんかつけてないけど)


「え、いえ、三着も必要ないです」


 この店が有名店であることはジェームスから聞いているし、オーナーデザイナーがわざわざ応対していることを鑑みても、そんなにほいほい注文するような値段のドレスではないだろう。


「夜会に出席せねばならんし、観劇にも行くだろう。最低でも三着くらいは用意する必要がある」


 この男は私が着の身着のまま嫁いできたと思っているのか、とアデレードは閉口した。


「奥様、小侯爵がこう仰っているのですし甘えてしまってよろしいのではないですか? 自分の妻を着飾りたいのは男心というものですよ」


 グラディスがペイトンを援護する。全然そういうのじゃなく契約的なアレです、と言えば誤解は解けるけど、他人にペラペラ喋ることでもないし、商売人なんだから売れる物は売りたいだろうな、とアデレードは思った。別にこっちも買ってくれるなら買ってもらうだけだ、とも。


「旦那様、有難うございます」

「いや、別に……」


 それから、ペイトンはまた無言になった。アデレードは、グラディスに勧められた赤と紫の見本地の中から結構悩んで二着目にルージュを三着目にオーキッドを選んだ。


「では、次はドレスの型を選んでいただきます。実物を見た方がわかりやすいのでこちらへ」


 隣室へ促される。衣装室になっているらしい。入ってみると壮観、の一言に尽きた。応接間とはまるで違い広い部屋の壁一面がドレッサーになっており、グラディスがデザインした歴代のドレスが所狭しと掛けられている。ドレスには流行り廃りがあるが、永続的に愛されている版権フリーの古典的な型も存在するし、その古い型に今風のアレンジを施すニューレトロなんてのが最先端だったりする。

 アデレードは実物のドレスを見ると急に購買意欲を掻き立てられた。心が躍る、というのか、自然に顔が綻ぶのを感じた。

 グラディスの他にアシスタントの女性が二人来て、あれでもないこれでもないそれがいい、と散々悩み抜いた。その間ペイトンは一切口を挟まず、かといって応接室に座っているわけでもなく、衣装室の入り口に黙って立っていた。「仕事に戻ってください」と言うのは金だけ払わせて追い出すようで躊躇われるので、アデレードは放置していたが、流石にグラディスは無視できず、


「小侯爵様は如何思われます?」


 みたいなことを何度か尋ねるが、


「彼女が好きなようにしてやってくれ」


 とだけ返される無意味な会話が続いた。ただ、面倒くさそうとか不機嫌な様子は全くないのがアンバランスだった。


(掴みどころのない人ね)


 とはいえあまり待たせるのも申し訳ないので、型だけでも早く選んでしまおうと思った。それが終われば採寸になるから、ペイトンは流石に先に帰るはずだ。


「オーキッドとルージュはこちらの型で作成しますね。メイズは、如何しましょう?」

 

 ただ、最後のドレスだけがなかなか決まらなかった。アデレードの選んだドレスとグラディスの勧めるドレスの型が異なったから。別にアデレードが強気で押せば済む話だが、デザイナーが勧める方が自分に合っているのかもしれない、と考えると下手に意見を言わない方が良い気がしてくる。

 アデレードが選んだのは、全体にフリルが施されたプリンセスラインのドレスで、結構ボリュームがある。三年前、デビュタントの時に選ぼうとして止めたドレスに似ている。当時大人気だった歌劇のプリマドンナが着用していたドレスだった。デビュタント前となれば、誰がどんなドレスを着て参加するか噂が飛び交っていて、プリマドンナを真似たドレスを選ぶ子は多くいた。学園一の美人と評判のルグオン伯爵令嬢もその型を選んだと聞いた。だから、アデレードはそのドレスはやめた。レイモンドは両親の手前エスコートを引き受けてくれたけれど、会場に行くと他の女の子達に囲まれるに違いない。ルグオン伯爵令嬢とも仲が良いことは知っている。美男美女の二人が睦まじくする横で、その美人と同じドレスを着た自分。どちらが似合っているかなんてお察しすぎる。結局アデレードは「これを選んでおけば間違いない」という定番のクラシカルなドレスを選んだのだ。そして、奇しくも今グラディスが勧めるのはクラシカルデザインだった。色が華やかだからシンプルに仕上げると美しい、と。多くの令嬢のドレスを見立ててきたグラディスの審美眼に従う方がきっと正しい。夜会で挨拶周りするのに、不似合いな衣装を着るわけにはいかない。何を着てもビシッと似合う美人だったら良かったなぁ、と思いながらアデレードは、わざとらしいくらい明るい声で、


「……私にはそっちの方が似合いますか?」


 と言った。質問してみたが殆ど答えは決めていた。が、


「君が好きな方を選べばいいじゃないか」


 返答したのはグラディスではなくペイトンだった。余計なところでいらぬ世話を焼いてくる人物だと、昨夜の時点で大体掴んでいたが、ここでも口を挟んでくるとは予測しなかった。ずっと彫刻みたいに動かなかったから。


「……私あまりセンスのよい方ではないので。結婚して初めての夜会に参加するなら、少しでも似合っている服装の方がいいと思いまして」

「似合うか似合わないかより、君が好きか嫌いかで決めればいい」


 男性が妻を着飾らせるのは周囲に愛する妻を自慢するためだったりするんじゃないのか。ペイトンにとって自分はそういう対象でないことは理解できるが、似合わなくていいとか本人に言う? ただ、全く不快な気持ちにはならなくて、


(私は誰に遠慮してたんだろう)


 と、何かがストンと落ちたように感じた。自分の好みは二の次で、レイモンドに好かれるように、気に入られるように、ということばかりに神経をすり減らせてきた。幸いペイトンはこっちに興味がないし、妻の服装にとやかく言うタイプでもないらしい。だったら、好きなドレスを着て人生楽しまないと損じゃないか、と。


「……そうですね。だったら、こっちの型にします」 


 アデレードは手に持っていたドレスを自分に宛てがいながら言った。


「そちらも十分お似合いになりますよ」


 グラディスがフォローするように言ってくれた。しかし、ペイトンは何故急に横槍を入れてきたのか謎すぎるくらいに、再び石像みたいに反応しなくなった。ただ、アデレードの気分は(すこぶ)るよかった。一生に一度のデビュタントに好きなドレスを着なかったことだけは、今更悔やまれたのだけれど。

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