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 晩餐の翌日、ペイトンは朝からジェームスを呼びつけ、


「ダレスシトロンのドレスをオリジナルで二、三着作りたい。オーナーに連絡を取ってくれ」


 と言った。

 近年のドレスの主流はセミオーダーになっている。デザイナーが考案した基本の型のドレスに、お針子が購入者に似合うアレンジを施して一週間ほどで完成させる。ベースがあるので似たデザインにはなるが、有名なデザイナーのドレスには注文が殺到するため、逆にそれが流行に繋がる。

 オリジナルとは、デザイナー自ら縫合するドレスのこと指す。高級店になると腕の良いお針子が何人も雇用されているため、仕上がりでいうとデザイナー本人とお針子が縫ったドレスとは遜色がない。だが、オリジナルにだけデザイナーのロゴが付けられるため、お針子のドレスの倍額以上の値がつく。ただ見えない場所に小さなロゴが付いているかどうかの違いだ。しかし、そこは見栄と体裁を気にする貴族のこと。推して知るべし事案だ。


「ダレスシトロンのオリジナルですか?」

「あぁ、夜会に参加せねばならんからな」


 誰のための夜会のドレスを作るのかを尋ねるほど野暮じゃないが、わざわざオリジナルを、しかも二着も三着も作るというのは違和感がある。ペイトンは金遣いの荒い女性を毛嫌いしている。同じ品質のドレスをわざわざ高値で購入する女性は嫌悪の対象のはず。それに、アデレードには品位保持費を渡している。バルモア家からの持参金を横流しただけだが、普通なら滞在費を差し引くところを全額渡す予定だ。ペイトンの厳命だった。ペイトンなりに事業提携が絡んだ大事な取引先の娘という意識があったのか、持参金以上の金はお前には出さないからこれで賄え、という意思表示であったのか。真意は不明だが、いずれにせよドレスを購入するならば、当然品位保持費からの支出になるはずだ。しかし、ペイトンの口振りは自分が購入するような言い方だ。


「旦那様がプレゼントなさるのですか?」

「プレゼントじゃない」


 ジェームスの質問にペイトンがぴしゃりと答える。だったら、


「奥様に口利きを依頼されたのですか?」


 とジェームスは尋ねた。

 ダレスシトロン服飾店は王都で一、二を争うデザイナーの運営する店だ。なかなか予約が取れないし、オリジナルの注文は一見の客は断られる。フォアード侯爵家の営む貿易商では生地や糸の輸入も行っているため、懇意にしている服飾店は多く、ダレスシトロンもその一つで、ペイトンからの依頼ならば優遇される。紹介してくれとアデレードが頼んだならば納得は行くが、


「頼まれてはいない」


 とペイトンはまたすげなく答えた。


「え、それは拙いでしょう。ダレスシトロンのオリジナルともなれば値が張りますから、二着も三着も購入したら、奥様にお渡ししている今月分の品位保持費じゃ賄いきれませんよ。それにあれは奥様が自由に使える予算です。旦那様が勝手に使用目的を決められません」

「なぜ品位保持費の話になるんだ。僕が払う」

「プレゼントじゃないって仰ったじゃないですか」

「フォアード家の嫁として参加する夜会用のドレスなんだから僕が買うのが筋だろ」


 それを人はプレゼントと言うんだ。この間までこんなおかしな発言をする人間ではなかったのに、と思いながらもジェームスは突っ込むのはやめた。何はどうであれペイトンがアデレードを気遣うことは喜ばしいことだ。とはいえ、ダレスシトロンのオリジナルドレスを何着も購入するのはやり過ぎではないか。ペイトンの個人資産からすれば痛くも痒くもない額だが、いくつも贈るような品じゃない。


(意外と貢ぐタイプなんだな)


 フォアード侯爵も(くだん)の妻には好きに買い物をさせていた。血筋なのかもしれない、とジェームスは生温かい目でペイトンを見た。


「なんだ」

「いえ」

「言いたいことがあるなら言え」


 言ったら絶対に怒ることは予測できるのでジェームスは、


「何故急にドレス云々の話になったのかと思いまして。結婚した時点で夜会への挨拶回りをすることは分かっていたじゃないですか。奥様は、輿入れに沢山ドレスをお持ちになっておられますし」


 と返した。同時に、ペイトンが昨日ドレスアップしたアデレードを褒めなかったことを思い出した。「ちゃんとする」と宣言したわりにぐだぐだだった。さっきまで注意してやろうと意気込んでいたが、タイミングを逃してしまった。


「……昨日、食事の席にロベルタ伯爵が挨拶に来た」


 ペイトンが独り言みたいに溢す。

 ロベルタ伯爵は、領地でのワイン開発に成功し、ここ十年ほどで富をなした新興貴族だ。高位貴族に取り入ろうという腹底が透けて見える男だが、野心家であることは悪いことではないし、フォアード家にとって有害でもないのでほどよい距離感で親交をしている。


「それがどうかしたのですか?」

「帰りの馬車で、彼女がロベルタ伯爵の娘は僕に気があると言うんだ」


 一体何の話をしているのか。新妻が焼きもちを焼いたので、機嫌を取るためにドレスを購入する話か。そんな馬鹿な、とジェームスが返事に困っている間に、ペイトンは続けた。


「それで、その娘が彼女のことを値踏みして自分が勝っていると舐めた態度を取ったらしい。父上はちゃんと気づいて彼女を擁護したそうだ。『貴方はそれに気づいたか、気づいていないだろう。恐らく今後も自分と貴方は不釣り合いだと不躾に嫌味を言ってくる人間は出てくるけれど、私は全く我慢する気はないしやられた分だけやり返すから、助けてくれないのは仕方ないけど、相手の女性の味方だけは絶対にしないでください』というようなことを言われたんだ」


 うわぁ、とジェームスは思った。それって信用ゼロの絶対ダメなやつじゃないか、と。


「……それで、旦那様はどう答えたのですか?」


 恐る恐る尋ねると、


「僕は妻が馬鹿にされて黙っているような恥さらしじゃない、と」


 と回答がきた。思いのほかまともな答えをしているのでジェームスは安堵した。が、


「そしたら彼女は『でも馬鹿にされていることに気づかないじゃないですか。だから、それは構わないんですけど、私が急に攻撃的な発言をしてもやり返しているだけですから私を窘めるようなことはしないで頂きたいんです』って……失礼じゃないか? 君を大切にすると契約しているんだから、ちゃんと守ると言ったのに『ふうん』みたいな反応だったんだぞ!」


 ペイトンが憤慨して言う。

 だから高額なドレスを贈って妻を大切にしているアピールをするつもりなことには合点がいったが、アデレードが望んでいることはそんなことじゃない。それに頑なに「プレゼントじゃない」と言い張るところが意味不明だ、とジェームスは思った。女性に関しては複雑な思いがあるのだろうが、拗らせすぎだ。それでもジェームスはフォローしておいた方がよいだろう、と、


「……これは侍女のバーサから聞いた話ですが、奥様には幼馴染の男がいたそうなんですが、他の女性を褒めそやして、奥様を貶めるような碌でなしで、奥様は謂れなき嘲笑を受けていたそうです。だから、きっとそういうことには敏感なんですよ」


 言うつもりがなかったことを話した。

 これは事前に調査していたアデレードの噂と本人の様子があまりに違う為、ジェームスが直接バーサに尋ねて知り得た情報だ。バーサは初めは渋っていたが、


「リコッタ家の嫡男に執心なさっていたのは承知してます。結婚前の話を詮索するつもりはないですが、聞いていたのが良い噂ではなかったので、実際お会いした奥様の印象と違和があるんですよ」


 と告げれば、真実を語ってくれた。

 アデレードが誹謗中傷に対して言い返さず我慢し続けていたため、周囲の人間の殆どが噂を真実だと思っているのだ、とバーサが悔しがっていた。ジェームスは依頼した調査会社を訴えたい気持ちになったが、余計な手間だと思い直した。二度と使わないが。

 

「なんだそれ。聞いていないぞ」

「私も先日知りましたから」


 ペイトンが不機嫌に言う。さっきから怒っていたので、何に苛ついているのかはよくわからない。


「随分、失礼な男だな」

「えぇ、ですからここへ夢と希望を持って嫁がれてきたのでしょう」


 アデレードが屋敷にやってきた日の言葉を借りて言う。ジェームスはあれがアデレードの本心とは思っていないが、ペイトンはえらく神妙に考え込んでしまった。

 ジェームスはその様子を黙って見ていた。

 ペイトンも歪んでいるが「やられたらやり返すが文句を言うな」と宣言するアデレードも問題がある気がする。だが、それが功を奏してペイトンが四六時中、自分の妻のことばかり考えるようになった。ペイトンは、触るな寄るな関わるな、で一年突っぱねるつもりでいたはずだが喜ばしい誤算だ。このまま破れ鍋に綴じ蓋でうまくいってくれないか、と願ってしまう。この先、ペイトンの絶対条件である金も地位もありペイトンに言い寄らない令嬢が現れたとしても、そんな令嬢はそもそもペイトンとは結婚しないだろうから。


「奥様を大切にして差し上げてください」


 ジェームスは一抹の希望を託して告げた。

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― 新着の感想 ―
[一言] pixivから拝読しておりました。榊どらさんの描く世界は、私のストライクゾーンど真ん中なので何度も読み返したくなる作品ばかりです。今作も楽しみにしております。
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