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 バーサに髪を結い上げてもらい、ドレスに袖を通した。茶色の布地に、銀糸で咲かせた鈴蘭が静かに連なっている。スカートの裾を揺らすと、花先に添えられた小さなダイヤモンドが朝露の名残のようにきらめく。


「本当に美しいドレスですね。それに、アデレード様によくお似合いです。本日のパーティの主役になってしまいますね」


 うっとりと大袈裟に感嘆の息を吐くバーサに、アデレードは苦笑いした。


「褒めすぎでしょ」

「そんなことありませんよ」


 大真面目な返答に、これ以上否定するのも野暮な気がして、アデレードは素直に受け取った。


「こちらもお召しになるのですよね?」


 バーサの手のひらで、青いガラス石のブローチがほのかに光った。


「……うん」


 頷くと、バーサが胸元の中央へ丁寧にブローチを留めてくれる。


「まるで、初めからこのドレスのために誂えたようですよ。よく映えます」


 その言葉に促され鏡の前に立つ。よそ行きの自分の姿が、何処か気恥ずかしくて落ち着かない。「卒業式なんて絶対に出ない」と、あれほど頑なだったのに、今は浮ついた気持ちで支度をしているのが何だか可笑しかった。


「旦那様と奥様をお呼びしますね」


 そう言い残して、バーサが部屋を出ていく。卒業式の後、両親に感謝を伝えるというのがノイスタインの不文律だ。すでに結婚している身で「お世話になりました」を今更言うのも変な気がする。けれど、あの時は「じゃあ、ちょっと行ってくるから」と、何の感謝もせずにさっさと出掛けてしまった。


(本当に勝手よね)


 アデレードは深く息を吐いて鏡に近づいた。瞼の下にそっと触れる。バーサに化粧を整えてもらった顔には、もう涙の痕は残っていない。


「アデレード、入るわよ」


 ノックの音とともに、両親が部屋へ入ってきた。アデレードは振り向き姿勢を正す。


「よく似合っているわ」


 ナタリアの明るい声に対し、エイダンは無言のまま。それでも、表情に感慨が滲んでいて、アデレードは思わず微笑んだ。


「……えっと」


 一拍置いて口を開く。思ったより声がうわずって、自分でも驚く。胸の高鳴りに気持ちが追いつかず、焦りながらも言葉を継いだ。


「無事に卒業できました。いろいろと心配も、迷惑もかけたと思うけど……これまで育ててくれて有難うございました」


 言い終えた後、言いたいことの半分も伝えられていない気がして歯痒くなった。もっと気の利いた言葉があったはずなのに、と。けれど、


「いやぁね、貴女って子は。急にしおらしいこと言わないでちょうだい」


 目頭を押さえるナタリアの様子に、アデレードは拍子抜けした。月並みな言葉しか言っていないのに感動しすぎでは? とつい笑ってしまって、


「本当に感謝しているのよ。自由にさせてくれたこと……結婚のことも……無理ばっかり言って、ごめんなさい」


 もう一度、ありきたりな言葉でも心からの思いを伝えた。


「お前が幸せなら、そんなことは容易いことだ」


 エイダンが静かに言葉を紡ぐ。重く優しい響き。だが、その「幸せ」という言葉に、アデレードは胸の奥が痛んだ。不幸になってレイモンドに当てつけてやろう、という無茶苦茶な理由で結婚した過去の自分を思い出して、呪いたくなった。とんでもない親不孝者だ。なのに、


「これからもずっと自分に正直に生きなさい。ちゃんと考えて出した答えなら、私達はそれを応援するから」


 変わらず自分を甘やかす言葉に、情けないくらい胸の奥がぎゅっと締めつけられる。


「……うん。有難う」


 かろうじて絞り出した声は震えていた。両親の柔らかな表情が目に入る。いつも傍にいてくれた、見慣れすぎた笑顔。今日はどうにも涙腺が緩い。化粧が崩れては困る、と慌てて、


「でも、まあ、他人に迷惑かけないようには気をつけるよ。嫌がる人間の元に突然嫁入りに押しかけるとかさ」


 と茶化すように言った。ペイトンを盾にして逃げてしまったことに、少しだけ後ろめたさを感じながら。


「彼は……良い男だな」

「え?」


 予想外の言葉にアデレードは目を丸くした。


「お前の幸せを、ちゃんと考えてくれる男だ」


 エイダンの真面目な顔つきに、アデレードは反応に困った。昨日、アデレードがドレス合わせをしている間に、ペイトンはエイダンと共に共同事業の見学に行っていた。何かあったのだろうか。


「昨日、旦那様と何か話したの?」

「ああ、そうだな。彼に直接聞くといい」

「何それ」


 思わず口を尖らせると、エイダンはただ静かに笑った。けれどアデレードは、それ以上問い詰めることはしなかった。エイダンの性格上、いくら尋ねても、もう何も教えてくれないとわかりきっていたから。


「そろそろペイトン様が迎えに来てくださる時間よね。その前に、セシリアもドレス姿を見たがっていたわ。行ってあげなさい」


 少しの沈黙の後、ナタリアが思い出したように部屋の時計を見て言った。


(お姉様、まだいるのね)


 昨日の馬車での会話が一瞬脳裏をよぎった。が、酔っ払いの戯言は無視するに限る。


「アデレード、卒業おめでとう」

「パーティー楽しんできなさい」


 両親の声が重なる。アデレードは背中を押されるようにして、温かな気持ちで部屋を出た。





 世の中、油断した時に惨事は起きる。セシリアが応接間にいると聞いてアデレードは意気揚々と乗り込んだ。驚かせてやろうとノックもせずに扉を開けて、


「じゃ、じゃーん。どうよ?」


 とドヤ顔でポーズを決めた。だが、ソファに座っていたのはセシリアではなく、ペイトンだった。


「え」


 驚いた表情のペイトンとばっちり目が合ったままアデレードは固まった。いくらなんでも不躾すぎる。せめてノックをしておけば良かった、と心の中で絶叫した。


「あ、あぁ、似合っている。……凄く」


 言いながらペイトンはゆっくり立ち上がった。


「あ、どうも……こんにちは」


 間抜けな返事をしてしまう。まともな人間ならこの状態で褒める以外ない。言わせた感がありすぎて居た堪れない。


「君の瞳の色なんだな」

「……そうなんです。両親が選んでくれて」

「その花、鈴蘭だな。花の先についているのはダイヤモンドか。主張しすぎないのに、意匠がはっきりしている。刺繍も配置が緻密で装飾というより構造の一部になっているようだ。布地の縫合も偏りがなく、沈み込みも歪みもない」


 めっちゃ講評してくるじゃん、とアデレードは呆気にとられた。おまけに相槌を打たずにいるとまだ続く。


「絞りは浅めだけど、腰から上へ視線を導くラインが計算されてる。胸元の切り替えとレースの合わせも丁寧で……」


 そこで、ふとペイトンが動きを止めた。


「君、それ……こないだのガラス石か?」


 目を見開くペイトンに、気づいたか、と思いながら、


「そうです。青い差し色がドレスに合うでしょ?」


 とアデレードは素知らぬ顔で答えた。


「それは普段使いにする約束だろ。話が違うじゃないか。こんなことなら、やはりサファイアにすべきだった」


 予想通りの反応に笑みが漏れる。


「君、何笑っているんだ」

「そう言うと思ったから」

「そう言うと思った上でつけたのか」

「はい」

「はい……」


 ペイトンの諦め顔に、アデレードは頬の内側を噛んで真面目を装った。


「でも、あれです、皆、ドレスに合わせて誂えたようだって褒めてくれましたよ」

「皆とは?」

「お母様とバーサです」

「二人じゃないか」

「二人ですね」


 ペイトンは一度口を開きかけたが、そのまま黙った。勝ったな、と思うと今度は堪えきれず、アデレードはへらへらと笑った。


「……君が変な登場をするから、礼が遅れてしまったな。ポケットチーフ有難う」


 完全に諦めたらしいペイトンが話題を変える。入室時のことは蒸し返すな、とアデレードは気まずくなり、ペイトンの胸ポケットに視線を落とした。挿されているのは、昨日レイン服飾店で相談し、ドレスと同じ生地で作ってもらったチーフだ。ホテルまで配達してもらった。


「いえ、無事に届いたようで良かったです」


 改めて見るペイトンの装いは、黒のタキシードに白のジャボタイ。上質な仕立てだが、奇をてらったデザインではない。それなのに、顔立ちや体格、生まれ持った素材の良さがすべてを引き立てている。


「……旦那様、ビシッと格好良く決めてきてくださったのですね」

「ビシッと格好良くかどうかはわからないが、まぁ、正装だよ」

「ビシッと格好良くなってますよ」

「そ、そうか……ところでもう出掛けられるのか? そろそろ時間だろう?」


 ペイトンの問いに、アデレードはようやく応接間に来た本来の目的を思い出した。


「用意はできてますけど、少しだけセシリアお姉様にドレスを披露してからでよいですか?」

「もちろん構わないが、セシリア夫人は、先程、君を呼びに行ったぞ。行き違いになったのか?」

「えっ、お姉様と一緒だったんですか? 旦那様、いつ来たんですか? お姉様、変なこと言ってなかったですか?」


 封印した昨夜の記憶が蘇り、アデレードは矢継ぎ早に尋ねた。


「着いたのは十分ほど前だ。セシリア夫人が案内してくれて、少し話をした。君が何を以て変なことと判断するかはわからないが、恐らく何も言っていないと思うが……」


 ペイトンが全部に律儀に答える。


「じゃあ、何の話したんですか?」

「え、何って……」


 ペイトンはアデレードに詰め寄られてたじろいだ。それが更にアデレードを焦らせる。しかし、間が良いのか悪いのか扉を叩く音がして、噂の本人が入室して来たので話は途切れた。


「アデレード、ここにいたのね。何処に行っていたのよ。部屋まで呼びに行ったのよ」


 いや、それはこっちの台詞でしょうよ、とアデレードは口を尖らせた。お陰で大恥をかいてしまったのだ。


「私、真っ直ぐ部屋からここまで来たんだけど?」

「怒ることないでしょ」

「怒ってない」

「気が短いわね。ペイトン様が困っているじゃない」


 セシリアが余裕たっぷりに笑う。振り向くとペイトンが「いや、僕は」と苦笑いしている。困らせているのはどっちなのだか、とアデレードは思った。


「ほら、くるっと回って見せて。よく似合っているわ、そのドレス。それに、」


 セシリアはアデレードの傍まで近寄り、


「ペイトン様から頂いたそのブローチも」


 と微笑んだ。アデレードはカッと赤くなったけれど反論はしなかった。下手を打てば確実に薮蛇になる。セシリアはそういう人間だ。嵐が過ぎるのと同じように、余計なことを言いませんように、と祈るしかない。もう早く帰れ帰れ、とアデレードが願いながら警戒していると、


「で、これは私から。昔、私が使っていたものよ。朝から大急ぎで取りに帰ったんだからね」


 そう言って差し出されたのは、小さな箱。蓋が開けられると中には青い石のイヤリングが収まっていた。心の中で悪態を吐きまくっていたのにプレゼントを渡されてアデレードは戸惑った。


「貴女、普段イヤリングなんてしないけど、今日ぐらいはつけて行きなさい。ほら、これ持って」

 

 有無を言わせず箱を渡され、片方のイヤリングを取り出されて、耳につけられる。


「ちょっ……くすぐったい」

「動かない」


 腰が引いて、けたけた笑うと叱られる。理不尽では? と思いつつアデレードは直立不動で耐えた。


「よし、いいわよ。くるっと回って見せてみて」


 何故、くるっと回らせたがるのか。しかし、アデレードは促されるままにその場でターンして見せた。慣れないイヤリングの感覚に落ち着かない。


「とっても素敵よ」

「……ありがと」


 ぼそぼそお礼を伝えると、セシリアは満足気に目を細めた。


「それ、私も卒業式でつけたのよ。でも、貴女はブローチの方ばっかり欲しがっていたわね」

「え、そうなの?」


 知らなかった。本当に微塵もイヤリングの記憶はない。ブローチのことだけはっきり覚えている。勝手につけて生命の危機を感じるほどに怒られたから。


「そうよ。まぁ、あれは譲れないから、貴女にも素敵なブローチを贈ってくださる方がいて良かったわ。やっぱり私の勝ちみたいよ?」


 セシリアが不敵に微笑むので、アデレードは慌てて、


「もうその話はいいの!」


 と制止した。

 

「何よ。負けず嫌いね。ペイトン様も大変でしょう。がつんと言ってやっていいんですよ」

「いや、僕は別に……」


 今のは負けず嫌いなどという範疇の話じゃないだろうに。形勢が不利すぎる。アデレードはどう反論すべきか考えたが「逃げるが勝ち」という格言以外思いつかず、


「もう時間だから出掛けなくちゃ!」


 と唐突に無理やり話を終わらせた。すると、セシリアは吹き出して笑った。いじめっ子この上ない。


「見送らなくていいから」

「はいはい。行ってらっしゃい」

「では、失礼します」


 丁寧に頭を下げるペイトンを、ぐいぐい押して部屋を出る。やれやれ、と思いながら廊下を歩いていると、窓に映る自分の姿が目に入った。耳には、見慣れないイヤリングが小さく光っている。全く、碌でなしの姉で困る。だから、ついにやけたことは、セシリアには絶対に秘密だ。

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