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月桂樹の公演は、十八時開幕だったため、終わったのは二十時半だった。その後は、近くにある馴染みのレストランへ向かった。
当初、観劇には母のナタリアも誘っていたが、
「式の前日でしょう? 私は遠慮しておくわ。貴女達もあまり遅くならないようにね」
と断られた。セシリアとディアナと劇を鑑賞した後は、レストランで延々おしゃべりするのがパターンだから、それを見越していたのだろう。今朝何の気なしにペイトンを誘ったが来なくて正解だったとアデレードは今更ながら思った。
「勿忘草の続編だっていうからラウラとダリルの話だと思っていたけど、まさか全くの第三者が主役とはね。また物議を呼びそうな終わり方だったし」
席に着き注文を終えて最初のドリンクが運ばれてくると、セシリアはグラスを片手に反省会でもするみたいに言った。
「ハリス公爵が告白すればすっきりハッピーエンドで終わったと思うけど」
アデレードが答えるとセシリアは、
「意外ね。アデレードはダリルと上手くいくのを願っていると思っていたわ」
と少し大袈裟に驚いた素振りで告げた。その反応になんとなくムッとなった。
「……私は、ラウラが幸せなら相手は別にダリルじゃなくていいわよ」
「あら、そうなの」
「そうよ」
「何怒っているのよ」
セシリアは笑っている。自分でもよくわからない胸のざらつきにアデレードは黙った。
「それにしてもラウラはなんだか嫌な女になっちゃったわね」
「あ、私もそれはちょっと思ったわ」
それまで静かに聞いていたディアナも賛同する。アデレードは目を見張った。
「何それ。何処が?」
「ハリスの好意に気づかないふりしているところよ」
「ラウラにだけ凄く甘い態度だったものね。あれで好意に気づかないっていうのは態とらしいというか」
「そう。なのに『私なんて、私なんて』って態度がちょっとね」
「わかるわ」
セシリアとディアナが交互に言う。アデレードはまた黙った。自分は全然そんな風には思わなかった。ハリスは好色家で誰彼構わず口説いては刹那の恋を楽しむ男だ。観客にはラウラに真摯な思いを抱いていることは明示されているが、それをラウラに察しろというのは無理な話ではないか。ラウラには、幼馴染でずっと仲が良かったダリルに突然掌を返されたトラウマもある。「この人、私を好きかも」なんて自惚れた思考になるはずがない。なれるはずがない。
(お姉様達にはわからないわよね)
記憶を辿ればセシリアもディアナも熱烈に求婚されて結婚した気がする。恋愛において強者なのだ、とアデレードは思った。失恋などとは無縁な人生を送ってきた人間の自信。それをこっちに当てはめられて嫌な女呼ばわりされるのは心外だ、とも。
「ラウラは自分に自信があるタイプじゃないから、女たらしのハリス侯爵が口説いてきても本気と思わないのは仕方なくない? それよりハリス侯爵が守りに入ってなんだかなぁって感じ。あんなにいろんな女性を口説いていたのに、告白せずに逃げるなんて」
「初めての本気の恋ってやつだから臆病になっているのでしょ」
「そんなのラウラには関係ないわ」
「だったら、ラウラの事情もハリスに関係ないじゃない?」
「なんでそんなにハリス公爵の味方をするの?」
「ただの感想でしょうよ」
答えてセシリアは笑った。そう言われたらぐうの音もでない。
「アディちゃんはラウラが好きなのよね」
とりなすようなディアナの言葉とほぼ同時に食事が運ばれてきた。ついでに会話もノイスタインで最近オープンしたレストランの話へ流れた。次々話題が変わるのはいつものことだ。蒸し返しても碌なことにならないのでアデレードは前菜に口をつけた。この店の酸味の効いたドレッシングは絶品で、アデレードの好きなサラダのベスト三に入る。すっかり忘れていた。久々に食べると格別に美味しい。ペイトンも来たら良かったのに、と先程とは真逆のことを考えながらアデレードは現金に機嫌良く食事を進めた。
二時間経過してレストランを出た時には二十二時半を回っていた。
「それじゃ、また。アディちゃん卒業式楽しんでね」
明後日にバルモア家に集まり身内だけで卒業祝いのパーティーを開く予定のため、ディアナは軽く挨拶して市内の自宅へ帰った。一方のセシリアは、今から郊外の私宅へ帰るのは疲れるから、とアデレードと共に実家へ向かった。これも観劇の後のいつものパターンだ。
「なんやかんやで遅くなったわね。お母様に叱られるかも」
「走って部屋に入れば大丈夫」
「それ、翌朝にお説教を持ち越すだけでしょ」
「明日は卒業式だから大丈夫」
「貴女って、昔からそういう聡いこと考えるわよね」
馬車の中、向かいあって座るセシリアはいい具合にワインが回っているらしく上機嫌だった。アデレードは、特に酒好きでもないので明日に備えて飲まずにいた。
「アデレードが卒業なんて私も歳を取るはずだわ」
何処ぞの誰もが口にするようなことをしみじみ言う。アデレードは、酔っているのだな、と適当に相槌を打ちながら車窓の外へ視線を向けた。
「明日は午前中は卒業式で、午後からガーデンパーティーでしょう。夜はどうするの?」
大半が生徒会の主催する夜会に参加する。そこへ出席するのかという意図で尋ねたのだろう。
「夜は旦那様がホテルでディナーを奢ってくれるって。グラテナホテルの夕食はまだ一度も食べていないから」
とアデレードは答えた。特に仲の良い友人がいるわけでもない。行っても楽しくない、とぼやいたらペイトンがディナーを予約してくれたのだ。
「ペイトン様って釣書から受ける印象と全然違うのね」
「そうかな」
「正直、どうなの? 上手くいっているの?」
セシリアが急に真面目な声音になるので、吸い寄せられるみたいに視線が向いた。
「何? 急に」
「心配していたのよ。手紙の返事も碌に寄越さないし」
そう言われたら返す言葉もない。
「心配しなくても平気よ。後五月間は仲良くやるから」
アデレードの返答に対して、
「ペイトン様って、アデレードのこと好きみたいよ」
会話の脈略に合っていない予期せぬ言葉が返ってきた。アデレードはどう返事してよいかわからなくなった。セシリアから揶揄っている素振りが微塵も感じられないから余計に。
「……あの人は私のこと好きじゃないよ。政略結婚なんだから円満アピールはするでしょ」
「その言い訳は流石に無理でしょ? あの人、明らかにアデレードに甘いもの。でも、別にいいのよ。向こうがあんたを好きでも、あんたが嫌なら嫌で。ただ、あんたがずっとつーんとして、私は知りませーんみたいな顔しているから意地悪だなって思ったの。酷いんじゃない?」
「……お姉様は何も知らないから」
「知らないって何を?」
アデレードは口篭った。「初対面でいきなり暴言を吐いたから、がつんと成敗して私に有利な契約を結ばせてやったのよ! だから、あの人は私を逆らえないの!」と暴露してしまおうかと一瞬思った。けれど、以前ジェームスに契約の不備を指摘されたことが目まぐるしく脳裏に走った。確かにそうかもしれない。あの契約は破綻しているかもしれない。だから今ここであれを言っても意味がない、と。でも、
「君を愛することはないって」
「え?」
「あの人が私に言ったのよ。だから、お姉様の言うことは間違いだし、とやかく言われたくない」
契約なんか関係ない。契約する前に、最初にペイトンがそう言った。そうだ。あの時、ジェームスにもこう言い返せば良かったとアデレードは思った。
「それ、いつの話?」
「最初に会った時」
「人の気持ちって変わると思うけど」
「関係ない。自分で言ったことの責任は取るべきでしょ」
「……わかったわ。私、別にペイトン様の味方じゃないからさ。私の妹にそんな舐めたこと言う奴は地獄に落ちろって思うし。なんなら私が懲らしめてあげようか?」
アデレードはぎょっとした。本気とも冗談とも取れるが、一つ明らかなのは、セシリアならやると言ったらやる。
「……謝罪は受けたからもういいの」
「でも、根には持ってるんだ」
「根になんて持ってない」
「ふーん。まぁ、あんまり頑なにならないようにね」
それは一体どういう意味か。含みのある物言いにもやもやしたが聞き返さなかった。無視するのが最適解に思えた。頷きも拒否もせずアデレードが沈黙を通していると、
「そうだ。いいこと思いついたわ。賭けをしましょう。明日、ペイトン様に直接聞いてみなさいよ。もしペイトン様がアデレードを好きじゃなかったら、あんたが欲しがっていたルタの鞄あげるわよ」
セシリアは少しだけ笑って続けた。
「え、あの限定の赤いやつ?」
アデレードは思わず反応をしてしまったが、
「そんな下らない賭けなんてするわけないでしょ」
と我に返って呆れたように答えた。何故蒸し返してこんな話になるのか。さっき「わかったわ」と言わなかったか。馬車の揺れのせいで更に酔いが回ったのじゃないか、とアデレードは思った。
「どうして? あんたの話が正しいなら、私のこと好きじゃないですよね? って聞けばお得に鞄が貰えちゃうのよ? 特に罰則もないわよ」
「人の気持ちを賭けにするなんてクズのすることだからね!」
アデレードが注意するとセシリアは肩をすくめた。
「やるかやらないかはアデレードに任すわよ。これって卒業祝いの大盤振る舞いよ?」
「だから、やらないって」
撥ねつけて返してもセシリアは笑うだけだった。この酔っ払いが、とアデレードはくさくさ思った。




