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「明日ブローチ早速使わせてもらいますね」
「そうか。だったら僕も着けていくよ」
新しい物好きなアデレードが伝えると、強制したつもりはないがペイトンも同調したので、本日のセシリア主催の茶会にはブローチを付けて参加することにした。青いガラス石ならドレスも青か、とクローゼットを開いて目についたのは、園遊会用にフォアード侯爵にプレゼントしてもらった薄青色のドレスだった。ブローチを差し色にしてコーデすることもできたが、青に青ならまず間違いない、と本当になんの気なく選んだ。部屋付きの侍女に着付けてもらい意気揚々とリビングに向かう。
「お待たせしました」
コリンズ邸は王都から二時間ほどの距離にあるため一時に出発することにしていた。特に遅刻はしていないが、アデレードが声を掛けるとソファに座っていたペイトンは振り向いて、
「き、君、そのドレスで行くのか? ブローチもつけて?」
と第一声で告げた。
いやいや、昨日このブローチを着けていく約束をしたはずだが。は? と漏れでそうな言葉をアデレードは辛うじて呑み込んだが、顔には思いっきり出ていたらしい。
「いや、違うんだ! 別に似合わないとかじゃなく……ほら、なんというか……あれだ……僕が独占欲で着させているみたいというか……いや、別に君が気にしないなら僕は構わないが……」
最後の方はごにょごにょと聞き取りにくいかったが、言わんとしていることはわかった。そして、ペイトンの瞳が青色であることに今更気づいた。銀髪に青い瞳。だとしたら購入したブローチはまるままペイトンの色ではないか。
(全然気づかなかったわ)
ペイトンの動揺しまくっている瞳を見ながら、同時に嘲笑されてノイスタインでは青いドレスを着ていなかったこと思い出したそして、それをすっかり忘れていた自分に驚いた。そうだったそうだった、と。だから、ブローチに合わせるドレスもフォアード侯爵にプレゼントしてもらったドレス以外に青がないんだった、と。
「じゃあ、着替えます」
「え、着替えるのか? 遅刻したらまずいし、そのままでいいんじゃないか」
お前は一体どうして欲しいというのか。アデレードが眉を寄せると、
「契約を遂行するには、丁度よいかもしれないな」
とペイトンはぼにょぼにょ続けた。ブローチだけでも外すべき? とアデレードは考えたが、ペイトンも襟にちゃんとラペルピンを着けている。というか、ブローチを着けたいから青いドレスを選んだのに本末転倒になる。
「……まぁ、お茶会と言っても、セシリアお姉様とディアナお義姉様と甥っ子達しかいないので。明日の夜会には着けていきません」
アデレードが妥協案を出すと、
「そうか……」
ペイトンは良いのか悪いのかわからないような返答をした。
(どっちなの!)
思うところはあるものの、なんの利益にもならないのにノイスタインに同行してくれたペイトンに対して、文句を言うのは気が咎めるためアデレードは「では、出発しましょうか」とだけ告げた。
ノイスタインにいる間は、バルモア家の馬車を自由に使うよう許可を得ている。アデレードが通学に使用していた馬車だ。レイモンドの屋敷へ向かいに行ってそこからはリコッタ伯爵家の馬車に同乗して学校へ向かった。奇しくも同じ道を通っている。
「ここって通学路なんですよ」
「へぇ、王都の割に緑が多い通りだな。紅葉樹じゃないか? 色付いたらさぞかし綺麗だろうな」
車窓から青葉の繁る街路樹を見つめてペイトンは言った。アデレードは五年近く毎日通っていたのに紅葉が美しいなどと思った記憶がなかった。返答できずにいると、
「君、どんな学生だったんだ?」
とペイトンは更に困ることを尋ねてくる。
「……調査書読んだんじゃないですか? 色々好き勝手言われて散々でしたよ。卒業式で、まだとやかく言ってくるようなら二度と這い上がってこれないよう根絶やしにしてやる」
急に着火したように答えると、ペイトンは一拍置いてから言った。
「そうか。しっかりやりなさい」
「え」
予想外の言葉だった。以前も似た会話をして、ペイトンは「ほどほどに」と答えた気がする。あの時は、イラッときて「なんで!」と詰め寄った。今度は怒りを買いたくなくて適当なことを言ったのではないか。それはそれで無責任ではないか、とアデレードは捻くれて思った。
「私、やると言ったらやりますけど」
「あぁ、一族郎党集まる最後の機会かもしれんからな」
ペイトンが生真面目に答える。冗談で言っている印象はない。
「卒業パーティーは旦那様がエスコートしてくれるんですよね? 巻き込まれるかもしれませんよ」
「あぁ、俗に言うあれだな。背中は任せろってやつ」
ペイトンは笑って言う。絡んでくるのは自分と同い年の令嬢達だ。ペイトンはなんだかんだで女性に優しい気がするから、やり込められる姿しか浮かんでこない。任せて大丈夫なんですか? などとは流石に失礼すぎて聞けないけれども。
ペイトンが再び外の景色に目をやる。なんと答えてよいかわからなくなったアデレードも、
「……ふうん」
とそっけなく答えて街路樹に視線を移した。流れ行く春の景色。新緑の若葉が光に輝いている。知らなかった。見ていなかった。紅葉したらまた来よう。そしたら、ペイトンに手紙を書いて教えてあげよう。若葉と紅葉はどちらの方が美しかったか。アデレードはじんわり思って目を細めた。
▼▼▼
王都から二時間。「庭が欲しいから」という理由で郊外に新居を構えたというだけあってコリンズ邸の敷地はかなり広かった。手入れの行き届いた芝生、四季折々に植え替えられるという花壇が目にも鮮やかで、更に子供用の遊具も設置されてある。執事に庭へ案内されながらアデレードは、
「ほら、あのブランコ。昔はわたしもよく遊びました」
と大きな欅の木に吊るされているブランコを指して言った。
「今でもたまに乗りますけどね」
「頑丈な作りなんだな」
「私そんなに重くないんで」
そんな意味で言ったんじゃない、と弁解したかったがその前に、
「ようこそお越しくださいました」
歓迎の言葉に遮られた。ガーデンテーブルを囲んで、コリンズ夫妻とディアナ、子供達が座っている。全員立ち上がり、
「主人も仕事の都合がついたので」
と当初参加予定でなかったエドワードが出席していることを告げた後、セシリアが子供達の紹介を始めた。
「息子のグレンと、そちらはディアナの息子のノアとキリアンです」
グレンは今年で十三歳、ノアが九歳で、キリアンが五歳になるという。
「フォワード卿、お会いできて光栄です。お土産も沢山頂いて有難うございます」
グレンが挨拶をすると、ノアとキリアンも丁寧に紳士の礼を執る。ペイトンは、母親の件で無理やり親子鑑定を受けさせられて以来、親戚とは不仲だ。付き合いは必要最小限しかしてこなかったため、これまで子供と触れ合う機会はほぼなかった。それでも三人の子供達が侯爵家の人間としてきっちり躾けられていることはわかった。
「アデレードが青いドレスなんて珍しいわね」
「ブローチに合わせたの。昔、お姉様がエドワードお義兄様に頂いたブローチみたいでしょ。昨日、旦那様に買ってもらったの。いいでしょ」
プレゼントしてもらったら怒られるから云々と言っていたくせに、ぺらぺら喋るアデレードにペイトンはぎょっとした。
「僕も彼女にこのピンをプレゼントしてもらいましたので」
とっさに庇うつもりで付け加えると、
「アディちゃん、ラブラブなんだね」
キリアンが悪意なく忌憚なく無邪気な子供の感想としていうので生温かい空気になった。固まるペイトンに比してアデレードは、
「そうよ」
ふふん、と勝ち誇って笑う。冗談で言ったのは明らかだがペイトンは動悸が止まらなくなった。
「皆、元気そうでよかったわ」
だがアデレードは全く涼しい顔で続けた。甥っ子達とは本当に仲が良いらしい。ぽんぽん会話が弾んでいく。アデレードが年上の顔をしているのが興味深かった。バリバラにいた頃は見せなかったリラックスした表情をしている。自由気ままに振舞っているようで、フォアード家ではアデレードなりに気を遣って生活していたことがわかる。
(第一声で屋敷の主人にあんなこと言われたら誰だって気遅れするよな……)
胸がざらついた。拒絶するなら拒絶するで誠意をもって対応するべき、とアデレードが主張したことが胸の芯に刺さったままある。
「旦那様はクリケットをやっていたらしいわよ。ねぇ?」
ペイトンが萎れている間に、話はグレンの学校の話題に進んだ。今は一年生だが進級すれば倶楽部に入部する資格を得る。乗馬かクリケットで悩んでいるらしい。
「あぁ、学生の頃はずっとしていたよ」
「そうなんですね。始めたきっかけってなんですか? 楽しかったですか?」
「バリバラはクリケットが盛んだから自然な流れだったかな。僕は今でも時折、試合に参加するが、当時のチームだよ。そういう意味では、乗馬は大人になっても始められるが、クリケットは学生のうちにチームに所属しておいた方がよいだろうね」
「……なるほど」
その発想はなかったようでグレンは目を開いた。迂闊な発言だったか、とペイトンはエドワードとセシリアの表情を確認した。進退に影響を与えるような発言ではなく、単純に楽しいか楽しくないかだけ答えればよかったのかもしれない。
「周りに率先してスポーツをやる人間がいないから、貴重な意見だな。相談できる方ができて良かったな」
エドワードの発言にセシリアも笑って頷く。嫌悪している様子はない。尤もまともな人間ならばこの場で空気を乱す発言などしないのだが。
「旦那様は、競技用のボートにも乗るのよ」
「競技用? そんなのがあるんですか?」
「あぁ、ノイスタインにはないらしいね」
グレンは随分とバリバラに興味を持ったらしく、やたらに質問を受けた。自国のことを聞かれて悪い気はしない。
「興味があるなら一度来てみたらいい。いつでも歓迎するよ」
「いいんですか?」
「あぁ、もちろん」
「僕も行きたい!」
「僕も!」
これまで大人しくしていたノアとキリアンが同時に口を開いた。
「もちろん、みんなで来るといい。汽車なら半日で着くから」
「汽車!?」
「汽車だって! ちょっと来て!」
「え」
言うなりノアとキリアンは立ち上がりぐいぐい手を取られた。二人の現在の最大の関心事は汽車らしい。どういう思考で結びついたのか、汽車好き仲間に認定されて持っているおもちゃを見せてくれるという。先ほどアデレードをいらつかせたブランコの方へ引っ張られる。
「こら、駄目よ」
母親のディアナが慌てて制止するが、
「いえ、大丈夫ですので」
折角仲間に入れてくれたのに無下にするのはどうか、とペイトンは二人について行くことにした。
欅の木でよく見えなかったがブランコの他に滑り台と砂場、木馬の乗り物も置かれてある。傍のテーブルには、二人が遊んでいたおもちゃの痕跡がありありと残っていた。この屋敷の一人息子であるグレンは既に遊具で遊ぶ年ではないから、現在のこの遊戯場の主はノアとキリアンなのだろう。
「ほら、これ見て!」
ノアが持ち上げたのはバリバラとノイスタイン間を走行している汽車のおもちゃだ。他にも違う車体が五つあるから理解して選んだのがわかる。ペイトンは残りの五つのうち二つのおもちゃが何処の国の車体かは知っているが、三つは初めて見た。
「その汽車に乗ってきたよ」
「いいなぁ!」
「この三つの汽車は見たことないな。何処を走っているんだ?」
ペイトンの質問に二人は熱く語りだした。大人顔負けの知識に舌を巻く。途中で椅子の上に置かれてある鞄から本を取り出してきて更に驚いた。汽車の本ではあるが子供向けではなく工学書だったから。
「こんなの読むのか」
「あのね、字はまだ読めないの。設計図だけ。レイ君にもらったんだよ」
「レイ君?」
ペイトンの疑問には答えずキリアンはじっとこちらを見つめてくる。
「ペイトン様は本当にアディちゃんとラブラブなの?」
「え」
脈略なく放たれた言葉に「急にどうした」という感情しかでてこない。
「そうだよ。さっきアディちゃんが言っていただろ」
ノアが代わりに答える。
「でも、ペイトン様は言ってなかったじゃないか」
「そんなことを聞くのは失礼なんだぞ」
「そうなの? なんで? ラブラブじゃないから?」
「ラブラブでも失礼なんだよ」
ペイトンは、二人が言い合うのを聞くだけでどうしようもできなかった。そもそも子供をどう扱ってよいかわからない上、ラブラブかどうかなど尋ねられたこともない。いや、ラブラブじゃないから「違う」と答えればよいのだが、子供達の言うようにさっきアデレードがとんでもない嘘を吐いたため、迂闊に否定できない。被害が全部こっちにきている。
「ペイトン様がレイ君からアディちゃんを取ったの?」
「え、いや……」
キリアンの言葉で「レイ君」が誰かはわかった。
「そんなこと言ったら駄目なんだって!」
「でも、レイ君は卒業したらアディちゃんと結婚するって言ってたのに」
「それはもういいの! ペイトン様がアディちゃんの運命の人だったんだから!」
「運命って何? なんで運命の人ならいいの? レイ君はアディちゃんと結婚するために頑張っていたんだよ? 勉強して、仕事も頑張って、両方やって偉いってお祖父様が褒めてた」
「それは前の話だろ」
「違うよ。こないだ本屋で会った時、レイ君頑張ってるって言ってたもん。僕聞いたもん」
「なんでそんなこと聞くんだ。余計なこと言うなバカ!」
「なんで! 兄上だって卒業したらまたレイ君と遊べるって言っていたじゃないか! バカって言うなバカ!」
顔を真っ赤にして今にも泣きそうなキリアンを見て、ペイトンは慌てて割って入った。
「いいんだよ。キリアンはレイ君を気の毒だと思って、ノアは僕に悪いと思ったんだね。二人とも有難う。でも、バカはよくないな。二人とも謝ろうか」
「でも……」
ノアがいろいろ察して空気を読んでくれることがひたすら苦い。そして、そんな心苦しい感情と並行して、
(今も頑張っているって、どういう意味だ?)
と、自分はレイモンド・リコッタについて何も知らないことに気づいてしまった。周囲からの評価は高いがアデレードを邪険にして手酷く振った男。碌でもない男としか印象になかった。まるで架空の悪役みたいに思っていた。生身のレイモンド・リコッタについて何一つ知らない。幼いキリアンが味方するくらいに、アデレードが酷い扱いを受けてもずっと庇うくらいに、良い部分があることも。レイモンド自身の言い分も。
(今も頑張っている……)
アデレードと結婚するために? 仮にそうだとしてアデレードはどうするだろうか。アデレードは知っているのだろうか。ぐるぐる思考が忙しなく巡る。が、不安そうなノアと目が合うとペイトンはハッと我に返った。
「僕とアデレードは一年間の約束で結婚しているんだ。だから、心配しなくても大丈夫。一年経ったらアデレードの好きなようにできるよ」
「アディちゃんの?」
「そうだ。だから、君達が喧嘩する必要なんてない。ほら、仲直りして。二人一緒に汽車に乗ってバリバラに来るんだろ?」
ペイトンの言葉に二人は素直に謝罪し合って、また汽車に熱中し始めたのでほっとした。レイモンドについて詳しく聞きたい気持ちはあるが、子供に喧嘩させてまで聞き出すほど下劣じゃない。それに正直逃げ出したい気持ちも強くあった。この話の行き着く先が自分にとってよくないものであることは否応なくわかる。知ってしまったらどうすればよいのか。だったら、せめて後五月は知らないままでいたかった。




