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「これが噂のグラテナホテルの朝食かぁ」


 アデレードは部屋付きの侍女が下がるのを見計らって、わーいわーいと傍目で見てわかるくらいはしゃいだ。

 パンケーキに蜂蜜、焼き立てのクロワッサン、ブリオッシュ、ホットビスケット、色とりどりのコンフィチュール、厚切りベーコン、ハム、オムレツ、南瓜の温かいスープとジャガイモの冷製スープ、五種類のフレッシュジュース、山盛りのカットフルーツ。一つずつ選りすぐりの食材が使用されている。珍しい物はないが毎朝家でこれほどの品数が出るかと問われれば否。


「美味しそう!」


 アデレードはにこやかにテンション高く食べ始めた。一方、昨夜の会食の気疲れかペイトンはぼんやりしているように見える。


「食べないんですか」

「え、いや、食べるよ」


 とはいえ至って何事もなく終わった夕食会だったとアデレードは思う。特に質問責めにはされなかったし、和やかな雰囲気でつつがなく幕を閉じた。明日コリンズ邸でお茶会に、明後日商工会が主催する大規模な夜会に、夫婦顔見せを兼ねて参加することを、ほぼ強制的に決められたことを除けば。


「これアーモンドと胡桃が入っているみたい。チョコレートのコンフィチュールなんて初めて見る」


 アデレードはブリオッシュに黄味がかった薄茶色のコンフィチュールを載せて頬張った。


「君は本当にチョコが好きだな」

「はい」

 

 他に答えようもないので素直に頷く。


(これ購入できないのかしら?)


 秘蔵のレシピなので無理なのだけれども。だったら宿泊中は、毎朝食べよう、などとアデレードが黙々と食していると、


「そう言えば、君、なんとか言う店のチョコレートケーキが欲しいのだったな」

「え?」


 ペイトンは言ったが、アデレードは、チョコレートケーキならいつでも欲しいので全くピンとこなかった。


「半年待ちのケーキが欲しいんだろ。調べたらノイスタインにしかない店らしいじゃないか」

「……あぁ、ルグランですか?」

「そうだ。買いに行くか?」

「だから、半年待ちなんですよ」

「伝手を用意してきた」

 

 なんとかという店、と濁した割にちゃんと調べてくれているらしい。


(伝手って……)


 つまり金と権力に物を言わせて購入すると言うことだろう。ペイトンは割とそういうことは平気でやる。談合やら忖度やら、貴族社会ならば日常茶飯事にあることだが、こんな私的なことに流用するのはアデレードには抵抗がある。「侯爵家の娘だからって」と言われ続けてきたことが地味に精神を削っているから。


「ズルは駄目でしょ。それに黒魔術も掛けてないし」


 アデレードが返すとペイトンは笑った。


「君は変なところで真面目だな。黒魔術の対価を払うために言ったんじゃない。甘い物好きな君が指定する店だから、僕も食べてみたいと思っただけだよ」


 だったら今から予約して半年後に行きましょう、とアデレードは言い掛けて止めた。その頃には白い結婚は終わっている。わざわざバリバラから来るほど食べたいわけでもないだろう。第一、結婚期間が終了したら関係はなくなる。友達でもない。仮に仕事や旅行でノイスタインに来たとして、ペイトンと自分が再び会うことがあるだろうか。


「……旦那様は、ノイスタインに来るのは初めてですか?」

「いや、三度目だ」

「国外旅行ってよくするんですか?」

「学生の頃は見識を深める為に、長期休暇のたびに近隣諸国を回っていたな。どうして急にそんなことを聞くんだ?」


 アデレードは一瞬言葉に詰まったが、


「いえ、初めてのノイスタイン旅行なら、今日は観光案内しようかと思ったのですけど、三回目なら主要な観光地は既に回ってますよね。何処か行きたい所ってあります?」


 と尤もらしいことを適当に述べた。


「そうだな。君は休日にはどんな風に過ごしていたんだ?」


 難しいことを聞いてくる。大概家にいた。レイモンドが勉強漬けの毎日を送っている中で自分だけふらふら遊びに行くのは悪いと思っていたから、友達と出掛けたりはしなかった。


「えーと、姉達とカフェ巡りしたり観劇したりですかね」


 セシリアとディアナが、そんな自分を気遣って強制的に連れ出してくれていた。何も言わなかったけど、多分いろいろ察していたのだろう。


「旦那様って学生生活を謳歌してますよね。旅行とかクリケットとかボートとか。私ももっとやりたいことをやれば良かった」


 あの時は、それでよいと思っていたはずなのに、欲深い考えが頭をもたげてアデレードは、どっと後悔が押し寄せた。

 

「例えば?」

「え?」

「君のしたかったことってなんだ?」

「急に言われても困りますけど……制服着て下町を見物するとか。うちの学校は平民の子も通っているから制服着ていたら貴族ってバレにくいんです」

「従者もつけずか? 危ないだろ」


 ペイトンは露骨に顔を顰めた。正常な反応。だから、皆、親には内緒で出掛ける。友人と、或いは恋人と。


「一時めちゃくちゃ流行った小説の影響です。家族と折り合いが悪くて孤独な公爵令嬢が下町のパン屋の青年と恋に落ちる話」

「身分的にそんなの無理じゃないか」


 ペイトンが素気無く言うのでアデレードは笑った。


「架空の話なんで。それに青年は隣国の王子だったってオチなんですよ。王都の北側のブルーメ商業区をモデルにしているから、二人がデートした場所をまわるのが流行ったんです」

「主人公を真似てお忍びで出掛けるわけか。確かに、分別のある大人がすることではないな」

 

 ペイトンが皮肉げに言うので、アデレードはちょっとムッとした。が、


「まだ間に合うのじゃないか?」


 とペイトンの続けた言葉に気が削がれた。


「間に合うって?」

「君、後五日は学生じゃないか。やりたいことやったらどうだ?」


 分別のある大人がすることではないんじゃないですか? と嫌味な返答が浮かんできた。多分、そのまま言葉にしたら「いや、違うんだ」と言い訳するのに百万リラ賭けてもいい。


「制服着て?」

「着たかったら着るといい」

「いえ、それはいいです」

「……そうか」


 ペイトンが微妙な反応をする。


「制服着た方がいいですか?」

「だ、誰もそんなこと思ってない。君が着たければ着ればいいと言ったんだ。学生時代のやり残しをするんだろ」


 ペイトンがあわあわ言うので、アデレードは笑った。確かに、学園生活の思い出作りなら制服を着た方がよいのかもしれない。でも、


「やっぱり制服はいいです」


 やり直しの思い出づくりじゃなく、ペイトン・フォアードとの思い出を作りたいと思ったから。







 お前のような平民がいるか、とアデレードはなんとも言えない気持ちで隣を歩くペイトンをチラッと見た。

 制服は着ないまでも街並みに馴染む服装をしよう、とブルーメ商業区に着いてすぐ服飾店へ入った。アデレードは深緑のワンピース、ペイトンは白いシャツはそのままで麻の黒いズボンを購入して着替えた。が、ルックスが良いのか着こなしが良いのか、ペイトンは全然町に馴染めていない。すれ違い様にわざわざ振り向く人間がいるくらい。


「背筋丸めて歩いてみたらどうですか?」

「え?」

「浮いているんですよねー」


 アデレードが見上げて言うと、ペイトンは、


「そんなことない。君こそキョロキョロして怪しいだろ」


 と眉を寄せた。


「私は馴染んでますよ」

「それ、君の主観だろ」

「まぁ、いいですよ。別にこそこそする必要もないんだし」


 アデレードは言ってすたすたペイトンの前へ出た。


「何処に行くんだ? 行きたい店でもあるのか?」

「時計台です。さっきのお店で教えてもらったんですよ。ここの通りを真っ直ぐ行けばいいって」

「時計台?」

「公爵令嬢とパン屋の青年が再会する記念の場所ですよ」

「それ一体どんな話なんだ?」


 そう言えば全く話していなかった。アデレードは、少し考えてから、


「ヒロインの両親はお互い外に愛人がいて、公爵家を繁栄させることにしか興味がない屑親で、政略のために婚約を結ばされた相手は浮気性で傲慢な王妃殿下の甥で、虐げられて暮らしているんです。で、ある日お茶会で婚約者の浮気相手の令嬢達に虐められて、婚約者にも嘲笑われて、いよいよぼっきり心が折れて自棄になるんです。それでいろいろあって破落戸に絡まれた所を青年に助けられて二人は出会います。ヒロインはその時の御礼をするため市井にお忍びで出掛けて時計台で再会するわけです。それから二人は密かに交流するうちに恋に落ちて、いろいろあって最後は青年が王子の地位を取り戻してヒロインを迎えにきてハッピーエンドです」


 と説明した。こうやって話すと全く大したことない物語に聞こえるのが残念でならない。


「省きすぎだろ」


 ペイトンが鋭く突っ込んでくる。だが、あらすじ的には本当にこんな感じだ。細かく語るときりがないし、正直うろ覚えの部分も多い。


「力尽きました」


 アデレードが返すとペイトンは笑った。


「あれですね」


 通りの突き当たりに小さな広場が見える。円柱に時計が付いただけの簡素な時計台がある。十字路に道が交差していて人通りは多い。


「なんか、ふーんって感じ」

「他人の出会いの場に来てもな」


 ペイトンが身も蓋もないことを淡々と述べる。アデレードも、当時は羨ましく思っていたが、感動がなさすぎて付いて来てもらったことに心苦しくなった。


「どういう再会をするんだ?」

「どういうって?」

「なんか、こう、決め台詞とか」

「そんなのないですよ。青年の働くパン屋が近くにあるから、この時計台の下で再会するんです。確か、そのモデルのパン屋があるはずですよ」


 アデレードは時計の下でぐるっと広場を見渡した。南の路地にそれっぽい店が見える。


「あのパン屋っぽいです。広場の近くで赤いテントが掛かっているって書いてあったから。行ってみていいですか?」


 朝食をたっぷり食べてきたので満腹ではあるのだが、ここまで来てあのパン屋に行かない道理はない。アデレードの提案をペイトンが拒絶するわけもなかった。

 「デリオーバー」と年代物の木製の看板がかかった店。店内は五人入れば満員というくらいの広さで、扉を引くとチリリンと涼やかなベルの音が鳴った。


「いらっしゃいませ」


 カウンターにいる年配の女性が感じよく笑う。

 甘い香りが鼻先を掠める。狭いし古いが清潔感のある店だ。パンの他に、クッキーや焼き菓子も販売しているらしい。小説内で具体的なパンは登場しなかったが、入店したからには何か買わねば、とアデレードが物色していると、店員の女性から声が掛かった。


「もしかして『ガラスの宝石』のファンの方かね?」

「え、はい」


 そんなタイトルだったなぁ、とアデレードは呑気に思い出しながら答えた。ペイトンは、少し警戒してアデレードより半歩前に出た。それに気づいたか気づいていないのか店員は、


「地元の人間以外でこんな小さな店にわざわざ来てくれるのはあの小説のファンくらいだからねぇ」


 と続けた。下手な変装のおかげか、物怖じしない人なのか、或いはいろんな客が来るからいちいち気にしないのか、フランクに話しかけてくる。


「素敵なお店ですね」

「有難うねぇ」

「このクッキーください。全種類二枚ずつ」


 狭い店内に居座るのも申し訳なく、特にじろじろ見るものもないので、アデレードはトレイに並べられている五種類のクッキーを指して注文した。


「あいよー」

 

 陽気な返事が返った。


「僕が払うよ」


 鞄から財布を出そうとするアデレードをペイトンが制した。


「いいですよ。この服も買ってもらったし」

「君、前から言おうと思っていたんだが、」

「お嬢さん! こういう時は有難うってにっこり笑って甘えておけばいいのよ!」


 店員が割って入ってきたので驚いた。アデレードが普段使用する店で従業員が会話を遮ってくることなどありえない。


「そうだぞ、君。ご婦人もこう言っているんだ」

「まぁ、ご婦人だなんて!」


 ペイトンと店員に謎の連体感が生まれたことにも困惑した。


「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて。有難うございます」

「いや、別に……」

「あらー、いいわねぇ初々しくって! おまけしとくからね」


 店員は、紙袋にトングでクッキーを詰めながら更に続けた。


「ガラス工房にはもう行ったのかい?」

「いえ、行ってないです」

「まぁ、じゃあこれから行くの? この通りを真っ直ぐ行って最初の路地を右だよ。わかりにくい店だけど職人の腕はいいからね。ブローチやら腕輪やら人気だよ。紳士のお兄さん、お嬢さんにプレゼントしてあげてね」

「わかりました」


 ペイトンが返事をするけれど、何もわかっていないだろうに、とアデレードは思った。感じのいい店員ではあるが、いらんこと言う人だな、とも。


「これで。釣りは結構です」


 五十リラという破格の安さに小銭がないペイトンは百リラ札を渡した。


「あらー、じゃあちょっと待って」


 気の良い店員が更に焼き菓子を二つおまけでくれた。


「最初の路地を右だからねー!」


 出口をくぐる間際に、また店員が教えてくれたので、なんなとなくガラス工房の方へ足が向く。


「快活な人でしたね」

「あぁ。それでそのガラス工房というのも小説にでてくるのか?」

「そうです。結構重要なアイテムを買う店です。タイトルにもなっているし」

「君、さっきは全然そんなこと言わなかったじゃないか」

「いろいろの部分に隠されていたんです」

「隠さないでくれ」

「すみません」

「いや、別に謝らなくても」


 ふふっとアデレードは笑った。


「行ってみるか」


 とっくに足はガラス工房へ向いているがペイトンが改めて言う。


「はい」


 手に持った紙袋を上下に揺らすとガサガサとクッキーが擦れる音がする。一枚一枚が大きくて丸めて叩いて焼いたような素朴な形をしていた。昔領地で乳母に作ってもらった物に似ている。就学する前は夏になると避暑に訪れていた。


「持とうか?」

「軽いので大丈夫です」

「そうか」

「さっきの話ですけど、重要なアイテムっていうのはブローチで、青年が公爵令嬢にプレゼントするんです。ガラス石のブローチです。体裁を気にする親にドレスや宝飾品は惜しげなく与えられていましたから、公爵令嬢にとってはガラス石なんておもちゃみたいな安物です。だけど、市井で働く貧しい青年の精一杯の贈り物だからその気持ちにとても喜んで大切にするんです。二人の間に淡い恋愛感情が芽生えた瞬間ですよ。でも、その関係は屑婚約者の与り知るところとなって破壊されます。自分は浮気するくせに結婚相手のことは支配したいタイプの屑だから、見せしめに青年の働くパン屋に圧力を掛けて潰そうとするんですよ。それで、公爵令嬢は青年に別れを告げるんです。ガラス石のブローチを投げ捨てて罵倒して嘲るんですよ。こんな安物で私が喜ぶわけないでしょ、とか、ただの暇つぶしよ、とか色々。で、青年が立ち去った後、公爵令嬢が、泥だらけになって必死に投げ捨てたブローチを探す名場面が誕生するわけです」


 アデレードが一気に捲し立てても、ペイトンは「へぇ」という反応で、語彙力! とアデレードは自分の説明力のなさに歯痒くなった。


「涙涙の名場面なんですけど」

「まぁ、それはそうだろうな。それで? その後どういろいろあるんだ?」

「青年は跡目争いで命を狙われて亡命中の王子だったので、見事王位に就いて公爵令嬢を迎えに来ます。ガラス石を渡した時に、いつか本物をプレゼントするって約束していて、本物の青いガーネットを贈るんです」

「なんだかチープなオチだな」

「私の語彙力の問題ですよ」


 アデレードは縁もゆかりもない作者に懺悔の気持ちが芽生えた。


「この店じゃないか。結構立派な店だな」


 路地を右に曲がってすぐ目についた真新しい建物。色ガラスが嵌め込まれた重厚な扉を開けて入る。既に五名ほど先客がいて各々展示の商品を見ている。宝飾品専門というわけではなく、食器やランプ、花瓶などガラス製品全般を扱っているらしい。


「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

「ブローチを見せて頂けますか?」


 答えると店員はピンときたようで「あちらにどうぞ」と装飾品の展示されているコーナーへ案内された。先客のカップルらしき二組の男女も同様にガラスケースを見ている。身なりからして貴族ではない。自分達と同様に変装している可能性はあるが、少なくともアデレードの知人ではなかった。

 

「宝石は展示していないので、ご用命ならお声がけください。展示のガラス石と同じカットができます」


 店員曰く、加工技術を買われて宝飾店からの依頼も多くあり、最近ではガラス石のみならず宝石も扱っているらしい。


「ごゆっくりご覧ください」


 にっこり笑って店員はその場を離れた。


(これって貴族ってバレているってことよね)


 主にペイトンのせいだとアデレードは思った。


「宝石も扱っていて良かったじゃないか。小説でも、結局、ガラス石じゃなく本物ガーネットをプレゼントしたんだろう? 僕もそうするよ」

「え、なんでそんな話になるんですか?」

「君にプレゼントするって、さっき婦人と約束したから」


 確かに約束していたが、あの店員との軽口に何の効力があるというのか。


「欲しいなら自分で買います」

「だから、君、さっきも叱られていただろ」


 特に叱られた認識はないが、ペイトンがどの会話を指してごねているかは理解できた。


「旦那様にこれ以上高額な物を買ってもらうとうちの両親に怒られるので」

「言わなきゃバレないだろ」

「隠し回ってまでプレゼントしてもらう必要ないでしょ」

「じゃあ、卒業祝いに贈るよ」


(じゃあって……)


 めっちゃプレゼントしてくるじゃん、というのがアデレードのみならず恐らくペイトンを知る多くの人間の感想だ。


「どの宝石がいいんだ?」

「公爵令嬢はガラス石より本物のガーネットが良かったとかいう下衆い話じゃないんです。二人の結婚式でつけていたのはガラス石の方なんですから!」


 アデレードの抗議にペイトンは、右眉だけ器用に上げて少しの沈黙の後、


「わかったよ。じゃあ、ガラス石にするといい」


 といかにも妥協しましたという態度で言った。どういう心理でいるのか謎すぎる。


「だったら、旦那様には私がプレゼントしますね」

「え」

「ラペルピンかカフスか、どっちがいいですか?」

「いいよ、そんなの」

「だったら、私もいいです」


 完全勝利したのでにやつくと、ペイトンは呆れたとも観念したとも取れる溜め息を吐いて、


「……ラペルピンにする」


 とぼそぼそ答えた。目立たないカフスの方にするかと思ったのに意外だ。


「お揃いにします?」

「おっ……君は何にするんだ?」


 もちろん冗談だったが、ペイトンが露骨に話を逸らしたので、アデレードは敢えて追求はしないであげた。


「私はブローチがいいです。青いの」

「公爵令嬢と同じだから?」

「いえ、この間昔のこと思い出したんです」


 アデレードは笑って、他人に語るのは憚られる黒歴史だがペイトンならまぁいいか、と思い続けた。


「昔、姉のブローチを持ち出して、死ぬほど怒られたんです。青いブローチでした。トラウマすぎて、私今でも青いブローチは一つも持っていないんです」

「可哀想に」

「ちょっと借りただけですよ」

「あぁ、トラウマになるほど怒らなくてもよいだろう」


 アデレードは目を瞬かせた。「可哀想に」は、碌でなしの妹を持ったセシリアに対する同情だと思っていたから。


「いろいろ前科があったので、まぁ仕方ないかもしれません。絶対触るなって言われてたし」


 全面的な加害者の分際で被害者面してしまったので、後ろ暗すぎてアデレードは加えた。ペイトンは何か察したのかちょっと笑って、


「その青色なんか綺麗じゃないか。ブルーサファイアのようだ」


 と目の前のブローチを指した。

 

「本当。綺麗。でも、石は四角より丸い形がいいです」

「だったら店員に聞いてみよう」


 ペイトンが片手を上げるとすぐに先程の店員が来た。


「このガラス石と同じ色で丸型はあるか」

「はい。ブローチ台はゴールドとシルバーがありますが」


 ペイトンがこちらを見るので、アデレードは姉のブローチを思い浮かべて答えた。


「シルバーがいいです」

「かしこまりました」


 工房が隣接しているので、と店員は奥へ下がった。ペイトンを見ると何故かそわそわしている。


「どうしたんですか?」

「いや……」

「旦那様は何色にします?」

「お揃いにするんだろう」

「え」


 拒否したわけではなかったらしい。だったら、別に青でなくとも良かったし、ペイトンの意見も聞いた。


「旦那様は青でいいんですか?」

「あぁ」

「気を遣っていません?」

「ピンクなら断ったよ」


 ペイトンが笑う。スマートな返しをしてくるので、アデレードは視線を外した。


(キラキラしてる)


 非常にキラキラしていて、多分小説の王子にも負けていない。だけど、ブローチを贈る相手は虐げられた静謐の美人公爵令嬢ではなく、反骨精神剥き出しの戦う平凡侯爵令嬢なのが残念な結果だ。


「おまたせしました」


 戻ってきた店員がいくつかのブローチをジュエリートレーに順に並べた。


「気に入った物はあるか?」

「これが好きです」

「では、これにしよう」

「じゃあ、次は旦那様の番ですね」


 無理に同じにする必要はない、ともう一度言う前にペイトンは、


「このブローチと同じガラス石のラペルピンは販売しているか」


 と店員に尋ねた。


「ちょうど同じデザイナーの作品がございます。在庫を確認して参りますね」


 デザインまで似ていると流石に気まずくないか。


「女性嫌いなのに私と同じデザインにして精神衛生上大丈夫なんですか?」


 心配になったアデレードは店員がいなくなると尋ねた。


「大丈夫だ。君は特別だから」

「え?」


 アデレードが咄嗟にペイトンに顔を向けると、


「……そ、そういう契約だろ」


 と慌てて付け足した。

 契約、という言葉にアデレードは「あぁ」と思った。ペイトンにだけ不利な契約であるため、すっかり忘れてしまっていたけれど、自分もまたペイトンに「愛されたいと望まない」と誓約していることを思い出した。だから、ペイトンは安心しているのか、と。同時に、以前ジェームスに契約の不備を指摘された時のことも脳裏に蘇った。ジェームスはとやかく言ったけれども、やはりペイトンは最後までちゃんと契約を履行する気なのだ、と。よかった、よかった、と。私達は所詮契約上の関係だ、と。だけど、


「ブローチ大切にしますね」


 考えとは裏腹な言葉が口を衝いた。これは、愛やら恋やらに関係なく人としての話だから、と言い訳めいた考えと共に。


「僕も大事にするよ」

「まだ、旦那様のは、気にいるデザインがくるからわかりませんよ。それにガラス石ですよ」


 ペイトンが真面目な顔で言うので、アデレードが気を紛らわすように笑って返した。


「それでも大事にするよ」


 やはりペイトンは真面目な声で答えた。でも、柔らかに目を細めている。


「……ふうん」


 アデレードはつれなく返事してペイトンから視線を外した。ブローチを手に取って、じっと見つめながら静かに呼吸を整える。

 ペイトンが美形で良かった、と思った。顔の良い男に微笑まれてドキドキするのは、よくあることだ。とても自然。皆、キャーキャー騒いでいる。つまりこれはそういうことで、なんの問題もない。ペイトンが美しいから、これは仕方のないことだ。美男子でもないのに、ときめいてしまったら、大問題だったけれども。これは大丈夫。問題ない。

 ペイトンが男前でよかった。本当によかった、とアデレードは繰り返し思った。

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