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ノイスタインに着いたのは夕方だった。事前に到着時刻を伝えていたため、駅にはバーサが馬車で迎えに来てくれていた。
「長旅でお疲れでしょう。ホテルで一休みなさってください。二十時にバルモア邸で夕食をご一緒に、と大旦那様から言付かっております」
三日ぶりに会うバーサはにこやかに告げた。
王都のタウンハウスに客人を招く場合、宿泊場所としてホテルを手配するのが高位貴族のマナーとなっている。嫁いできた嫁以外には例外はなく、当然、娘婿もその歓待を受ける。
「何処のホテルなの?」
馬車に乗り込むと発車と同時にアデレードは尋ねた。アデレードとペイトンが隣り合って座り、そのアデレードの向いにバーサが腰をかけている。
「グラテナホテルです」
「旦那様、歓迎されていますよ。お父様がグラテナホテルを使用するのは大事なお客様の時ですから」
「そういう品性に欠ける発言はおやめください」
ぴしゃりとバーサに窘められて、アデレードは唇を尖らせた。確かに客のランク分けについて嬉々として語るのは下品なのだが、ペイトンがまたそわそわし始めたので、緊張を解こうとして言ったことは汲んでほしい。それを暴露して反論するのはペイトンが気の毒なのでやめておいたが。
舗装された石畳みの道路を馬車で走ってニ十分。王都のど真ん中に建っているグラテナホテルは、王弟陛下が出資しているバリバラ屈指の老舗ホテルだ。歴代の王家専属料理人の秘蔵のレシピで作る料理が名物となっていて、宿泊客にしか提供しないことも付加価値を高めている。
バーサが既にチェックインの手続きを済ませていたらしく、ロビーを素通りして部屋へ案内された。
(ロイヤルスイート!)
アデレードは、自分は一度も宿泊したことのない一番良い部屋であることに興奮したが、またバーサに怒られるので黙って入室した。
「それでは、わたしは屋敷へ戻ります。十九時に迎えに参りますので。荷物は土産の品々と共に部屋に運んでおります。旦那様から皆様へ直接お渡しになるのがよいかと思いまして。迎えに上がる際、土産の品を運べるよう人手も連れて参りますので」
バーサは「ザ・侯爵家のできる侍女」よろしくつらつら述べて去って行った。
「先に渡しておいてくれて良かったのに……」
二人きりになった豪華な部屋でペイトンはぼそっと呟いた。
「それ、変でしょ」
本人が来訪するならば土産は本人から渡すべき、というバーサの考えは極正常な判断だ。何をそんなに気に病んでいるのか。結婚前に挨拶に訪れなかったことがよっぽどネックになっているらしい。つまりはペイトン的に最悪の愚行で、その愚行をわざとしたわけだ。
(よっぽど結婚が嫌だったってことよね)
アデレードはすんっとした気持ちになって、うじうじしたペイトンを放置して室内を見て回ることにした。
リビングは一面ガラス張で手入れされた絵画のような庭園が一望できる。アンティークな調度品で落ち着いた部屋の雰囲気も良かった。その他には、ダイニング、バスルーム、クローゼット、主寝室と個室が二つ。個室にもそれぞれ寝台がある。幼い時、ずっと泊まりたかった部屋だ。理由は、セシリアが夫婦で帰省するとき使用しているから。セシリアの夫はノイスタインの人間で、バルモア邸から馬車で二時間の場所に居を構えているが、偶に泊まりがけで遊びに来る時は、父がこの部屋を予約している。それを知って「お姉様だけずるいずるい」とゴネまくった記憶がある。
――アデレードが結婚したらちゃんと同じ部屋に泊まれるよ。
父は嗜めるというより慰めるように言った。
(あの約束を守ってくれたのね)
一緒に宿泊する相手は、あの日の自分が微塵も予測しなかった人物だけれども。しかし、今はレイモンドとこの場所にいる自分の方が想像できなかった。二人でいる時のあのピリピリとした不機嫌な空気をこの部屋に持ち込みたくない、と思った。
アデレードが一周回ってリビングに戻ると、ペイトンはソファの端に座っていた。後ろ姿がしょんぼりして見えて、ちょっと笑ってしまった。
「旦那様はお客様なんで主寝室を譲ってあげますね。私はあっち側の個室で寝ます」
声をかけるとペイトンは振り向いて、
「君、ここに泊まるのか?」
と目を見開いた。
「え、なんでですか?」
アデレードがむっとした表情になるとペイトンは言い訳めいて続けた。
「いや、違うんだ。家族と積もる話とかあるんじゃないかと思っただけだ。君がいいならいいんだが……」
「宿泊客しか食べれない朝食を食べたいんで泊まります。あ、卒業式の前日は実家に泊まります。多分、朝早くから髪のセットとか着付けとかで忙しいので」
「そうか。だったら、君が主寝室を使ったらいい」
「いえ、旦那様の方が体格がいいので。心配しなくても、どの部屋にも鍵もちゃんとついてますよ」
「そんな心配していない」
嘘つけ。今拒否したし、先日の湖畔のホテルでも鍵がどうのと気にしていたじゃないか、とアデレードは思ったが、口には出さなかった。
「じゃあ、私、ちょっと寝ます。なんか疲れたので」
「寝るのはいいが、君、今夜のドレスの着付けはどうするんだ? ホテルのスタッフを手配するのか」
「え? あぁ、バーサに着付けてもらいます。一時間前に迎えに来てくれるから間に合うでしょ。うちからこのホテルは十分くらいなんで」
アデレードは今はラフなワンピースを着ている。汽車移動で正装すると苦しいから選んだ。
「着古した方じゃなくて、ちゃんと新しい方を着るんだぞ」
「わかってますってば」
色々口煩い男だな、とアデレードは思った。
ペイトンは帰省するにあたり、アデレードに、またダレスシトロンで新たに二着もドレスを仕立ててくれた。服装にやたらに拘っている。前に作ってもらった三着と、フォアード侯爵からのプレゼントの一着と、バルモア家で準備してくれている卒業パーティー用のドレスを含めて合計七着。一週間の滞在予定なので七着必要というのがペイトンの考えらしい。
「そんなに毎日正装のドレスばっかり着ませんよ」
アデレードは訴えたがペイトンは「ないよりある方がいいだろう」と譲らなかった。それどころか前に誂えた分は「着古したドレス」だから全部買い替えろと押し問答まであった。三回ずつくらいしか着ていないのに、そんな馬鹿な、とアデレードは思ったが、
「バルモア侯爵家に対して不義理をした負い目があるので、せめて奥様を大切にしているアピールをしたいのでしょう。遠慮なく貰ってあげてください」
とジェームスにも説得されて、結局二着新調してもらうことで落ち着いた。そして、ペイトンは今夜、そのうち新品の方を着るように指定してきた。バルモア家の人間からしたら、どれも「嫁ぎ先で新調してもらったドレス」であるし、購入してから一年以内のドレスなら何処に着て行っても嘲笑されることなどないのに、いちいち細かい。
(うちの親、そんなに厳しくないんだけど)
何回も伝えているのにペイトンは勝手な妄想を膨らませていて呆れてしまう。
(まぁ、なるようになるでしょ)
ペイトンの希望通りちゃんと新しいドレスを着るのでもういいか、とアデレードは一休みするために黙って部屋へ向かった。
バルモア家に到着したのは予定時刻通りだった。
「ただいまー」
アデレードが学校帰りみたいに気安くダイニングへ入っていくと、着席していた全員が一斉に立ち上がった。
「やぁ、よく来てくれたね。アデレードの為に有難う」
父の挨拶に対して、
「え、いや、その、とんでもない。私の方こそ挨拶に伺うのが遅くなってしまい申し訳ありません。急な来訪にも関わらず宿の手配もして頂き恐縮です。改めまして、フォアード侯爵家のペイトンと申します。本日はお招きいただき有難うございます」
とペイトンが挙動不審気味に答えるので、アデレードは、自分がこの場を仕切らねば! と急に妙な使命感に駆られた。
「旦那様、父のエイダンと母のナタリア、姉夫妻でコリンズ侯爵家のエドワードとセシリア、兄夫婦のキースとディアナです」
それぞれ紹介に合わせて会釈を交わす。屋敷での会食ではあるが全員きっちり正装をしているのでペイトンは歓迎されているとわかる。
「甥っ子達は?」
姉のセシリアには十三歳、兄のキースには六歳と四歳の息子がいる。セシリアの息子のグレンとアデレードは五歳しか年が離れていないため、甥っ子というより弟という感覚に近い。
「うちの子は明日も朝から学校があるから、ディアナのところはもう寝る時間よ。皆会いたがっているわ。明後日うちでお茶会するの。予定がないなら顔見せにきなさいよ。もちろんペイトン様もご一緒に」
セシリアが最後はペイトンに向けて笑顔で答えた。ディアナも、うんうん頷いている。ディアナは元々セシリアの友人で、その縁でキースと結婚したため二人の仲はかなりいい。
予定があるかないか。卒業式に出席する以外何もない。これは絶対参加のやつなのでは? とアデレードは隣のペイトンをちらっと見た。
「有難うございます。ご子息達にも是非お目にかかりたいので来訪させていただきます」
ペイトンは感じ良く返した。子供が好きなんて聞いたこともない。そんな会話自体したこともないが。というか、
(断れないわよね)
ただでさえペイトンはバルモア家の人間に強い負い目を感じている。ここはやはり自分がペイトンを守らねば、とアデレードは思った。
「旦那様が用意してくれたお土産が沢山あるのよ。甥っ子達にもバリバラで流行りのボードゲームとかいろいろ。ダイニングに入りきらないから応接間に運んでもらっているわ」
とりあえずペイトンの株を上げようと試みたが、
「そんなことは先に言いなさい」
「え」
「入りきらないくらいって、貴女どんなに買って頂いたの。すみません、お気を遣わせたようで」
父に続き母が険しい表情でこちらを責めるので、アデレードは憮然となった。
「いや、そんな大したものでは……後ででも開封して頂ければ」
ペイトンが口を開くと、
「すまないね。では、食事が冷めるから後でゆっくり見せてもらうとしよう」
父が笑顔で返した。皆が席に着く。全然納得いかないまま、ここで揉めるのもどうかと思いアデレードも従った。
「アディちゃんのドレス素敵ね。バリバラ産のシルク地じゃない?」
空気を変えるようディアナが発言する。
「そうなんです。旦那様が帰省のために二着も仕立ててくれたんですよ」
アデレードは、再びペイトンを立てねば! と答えるが、
「貴女、前にもドレスを仕立ててもらっていたわね」
またもや母が厳しい顔で尋ねてくる。最初にドレスを三着作って貰った時、手紙に書いたことが脳裏に浮かんだ。あの時は、実家からお礼の品が届いた。
「そうだけど、旦那様が作ってくれるって言うから……」
「そんな何着も、本当にすみません」
「いえ、大したことでは」
ペイトンはひたすら苦笑いしている。嫁ぎ先で娘が大切にされていたら相手に感謝しても、その娘を怒ることなんてある? とアデレードは文句を言いたくなった。それとも白い結婚だから相手の家に負担をかけるのは拙いということだろうか。
(無理やり結婚決めたものね……)
フォアード侯爵にアデレードから手紙をだして直談判した上での婚姻だった。乗り気だったのは、フォアード侯爵と自分だけだ。両親からしたら、ペイトンは犠牲者だったりするのか。いろいろ考えたら、ペイトンの初手の発言は致し方ない気がする。
(いや、でも、あれはないか)
もし今この場で初対面の出来事を暴露したらどうなるのか。ペイトンは一気にアウェーに追い込まれるのではないか。
「アデレードがそんな型のドレスを着るなんて珍しいわね。バリバラ国の流行りなの?」
アデレードがよからぬことを考えていると向かいに座るセシリアが言った。
このドレスは、アデレードが断り続けていたらペイトンが勝手にオーダーした。アデレードが最初に作ってもらった三着のうち、一番気に入っていたメイズのドレスと同じ形。新調してくれたのは二着ともこの型だ。今着ているのは淡い紫でもう一つは桃色。一流デザイナーが作成しているので全部全く印象は違うが系統ははっきりわかる。バリバラで流行っているわけではない。ノイスタインにいた頃は一度も選ばなかったデザインだが、ずっと着たかったデザインでもある。それを知られたら何故ノイスタインではこれまで着なかったのか訝しく思われる。それは困る。どう返答すべきかアデレードが悩んでいると、
「彼女に似合うので私が選びました」
ペイトンが代わりに答えた。意外だった。てっきりデザイナーのグラディスが選んだと思っていた。それとも、ただのリップサービスだろうか。愛され妻契約は続行中だ。ポイント換算してくれるジェームスは不在なので自己申告になる。後でその辺を詰めねばならない。
「凄く素敵だわ。この子、いつも地味なドレスばかり着るから」
「本当によく似合っているね」
生温かい空気がダイニングに充満する。夫婦仲が良いことを家族にアピールするのは心配をかけたくないからだが、必要以上に勘違いされると非常に困る。しかし、フォアード侯爵が過度に期待して誤解していると感じた時、ペイトンが放置したことにやきもきしたが、実際自分の親が嬉しそうにしていると「これは契約の範囲内です!」とは言い出せなかった。
(親不孝しているものね……まだ、あと五月あるし心配させるよりいいかな)
ペイトンも同じ心境だったのかも、と今更ながらアデレードは思った。




