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 園遊会から帰宅したペイトンに、自室に呼ばれたジェームスは、部屋に入るなり開口一番に、


「ホイエット伯爵家、パターソン子爵家、サリバン子爵家とは今後一切の取引は行わない」


 という指令を受けた。

 

「園遊会で何かあったのですか?」

「大ありだ。彼女を侮辱したんだ。落とし前はきっちり払わせる」


 ペイトンが口にした三家とは特に主要な取引はしていない。だから、こちらの事業に差し障りはないが相手は違う。フォアード侯爵家が付き合いをやめたとあれば、追従する家名が多くでてくる。お家断絶の危機とまではいかないが、今後いろんな不利益を被るだろう。


「いつもは奥様がご自身でやり返すのに、今日は違うのですね」

「王家主催の集まりで騒ぎにできないと言うんだ。だから、彼女にはこのことは言うなよ。気に病むから」


 ジェームスは、流石はバルモア家の娘だと感心した。加害者被害者如何に関わらず王家の催しで問題を起こすということはリスクが高い。普段、茶会に参加した際には、嬉々として売られた喧嘩を買っているアデレードだが、弁えるべきところはきちんと押さえている。それに比べて、諍いを仕掛けた相手はどんな教育を受けてきたのか呆れる。


「なるほど。承知しました」


 ジェームスは三家を庇うつもりはないため、それ以上深く追求もしなかった。貴族社会は甘くない。フォアード家の妻を侮辱したなら相応の報いを受ける。強いて同情するなら今回はペイトンが直接動いたこと。アデレードが口頭で反撃するくらいは、実は非常に可愛いもので、高位貴族を本気で怒らせたら、表面上はにっこり笑ってばっさり切られるのが普通だ。わざわざ喧嘩を買うなどしない。笑顔で別れて二度と会わないようにするだけ。ペイトンも侯爵家の嫡男としてそういった教育を受けてきた。だが、普段ペイトンは自分の悪評を流されても放置していることが多い。悪い評判がある方が女性が寄ってこなくて楽ぐらいに思っている。過去に制裁を加えたのは、ある令嬢を孕ませたとでっちあげられた時と、男色の噂を広められた際くらいだ。だから、親交のある三家の人間は、ペイトンが妻を侮辱したところでそれほど怒るとは考えなかったに違いない。残念ながらアデレードに関して、ペイトンは通常とは全く異なるのだ。


(奥様のことはなんだかんだめちゃくちゃ大事にしているからな)


 本人は件の契約を理由にしているが、ただの口実にすぎない。早く素直になった方がよい。アデレードとの結婚にははっきりとした期限があるのだから、いつまでそんな言い訳を通すつもりなのか心配になる。アデレードが実家へ帰った後、慌てて追いかけるより、今行動した方が遥かにハードルが低い。ただ、それを言ってもはねつけられるのは目に見えるし、むしろ余計に強情を張ることも予測できるのでジェームスは黙った。


「別に契約通りにしただけだ。妻を守るのは夫として当然のことだろう」


 すると、察したようにペイトンが付け加えた。長年の付き合いで相手の考えがわかるのはお互い様ということか。ジェームスはやれやれと思った。が、ペイトンの表情が驚くほど暗いことに眉を寄せた。こういう場合、イラついて睨みつけられることがほとんどなのに、今はびっくりするほどこちらに意識が向いていない。


「他に何か問題でも?」

「別になにもない。もういい下がってくれ」


 何もない顔ではないだろうに。学校生活や事業運営のことで悩んでいる姿を見ることは幾度となくあったが、こんなに心許ない表情は子供の頃以来だ。


(奥様と喧嘩したわけではなさそうだが……)


 だが、アデレード絡みの問題であることは間違いない。本人が話したくないと言うのを無理やり聞き出すのもどうか。ジェームスの経験上、恋愛において求められていない他人の意見ほど鬱陶しいものはない。それに、ペイトンはこれまで女性の為に心を砕くことなどなかった。そういう経験も必要だろう、と、


「では、失礼します」


 ジェームスは命じられるまま部屋を後にした。


▽▽▽

 天蓋のレース越しに差し込む陽光を見つめながら、アデレードは昨日の園遊会のことを思い出して息を吐いた。あれこれ難癖つけておいて、ペイトンに助けられたことが重くのしかかる。初対面の日のことが自分の中にわだかまっていることも、凄く衝撃だった。結局、自分はあらゆる嫌なことから逃げているのだな、と自覚してしまった。嫁いできた時のまま何も進歩していない。いつまでも今の生活が続くはずはないのだし、変わらなければいけないのに、日々をだらだら生きている。ノイスタインへ帰国した後のことを考えると更に気分が滅入ってくる。しかし、うじうじしても仕方ない。とりあえず、今一番にできることはペイトンに改めて昨日の礼を言うことだと思った。

 アデレードはのっそり起き上がるとバーサを呼んで簡単に身支度を整え階下へ下りた。

 いつもの時刻、いつもの食卓。だがいつも先に着席しているペイトンの姿はなかった。アデレードが席につくと待機していたメイドが食事を並べ始める。


(この感じ前にもあったわね)


 遅れてきたペイトンに文句を言われたが、だったら二人が揃うまで食事を運ばない方式にしてほしいのだが。ベーコンエッグは絶対的に半熟がよいアデレードがじっと皿を見つめていると、入り口から足音が聞こえた。顔を上げるとジェームスと目が合った。


「おはようございます、奥様。旦那様は急な仕事が入りまして出掛けられました」

「おはよう」


 仕事と言われれば普段なら特に疑問は抱かないが、


「それって、まさかホイエット伯爵が関係していたりしますか?」


 少し嫌な感じがしてアデレードは尋ねた。制裁はしなくてよいと頼んだので何もしないはず。けれど、タイミングが良すぎるから、念の為だ。


「いえ、私は何も。ホイエット伯爵と何かあったのですか?」


 ジェームスがいつもの穏やかな表情で答える。侯爵家の家令の顔をしている。主人の意にそぐわない言動はとらない顔。本当のことを告げているのか、嘘を吐いているか、完璧すぎてアデレードには判別できない。ペイトンは何も告げていないのだろうか。


(話しておいた方がよいかしら?)


 ペイトンが何かするならジェームスに頼むだろうし、ジェームスが昨日の一連の出来事を知っていれば、制裁など与えるのはやりすぎだ、とペイトンを止める気がする。

 アデレードがざっくり昨日のラウルとのやり取りを話すと、


「え、旦那様が本人に直接抗議しに行ったのですか?」


 とジェームスは驚いた顔をした。本人に直接言わないで誰に言うのか。驚くべきは、普段嫌味に気づかないペイトンが反撃してくれたことではないのか。


「……そうです。抗議というか脅しというか。今後いきなり生活に支障がでたら気の毒だからって言ってました。皆さん青い顔をしていたので、私は十分溜飲が下がりました。だから、これ以上、旦那様が何かするつもりなら止めて頂きたいです」


 続けて言うと、ジェームスは笑った。いやいや、今笑う要素なんてなかったでしょ、とアデレードは更に困惑した。


「何がおかしいのですか?」


 素直に聞くと、


「いえ、私が思うより旦那様は奥様を大事に思われているようです」


 と、また斜めからの答えが返った。ジェームスは契約のことを全部知っている。なぜそんな思わせぶりな発言をするのか。意図がよくわからない。昨日、助けてもらったくせに文句をつけたことが気まずいのに、そんなことを言われるとますます気が沈む。


「契約がありますからね」


 もう話を終了させたくてアデレードはさらっと流したが、


「現在旦那様のポイントが二十一、奥様はゼロですが、逆転する可能性があると思われますか?」


 ジェームスは違う角度で話を続けた。いつの間にペイトンは二十一点もついたのか。六点くらいじゃなかったか。逆転する可能性? あるわけがない。最初からペイトンの負け確定の契約だ。ぼやぼやしている間に言いくるめて言質を取った。了承したのはペイトンなのだから、今更こっちを責められても知らない。アデレードがどう答えようか迷っていると、


「恐れながら申し上げますと、この契約には不備があります」


 ジェームスは言った。


「え? 不備?」

「二十一対ゼロで負けても、百対ゼロで負けても、罰則は同じという点です」

「それは……」


 その通りだ。アデレードは言葉に詰まった。

 ジェームスが笑っている。

 あの話の流れで、どうしてそんなことを言ったのか。何を示唆しているのか。察知できないほどアデレードは馬鹿ではない。

 ジェームスは暗に、負け確定なら期間満了まで条件を守り続ける必要がないと言った。もう優しくする必要がないし、愛するふりをしなくてよい、と。全く考え及ばなかった。だって、ペイトンはずっと契約を履行している。何故続けているのか。無意味なことなのに……、とアデレードはそこまで考えて思考を止めた。そんなことが起きては困るから。


「……契約って罰則が嫌だから守るものではないですよ」

「確かにまともな人間なら締結した契約は守りますね」


 アデレードの答えにジェームスがすーっと引いた。だったら、最初から余計な介入をしてくるな、と腹が立ってきた。


(何がしたいの? 探りを入れただけ?)


 大体が、ペイトンにはすでに「恋する力が尽きてもう誰も好きにならない」ことは伝えてある。いろいろ要らぬお世話だ。だが、何かをはっきり明言されたわけではないから抗議できない。下手な発言は薮蛇になる気がする。恐らくそういうこともジェームスは全部見越している。強かだと思う。この若さで侯爵家の家令を務める男だ。腹の探り合いで勝てる気がしない。策略に乗っては駄目だ。ジェームスは契約の不備を指摘しただけ。ただそれだけ。今なら間に合う。


「旦那様がまともな方で良かったです」


 アデレードは笑って返した。最大級の拒絶の意思をこめて。だって、仕方ない。自分はもう誰も好きになれないから、好きになってもらっては困る。


「そうですね。お食事中失礼しました。では、私はこれで」


 ジェームスが一礼して部屋から出て行く。アデレードは、その背中を見ながら、ただの思い過ごしでありますように、と強く願った。

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