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王都中の貴族が集まる祭典とあって、顔合わせする人数も半端じゃなかった。長い長い挨拶回りから解放された時には、十三時を回っていた。
「疲れただろう。休憩して何か食べようか」
フォアード侯爵に促されてようやく食事の時間になった。
広場内には王家御用達の飲食店が屋台を出している。店前はパラソルとテーブルセットが何十も設置してあり座って食べられる仕様だ。一見して空席はなかったが近くまで寄ると、
「フォアード侯爵様、どうぞこちらへ」
と階級社会の貴族らしい待遇で高位貴族用の席へ案内された。さりとて「屋台を楽しむ」という本来の趣旨はきちんと残してあるらしくウェイターはおらず、自ら店へ商品を購入しに行かねばならない。
「適当に何か買ってくるよ」
ペイトンが立ち上がる。
(何かって何?)
アデレードは基本的に好き嫌いはない。だから、適当に買ってきてもらってよいのだが、折角だから何が売っているのか見たい。だがここで「私も行きたい!」と発言するのは淑女としては問題ある。もし実家にいたなら「私が買ってくる!」と迷わずに言えたのに、とアデレードは無性に悲しくなった。嫁いできて初めて唐突に猛烈にホームシックが押し寄せてきた。が、
「君も一緒に行くか?」
「え?」
「君の好きな物を選んだらいい」
ペイトンがこんな風に気の利くことを言うとは思わなかったので、すぐさま反応ができずにいると、
「……女の子は、露店とか見て回る好きだろう。別に僕が適当に買ってきてもいいんだが……」
つらつら言い訳めいたことを喋り始めた。
(自分の妻に女の子って……)
アデレードは一瞬前の悲しみが引っ込んで、笑っている現金な自分に可笑しみが湧いた。
「一緒に行きます」
「そうか」
「お義父様は、よろしいのですか?」
席取りをさせるのは気が引けてアデレードが尋ねると、
「あぁ、適当に何か買ってきてくれ」
とフォアード侯爵はにこやかに答えた。
「わかりました」
自分と違い立派な紳士の義父は、別に屋台などをわざわざ見に行きたくないのかもしれない、とアデレードはそれ以上は食い下がらず席を立った。
ペイトンと連なって歩いて行く。仲睦まじい夫婦でもないのに、ペイトンと二人でいると気が休まるのは何故か。アデレードは少し考えてから、フォアード侯爵は非常に良い人で嫌われたくないが、変な人間のペイトンには別にどう思われてもよいからではないか、と結論づけた。
「どれも美味しそうですね」
屋台は、肉の串焼きが並べられていたり、巨大な鉄網の上で魚介類を焼いていたり、豪快にぶつ切りされたフルーツが氷の器に盛られていたり、色とりどりの賑わいを見せている。
「どのお店も同じくらい並んでますね」
「そうだな。なんでも好きな店を見たらいい」
「有難うございます」
ペイトンが言うので遠慮なく露店を端から見て回る。全部で七店舗。どれも美味しそうではあるが、決め手にかける。
「お義父様には何を買いますか?」
「父は、グランサラが好きだからそれを買うよ」
「グランサラ?」
「焼いた魚と野菜のマリネを挟んだライ麦パンのことだ」
「ライ麦パンですか?」
「あぁ、ほらあれだよ」
ペイトンの指さす店には、黒っぽいパンが嵩高く積み上げられていた。その横に銀の大皿に焼き魚と野菜のマリネが盛られてある。マリネには味付けが何種類があって、オーダーすればその場で作ってくれる。元々は市民がよく食べる簡易食を模しているが、王宮のお抱えシェフがアレンジしているため全く別物となっている。
「僕もそうする。君は何にする?」
「私も同じにします」
じゃあ、何故ついてきたのか。アデレードは自問自答に思ったがペイトンは何も言わなかった。
一番後方に並んだが、店員の手際が良いのか列はどんどん進んで行く。
「デザートはどうするんだ?」
「え?」
「君、いつも食後に食べるだろう?」
「あー……」
食事に拘りはないが、デザートは割と拘る。この広場の店には好みのデザートはなかった。外の露店の方を見たい。だが、夫婦で参加した祭典で一人でうろうろするわけにも行かない。
「デザートだけ集めたエリアがあるから、後で行ってみるか?」
「え、いいんですか?」
どうした、どうした、と思うほど今日は気の利いたことを言ってくる。
「構わない」
「有難うございます!」
午後からも挨拶回りが続くと思っていたので、アデレードは自然に笑顔が溢れる。
「……いや、別に」
ペイトンは何処を見るともなく、そっけない口ぶりで答えた。
(ちょっとこの人何処を見ているかわからないことが多いのよね)
アデレードはペイトンをじろじろ見たが、見るほど視線は合わない。
(女性とは目を合わせたくないのかしら)
無理強いするつもりはないので、アデレードもペイトンから目を逸らした。
周りを見ると若い男女が視界に入った。ぎこちない距離感で歩いている。恐らく十代の初々しいカップル。自分にはこんな微笑ましい思い出はない。それどころか唇を噛み締めることしかない。特に去年のサマーパーティーは最悪だった。
(やーめた)
思い出すのも不快すぎる。やーめたやーめた、とアデレードは念じるみたいに繰り返した。
「君、飲み物は何がいいんだ?」
呑気にペイトンが問い掛けてくるので毒気を抜かれてしまった。あの時は知る由もなかったペイトンと今は夫婦でいる。不思議な感覚に陥った。
(もう全部終わった話よね)
時間は確実に流れていく。その証拠に自分達の注文の順番が回ってきた。
グランサラとオレンジジュース、それから店員の勧めでバリバラ王国の古語で「ごった煮」という意味があるじゃがいもと羊肉の腸詰のスープを購入した。手伝うというのに、ペイトンは全部を銀の大きなトレイに載せて運んで行く。ノイスタインにいた時、買い食いはしたが席まで料理を運ぶなんてしたことがない。周囲を見渡すと大体男性が運んでいるので、そんなもんかね、とひょこひょこ後を付いて行った。
「ペイトン!」
フォアード侯爵の姿が確認できる位置まできた時、声が掛かった。九十度横方面から男性が近づいてくる。
「久しぶりだな。最近顔を見せないから心配していたんだぞ」
「あぁ、忙しくてな」
年はペイトンと同じくらいか。垢抜けた雰囲気。先ほど挨拶した中にはいなかった。ラフな話し方からして仕事の関係者というより友人っぽい。
「そちらは?」
不意な視線がこちらに刺さった。
「妻のアデレードだ」
「初めまして。アデレード・フォアードです。以後お見知りおきを」
紹介を受けてお辞儀すると続けてペイトンが、
「同じ社交クラブに入っているラウル・ホイエット伯爵だ」
と相手の名を告げた。
小伯爵でなく伯爵と呼んだ。つまりラウルは既に爵位も継承していることが窺い知れた。
アデレードの母国もこの国も、事業は子供が成人すると引き継がせることが多いが、爵位は先代当主の死亡時に相続される。だから、ペイトンは現状あくまで次期侯爵家当主だ。ラウルは伯爵なので地位としてラウルが上。ただし、これはあくまで理論上の話で、ラウルがペイトンに舐めた態度を取ればフォアード侯爵が黙っていないし、将来ペイトンが爵位を継いだ時どうなるか、は考えればわかる。
「ラウル・ホイエットです。お目にかかれて光栄です」
ラウルはこちらに向いて微笑んだ後、直ぐにペイトンに対して話し始めた。
「皆集まっているぞ。今日は顔を出せるだろう?」
社交クラブは紳士のみの集まりだ。新婚夫婦が二人でいるのに、その集まりに参加しろって普通言う? とアデレードは率直に思った。しかし、ペイトンにも付き合いがある。「皆」が集まっているなら参加すべきな気もする。夫婦というのは、友達や恋人関係とは違い、フォアード家を繁栄させるために契約した家同士の繋がりでもある。特に自分達は政略結婚なのだから、優先させるべきは体裁だ。
「いや、今日は妻を案内するから」
「結婚した途端につれないな。前はクラブに入り浸っていたのに。そんなんじゃ、旦那の付き合いに口を出す女だって奥方の評判にも障るぞ」
「じゃあ、下らん噂が出回らないように、お前からちゃんと僕は自分の意志で行かない選択をしたと伝えておいてくれ」
頭では「社交は大事」と理解していても「これ幸い」とペイトンが参加を表明していたら腹が立ったに違いない。しかし、素気無く断ったので逆に「行ってくれて良かったのに」とアデレードは柔和な気持ちになった。ただし、それはペイトンに対してで、ラウルについてはお世辞にも感じが良いとは思えなかった。
「そうか。わかったよ。じゃあ、またな。奥様も良い一日を」
ラウルは軽く頭を下げて去って行く。
「今の方、仲良い方なんですか?」
「え、あぁ、そうだな。社交クラブに入ってからだから五年の付き合いになるかな」
「そうなんですね」
「あいつがどうかしたか?」
ラウルからは意図的にこちらを会話から弾こうとする印象を受けた。わざと自分にだけわからない話題で盛り上がる、という場面に何度もでくわしたことがあるから、敏感になり過ぎているだけだろうか。
(まぁ、もう絡むことはないだろうし……)
五年も付き合いのあるペイトンの友人を、一、二分絡んだだけの自分が悪し様に言うのもどうか。
「いえ。お腹空きましたね」
アデレードはもやもやした感情を呑み込んだ。今日は良妻でいると決めている。大丈夫。昔とった杵柄だ。見て見ぬふりは得意だから。




