23
▽▽▽
白い結婚であるのに夫婦として社交界で顔見せをすることは必要か否か。
結論を言えば必要。
白い結婚であっても夫婦円満な関係を築いているアピールは重要だ。つまりは、男性側はこの家は妻を大事にする家名であることを知らしめられるし、女性側も婚家で上手くやっていける娘であることの証明になる。妻の務めとしてすることがあるか? とジェームスに尋ねた時「社交」と返答がきたのも、その辺が起因している。
アデレードは、サシャと友人になって、仲間内の夜会にペイトンを伴い参加するようになった。しかし、バリバラ国は社交シーズンではなかったため、大きな集まりには参加できていなかった。どうしたもんかね、と思う気持ちはあったもののペイトンからは何も言ってこないので放置してきた。だが、遂に妻の役目を果たす時が来たらしい。
王家主催のガーデンパーティーに招待を受けた。毎年春と秋に王立公園で開催される貴族の祭りで、王都で暮らす貴族の大半が参加する。夫婦の顔見せの席としては、最高の舞台だ。
「緊張しますね」
「君、緊張なんかするのか」
軽快に進む馬車の中、向かいに座るペイトンに話しかけると目を見張った表情をした。
「します」
「そ、そうか、すまない」
「いえ」
どういう意味なんだ、とは感じたけれど、別に不機嫌さを前面に出した答え方はしなかったはずだ。そんなに萎縮されると困るのだが。
(別に私、我儘なんて言ってないし、虐めてなんていないし……)
アデレードは、おどおどするペイトンを見ながら、セシリアから送られてきた手紙を脳裏で反芻した。昨日、唐突に、
「あんた! フォアード卿にむちゃくちゃしているんですって? 彼が良い人だからって我儘ばっかり言って困らせているらしいじゃないの! 卿がなんでも言うこと聞いてくれるからって好き勝手していいと思っているの? そういうのは虐めに繋がる思考よ。悔い改めなさい」
と便箋二枚に渡る手紙が届いた。「近況を知らせなさい」と催促されるたび「親切にしてもらっているし、元気です」という当たり障りのない返事を書き続けてきた。が、どうもバーサが色々事細かく報告しているらしい。裏切り者め、とムッときて抗議したけれども、
「旦那様に好き放題言っているじゃないですか。わたしも何度か注意をいたしましたが反省がないので仕方ありません。この屋敷の方々はジェームス様を筆頭に、皆さんアデレード様の味方をされますからね。私は旦那様が不憫で申し訳ありません。バルモア家の侍女として当然の選択です」
とピシャリと返された。
「私、自分から仕掛けたことなんて一度もないんだけど? 向こうが私を苛つかせるからでしょ。やられたからやり返しただけで……」
食い下がって弁解したけれど、
「アデレード様、ここはノイスタインではないんですよ」
と更に嗜められて口を閉ざした。
ノイスタインで我慢してきた鬱憤を、バリバラ国で晴らしている感は自覚しているから。でも、あくまで売られた喧嘩を言い値で買っているだけのこと。ペイトンには、ど初っ端に売られまくられた。尤も、バーサには、契約のことは家族に伏せるように頼んであるから、それは秘密にしてくれているらしい。
(いやでも、契約のことを端折ったら、そりゃあ、私が悪くなるでしょ)
かといって、口車にのせて不平等契約を締結させたことを暴露したら、それはそれでセシリアは怒る気がする。ただ、その時は「うちの妹に随分舐めた発言してくれたわね」とペイトンも吊し上げに遭うだろう。
眼前で、まだ気まずそうなペイトンを見ていると姉に詰問されている姿は想像できすぎる。ちょっと笑えてしまうのだが、同時にこちらの事情に巻き込んで申し訳ない気持ちも湧いた。
(とりあえず、今日は喧嘩を売られないよう気をつけよう)
馬鹿な令嬢達に絡まれたらやり返してしまうが、売られなければ買わない。逆に言うと買わない選択肢はないのだが。バーサが聞いたら呆れる思考を巡らせていると、
「そのドレスで本当に良かったのか?」
ペイトンが急に話題を変えてきた。
本日は「夫婦の顔見せだから」と義父のフォアード侯爵が園遊会用に贈ってくれたドレスを着衣している。薄青色の涼やかなドレス。スカート部分が二段重ねになっていて上部の生地には大きく四か所スリットが入っている。動くたびに下生地の金糸で縫われた蝶の刺繍が見える。園内を動き回ることを考慮し洗練されたデザインだ。難癖なんてつけるはずがない。が、
「はい、気に入っていますから」
「父に遠慮する必要なんてないんだぞ」
「遠慮はしていません」
ペイトンはダレスシトロンで青色を拒絶したことを覚えていてくれたらしい。届いたドレスが青色だと知って、
「お詫びに僕が新しいドレスを贈るよ」
と何のお詫びなのか訳のわからないことを言い始めて困った。確かに青は敢えて選ばない。しかし、フォアード侯爵の好意を無下にして断固拒絶するほどの拘りはない。拘りがあったとして感謝して受け取るのが礼儀だ。非常識な人間に成り下がる気はないことを切々と訴えるとペイトンは、
「君がいいなら良いが」
とようやく納得した。それを当日になって蒸し返すとは。アデレードは、念の為、
「あの、お義父様に絶対に余計なことを言わないでくださいね」
と釘を刺した。
「君がいいなら僕が言うべきことはないが……」
「はい、お願いします」
ペイトンは頷いた。先日も同じことを言って現状再び持ち出していることに不穏を感じる。やむなくアデレードは、
「青が嫌いなのは、昔、青いドレスを着ていて揶揄われた経験があるからです。その時は我慢するしかできなかったのですが、今はやられたらやり返す所存なので別に平気なのですよ」
と付け加えた。当時の惨めさと苛立ちがごちゃまぜになって叫びだしたい衝動に駆られるから、口に出したくなかったけれど仕方ない。理由を告げれば、流石にもう食い下がってこないだろう、とペイトンを確認する。しかし、まだ何か言い淀んでいる。過ぎたるは猶及ばざるが如し。善意も過ぎれば悪意ではないか、と少し眉を寄せると、
「普通だと思うが」
ペイトンは聞き取りにくい声で言う。
「え?」
「特におかしいところはない」
ドレスのことを言っているらしい。
「……それは良かったです」
何が良いのか。自分で言って笑ってしまいそうになる。ペイトンなりに慰めてくれようとしているのは理解できるが「似合っている」のスマートな一言で済む話ではないか。お世辞の概念を持ち合わせていないのだろうか。尤も、馬鹿にされた理由は、恋人気取りでレイモンドの瞳の色のドレスを着ていることだったから、そもそも似合っているいないの問題ではないのだけれど。
「大体、ドレスの色を揶揄うなんて正気の人間の発言じゃない」
こちらが微妙な反応をしてしまったせいか、ペイトンは続けた。追い込んでしまったようで申し訳なくなる。が、
「頭のおかしな人間の言うことは無視して、君は堂々と好きなドレスを着なさい」
更に続けられる言葉にアデレードは思わず笑いが漏れた。どんな立ち位置からの発言なのか。ペイトンは信じられない者を見た表情で目を開く。
「……すみません」
「いや、別に」
笑う場面ではなかった、とアデレードが素直に謝罪すると、ペイトンは咳払いをして黙った。怒ってはいない気配。そう言えば、ペイトンはがみがみ口煩いが、威圧的に怒ったところは見たことがない。大柄で体格のよいペイトンが不機嫌に押し黙れば怖いはずなのに。
ペイトンが窓の外に視線を移す。アデレードも逆側の車窓に目を凝らした。
――君は堂々と好きなドレスを着なさい。
前にも似たようなことを誰かに言われた。誰だったか。そうだ。あれもペイトンだった、とアデレードはぼんやり思った。
公園についたのは十時前。
月桂樹の観劇帰りに立ち寄った時は西口から入ったが、今日は正門である南口に馬車を乗りつけた。門扉の前で招待状の確認を受けて入園する。王立公園は通常は一般開放されているが、本日は近衛兵が厳重に警備を固めていて貴族以外は立入り不可だ。
春の園遊会は、二代前の国王が「僕も屋台に行ってみたい」という息子の願いを叶えるために始めた。市民の祭りを模倣し、飲食店や物販店など貴族達が出資している店がこぞって一夜限りの露天商として軒を連ねる。王族や他の貴族達に自社製品を宣伝するビジネスチャンスの場としての強い側面を持っている。フォアード商会も当然ながら参加している。
「こんなに大規模な集まりだとは思いませんでした」
入り口から中央広場へ向かって伸びる大きな遊歩道の両側には、露店がずらりと並んでおり、既に往来する人で溢れている。
「バリバラの名物だからな。他国からの招待客も多い」
「そうなんですね」
嫁いでくるなら勉強してくるべきではないか。アデレードはバツが悪くなった。ペイトンは初対面で大概失礼だったが、自分も相当であることを今更ながら感じた。
「先に少し見て回るか?」
露店をじっと見ていたせいか、ペイトンは気遣わしげに言った。
「いえ、お義父様をお待たせしてはいけませんから」
「少しくらい構わない」
全然構わなくない。フォアード商会の露店で侯爵と待ち合わせして一緒に挨拶回りする手配だ。遅れて行って義父への妻の心象がどうなるかとか考えないのだろうか。こちらへの配慮であるのは分かるが非常に困るし、抗議もしづらい。
「いえ、大丈夫です。早くお義父様の所へ行きましょう」
アデレードが苦笑いで返すとペイトンは「遠慮しなくていいのに」とぼそぼそ言ったが、それは華麗にスルーした。
フォアード商会の露店は条件のよい立地にあった。遊歩道の丁度折り返し地点。そこだけ一刀するように露店と露店に大きく境ができており、遊歩道脇の芝生に迂回できる。その先はテーブルが何十も並べられた休憩所となっている。フォアード商会の店は、休憩所へ行く道すがら誰でも覗いてしまう立地だ。
「ご無沙汰しております。こんな素敵なドレスを贈って頂き有難うございます」
フォアード侯爵に会うのは二月ぶりだ。ノイスタインから定期的に送られてくる品をお裾分けするため先触れを送るが、屋敷にいたためしがない。しょっちゅう外国へ飛び回っている。ジェームス曰く、以前はこれほど頻繁だったわけではなく、ペイトンが独立して会社を任せられるようになってからのことらしい。
「あぁ、よく似合っているね。今日は存分に楽しんで行くといい」
フォアード侯爵は感じのよい笑顔で迎えてくれた。ペイトンが余計なことを言わないかひやひやしたけれど、黙っていることに幾分かほっとする。
フォアード侯爵と語り合っている間、ペイトンは素早く店内を見渡し、露店の従業員達と打ち合わせをしていた。しばし会話を交わしていたが、
「後のことは私どもで足りますから」
と店の責任者らしき男性に促され、すぐに広場へ向かうこととなった。
残り半分の道中を歩く中、フォアード侯爵が、
「お腹空いてないかい?」
「あの店は中々変わった品揃えだね。ちょっと覗いて見ようか」
と寄り道して、しきりに何か買い与えて来ようする。血筋なのかしら? とアデレードは思った。しかし、
「父上、先に挨拶周りを済ませないと。大体、彼女のことは僕がちゃんとするので」
とペイトンが嗜める側に回るので、どの口が言うのか、と突っ込みそうになる。これは同類拒否というやつか。或いは親子のじゃれ合いなんだろうか。よくわからないが、両者に貢ぎ癖があることは、なんとなくわかった。
中央広場では、正午から王陛下の挨拶がある。到着したのは十一時前だったが既に貴族達が集まり始めていた。
広場の一番北。日除の立派なテントが張りめぐらされた一画が、王族と他国からの客人の来賓席になっているらしい。
侯爵位以上の爵位を持つ貴族は先に挨拶をする権限が与えられているため貴賓席へ向かう。執事に名前を告げるとすぐに王陛下の元へ呼ばれた。それだけで王陛下がフォアード家と親しい間柄であることはわかった。正面まで行くと、
「久しぶりだな。ペイトンが結婚したとは聞いたが、そちらのご夫人がそうかな? これはこれは可愛らしい。ペイトンに虐められたりしていないかい?」
とフランクな口調で話しかけられてアデレードは硬直した。
バルモア侯爵家の娘という出自柄、王族に挨拶する機会は幾度となくあったが、初対面でこうも気安く声を掛けられた経験はない。この場合の正しい回答は「旦那様には大切にしていただいております」なのだが、ペイトンをフォーストネームで呼ぶ、いろいろ内情を把握済みであろう陛下相手に嘯いて仲睦まじいアピールをすることが一瞬躊躇われた。
「ご無沙汰しております、陛下。妻のアデレードです。変な質問で妻を困らせるのはやめてください」
隣にいたペイトンが意外にも庇うように答えてくれた。
「噂に聞いたが、ちゃんと夫をやっているようだな」
ははっと陛下の軽い笑い声が耳を掠める。やはり普通に円満アピールで良かったのか、とアデレードは緊張から我に返って、
「お初にお目にかかります。アデレードです。旦那様には大切にして頂いております」
と丁寧に頭を下げた。
「そうか。何かあれば遠慮なく言ってくれ。私がきつく注意してやる。こいつとは学生時代ずっと同じクリケットチームのメンバーだったんだ」
陛下に遠慮なく言うくらいなら、ペイトンに直接がつんと言った方が遥かにハードルが低い。というよりペイトンと陛下がこれほど気安い仲だとは知らなかった。陛下は即位して五年、去年三十になったと聞いている。ペイトンとは同年代ではないはずだ。クリケットのメンバーとはどこかのクラブチームなのだろうか。思い返せば、王家からの結婚の祝いが届いていた。その時は、結婚式も挙げない白い結婚なのに、わざわざ王族から贈答物が送られてくるのかと感心したし、フォアード侯爵家がそれほど権威ある家名なのだと思った。でも、単純に親しい間柄であるからお祝いをしてくれたのだと理解した。
(私って旦那様について何も知らないわね)
知ろうとしたこともない。一年経てば帰国するという意思が根底に強くあって、興味もなかった。しかし、ペイトンはずっとこの国で暮らしてきたし、離縁した後もここで生活していく。売られた喧嘩を買いまくってペイトンの日常を荒らすことは非常に良くないことなのでは? と、セシリアからの手紙を読んでも全く反省しなかったアデレードは、ふいに自省の気持ちが芽生えた。
(今日は絶対ヘマはできないわ)
王家主催の園遊会だ。問題を起こせばフォアード家の評判に響く。陛下に夫婦円満を印象づけねば、とアデレードは意気込んだが、
「陛下、ご安心ください。愚息は自分の妻は非常に可愛いようです。私が勝手にドレスを贈ると怒るほどですから」
と先にフォアード侯爵が発言した。その言葉にアデレードは固まった。
「……父上、その話は……」
ペイトンがチラチラこちらを見ている。
「そうかそうか」
陛下が生温かく満足そうに微笑む。
おーいー! とアデレードの心中は荒ぶったが、笑うしかなかった。




