表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

28/54

21

▼▼▼

「ロイヤルボックス席なんて凄いですね。有難うございます」


 席に着くとアデレードが随分感心して謝辞を述べるのでペイトンは驚いた。以前、勿忘草を鑑賞した座席がロイヤルボックス席だったので、当然今回も同じ席を取らねばならない、と躍起になっていた。だが、アデレードの口振りから別に同じ席でなくても良かったのだと理解した。確かに他にも良い席はあるし、別の席ならば夜公演のチケットでも入手できた。ペイトンは機転のきかない自分の野暮ったさに身悶えたくなった。


「月桂樹ってタイトルなんですね」


 そんなペイトンをよそにアデレードは入り口で配布されたチラシに目を通している。なのでペイトンも動揺を隠して手元のチラシに視線を落とした。

 勿忘草の続編という触れ込みで、タイトルとキャストは発表されている。が、内容は一切明かされていない。続編と銘打つのだからラウラとダリルのその後が描かれるのだろうが、果たして復縁するのか否か。冷遇されてもしつこく付き纏うラウラのプライドのなさに辟易したから、今作では是非とも毅然とダリルをはねつけてもらいたい、とペイトンは思っていた。しかし、アデレードはどうだろうか。

 ちらりと横目で隣席を見る。

 鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌なことに安心する。見終わった後も、このままでいてもらいたい。つまりはアデレードががっかりしない結末であることが一番よい、とペイトンは思い直した。


「ラウラとダリルは前回と同じ役者ですね。別の男優の名前がキャスト欄の一番上に載っているのが気になります。グリオス・ケイオンって有名な役者ですけど、どういう役所なんでしょうか。人気役者だから単純に一番上に記載されているだけなのかな」


 アデレードが熱心にチラシに視線を下げたまま言った。役者の名前まで覚えているとは観劇が好きなのか、単にこの演目に特別思い入れがあるのか。

 ローズウェル劇場は老舗の大規模劇場で大体三月ごとに演目を変える。しかし、街にある小規模劇場ではアマチュアの劇団が週替わりで様々な演目を公演している。こんなに喜ぶなら毎週小劇場へ連れて行ってやるが……と考えているとふいにアデレードがこちらを向いたので目が合った。


「旦那様は勿忘草に興味なかったですよね。今日は連れてきてもらってすみません」


 急にしおらしく言うのでペイトンは戸惑った。おかしな点を加点してやろうと思っているのに、そう決めた途端、変な行動をとらなくなったので、こっちの内心を読んでいるのではないか、と馬鹿みたいな疑念を抱いてしまう。そもそもアデレードは掴みどころがなさすぎる。自分の思う反応が返ってきたことがない。


「別に嫌々来たわけじゃない。僕も楽しみにしていたんだ」


 ペイトンが返すと、


「それなら良かったです」


 とアデレードは笑ったが、社交辞令に社交辞令を返したように思えて、とペイトンはやきもきした。以前、顧客の娘を劇場に連れてきて同様の会話をした記憶が蘇り、確かにそれは社交辞令だったから。


(いや、本当に嫌々来たわけではないんだが?)

 

 誤解されたくない。しかし、しつこく食い下がるのはスマートじゃない気がする。自分はアデレードを嫌悪したいのに、自分のことは嫌われたくない。矛盾した全くよくわからない感情。とにかく何か言わなければと気持ちばかりが焦る。しかし、開演のベルが鳴り、照明が落ちていくので結局何も言えなかった。






「私の罪を告白します」


 月桂樹の物語は、ハリス・ファーガーソン公爵の独白で始まる。

 社交界きっての好色家として名を馳せる美貌の男。

 そんなハリスの愛の放蕩は両親の結婚に起因していた。

 ファーガーソン公爵家の一人娘であるアンネロッサと、アシェット男爵家の次男カルロの結婚は、当時身分差を超えたラブロマンスとして社交界をざわつかせた。

 二人が出会ったのは、とある夜会。

 アンネロッサは、美丈夫として有名だったカルロに一目で心を奪われた。箱入り娘のアンネロッサは、娘に甘い両親に頼んで、すぐにアシェット男爵へ結婚の打診した。アシェット男爵家の面々は公爵家からの申し出を手放しに喜び、話はとんとん拍子に進んだ。

 結婚式はアンネロッサが望む通りの華やかなもので、新生活は順風満帆。一年後にはハリスが誕生し、幸せを絵に描いたような生活を送っていた。

 しかし、ハリスが八歳になる年に、カルロの浮気が発覚したことで全てが崩れ落ちる。その浮気相手が、かつてカルロと婚約を結んでいた相手だったから。

 アンネロッサとの結婚前、カルロには幼馴染で相思相愛の婚約者がいた。

 商家の娘で、次男であるカルロは、結婚して婿入りすることが決まっていた。ところが、公爵家からの結婚の打診がきたため家族に説得され、また、ファーガーソン公爵家が幼馴染の実家への圧力をかけたこともあり、二人は泣く泣く別れることになった。

 だから、カルロの浮気相手について調べさせた時、それが元婚約者だと知り、これまでの結婚生活が偽りだったこと、カルロが自分に囁いた愛が嘘だったことを初めて理解して、半狂乱に陥った。そして、その恨みは理不尽に元婚約者に向かった。元婚約者の実家である商家の取引先に圧力をかけ、一家を王都から追い立てた。

 カルロは、


「悪いのは自分だ。彼女には何の罪もないだろう」


 と必死で止めたが、アンネロッサの憎悪はますだけだった。

 そんな泥沼の愛憎劇が続く中、カルロと元婚約者は、突然に馬車事故で亡くなる。奇しくも元婚約者一家が王都を離れる前日の出来事だった。

 もしかして心中したのでは? と疑問が挙がった。


「もう二度と二人で会わないと約束したのにどうして!」


 と元々不安定だったアンネロッサは、更に精神を患い床に臥し、そのまま儚くなった。

 ファーガーソン公爵家はすぐに騒動の火消しに走り、一連の出来事は大きなスキャンダルとして表舞台で噂になることはなかったけれど、父への執着で精神を蝕まれていく母親の姿を見ていたハリスの心には、重い影を残した。

 それから十五年、祖父母に厳しくも甘く育てられたハリスは、母から受け継いだ次期公爵家当主という地位と父親譲りの美貌で、気ままな独身生活を謳歌していた。夜会に参加しては、言い寄って来る女性と刹那の恋を楽しむ日々。その根源にあるのは「母親のようにならないため」という心理だった。母の過ちは一人の男に執着したこと。だから、自分は多くの女性に愛をばら撒くのだ、と。

 そんなハリスの屋敷に、一人の令嬢がメイドとして雇われる。

 父親の事業の失敗で爵位を返上した哀れな娘だった。領地を売り払うことで借金は返済できたものの、食い扶持に困り働き口を探し隣国から来たらしい。祖父の古い知人で身元ははっきりしているため雇い入れた。

 ハリスは、元伯爵家の令嬢のメイドか、と面白半分で声を掛けた。


「やぁ、ラウラ。一緒にお茶をどうだい?」

「有難うございます。でも、仕事中ですから」

「別に構わないさ。屋敷の主人である僕が許可しているんだから」


 しかし、生真面目なラウラは応じなかった。


「主人と関係を持って屋敷を追い出されたら困るから乗ってこないのかな。公爵夫人を狙ってくるような狡猾なタイプでもなさそうだし」


 とハリスは一人ごちた。ならば、


「よし、今から一時間屋敷の者全てに休憩を与える。休み時間なら僕とのティータイムに付き合ってくれるだろう?」


 とハリスは家令に命じて使用人達に休憩時間を与えた。

 流石にこの状態で断るわけにはいかず、ラウラは苦笑いで茶会の席に着いた。

 

「僕の父は不幸な人でね」


 ハリスは女性を口説く時、決まって両親の話をする。社交界での公然の秘密。ファーガーソン家の若夫婦の相次ぐ死に関し、誰もが興味を持つから。

 そして、ハリスはその一連の出来事を死後に見つけた父の日記になぞらえて語った。母にさえ出会わなければ、と。公爵家の横暴により恋人と引き裂かれた苦悩をそのままに。だが、それでも父は母に誠意をもって振る舞い、共にファーガーソン公爵家を盛り立てようとしていた。公爵家の中枢の仕事には介入させてもらえなくとも。お飾りの婿、まるで男娼ではないか、と周囲に嘲笑されようとも、ひたすらに前向きに。

 そんな父に転機が訪れたのは結婚して八年目の春。領地での視察の帰りに「馬車の調子が悪いから」と偶然立ち寄った田舎町で元婚約者と再会した。

 裕福な商家の娘である元婚約者が、なぜ王都から離れたこんな片田舎の町にいるのか。元婚約者は言葉を濁した。しかし、その後に父が独自で調べた結果「元婚約者が近くにいては遺恨を残すだろう」と公爵家からの圧力で遠縁が営む農園へ追い立てられたことがわかった。父は何も知らずのうのうと暮らしてきたことを悔いた。元婚約者は「過ぎたことよ。今私はここで幸せに暮らしているの」と笑ったが、父は領地での仕事のたびに彼女の元を訪ねるようになった。男女の関係はない。ただの友人として。何か困ったことはないか、と尋ねても首を振る彼女のために、かつて彼女が好きだった王都で人気の菓子を土産に、お茶を一杯飲むだけの関係。だが、それはやがて母の与り知るところになった。母は狂乱して、その怒りの矛先を元婚約者へ向けた。


「母は女性の実家を廃業に追い込み、それを必死に止める父を責め立てた。そんないざこざの最中で、父は馬車の事故で亡くなった。その馬車には元婚約者の女性も同乗していてね。事故なのか心中だったのか、或いは他殺だったのか。調査はされていない。祖父母がうやむやなまま片づけたんだ。僕は幼心に母の狂気だけ覚えている。母は父に執着して執着して父の死を受け入れられずに精神を病んで亡くなった。ひどい話だろう? 愛とは片方だけが好きではダメなんだよ。母にはそれが分からなかったんだ」


 いつも軽薄で適当なことばかり言うハリスから、想像しなかった重たい話をされてラウラは途中で姿勢を正した。どういう意図でそんな話を語るのかわからなかった。けれど、


「失礼ですが、愛を誓わなければよかったのではないですか。妥協でもなんでも一度は結婚して愛を誓ったのですよね? 八年間幸せに暮らしてきたなら、お母様が自分は愛されていると期待して仕方なかった気がしますが」


 ラウラはぽろりと言った。好きな人に好きと言われて疑う人間の方が稀ではないか。むしろ周囲に反対されても好きな人の言葉のみを信じるものではないか。信じたいと思うものではないか。

 母親が一人で悪者に仕立て上げられているようで憤りを感じた。いや、それよりラウラはかつての自分と重なっていたたまれなくなった。幼なじみのダリルの愛の言葉をひたすらに信じていた。裏で嘲笑われていようとも、自分に捧げられた言葉だけを信じたこと。


「すみません。ただ聞きかじっただけのことに勝手な発言をして」


 ハリスが沈黙するのでラウラは謝罪した。どう考えてもハリスは母親を軽蔑している口振りだった。使用人の自分が主に意見するのは拙いと感じた。


「いや。構わない。君が思ったことだろう」


 しかし、ハリスは全く不快な様子をみせなかった。むしろ笑っていることにラウラは困惑した。

 そして、その日からハリスはいっそうラウラに興味を持つようになった。ハリスもまた、本当は母より父を嫌悪していたから。確かに公爵家の横暴は酷かったし、父は非業の人だった。が、ハリスが物心ついて八歳になるまで幸せな家族だったのだ。自分の世界がある日突然虚構だと知ったあの感覚。両親の死後、祖父母があらゆる噂をねじ伏せたが、人の口に戸は立てられない。ハリスは周囲からの母に対する非難を感じながら成長した。されど自分が面と向かい「母は悪くない」と言えば皆は同調するだけ。むきになって否定すれば余計に好奇の目が向くだけ。だから、長年父の悲劇に同調するふりをしてきた。それで一体どうしたかったのか。何を期待していたのか。自分でもよくわからない。ただラウラの答えを聞いて、堰き止められてきた時間が流れ出した気がした。

 ハリスはラウラに対して、これまでの軽薄な振る舞いではなく、古い友人に対する親愛の情を込めて接した。

 屋敷の家令も侍女長も、他の使用人達もハリスの変化を好意的に受け止めた。ラウラの人柄によるところも大きかった。裕福な貴族の娘だというのに驕ったところがなく、素直に命じられた仕事を真摯にこなす。これまでハリスが浮き名を流してきた女性達とは違っていた。ラウラと関わることで、ハリスはよいように変化していった。退廃的な雰囲気が漂っていた屋敷に、少しずつ新しい風が吹き込んでいく。ハリスは、まるで初めて恋する少年のようにラウラに引かれていった。

 そうして三年経過した。

 二人の距離はゆっくりだが確実に縮まっていった。もうそろそろ関係性を進めてよいのでは? と周りがやきもきするくらいに。

 そんな中、ラウラの動向を探る不審な男が現れた。その存在に誰より先に気づきハリスは、男が何者なのか調べさせた。

 そしてハリスはラウラの過去を知る。

 ラウラは明るく振る舞っていても何処か暗い影を落とす時があった。それが何だったのかようやく理解した。好いた男に金目当てで利用され没落して捨てられた。その男が再びラウラの前に現れたのだ。


「今更どういうつもりだ」


 ハリスは憤り、ラウラがダリルに接触する機会を徹底的に奪った。しかし、まるで運命に導かれたが如くふたりは接近を繰り返す。ハリスの鉄壁の防御も虚しく、ついに二人は出会ってしまう。

 二人きりの時間を過ごし、帰宅したラウラはいつも通りの様子だったけれど、ハリスは焦燥に駆られた。 

 その後もダリルの影がラウラに付き纏う。ラウラは何も言わなかったし、なんらの変化もなかった。だが、思い悩んだ末、ハリスはラウラを連れて自領地へ移り住む決断をする。表立っては、高齢な祖父に代わり領地の運営を引き継ぐためという名目で。ハリスはあくまで何も知らない風を通した。

 ラウラは驚いた反応を示したが、一緒に付いてきて欲しいというハリスの嘆願を了承した。

 そこからのハリスの行動は早かった。

 半月で王都を発つ準備を整えた。だが、誰にどう聞いたのか、ダリルからラウラ宛に封書が届いた。

 忌々し気にハリスが封筒を開封すると、ダリルの苦悶が赤裸々に綴られてあった。ラウラとダリルの間にこれまで何があったか。ラウラがどれほどの献身をダリルに注いできたか。それを踏み躙ってきたダリルの後悔と懺悔。諦めきれない思いとチャンスが欲しいという切望。最後に一度だけ。本心を聞かせてくれ、と場所と日時から指定されていた。

 しかし、ハリスは重暗い表情で手紙を握り潰すと、翌朝、ラウラと共に王都を出発する。二人が楽しげに馬車に乗り込んだところで舞台は暗転する。再びのハリスの独白で、月桂樹の物語は幕が下りる。


「私の罪を告白します。いつかあの男が彼女を迎えにくるのじゃないか。その不安が消えないのです」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ