SIDE2-3
就職試験までの日程は、メイジーが転校してきた時点で三月しかなかった。レイモンドがメイジーの合格に向けて、本人以上に集中したのは時間がなかったことが大きい。完璧主義者のレイモンドは一度引き受けたことをいい加減に出来なかったため、過去の試験問題を集めてカリキュラムを作り、メイジーを指導した。でもそれは、メイジーが相手だから、という理由などではなく、例えば何処かの令息であったとしても同じに振る舞った。ただ、そういう前例がなかったので、
「メイジー嬢の世話を焼くのはよいけど、アデレードちゃんを蔑ろにするようなことはやめなさい。本当に愛想を尽かされるから」
と母にはしつこく言われた。しかし、レイモンドは、頓珍漢な忠言だ、と怒りすら覚えた。アデレードを蔑ろになんかしていない。自分が五年間の学生生活をまるっと投げ打って、勉強と仕事に心血を注いできたのは誰のためだと思っているのか。自分だけのためだったらこんな風に頑張ったりしなかった。それに就職試験はメイジーにとって将来に関わることだ。人生の大事な局面を迎える親戚の娘に、勉強を教えて何の問題があるのか。褒められても咎められることじゃないだろう。内心では沸々感じることがあったが、元来思ったことを口にしない性格のレイモンドは、
「蔑ろになんかしていない」
と短く答えて適当に相槌を打った。第一、今だって、朝はアデレードと二人で登校している。母が「アデレードちゃんがわざわざ迎えに来てくれているのに」とメイジーを同乗させることを許さなかったから、メイジーには違う馬車が用意された。
「同じ学校に行くのだから、一緒に乗って行けばよいじゃないか」
父は眉根を寄せたが、
「けじめはしっかりつけておかないと」
と母が頑として撥ねつけた。その時は、メイジーと共に登校したいわけではなかったレイモンドは、特に口出ししなかった。しかし、現在は違う。試験まであまり猶予がないこの時期に、毎朝馬車に乗っている二十分でも時間を確保できれば有利に働く。メイジーの学力を鑑みれば試験自体には恐らく合格するが、よりよい就職先を斡旋してもらうには少しでも点数を稼ぐ必要がある。そこでレイモンドは父に「試験が終わるまでメイジーを同乗させられないか」と頼むことにした。父は基本的に母の意見に従うが、メイジーを預かることを渋っていた母を説き伏せたのもまた父であるため、或いは上手く取りなしてくれるのでは? と期待した。そして、それは割合あっさり叶った。両親の間にどういった会話があったのかは、興味がないので詳しく尋ねなかったが、兎に角、母がメイジーに関して的外れなお小言を言わなくなったことに、レイモンドは開放された気分だった。許可を得た翌朝から、すぐにメイジーを同じ馬車に同乗させた。
「試験まで時間がないから、今日からメイジー嬢が同乗することになった。馬車に乗っている間、面接の練習をしたいんだ」
「ごめんなさい。お邪魔しちゃって」
「……いえ、試験大変ですね。頑張ってください」
アデレードは戸惑った反応を示したが、それもレイモンドは深く考えなかった。他の令嬢達に関して言えば、アデレードがやきもきすることに仄暗い喜びがあったし、その逆にアデレードを傷つけていることに罪悪感を抱く気持ちもあったから、ある程度は一線を引いた付き合いをしていた。しかし、メイジーについては、全く邪な気持ちがない分「時間がないんだから優先して当然」と平然と行動できてしまえた。アデレードにとっては他の令嬢達もメイジーも全く同じであるとは微塵も思っていなかった。
そんな状態が続き、レイモンドがメイジーに与えたカリキュラムは順調に進んだ。ただ一つ気になることは、母が何もしなくなったことだった。アデレードを大事にしろと言わなくなったし、アデレードを頻繁に屋敷に招いてお茶会をしたり「机にばっかり噛り付いてないで、偶にはアデレードちゃんをデートに連れて行ってあげなさい」と無理やり外に出されることもなくなった。これまでレイモンドがつれなくしても、母がフォローすることで均整が取れていた。レイモンド自身、それを強く意識することはなかったが、母親がこんなに可愛がって「嫁に欲しい」と繰り返しているのだから、と安堵する気持ちは確かにあった。しかし、それが突然なくなり、レイモンドはじわじわと言い知れぬ不安を覚えた。でも、前のように口煩くしてくれなどと言えるはずはない。レイモンドは、メイジーの試験が終わるまで仕方ない、と焦燥感を誤魔化した。
そんな中、サマーパーティーの開催日がやってきた。毎年、寄付金を集い国立公園で催される行事だ。デビュタント前の子供達も参加できるため賑やかなイベントとなっている。レイモンドは、いつも母親に厳しく責め立てられてアデレードと共に訪れていた。今年もアデレードに誘われたが「時間があれば顔を出すよ」と曖昧な返事をしていた。例年通りなら、当日に母に無理やり連れ出され現地でアデレードと合流する流れになる。しかし、今年はそれがないまま母は一人で出掛けてしまった。置いてけぼりにされた子供のような気分になった。
自分と同じく母に取り残された父から、
「お前達もたまには息抜きしたらどうだ? 一緒に出掛けないか」
と誘われ、メイジーが、
「行きたいです!」
と快諾したことには、若干苛立つ気持ちも湧いた。父とメイジーが出掛ける算段を始める横で、だったら自分もアデレードの元へ行こう、と思った。勉強する本人がいないのでは意味がない。それに、この行事には毎年アデレードと参加しているのだから、と。いつものレイモンドなら、一人残って勉強すると部屋に籠ったはずだ。でも、この日は焦れる思いがあったため自分らしからぬ行動を取った。そして、それは結果として間違いだった。
サマーパーティーは、毎年、王都で一番広い国立公園で行われる。敷地はかなり広い。到着すると、既に公園をぐるりと囲むように来場者の馬車が停車しており、今年も盛況であることが窺い知れた。
園内には出店が幾つも出展していて、道化師や手品師が演技をする簡易舞台、子供の為の移動遊園地も設置されている。交友関係の広いリコッタ伯爵の元には、顔見知りの貴族が代わる代わるに挨拶にやってきた。美男子のレイモンドと美少女のメイジーが隣合わせに並んでいて人目を引いているせいもある。
レイモンドは早くアデレードを捜しに行きたい気持ちでいたが、仕事上の繋がりのある相手ばかりで無下にもできず、亀の足取りで園内を進んだ。
「ポーラ夫人なら、噴水前のテラスにいらっしゃいましたよ」
と母とも交流のあるフェザー子爵夫人に教えられて漸くテラスに着いた頃には到着から一時間近く経過していた。
「あら? 来たの?」
自分達の姿を見た母の対応は冷たいものだった。
「そうなんだ! 二人とも勉強ばかりで偶には息抜きが必要だろう?」
父が妙に明るく告げることに一層空気が白けた。最近両親の仲は上手くいっていない。母が一方的に父に素っ気ないのだが、無視したり不機嫌な態度を取るわけではなく、本当に単に素っ気なくて、父は文句のつけようがないみたいだった。それに、恐らくメイジーのことが発端であるのに、
「そうね。メイジー嬢は、ノイスタインのサマーパーティーは初めてでしょう? 見て回ってくるといいわ。楽しんでね」
と、母はメイジーに対してはにこやかに接する。その為、父は、余計に苦言の呈しようがながった。
「母上、アデレードと一緒ではないんですか?」
「えぇ、出店を見てくるって言っていたわ」
そして、母は、自分に対してアデレードの話題を一切しなくなった。これまでなら「早くアデレードちゃんの所へ行きなさい。いつまで待たせるの」と怒られるはずが、今日は全く責められない。
(一体なんだと言うんだ)
お小言を言われなくて良いはずなのに、レイモンドは理不尽な苛つきを覚えた。
「……そうですか。捜しに行きます」
ただ、その不快感を突き詰めると面白くない結論に達する気がして、敢えて深く考えず踵を返した。
「あ、待って! わたしも一緒に行きます」
メイジーが後ろをついてくる。息抜きに来たのだから、お互い好きにすれば良いのでは? と若干鬱陶しく感じた。アデレードを毛嫌いしているメイジーがわざわざついて来る意味が分からない。追い払うのもどうか、と仕方なく一緒に向かうが、
「こんなに人がいるんじゃ、アデレード様を見つけるのは難しいんじゃないですか?」
メイジーは、捜す気があるのかないのか、きょろきょろ辺りを見回しつつ言った。普通の人間ならそうかもしれないが、とレイモンドは思った。アデレードは昔から好き気儘にうろつく癖があってよく迷子になる。そんなアデレードを見つけるのは、いつもレイモンドだった。そして、それはずっと変わらないし、誰かに代わってやるつもりもない。
「俺が捜してくるから、君は適当にその辺の店でも見ておいてくれ」
レイモンドは早くアデレードを見つけたくて言ったが、メイジーはどう解釈したのか「二人で捜した方が早いわ」と微笑んだ。そう返されれば何も言えず、メイジーの歩幅に合わせて歩くしかなくなった。
十五分ほど捜して廻り、姉のセシリアと氷菓の出店の前にいるのを見つけた。アデレードは丁度こちらとは反対を向いているが後ろ姿でも間違えるわけはない。レイモンドが近寄りながらアデレードの名前を呼ぼうとした瞬間、知らない男が先にアデレードとセシリアに声を掛けたのでタイミングを逃した。
「二人とも久しぶりだね」
五十手前くらいか。随分身なりのよい中年の男だった。
「フォワード侯爵様、お久しぶりです。いつノイスタインへいらしたのですか?」
「今朝ついたんだ」
「先日はうちの主人がお世話になったみたいで、有難うございます」
「いやいや。こちらこそ有意義な取引ができて感謝しているよ」
セシリアの知り合いらしく和気藹々と会話が始まる。こちらは面識がないため割って入るわけにはいかず黙って後ろで待っていると、
「アデレードちゃんも、しばらく遭わない間に素敵な娘さんになったね。来年卒業だって、エイダンから聞いているよ」
「はい。学生じゃなくなるなんて、なんだか変な感じです」
「この子、ぼやっとしていているから、先のことなんて何にも決めてないんですよ」
「そうなのかい? だったらうちの倅に嫁いできてくれないか」
何の話の流れなのか、男が突然言った。
「あら、いいじゃないの。ご紹介いただいたら? 年齢も確かアデレードとそんなに変わらないですよね?」
「今年、二十三になるかな。私に似ず顔はいいぞ」
「いやだわ、フォワード侯爵も素敵じゃないですか。でも、アデレードは面食いだから、本当によいご縁ではない?」
「私が良くても御令息が嫌がるんじゃないかしら。そんな素敵な方ならいくらでもお相手がいるでしょうし」
「いやぁ、それがそういう浮いた噂は皆無でね。女性不信が強くて。でも、きっとアデレードちゃんなら大丈夫じゃないかな」
「女性不信なんですか? 格好いいのにもったいなくないですか?」
後ろ姿でアデレードがどういう表情なのかは不明だったけれど、声色からへらへら笑っているのはわかる。単なる社交辞令。よくある会話だ。なんてことない。レイモンドは叱られた子供が言い訳するみたいにつらつら思った。だけど、
「アデレード様、お見合いなさるのかしら? あの方、侯爵って仰ってましたよね。凄いわ。でも、アデレード様も侯爵家ですものね」
メイジーがため息交じりに言う声が嫌なくらい耳に入ってくる。瞬間、グラッと天地が反転するような錯覚に陥った。或いは実際眩暈がしていたのかもしれない。兎に角、その場にいられなくなって、気がついたら時には逃げ出していた。
「レイモンド様? あ、待ってください!」
追いかけてくるメイジーに構う暇などなかったし、当然、メイジーの声に振り向いたアデレードにも気づくことはなかった。




