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▽▽▽
「夜会に参加しないんですか?」
「夜会に参加したいのか?」
夕飯の席でペイトンに尋ねると質問に質問が返った。夜会にはよい思い出がないため、ノイスタインにいた頃は自分から進んで参加したい場所ではなかった。今は無礼な奴らは全員吊し上げてやる! という思想を抱いているため出席したくなった。
「参加したいです」
なので、ありのままに答えるとペイトンは少し驚いた顔で、
「そうか、わかった。考えておく」
と言った。「考えておく」はレイモンドの常套句だった。結果がイエスだったことはない。無駄な期待をもたせるだけ罪だ。それで、
(嫌ならはっきり断ればいいのに)
とアデレードは一瞬苛立ったが、
(契約があるから無理なのか)
と思い至って怒りを口にするのはやめた。
だが、それから三日後。
「夜会の件だが、ロイスタイン伯爵邸で今週末にある。僕の学生時代からの友人なんだ。妹が一人いて確か君より二つか三つ年上だったと思う。仲良くなれるんじゃないか。どうだ?」
と尋ねられた。
「え、どうだって?」
「その夜会でいいかどうかだが……」
(考えておくって、どの夜会に参加するか考えておくって意味だったの?)
あのまま有耶無耶にされると思っていた。この男は、レイモンドとは違い非常に律儀な男であることを失念していた。
「はい。その夜会に参加したいです」
「そうか。では、返事をしておくよ」
かくして夜会への出席が決まった。
バリバラ国は、公爵、侯爵は領地を与えられているが、伯爵位になると三分の一程度しか自領地を与えられていない。その代わり、王都の郊外が下位貴族用の居住区として開放されており、そこへカントリーハウスを構えている者が多い。王都から馬車道も整備されており夜道でも行き来しやすくなっている。ロイスタイン伯爵邸もその居住区に建てられた一つだ。
ペイトンとアデレードを乗せた馬車は、夕方五時に屋敷を出たが、ロイスタイン邸へ到着したのは七時過ぎだった。
夜会と言っても公的なものからホームパーティまで大小様々ある。今日のは近しい友人だけ招待された集まりらしい。そんなところへのこのこ出掛けたりして大丈夫なのか不安はあった。しかし、嫌がらせされたら、それはそんな夜会を選んだペイトンが悪いということで暴れ回ってやろうとアデレードは心に決めていた。
「やぁ、よく来てくれたな。そちらが噂の奥方かい?」
執事の案内で部屋へ通されると、ロイスタインの次期当主でペイトンの学友であるアベルが迎えいれてくれた。パーティールームでは既に三十人ほどの招待客が歓談している。
「あぁ、妻のアデレードだ」
「初めまして。アベル・ロイスタインです。ご結婚おめでとうございます。本日はお越しくださり有難うございます」
「こちらこそ、お招き頂き有難うございます」
柔和な笑顔。見た目は細身で華奢で文学青年といった風貌。がっちりしたペイトンとはあまり共通点はない。友達だからと外見に共通点があるわけでもないが。
「私にも一年前に結婚したばかりの妹がいましてね。今日は帰ってきているんで、よければ仲良くしてやってください」
そういうと「サシャ!」と奥で談笑している女性を呼んだ。
ペイトンから二つか三つ上という曖昧な情報を得ていたが、アベルの呼び掛けに応じてこちらに来た女性はもっと年上に見えた。老けているわけではなく漂う雰囲気が非常に落ち着いているから。
「妹のサシャです。去年グレン子爵の元へ嫁ぎました。こちらはペイトンの奥方のアデレード夫人だ」
「初めまして、以後お見知り置きを」
アデレードが丁寧に膝を折ると、サシャも同様の深々としたカーテシーで返してくる。兄妹揃って感じがいい。
「アデレードは、サシャ夫人と年が近い。仲良くしてやってほしい」
ペイトンがまた過保護な発言をする。放っておいてくれたら仲良くなれたかもしれないのに、下手に頼んだら相手が萎縮してしまうではないか、とアデレードは感じた。
「……こちらこそ仲良くして頂けたら嬉しいです。どうぞわたしのことはサシャとお呼びください」
「有難うございます。私のこともアデレードと呼んでください」
「はい、では、アデレード様。今日はわたしの学生時代の友人達も集まっているんです。よろしければ紹介しますわ」
しかし、アデレードの予想に反してサシャはにこやかに微笑んでいる。オリーブ色の髪に薄い緑の瞳。一見地味っぽいがよく見ると整った顔をしている美人。優しさが滲み出ている。もし同じクラスにいたらきっと仲良くなれるタイプだ。
ペイトンが、友人の妹を紹介すると宣わった時には、正直馬鹿なの? と思った。ペイトンの名前を親しげに呼んでいたクリスタを思い浮かべて、またあんな感じの女が現れるのではないか、と予期していた。だが、冷静に考えれば自分がペイトンを好きでないのと同様に、この世の全ての女性がペイトンを好きなはずはない。通常、兄の友達、友達の妹という関係性でこちらに嫌がらせなどしてこない。
「ご迷惑でなければ是非」
アデレードは、サシャの申し出に素直に感謝の意を述べた。
「もちろんですよ。では、こちらへ」
嫁いで来て一月半。友達はまだいない。懇意にしてもらえたら嬉しい。浮かれた気持ちでいた。が、ペイトンがついて来ようとするのでアデレードは困惑した。サシャも驚いた素振りを見せる。
「おい。ペイトン、マット達がシガールームにいるぞ」
恐らくアベルが気を利かせて言ったことにも、
「いや、今日は妻についているから」
意に介することなくペイトンは答えた。
(えぇー!)
いらんけど! とアデレードは内心絶叫していた。
「そうか。夫婦仲が良くてなによりだ。じゃあ、また後でな」
ペイトンが明言するので、それ以上は本人の意思に背けないとばかりにアベルが笑った。
「では、参りましょうか」
サシャも先程の困惑から一転して大人の対応をみせる。この状況でアデレードだけ反対するわけにいかなくなった。笑顔でいるけど、
(迷惑なんだけど)
と心中で悪態をついた。
アデレードの中でペイトンは無口な男だ。毎日、朝夕の食事を共にしているが、大体一方的にアデレードが喋る。最初の頃は、お前が喋らんなら私も喋らん、と無言を通していたが、ペイトンがジェームスにがんがんポイントをつけられていて可哀想になってきたので、適当にどうでもよいことを話すようになった。何故私が嫌いな夫相手に気遣いをせねばならぬのだ、と思いつつ、ペイトンはどんな話も熱心に聞いてくるので悪い気はしない。だから、二人の時はもうそれでよいのだが、これから新しく友達を作ろうとしている今は足枷にしかならない男だと思う。しかし、人前で「どっかに行ってよ」とは言えず、サシャの後ろを黙ってついていく。
「フォアード小侯爵と奥様のアデレード様よ」
案内されたのは八人掛けの丸テーブル。四人座っている。類は友を呼ぶというのか、全員がサッと立ち上がり温かく迎えいれてくれた。
「妻はノイスタインから嫁いで来たばかりで知り合いがいないんです。仲良くしてやってください」
ペイトンの言葉に、アデレードは「またか」と思った。通常、夫が妻の紹介をする上での発言としてはおかしくないのだが、
(自分の挨拶だけすればいいのに。なんでいちいち私のこと言うの? 子供じゃないんだから)
と、ついてこられたことが嫌すぎて全部悪意に捉えてしまう。一体何処の保護者のつもり? とアデレードは居た堪れない気持ちになっていた。ただ、その場の全員がにこやかに笑っていてくれることが救いだ。
「アデレードです。この国のことはまだ知らないことが多いので教えて頂ければ嬉しいです」
アデレードが挨拶し終えると、
「こちらは、アルバン伯爵家のティオーナ様で、そちらはブルーム子爵家のハンナ様とエルム男爵家のローナ様です」
サシャが爵位順に友人達の紹介をしてくれて、
「立ち話もなんですから、皆さんお座りになって」
と、女性五人と女嫌いで有名なペイトンが一つのテーブルを囲う状況が出来上がった。
(どんな地獄)
アデレードは、いつものペイトンの様子を鑑みると絶対に無言でいるだろうし、サシャ達もペイトンがいては喋りにくいだろう、と考えて「これは詰んだ」と諦念した。しかし、思いのほかペイトンが話題を振って会話が飛び交うので、違う意味で微妙な気分になった。
(ジェームスさんの言ったことは本当だったのね)
ジェームスが、食卓で自分から発言しないペイトンにポイントを加点しまくるため、アデレードは一度こっそり相談しにいった。無口な気質の人間はいるし、その上、女性嫌いなペイトンに毎食ごとに会話を強いるのはある種の虐めじみた行為に思えたし、点数差が開きすぎると敗北を悟ったペイトンが途中で投げやりになって契約を守らなくなる恐れがあると懸念したから。しかし、
「いえいえ、旦那様はお喋りではないですが、別に無口というわけでもないですから。それに苦手な女性相手でも仕事上ならば人並み以上にお付き合いはされます。愛する奥様に対しては変に意識してどう接すればよいか分からなくなっているだけです」
と返された。その時は、正直嘘だと思っていたため、ジェームスに対して、めちゃくちゃポイントを付ける割に主人のことをフォローはするのね、とアンバランスさを感じた。でも、実際、ペイトンが普通に女性と談笑するのを目の当たりにして、ジェームスが真実を語っていたことを理解した。同時に、
(私にもこんな感じの対応でいいんだけど)
と思った。愛する妻という言葉に萎縮しすぎでは? という感情しかない。
「アデレード様は何かご趣味はあるんですか?」
ペイトンの言動に呆れ半分驚き半分でぼんやり会話を聞いていると、サシャがこちらに向けて話しかけてくれる。これがクリスタだったら、こちらのことはずっと無視してペイトンとのみ喋り続けたはずだ。いや、あんな女と比べるのがそもそも失礼ね、と懺悔の気持ちすら芽生えてくる。
「そうですね。甘い物が好きなので色んなお店を回ることです」
「まぁ、実はわたし達も甘い物が好きで、ローナは自分でもお菓子を作るんですよ」
「ご自分で? 凄いですね!」
「いえいえ、そんな下手の横好きで。アデレード様はどんなお菓子が好きなんですか?」
「なんでも好きですけど、甘ければ甘いほどいいです。何処かお勧めのお店ありますか?」
「だったらピランツェのマーブルケーキをお勧めします。私の今の一押しです。私達、月に一度自分が気に入っているお菓子を持ち寄るスイーツ会を開いているんです」
「そうなんですね。素敵ですね」
アデレードは無難ににっこり笑った。本当は楽しそうで羨ましいな、と思ったが、ここで「私もその会にいれてください」とズバッと言うほどコミュニケーション能力が高くない。サシャ達四人は互いに呼び捨てにするほど仲がいいし、古くからの付き合いなのだろう。出来上がったグループに後から加わるのは難しい。特に二月前まで学校に通っていた現役学生のアデレードはその感覚が強くある。だが、女学生であったこともなく、そういう機微に疎いペイトンは、
「君も参加させてもらったらどうだ?」
と躊躇いなく言った。
(おーいー!)
アデレードは心の中で今日一番の叫び声を上げた。この人は、きっと他人から拒絶されたことがないのだろうな、と思った。だって男前で金持ちで爵位も高い。皆がチヤホヤするに違いない。選ぶ側の人間だ。自分は女性を無差別に拒絶するくせに、それって狡くない? とも。
「えぇ、是非参加してください。次は来週末に私の屋敷で開く予定です」
幸い、ティオーナがすぐさま返してくれたので「図々しい」みたいな雰囲気にはならずに済んだが、諸々考えてアデレードはペイトンを締め上げたい衝動でいっぱいになった。
「だったら、私はピランチェのマーブルケーキを持参します」
「じゃあ、わたしも一番お気に入りのお店のにします」
ハンナとローナが続けて言う。ティオーナからも「招待状を送りますね」と告げられたので社交辞令ではないらしい。ペイトンの手前断れなかったのかもしれないが、こういう感じのよい人達とは是非親しくなりたいので、素直に喜ぶことにした。しかし、やはり、
「良かったじゃないか」
ペイトンが呑気に笑うことには心底苛ついた。ただ、ペイトンのお陰でお茶会に誘ってもらえたのは事実なので、帰りの馬車でブチ切れるのは抱いている怒りのボルテージの半分に抑えようと思った。




