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ペイトンとダミアンは初等部の時から同じ学舎で学んでいた友人同士であるが、実はそれほど親しい仲ではない。お互い他に気の合う仲間がいて、学校の外で遊ぶようなことはなかった。それが、高等部に上がった頃から、ダミアンがやたらにペイトンに絡んでくるようになった。理由はクリスタとの仲を取りなしてもらうためだ。
「お前が来るならクリスタが一緒に食事に行ってくれると言うんだ。貿易関係の仕事に興味があるらしい」
何故、大して仲良くもないクラスメイトと見ず知らずの令嬢と共に食事をせねばならないのか。
「いや、僕はまだ貿易商の仕事には携わってないから何も話すことはないよ」
父親の会社のことを学生の自分に尋ねられても困るのは事実だ。ペイトンははっきり断ったが、ダミアンはしつこく懇願してきた。同じクラスであるため、毎日毎日、挨拶の度に誘われて、遂に根負けしたペイトンは、仕方なく誘いに応じることにした。
食事会で初対面したクリスタの第一印象は「最も厭忌するタイプの令嬢」だった。美しい顔立ちと豊満な体躯を持ち合わせた男好きしそうな雰囲気。そして、その直感に反することなく、クリスタは食事中ずっとダミアンそっちのけでこちらに秋波を送ってきていた。貿易商に関しても、フォアード商会で取り扱う宝石やアクセサリーに興味があるだけで、仕事の内容には全く触れてこない。ペイトンは招待された手前、その場で席を立つことはしなかったが、翌日、ダミアンを呼びつけて、クリスタが自分に色目を使っていたことをありのままに告げ、
「お前は出汁にされたんだぞ。馬鹿にされて悔しくないのか? あんな女はやめたほうがいい」
と忠告した。が、
「そんなことは分かってる。でも、好きなんだ。本当なら俺みたいな容姿の人間は端から相手にされない。お前がきてくれたら彼女は誘いに応じてくれる。一緒に過ごす時間が増えれば俺のことを知ってもらえる。やっとスタートラインに立てる。チャンスなんだ。頼む! 協力してくれ!」
と泣きつかれて困惑した。
ペイトンがいくらやめておけと言っても聞く耳を持たない。だったら好きにすればいいが、こっちを巻き込むな。虐めがあることを知っているのに放置するのは加害者であると同様に、碌でもない女と分かって橋渡しをするのは悪だ、とペイトンは思った。
だが、ダミアンは形振り構わず縋りついてくる。周囲の人間も段々とダミアンに対する憐憫からか、
「本人が性悪女でいいって言っているんだから協力してやれば?」
などと言うようになった。ペイトン自身も、ダミアンの為に断っているのに、逆に恨まれる状況になっていることが段々馬鹿らしくなり、十回に一度ほど奇妙な三人での会食に応じるようになった。
そして、そんな事態は学園を卒業して更に悪化した。ダミアンがクリスタにフォアード商会で扱う宝飾品を貢ぐようになって、客として店へ来訪するようになった。利害関係のない友人なら誘いをつっぱねることもできるが、常連客に無下な態度はとれない。ローグ侯爵家が主催する夜会や茶会への出席を余儀なくされ、その度、クリスタに「ペイトンは私が誘うと必ず来てくれるの」と吹聴されることにうんざりした。
そして、その面倒くさい生活は、ペイトンが貿易商の仕事を一任されるようになってからずっと最近まで続いていた。が、アデレードとの結婚が決まった三月ほど前から、二人ともぴたりとフォアード商会へ来なくなった。そして、三週間前に突然、
「クリスタとの結婚が決まったんだ!」
とダミアンが歓喜して報告に来た。連絡が途絶えていた間に何があったのか。ペイトンは内心「早く目を覚まして手を切れ」と願っていたから「片思いが実っておめでとう」という気持ちにはなれなかった。ただ、自分にはわからないが、恋愛に生きる人間というのは存在する。社交界でのスキャンダラスな話も大概その手の痴情の絡れだ。実父も、自分からはあのクズみたいな母親と離縁しなかった。つまり、他人がとやかく口出す問題じゃないんじゃないか、と思った。だったら、自分にできることは友人の結婚を素直に祝福することだ、と、
「おめでとう。長年の思いが実って良かったよ」
と祝いの言葉を送った。
「あぁ。本当にお前のお陰だ」
「いや、僕は別に何も……」
一瞬前まで破局を願っていたのに、そんなことを言われたら心苦しくなる。
「それでクリスタと話したんだが、君の店で結婚指輪を作りたいんだ。あと式の引き出物とか家具なんかも新しく買い揃えようと思っている」
「もちろん。なんでも言ってくれ。最高の品を用意するよ」
その時、ペイトンは純粋な気持ちでそう返したが。
だが、この発言が悪かったのか、それからクリスタは一人で頻繁にフォアード商会へ来店し「そんなことはダミアンと決めろ」ということまでペイトンに相談してくるようになった。フォアード商会は手広く多種多様な輸入品を揃えているので、あれこれ注文されても対応できてしまうから、余計に始末が悪かった。
「要望に応じて最高級の品を用意することはできるが、購入品の決定権を僕に委ねられても困る。貴女とダミアンの使用する物なんだから、二人で相談して決めてくれ」
「だって、ダミアンより貴方の方がセンスがいいんだもの。ね、お願い」
両手を合わせて上目遣いに見られてゾッとした。ダミアンにしても他の男が選んだ調度品に囲まれて生活するなんて不快だろう。結局、ペイトンは、ダミアンが同席しない場合は自分が接客しないことを決めた。それでフォアード商会を使わないと言い出すなら構わない。常連客を逃すのは惜しいが、仕方ないと腹を決めた。しかし、その懸念は不要だった。それからは、必ずダミアン同伴で来店することが決まった。
それで本日は、午前は新居の家具選び、午後は指輪と引き出物選びをしたいと予約が入った。
その為、ペイトンは、朝から本社ではなく家具を取扱う店舗へ足を運んだ。市街地から少し離れた立地にあるが所有する店舗で一番大きな店だ。展示された家具類を見て周り、店員にあれこれ注文をつけるクリスタを見ながら、ペイトンは先日のダレスシトロン服飾店でのことを思い出した。自分の欲しいドレスを言い出せなくてまごまごしていたアデレードを浮かべると可笑しみが込み上げる。アデレードが大人しく気弱な令嬢ならば納得できる話だが、初対面の第一声が「嫌です」だったのだ。こちらの発言も相当不躾だったが、内気な令嬢なら言い返せなかっただろう。つまり、アデレードは言いたいことははっきり言うタイプなのだ。なのに手に持ったドレスを「これがいい」と言えずにいることは、思い返せば、なんというか非常に可愛い。
(いや、まぁ、これはあれだ、この場合の可愛いは我儘を我慢している子供に対して感じるのと同じ意味だが)
ペイトンは誰に対する弁明なのかよくわからない言い訳を考えながら、ただ、結婚したのがアデレードで良かったことだけは間違いないと感じていた。
父親の友人で裕福な侯爵家の娘という情報だけで、後のことは一切確認せずに結婚を了承したから。今考えると浅慮すぎる。同じ屋敷で生活しても、こっちが撥ねつければ済む話だと安易に考えていた。相手がクリスタみたいに、どんなに拒絶しても言い寄ってくるタイプだったらどうなっていたか。
ペイトンはクリスタを見る程、結婚したのがアデレードで良かったと心底安堵してしまう。同時に、白い結婚期間が満了して、アデレードとの婚姻を解消した後のことを考えると胸の中に暗雲が立ち込めた。後妻を娶ることを考えると寒気がする。自分はアデレードで良いのだ。
(白い結婚なんてせずに普通に結婚すればよかった)
しかし、こっちは良くともアデレードはどう思っているのだろうか。夢と希望をもって嫁いできたと言っていたが、こちらが普通の婚姻を提案していたら了承したのだろうか。式も挙げていないし、指輪の交換もしておらず、お披露目のパーティーも催していない。普通、女性はそういったことに憧れがあるのじゃないか。色んなことが悔やまれる。
(いや、まだ時間はあるからな)
アデレードが嫁いできて二月足らず。不自由な生活はさせていないはずだ。残りの期間、この先も婚姻を継続させてよいと思わせる環境を整えて、契約満了の日に打診してみたらよいのではないか。
「ペイトン! 聞いてるの? ねぇ、この天蓋のカーテンの色どっちがいいと思う?」
クリスタの声に、今大事なことを考えているんだから静かにしてくれ、と思った。が、ペイトンはすぐにハッと我に返り、
「え、あぁ、ダミアンはどちらが良いと思うんだ?」
と返した。曲がりなりにもクリスタは客で、接客中だ。一体何を考えていたのか。
「俺はどちらでも、クリスタの好きな方で」
ダミアンは全てにおいてこの回答だから、クリスタがこちらに意見を求めるのも若干頷ける。
「彼女もどちらでもよいから尋ねているんだろう。お前はどっちが良いんだよ」
「強いて言うなら緑かな」
「だったら緑でいいんじゃないか。どちらの色も品質は保証するよ」
ペイトンが二人の間を取りなすように言うと、
「貴方がそう言うなら緑にするわ」
とクリスタが答えた。万事がこんな調子で進んでいく。自分が間に入る必要性があるのか謎すぎる。仕事だと割り切って付き合うしかないが。
早く決まれば予定を巻いて指輪選びに移行できたが、結局、新居の家具を決めるのに午前中いっぱい掛かった。
昼食の後、本店へ移動した。応接室へ通すとクリスタが、家具を見るのに疲弊して引き出物を選ぶ体力がないと言い出した。それで今日は指輪だけ選ぶことになった。依頼されていた最高ランクのダイヤモンドは取り寄せ済みで後はカットの仕様と土台選びを決定するのみ。原石が既に保管されていると伝えると、クリスタは早く見せて欲しいとせっつき始めた。
三人で応接室からでたが、ペイトンは受付にアデレードの姿を見つけて目を疑った。来るなんて聞いていないし、訪れたいなどとも言われたことがない。
「すまない。少し失礼する」
ペイトンは二人に断ると、慌ててアデレードの傍まで駆け寄る。実家から郷土菓子が届いたから差し入れに来てくれたらしい。何故よりによって今日なのか。ダミアンはともかく、アデレードをクリスタには近寄らせたくない。ペイトンは、鈍い方ではあるが馬鹿ではない。アデレードに責められたロベルタ伯爵の娘について言えば、元々自分とほぼ接点がないのに、アデレードに何かするとは思っていなかった。だが、クリスタに関しては、自分に近寄ってくる令嬢達を勝手に牽制してきていることを知っている。ペイトンは、それに対してこれまでクリスタを咎めることはしなかった。自分で排除する必要がなくなるので、むしろ楽でいいくらいに考えていた。だが、アデレードは別だ。
「なんだよペイトン、俺達には紹介してくれないのか? 隠すなんて水臭いな」
ダミアンが声を掛けてきた手前、紹介するわけにもいかなくなった。
案の定、
「ペイトン、貴方、酷いわよ。式も挙げていないんでしょう? こんなに可愛らしい奥様を貰っておいて可哀想じゃないの。結婚式は女の夢よ」
などとクリスタが余計な発言をする。だが、注意するより、あまりに午前中に考えていた内容に一致しすぎて、
「君、式を挙げたかったのか? 君が挙げたいなら今からでも準備するが」
と、アデレードを試すような言葉が出てしまった。白い結婚だというのに何の前置きもなしに意味不明すぎる。アデレードが笑うので頭に血が上っていくのを感じた。アデレードは、結婚式に興味はないとさらりと答えたが、結婚できて良かったとも言った。その言葉を真に受けるほどめでたくはない。ただ、馬鹿みたいな発言をした羞恥心なのか焦燥か上手く思考が回らず、その後は上擦った発言をしていた気がする。
「ねぇ、早く指輪が見たいわ」
「あぁ、そうだな。では、アデレード夫人、失礼します」
アポイトメントを入れて来訪した顧客を断って、アデレードの相手をするわけにはいかない。ペイトンは、一緒に来ていたジェームスに後を任せて階下へ降りた。
結婚指輪だけのはずが、やはり引き出物を選ぶとクリスタが言い出し、その後、披露パーティでつける首飾りとイヤリングも購入する、と結局三時間掛かった。途中、従業員が、
「奥様は、社長が忙しそうなので帰宅されました」
と言いにきた。
「怒っていたか?」
咄嗟に口を衝いて出た言葉に、従業員は、
「いえ、全然。忙しい時に来て逆に申し訳なさそうでした」
と笑いながら言った。ペイトンは、それがアデレードの本心かどうか測りかねて困った。仕事なのでしかたない、と言ってしまえばそれまでの話なのだが。
店の外まで見送りに行くと、
「折角だから、三人で夕飯を食べに行きましょうよ。こんなに長時間私達の式の準備に付き合わせちゃったんだもの!」
さも名案と言った風にクリスタが言う。
「いや、僕は遠慮しておくよ。屋敷で妻が待っているのでね。君らも、二人で過ごした方が楽しいだろ」
とペイトンは答えた。アデレードが来ていたことは知っていたくせに気にする素振りを見せない。わざと長引かせたのかもしれないな、とペイトンは思った。流石にそこは仕事なので文句を言うのは筋違いだが、予定にない食事にまで付き合う義理はない。
「ペイトンから『妻が待っているから』なんて言葉を聞けるとはな。可愛らしい奥方だったものな」
ははっとダミアンは笑ったが、クリスタは、
「でも、ペイトンとは合わなそう。ちょっと地味すぎない? もっと貴方の美貌に見合った人がいると思うわ」
と誰のことを指しているのか、上目遣いに言った。
クリスタのこういった発言は今に始まったことではない。だが、
「僕の妻に失礼なことを言わないでくれないか」
ペイトンはいつになくイラッときて返した。
「ちょっと、どうしちゃったのよペイトン。いつもの貴方らしくないわよ」
ペイトンが反論するとは思わなかったクリスタは不満げ言う。
「これまでは妻がいなかったからな。でも、これからは違う。僕は彼女のことを大切にしているんだ。今後、貶める発言はしないでくれ」
「何よ。いやぁね。ちょっと若い奥さん貰ったからって。もういいわ。ダミアン帰りましょ」
クリスタは顔を赤くして言い放つと、店の向かいの馬車の停車場へ歩き始めた。
残ったダミアンは、
「すまない。お前が結婚したのが気に食わないんだ。式の準備は打ち合わせ通り手配してくれ」
と苦笑いで言った。
「お前、本当に結婚する気か?」
ペイトンが真剣な表情で尋ねると、
「あぁ、やっと結婚まで漕ぎ着けたんだ。お前には感謝しているよ」
とダミアンが嬉しげに笑うので、ペイトンはそれ以上は言わなかった。ただ、足早に去っていくクリスタを追いかけるダミアンを見つめて思った。
(恋か……)
自分が理解することは一生ないな、と。




