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 今日は実家から(くだん)のドレスの御礼の品としてウィスキーが届いた。アデレードの母国であるノイスタイン王国の名産品で、年代物のウィスキーともなれば百万ギルを優に超える。アデレードは詳しくないが、きっと送られてきた酒も値の張る品に違いない。ペイトンがウィスキーを嗜むかどうかは不明だったが、招待されたパーティーに手土産として流用するなど活用法はある。高級な酒は失敗しない贈り物として重宝されるのだ。

 アデレードは「これでちょっとは借りが返せるかしら」と安堵した。それから、ウィスキーと共に大量に送られてきた郷土菓子のルクラをお茶請けに午後のひと時を楽しんだ。

 バーサに頼んで、ルクラを使用人達にも配ってもらった。しかし、二十箱も入っていたので多量に残ったらしく、ジェームスから、


「貿易商の従業員達へ差し入れされてはどうですか? 旦那様もお喜びになりますよ」


 という提案を受けた。絶対に喜ばないでしょ、とアデレードは思ったが、


「夫の職場へ差し入れすることは、立派な妻の務めですよ」


 と続けてジェームスが言うので、そういうものかな? と納得してしまった。そして、すぐにフォアード貿易商へ訪れることを決めた。




 屋敷から馬車で二十分ほどの立地にあるフォアード貿易商は、アデレードが想像していたより立派な建物だった。一階は店舗で二階、三階が事務所らしい。ジェームスに案内されて従業員用の通路から二階へ上がる。受付に座っている女性が感じよく、


「いらっしゃいませ」


 と立ち上がって告げた。

 広いフロアに事務机が五つずつ三つの島に分かれて並べられている。男性が四人。女性は受付の他に席に三人座っているのが見えた。机の数に比して働いている人数が少ないのは外回りに出掛けているのか、別店舗に出向いているのか。五店舗も保有しているらしいので、忙しいのだろう、とアデレードは事務所を興味津々で見渡した。


「お客様ですか? 今応接室は使用中でして、待合室でお待ちいただければ……」

「いや、こちらは社長の奥方のアデレード様だ。今日は事務所へ差し入れに来てくださったんだよ」


 ジェームスがさらりと述べると、


「え、社長の奥様なんですか!」


 と受付嬢が声を張った。すると事務所で作業をしていた従業員達がわらわら集まってきて、


「よくぞお越しくださいました。社長にずっと連れてきてくださいってお願いしていたんですよ」

「そうそう。それなのに隠し回って」

「でも、こんなに可愛い奥様なら隠したくなるのもわかりますよ」


 とフランクに取り囲まれてアデレードはたじろいだ。あの偏屈なペイトンの性格上、職場でも浮いた存在だろうと決めつけていたが、もし、ペイトンが従業員に慕われていないならこんな反応にはならない。


「あの、いつも主人がお世話になっております、これ良かったら皆さんで」


 階段を上りきるまではジェームスが持ってくれていたが「奥様からお渡しください」と先ほど手渡されたルクラをおずおず差し出す。


「有難うございます」


 代表して受付の女性が受け取ると、


「社長は来客中でして、多分もうすぐ出てくると思いますが」


 とアデレードとジェームスを交互に見て言った。


「そうですね。では、店の方を少し見学しに行きましょうか」


 ジェームスがアデレードに笑い掛ける。その間も従業員達は「可愛い、可愛い、若ーい」と好奇の目を向けてくるので、アデレードは上手い返しができず苦笑いで、


「あ、じゃあ、お願いします」


 と小さく返事した。

 従業員達のノリは完全に貴族のそれではない。出自を問わず優秀な人材を雇用していると、馬車の中でジェームスに聞いていたがこんなに和気藹々とした雰囲気の会社だとは思っていなかった。ただ、恐ろしく好意的であることに安堵感はあった。これまでの経験上「なんであんたみたいな女が!」という視線しか向けられたことはなかったから。


「では、参りましょうか」


 ジェームスに先導され階段へ引き返すと、


「君、どうしたんだ!」


 背後からペイトンの声がした。

 アデレードが振り向くとペイトンが、


「すまない。少し失礼する」


 と傍にいる男女に告げ、応接室らしい部屋の前から慌てて掛けてくる。


「何かあったのか?」


 一体何があるというのか、と思いつつアデレードが、


「実家からノイスタインの郷土菓子が沢山送られて来たので差し入れに来ました」


 と答えると、


「わざわざ届けてくれたのか」


 とペイトンは拍子抜けしたような表情になった。余程自分が訪ねてくることが意外だったらしい。尤もアデレード自身もジェームスに言われるまで職場にくるなんて夢にも考えてなかったが。


「妻の務めとして、こういったことも大事かと思いまして」


 ジェームスの受け売りをそのまま返すと、


「そ、そうか。すまない。少し僕の執務室で待っていてくれないか」


 とペイトンは言った。

 店を案内してもらう所だったが、ペイトンの指示に従った方がよいのか悩む。


「執務室は本が散乱しているでしょう。私が店の方を案内しておりますので、見学が済むまでにどうにかしてください」


 ジェームスが横から口を挟んだ。別に本くらい散乱していてもいいじゃないか、とアデレードは思ったが、ペイトンは「あ、あぁ、そうだな。それがいい」と何故か力強く頷いて、


「ゆっくり見て回るといい。欲しい物はなんでも買ってあげるから、ジェームスに言いなさい」


 とどういうキャラ設定なのかわからないような台詞を吐いた。「きゃー」という歓声が女性従業員達から上がる。ペイトンがそれに気づいて振り向くと、


「お前ら、見世物じゃないぞ。早く持ち場へ戻れ」


 と一喝した。が、従業員達は委縮する様子はなく、むしろにやにやしながら、


「奥様、お菓子有難うございます。後で、美味しい紅茶を淹れてお持ちしますね」


 と言い残して席へ戻っていく。いろいろ意外過ぎてアデレードは呆気に取られた。「旦那様は仕事上なら女性とも人並みに交流されるんですよ」となんの会話の時だったかジェームスが言っていたことを、アデレードは思い出した。残念な主人をフォローする健気な執事の発言だと生暖かく聞いていたが、本当だったのね、と思った。


「では、奥様参りましょうか」


 再びジェームスに促され階段の方へ姿勢を向ける。しかし、今度もまた別の声に呼び止められた。


「なんだよペイトン、俺達には紹介してくれないのか? 隠すなんて水臭いな」


 先程までペイトンが接客していたらしき男女が近づいてくる。茶色の背広を着た小柄な男性と紫のシックなドレスに身を包んだ派手めな女性だ。顧客なのかと思っていたが、口調からして知人か友人のようだ。


「そうよ。貴方が結婚したって皆大騒ぎなのに何処の夜会にも出席しないし。奥様退屈しているんじゃないかしら? 隣国から嫁いで来られたんでしょう?」


 妖艶な美女だ。ペイトンの最も嫌いなタイプではないか。じろじろ見てくるので非常に感じが悪い。ただ、アデレードはこっちの対応の方が慣れているので「ふうん」と思いながら負けじと不躾な視線を返した。向こうがゴージャスなドレスで、自分は普段着のシンプルなワンピースであることだけ悔やまれる。夫の仕事場に着飾った妻が現れるのは場違いな気がして配慮したのが裏目に出た。


「隠しているつもりはない。嫁いできたばかりで生活に慣れるのが先決だと思っていただけだ」


 ペイトンはそう言うと、こちらを指して「バルモア侯爵の末娘で妻のアデレードだ」と端的に告げた。


「初めまして。アデレードです。以後お見知り置きを」


 アデレードもワンピースを軽く摘んでシンプルな挨拶をした。


「初めまして。俺はローグ侯爵家のダミアン。こっちは婚約者でボリナス男爵家のクリスタです。三人とも学生時代からの付き合いでして、折角だからペイトンの店で結婚指輪を選ぶことにしたんです。ペイトンの奥方に会えるとは、お目に掛かれて光栄です」

 

 ダミアンと名乗る男が感じよく言うが、隣の女性を婚約者だと告げることに、


(じゃあ、なんで好戦的な目で見てくるわけ?)


 とアデレードは驚いた。美人に対する劣等感と被害者妄想でそう感じたのかな、と一瞬思った。が、


「ペイトン、貴方、酷いわよ。式も挙げていないんでしょう? こんなに可愛らしい奥様を貰っておいて可哀想じゃないの。結婚式は女の夢よ」


 とクリスタが言うので気のせいじゃなかったことを確信した。

 誰がどう見ても裕福で、あり余る私財を有しているフォアード侯爵家の嫡男が結婚式を挙げないのは、白い結婚である以外に他ならない。わざわざ(あげつら)うのは「これは政略結婚で貴女は愛されているわけじゃないのよ」と示唆している嫌味だ。


(なんなのこの人。婚約者の前で自分の性格の悪さ露呈して馬鹿なんじゃない?)


 自分だったらこんな性悪とは破談にする、とアデレードは呆れたが、ダミアンはにこにこしている。正直なところ、見た目的に美女と野獣のようなカップルだ。ダミアンが惚れ切っているのだろう。恋は盲目だ。


(なんて返したら鼻を明かしてやれるかしら)


 アデレードが上手い煽り文句を考えていると、


「君、式を挙げたかったのか? 君が挙げたいなら今からでも準備するが」


 ペイトンがこちらに向けて言い放った。


(何言ってんの)


 白い結婚制度を理解していないのか。クリスタを牽制するのに力を貸してくれたのか。前者ではないだろうが、絶対に後者でもない。じゃあ、どういうことなのか。アデレードはペイトンの言動のあまりの訳のわからなさに吹き出してしまった。


「急にどうしたんだ」


 ペイトンが焦って言う。お前がクリスタの嫌味にとぼけた横槍をいれるからツボに嵌ってしまったんだ、などと説明できるはずもない。それに今はクリスタをやり込めるのに忙しいのだ。アデレードは、


「いえ、私は式には興味がないので挙げて頂かなくて大丈夫です。旦那様と結婚できただけで幸せですから。でも、クリスタ様はダミアン様との結婚式をとても楽しみになさっているようです。素敵な挙式を予定されているんでしょうね。おめでとうございます」


 とペイトンを出しにして、クリスタに対する皮肉を返した。


「いやぁ、有難うございます。式には是非ご夫婦でお越しください。招待状を送りますので」


 だが、クリスタではなくダミアンが嬉しげに返事するので、若干申し訳なさを感じた。祝い事に難癖をつける真似は人としてどうかと思った。売られた喧嘩はもれなく買う所存だが、ペイトンの友人で顧客でもあるならば、ある程度は許容しないといけないわね、とアデレードは自省した。なので幸せそうなダミアンに対し、優しい気持ちで、


「ご招待頂けるなんて光栄です。二人の門出を心から祝福します」


 と言った。


「あぁ、そうだな」


 ペイトンも同意する。すると明らかにクリスタの目つきが鋭くなった。アデレードにだけわかるような絶妙な立ち位置で睨んでくる。今のはペイトンが勝手に言っただけでしょうよ、とアデレードは腑に落ちなさを感じた。大体、ダミアンとの結婚が決まっているのになんなんだろうか。ペイトンに執着しているのは明白だが、学生時代好きだった男、という範疇の熱量ではないことに、アデレードは引いた。


「ねぇ、早く指輪が見たいわ」

「あぁ、そうだな。では、アデレード夫人、失礼します」


 分が悪いと悟ったのか、クリスタが甘えた口ぶりで言うと、ダミアンがすぐに応じて二人が階下へ向かう。

 これ以上睨まれたら「私の旦那様が好きだから妻の私を妬んで睨むんですか? 婚約者が隣にいるのに頭大丈夫ですか?」と口に出してしまいそうだったので助かった。


「少し時間が掛かるから、君も下で好きな物を買うといい」


 まだその場にいるペイトンが、しつこく何処かのパトロンのような台詞を言う。そもそもドレスの御礼のウィスキーが届いたから、ついでの差し入れでここに来たのだ。またプレゼントされたら本末転倒になる。何も買わなければ良いだけの話なので「有難うございます」と返したが。


「ペイトン、何しているの? 早く指輪を見せて頂戴!」


 クリスタからお呼びが掛かる。


「お仕事でしょう。行ってください」

「あぁ、じゃあ、また後で」


 ペイトンが二人の後を追う。その肩越しに何故か勝ち誇った笑顔のクリスタが見えた。全然相手にされてないのに何故? という感情しかない。


(もしかして夜会に行ったらこんな連中がうようよいるんじゃないの?)


 想像するとうんざりする。しかし、その一方で、ノイスタインの敵はバリバラで討てばよいのでは? と不埒なことも思った。

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