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▽▽▽

  長いカーテンコールが終わり完全に舞台の幕が下りても場内はまだ熱気に包まれていた。混雑を避けるため、二階席、三階席、一階席の順に出口が開放される。当然の如く、ロイヤルボックス席は一番に誘導された。

 ペイトンのふわふわしたエスコートをうけて予約したレストランへ向かう。劇場内部と扉が繋がっていて直接入れるらしい。ドアマンはペイトンの顔を見ただけで、


「フォアード様、本日はご予約有難うございます」


 と深々礼をした。このレストランはどう考えても演劇鑑賞後に使用される立地だ。ペイトンは開幕前に「仕事で仕方なく来たのだ」とくどくど言っていたが、顔を覚えられるくらい頻繁に来ているんじゃないか、とアデレードは思った。


(まぁ、別にいいんだけどね)


 すぐにウェイターが来てテラス席へ案内された。テラスには三つテーブル席があってそれぞれ衝立で仕切られている。入り口から一番奥へ通されたので、他がまだ空席なのは確認できた。


「注文がお決まりになったらお呼びください」


 ウェイターは、ペイトンがホストと解釈しているらしい。私が払うのよふふん、などと幼稚なアピールするつもりはないので、ウェイターが完全に下がるまで待って、


「どうぞ、なんでも召し上がってください。ドレス三着分には及ばないと思いますが」


 とアデレードは言った。


「こういうのは、やはり夫が払うものだろう」

「コースのメインが肉と魚に分かれてますね。どっちにします?」


 フル無視してアデレードが尋ねると、ペイトンはそれ以上(あらが)うことなく素直に魚を選んだ。


「じゃあ、単品で肉料理も選んでください」

「え」

「遠慮なさらず。どうぞどうぞ。仔牛のローストとか、フィレ肉のステーキとかいいんじゃないですか」


 メインが魚でも、コースには肉料理も出る。単品で別途頼むことはあまりしない。が、注文しても別に問題はないので、この間の意趣返しにアデレードは言った。しかし、ペイトンは先日のデザート云々に関して、嫌がらせで追加を頼めと言っていたわけではないので、


「僕はそんなに大食漢じゃないから」


 と至極真面目に返してくる。アデレードは微妙な気持ちになって、意地悪するのはやめた。テーブルベルでウェイターを呼び、魚と肉のコースを一つずつと、適当に料理に合うワインを持ってきてくれるように頼んだ。


「君、顔に出るから酒は飲まない方がいいんじゃないか?」


 またペイトンが余計なひと言を挟んでくるが、


「以上でお願いします」


 とアデレードは強引に注文をすませた。

 ウェイターがいなくなると、


「その……すまない」


 と急にペイトンが謝る。酒のオーダーの邪魔をしたことかと思えば、


「あんな内容の話だとは思わなかったんだ」


 と言うので初めは何を指しているのかわからなかった。


「え?」

「苛々する内容だっただろ」


 内容、内容と繰り返すのでやっと勿忘草のことか、と理解できたが、


(一緒に観に来た演劇の内容が気に入らないからって、同行者に怒ったりしないでしょうに。つくづく変な人ね)


 とアデレードは思った。同時に、もしかして面白くなかったから続編は観に行かない流れにしたいのでは? と勘繰る思いが芽生えた。


「私は面白かったですけど……」

「そうか。君が楽しめたなら良いんだ。続編のチケットも手配しておくよ」


 とペイトンはさらりと言った。


「有難うございます」

「いや」


 とりあえず、お礼を述べてみたが、不快な演劇鑑賞に付き合わせるのも悪い。


「苛々するってダリルにですか?」


 そんなに苛つくなら続編は一人で行きますという流れに持っていこう、と考えてアデレードは尋ねた。勿忘草に対する男性の感想を聞いたことがなかったので、単純に興味もあった。


「いや、あの主人公の娘だよ。さっさと諦めればいいのに。そしたらあんなに傷つくこともなかったんだ。僕だったら他の女性との約束を優先された時点で別れる。男なんて他にいくらでもいるだろう。あんな男に拘る必要がない」


 ペイトンが忌々しげに言う。

 アデレードは、三年前姉のセシリアにも似たようなことを言われたことを思い出した。

 セリシアがダリルを非難するのに(かこつ)けて、レイモンドをを(あげつら)っているのがわかって「なんでそんなこと言うの?」という気持ちが膨らんだ。ラウラを擁護してみたり、ダリルを庇ってみたり、兎に角、向きになってわーわー喚いた。結局、手を焼いた大人のセシリアが折れる形で話は終結したけれど、実際は言い負かされたと感じていた。本当はアデレードもレイモンド(ダリル)を酷いと思っていたから。

 でも、今は、そういった感情は全く湧いてこなかった。セシリアと違ってペイトンが純粋に勿忘草の話をしているだけだからか、レイモンドのことがどうでも良くなったからか。ただ、霧が晴れるみたいに、かつての自分と姉との思いの丈が食い違う理由がわかった。私の気持ちを理解してくれない、と姉を責めたけれどわからなくて当たり前。だって、


「旦那様は、ダリルのことを好きじゃないからそう思うんですよ。でも、ラウラはダリルを好きなので」


 好きな人には嫌われても好き。とても単純な話だと今更ながら気づいた。


▼▼▼

 父から譲り受けたチケットだから無理して鑑賞したのではないか、と気を回したが、アデレードは「面白かったです」と答えた。ペイトンは俄かに信じられなかった。自分は話の途中からラウラに対して「早く別れろ」という感想しか持てなかった。黙って姿を(くら)まさず別離の言葉をはっきり伝えてスッキリ終われば良かったのに、と不快な気分でカーテンコールを眺めていた。でも、アデレードは違うらしい。


「例えばなんですけど、嫌いな人間に挨拶して無視されたら、『いやいやお前、こっちは礼儀として挨拶してやったのに何様のつもりだ。お前なんか二度と声掛けてやらないからな、地獄に堕ちろ馬鹿が』って思うじゃないですか」


 え? 挨拶を無視されただけでそこまで? とペイトンは思ったが、アデレードはこちらの様子はおかまいなしで続ける。


「でも、それが好きな人だった場合『あれ? 聞こえなかったのかな?』とまず思うじゃないですか。体調が悪いのかな、とか、機嫌が悪かったのかな、とか、もしかして自分が何かしちゃったのかな、とか。そこでいきなり関係性を断絶したりはしないでしょう。なんで無視するのか理由を知りたいし、原因があるなら解決したいし、元に戻ってほしいと思う。多分、そんな状態がずっと続いている感じですよ」


 言いたいことはわからなくもない。その発想はなかったな、とペイトンは思った。邪険にされた相手に縋りつくなど矜持が許さない。みっともないからやめろ、とペイトンはラウラに対して不愉快だったのだ。だが、アデレードの話を聞いても、


「僕にはやはり理解できないな。幼い頃仲が良かっただけで、あんな仕打ちをされてずっと好意を継続し続けるなんて」


 と納得しきれずペイトンは反論した。するとアデレードは、


「だから、姿を(くら)ませたんですよ」


 とあっさり言った。え? とペイトンはわけがわからなかった。


(今、好きだから蔑ろにされても別れない話をしていたんじゃなかったか?)


 困惑している間に、ウェイターが食前酒とアミューズを運んで来た。アデレードは、シャンパンを一息に(あお)って、ポテトとスモークサーモンのアミューズを上機嫌で口に運んだ。下品な振る舞いではないが、


(そんなに一気に飲んで大丈夫なのか……)


 アデレードは、子供がジュースを飲むみたいにぐびぐび飲むから心配になる。注意するとムスッとするので好きにさせることにしたが、酒に弱いと思われるのが嫌なのかなんなのか。侯爵家の令嬢にしては喜怒哀楽がわかりやすい。わかりやすいが、その感情の起因が不明なので厄介だ。さっきも一瞬曇った表情を見せたが、今はにこにこしている。


「君の理屈ならラウラは姿を消さないんじゃないか」

「え?」

「好きな人には嫌われても好きなんだろう?」


 アデレードはそれまだ続けていたの? という視線を向けてくる。会話は途中だったのではないか。いや、蒸し返す話ではなかったか。観劇の後は、食事を共にして家まで送って帰るのがパターンだ。紳士の嗜みとして毎回そうする。その際の会話は大体演目の感想になるが、恋愛談義にならないように気をつけてきた。理想の恋人像やら好きなタイプへの話に飛躍して面倒くさいことになった経験が何度もあったから。だというのに、今はこちらがしつこく尋ねている。何をしているのか。


(いや、契約を遂行するためだ)

 

 アデレードの恋愛観は知っておく必要がある、とペイトンは言い訳めいて思った。

 

「だから、好きなうちは平気なんですが、好きじゃなくなったら平気じゃなくなるんです。別にずっと好きでいるとは言ってません。ある時、ハッと目が覚めるんですよ。でも、目覚めるまでは好きだから、他人がとやかく言っても無意味なんです。根本的な見方が違うから」


 アデレードは答えるが、矛盾しているのかいないのか混乱した。ペイトンが反応できずにいると、


「旦那様も、碌でもない女を好きになれば分かります」


 とアデレードは笑った。他の女を好きになれ? それは曲がりなりにも夫に言う台詞か? ペイトンは、何故か妙にムッときて、


「好きになるなら優しく良識的な女性にするよ」


 と答えたが、言った後、自分は何を言っているのかと直ぐに訂正した。


「そもそも僕は女性を好きにならない」

「ブレないですね」


 アデレードかへらへら笑う。酔っているんじゃないか。水を飲ませるべきか、じっと視診するよう見つめるとバチッと目が合った。


「でも、わかりますよそういう感じ。自分の中の恋する力がもう尽きて誰も好きにならないってことが分かるっていうか。時間が経てばまた好きな人ができるとか諭されると鬱陶しくなります」

 

 アデレードは急に真顔になって言った。

 今までこんな風に自分に共感してくる令嬢は何人もいた。だが、行き着く先は「わたしは貴方の気持ちを理解しますし、他の女性とは違います」というアピールだった。アデレードも同様のことを言い出すのではないか。ペイトンが疑念を抱いていると、ウェイターが次の料理を運んできた。


「わー、美味しそうですね」


 アデレードは、ペイトンをそっちのけで食事に夢中になった。スープ、魚料理、肉料理と次々運ばれてくる。一皿食べ終えたら、すぐ次がくる。明らかに品出しのスピードが速い。アデレードは全く気にする様子はなかったが、ペイトンは、


(しまったな)


 と思った。この店で食事を取る際には「間隔を短くしてくれ」と依頼している。恐らく今回も店が気を利かせてその配分で料理を提供している。自分が指示したわけではないのだが、ペイトンはなんとなく後ろ暗く思った。

 

「なんか、段々腹が立ってきたな……」

「え」


 アデレードが誰に言うともなしに呟く。ペイトンは、一瞬料理の提供に関してアデレードが何か勘づいたのかとギクッとなったが、


「あの女達に馬鹿にされる筋合いないんだけど」

「え?」

「大体、嫌なら嫌ってはっきり言えばいいのに……結婚するなんて言わなきゃ良かったのに!」


 ドンッとアデレードがテーブルを叩く。大した力でもないので、食器が飛び跳ねるなんてことはないが、


(酒乱の気があるんじゃないか。やっぱり酒に弱いんじゃないか)


 とペイトンは呆れ気味に思った。

 アデレードは顔が赤いのはさることながら、どう見ても目が素面のそれじゃない。食事と共に運ばれてきたワインをグビグビ飲むのを好きにさせていたが、料理が早く運ばれてくる分、ピッチも速かった。


「君、大きな声出すのはやめなさい」


 衝立で仕切られているとはいえ大声を出せば隣に聞こえる。


「なんで私が悪いみたいに言われないといけないの!」

「いや、僕はいいんだが、他の人に迷惑だから……」


 ペイトンが途端に弱気で返す。


「うわーん。ひどいよー!」

「だから、ほら、他の人の邪魔になるから……」


 ペイトンはおろおろして立ち上がりアデレードの傍まで寄った。衝立の向こうの席を気にしながら、


「きつい言い方をして悪かったよ」


 とアデレードにだけ聞こえるように言う。それでアデレードのトーンは下がったのだが、今度は声を殺してポロポロ泣き出した。状況は全く改善しておらず、むしろこっちの方が心理的にくる。ペイトンがどうしてよいのかあわあわしてる間に、アデレードは、


「嫌いなら嫌いで仕方ないけど誠実な態度で断るべきでしょう。なんで好きな気持ちを馬鹿にされなきゃいけないの? だったら初めから結婚するとか言うな」


 と憎々しげに言った。何の話だ、と一瞬思ったが、勿忘草の内容であることは直ぐに理解できた。同時に「まぁ、確かに」とペイトンは思った。ダリルはラウラが恋を諦めようとするタイミングで気を引くようなことをしていた。人の気持ちを弄ぶ真似をして非道な男だと思ったが、それ以上にそんな男に引っかかるラウラを愚かだとペイトンは感じていた。でも、ラウラ贔屓のアデレードはダリルに腹が立つのだろう。ここまで主人公に肩入れするか? と思わなくもないが、


「そんなに好きだとは知らなかったんだよ。悪く言ってすまなかった」


 とにかく今は泣き止ませるのが先決なので謝った。


「知らないわけないでしょ!」

「いや、本当にそんなに好きだとは思わなかったんだよ」

「別にもう好きじゃない」

 

 だったらなんでこんなに泣きじゃくるんだよ、絶対好きだろ、とペイトンは頭を抱えた。アデレードがぐじぐじ鼻をすするので、胸ポケットのハンカチーフを差し出すが、全く受け取る気配がない。やむなくペイトンはそっと涙を拭うようにハンカチをアデレードの頬に添わせる。 


「あいつら、ぼっこぼこにしてやる」


 アデレードは顔に当てられたハンカチは気に留めることなく何処か遠くを見て言った。


「あいつら?」

「あの無礼な女達よ」


 アデレードの言葉に、ペイトンは、ダリルが浮名を流していた令嬢達がラウラを嘲笑する場面があったな、と劇中の一場面を脳裏に浮かべた。


(ぼこぼこにするって誰を? 演者を? そんな馬鹿な)


 しかし、ここで否定的なことを言ったらまた喚きだしそうだと判断して、


「暴力はよくないから謝罪させるくらいにするのがいいんじゃないか」


 とやんわり告げた。その言葉を聞いてアデレードがゆっくり視線だけこちらへ向ける。ペイトンは一瞬、全面的に肯定すればよかったと後悔したが「わかりました」とアデレードが素直に頷いたので、拍子抜けした。それから急に大人しくなったので、このまま演劇のことを蒸し返させないようにしなければ、と、


「ほら、顔を拭いて。もうすぐデザートが来るんじゃないか。君、甘い物好きだろう?」


 とペイトンはアデレードの顔を拭いながら言った。アデレードはあまり厚化粧でないせいか、さほど大惨事にはなっていない。ただ、目の下が黒いので、どうにかそれを綺麗にしたくてペイトンはハンカチを何度も擦りつけるが落ちない。少し水分を含ませた方がよいのでは、とテーブルの水のグラスを手にしてハンカチを濡らし、再度チャレンジする。アデレードは自分で顔を整える気が全くないらしい。されるがままぼんやりしている。自分でやれと言って、また荒れ狂うと困るため、ペイトンはできるだけ刺激しないように丁寧に顔に触れた。


(なんか、柔らかいな)


 アデレードが大人しくなったので、ちょっと気が緩んだペイトンは無意識にそう思った。が、直ぐに我に返って、何を考えているんだと、顔が赤くなるのを感じた。


「デザート……」


 随分遅れてアデレードは先程のペイトンの言葉に反応する。


「そ、そうだ。僕の分も食べていいから」


 変なことを考えていた、とバレないように慌てて答えると、


「チョコレートケーキですか?」


 と、またアデレードが困るような質問をしてくる。


「さぁ、ちょっとわからないな」

「違うんですか……」


 再び泣きだしそうになるので、ペイトンはギョッとした。今すぐ厨房まで走って行って「金に糸目は付けないからデザートはチョコレートケーキにしてくれ」と言いたかった。が、ここにアデレードを放置していけない。冷静になればテーブルベルでウェイターを呼んで追加で注文すれば済む話だったが、そこまで頭が回らず、


「わかった。今度、君が好きな店のチョコレートケーキを買ってあげるから、今日はこの店のデザートを食べよう」


 と答えた。


「何処でもいいんですか?」

「あぁ」

「ルグランでも?」

「あぁ、そこにしよう」

「半年待ちですけど」

「どんな手を使ってでも手に入れるよ」

「不正は駄目でしょ」


 と言うとアデレードはけらけら笑いだした。どういう神経をしているのか。元々まともじゃない感じはしていたが、酔っていることを差し引いてもおかしい。


「君が大人しく待っているなら、ちゃんと正規のルートで買うよ」

「わかりました」


 本当に分かったのか、何が分かったというのか、疑う気持ちしかないが、非常に上機嫌にへらへらしているのでペイトンはそれ以上何も言わずに、アデレードの顔を綺麗に整えてやると自席に戻った。ほぼ同じタイミングでデザートが運ばれてくる。もしかして会話を聞かれていたのではないかと疑念を抱いて居た堪れない気持ちになったが、デザートは葡萄のタルトとアイスクリームだったので、聞かれていないと思うことにした。


「わーい」


 と言ってアデレードがデザートを食べだす。ペイトンはどっと疲れながらも、


「ほら、これも食べなさい」


 と自分の皿をアデレードに突きだした。


「旦那様」

「なんだ」

「お礼にあの女達をぶっ飛ばしてやりますね」 


 アデレードがにこやかに言う。何の御礼か知らんが、御礼なら誰もぶっ飛ばさんでくれ、とペイトンは思った。が、取り敢えず拒絶はせずに、


「あの女達とは誰だ?」


 と今度は何処の女をぼこぼこにするつもりなのか尋ねた。


「旦那様を傷つけたお母様と家庭教師の女です」

「は?」


 この小娘は何を言っているのか。実母に対しても家庭教師に対しても心の底から軽蔑しているだけで傷ついてなどいない。勘違いするな、と思った。思ったが、


「二人とも何処にいるかなんてわからないぞ」


 と馬鹿な言葉が口を衝いて出た。


「大丈夫です。黒魔術でやるので」

「君、黒魔術なんかやるのか」

「嗜む程度ですが」


 黒魔術などあるわけない。酔っ払いの戯言だ。大体、あってもそんな如何わしいものを使用するな。頭ではそう考えるのに、


「……そうか、じゃあ、頼むよ」


 とさっきから思考とは反することばかり口走ってしまう。アデレードのことばかり気をとられていたが、同じペースで飲んでいたのでこっちも酔いが回ってきたのかもしれない。


「任せてください。これで旦那様の心の傷も癒えますね」

「ついでに、君の報復も黒魔術でやったらどうだ?」


 ペイトンが馬鹿らしくなって告げると、


「あぁ!! 旦那様、天才なんじゃないですか!」


 とアデレードが心底感心したように言って「黒魔術で一網打尽ですね」とけらけら笑い出した。化粧も剥げ落ちて、目も完全になくなって、腹が捩れるくらい笑っている。


(もう酒は飲ませないからな)


 この小娘は本当にどうしようもない。酔いが醒めたら絶対に説教してやる。何が黒魔術だ、本当に馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しすぎるのに、実母のことも、家庭教師のことも、アデレードが黒魔術で一網打尽にするならいいか、と自分の中の何かが流れていくように感じた。そうか、そうか、と思った。だったら、もうどうでもいいな、と。何がもういいのかもよく分からなかったけれど、とにかく全部良くなって、ペイトンは気づけば笑ってしまっていた。


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