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 バリバラ国は性に奔放な国ではないが、かといって厳粛でもない。海外国交が盛んで国際結婚も多いし、自由恋愛には寛容だ。独身の男女が二人で出掛けることに対しても、逢引き宿にしけ込むようなことでもなければ咎められない。逆に男女間の友情やビジネスライクな関係を名目に誘われて断ることは、こちら側が変に意識をしていると解釈される。

 だから、女性嫌いのペイトンも、学生時代の誘いは片っ端から断ってきたが、仕事に就いてからは、それなりに社交儀礼の付き合いはするようになった。相手が色目を使ってくればその時点で切るだけのことだ。

 その中で、観劇に行くことは楽で助かった。なにせ二時間の間、何も喋らなくて済む。下手に植物園やら美術館やらへ出向いて、ずっとエスコートしなければならないより遥かにましだ。事前に劇場に、座席の間にサイドテーブルを設置するよう手配して、部屋のランプも通常より明るくするよう指示しておけば、不用意な接触は防げる。恋仲でない男女が個室で一緒にいるための適切な配慮でもあるし、貴女とはそういうつもりはない、という明確な意思表示にもなるから便利だった。

 だが、本日は事前にそういった手配はしなかった。


「いつもみたいに劇場に連絡しなくてよいのですか?」


 とジェームスに尋ねられて、


「自分の妻と行くのにそんなことはしないだろ」


 と強気に答えた。ジェームスからは「良かったです。ポイント付けずに済んで」と生暖かい眼差しが返って来た。


「お前馬鹿にしているだろ」

「被害妄想はやめてください」


 という会話が繰り広げられた。

 しかし、公演日が近づくにつれ、自分達は白い結婚であるのだからやはり座席は離しておくべきではないか、いや、でも、それはそれで妻に対して失礼ではないか、と不安になった。考えあぐねた末、別に手配するのはこちらではなくアデレード側からも出来る。契約内容を鑑みても、こちらは妻を愛する設定なのだし、むしろ嫌っている向こうが行動すべきではないか、と結論付けた。

 そして、本日、アデレードが席を離す指示をしたに違いないと決め込んで、ボックス席に入ると普通に椅子が隣り合わせになっているので、ペイトンは固まってしまった。一方、アデレードは戸惑うことなく奥の方の席に腰を下ろして、


「座らないのですか?」


 とのうのうと言ってのけた。

 この小娘は、危機管理能力がなさすぎでは? と憤りが湧いた。今日はたまたま自分が相手だから良いものを、出会って一週間の男と観劇に来るなら座席は離すよう手配すべきではないか。世の中、紳士的に男ばかりじゃない。力でねじ伏せられたらどうするつもりなのか。


(ちょっとキツく注意しといてやろう)


 ペイトンは息巻いてアデレードの隣に座った。しかし、アデレードは全く動じることなく身を乗り出して舞台を見ている。そういえば、今日の公演は昔見た演目だと楽しみにしていたな、と先週の晩餐での会話を思い出した。アデレードがじっと舞台を見ているので、今叱り飛ばすのは可哀想な気がしてきた。


(まぁ、結婚している間は僕が守ってやれるからな)


 一年後別れる時に忠告してやろう、と思い直し、叱る代わりに、


「サイドテーブルの引き出しにオペラグラスがあるから必要なら使うといい」


 と教えてやった。


「え、そうなんですか?」


 アデレードは言われるままに引き出しを開け、中からオペラグラスを取り出した。折りたたみ式の物で開き方がわからないのか、手の中でカチャカチャ動かしている。開けてやろうか、と声を掛ける前に、


「この席はよく利用されるんですか?」


 と、アデレードはオペラグラスに視線を向けたまま言った。ペイトンはギョッとした。ロイヤルボックス席を入手する倍率は高い。男二人で利用することなどまずない。暗に女性と来たかと尋ねている。デリカシーないんか、とペイトンは思った。しかし、自分はやましいことなどしたことはない。堂々としていればいい。


「誤解しないでくれ。仕事の付き合いで仕方なく来ただけだ」

「そうなんですね」


 納得した風な返事だが、まるで信じていなさそうなアデレードの態度に、ペイトンは心外して、


「本当なんだ」 


 と繰り返した。しかし、アデレードはオペラグラスを見たまま何も言わない。ペイトンは、最初に女性嫌いと宣言しているのに、その実、女遊びをしているみたいなレッテルを貼られたらかなわない、と、


「海外の顧客が渡航してきた時に、一緒に行く人間がいないから、と同行を頼まれることがあるんだ。あと、お礼にと誘われたら、仕事上、無下にも断れないだろう。たかだか二時間の演劇を観るだけだ。密室と言っても舞台からはこっちが見えている。そうだ、君、知っているか? 演者からは案外観客の様子は見えているものなんだぞ」


 と一気に捲し立てた。その内心、


(何故、結婚前のことをつらつら説明しないといけないんだ。なんか後半話題を逸らしたみたいになったし。大体、好きで女性と観劇に来ていたわけじゃないんだ。妻がいるならむしろそれを口実に断れる。婚姻しているうちに、他の女性と二人で出掛けるなどありえないんだから、文句を言われる筋合いはないぞ)


 とアデレードは全く文句など言っていないのに勝手に憤った。そんなペイトンに対してアデレードは、


「別に何も疑ってないですし、結婚前のことまで持ち出していちいち責めたりしませんし、今後も仕事の付き合いに口出しすることはありませんよ」


 と見透かしたように返してきた。

 ペイトンは、初めは思っていることが伝わったのか、とその言葉を額面通りに捉えて頷きそうになった。が、最近の愛読書である「女性が教える女性の心理」の一説を思い浮かべて、


(これって良いって言いつつ全然良くないやつなんじゃないか)


 とハッとなった。なので頷く代わりに、


「いや。それはちゃんとする」


 と告げた。すると、


「……お任せします」


 とアデレードの態度が軟化したように思えた。それから、オペラグラスを差し出してきて、

 

「これ、旦那様の分のオペラグラスです」


 と、何故か妙にへらへら笑っている。なのでこちらも毒気を抜かれてグラスを黙って受け取った。瞬間、思い切り手が触れる。ペイトンは咄嗟に謝ったがアデレードは気にする様子がなかった。


(だから、密室で簡単に男に触れさせるな)


 やっぱり注意してやろう、とペイトンは思った。が、タイミング悪く開演のアナウンスが流れた。照明が落ちて幕が上がる。アデレードが、食い入るように舞台に視線を向けたので、叱ることはやっぱりやめた。





 ペイトンは、観劇の際には舞台に集中することにしている。

 同伴している令嬢がチラチラこっちを意識している素振りをしても気づかないふりをして、ただ真っ直ぐ演者達を見る。

 しかし、本日は違った。物理的になんの隔たりもなくアデレードが隣にいることに注意力が削がれて仕方なかった。だが、後でストーリーについて聞かれた時、答えられないと拙いと思い、内容だけは拾おうと無理やり舞台に意識をやった。が、


(なんだこの話)


 と途中で展開についていけなくなった。




 勿忘草の物語は、ヒロインである幼い伯爵令嬢のラウラが母親を亡くすところから始まる。

 仕事人間の父親と二人きりになった寂しいラウラ。その心の穴を埋めるのが同い年の男爵家の少年ダリルだ。引っ込み思案なラウラをダリルが献身的に守り、支えて、仲睦まじい幼少期を過ごす。

 しかし、成長したラウラに侯爵家の嫡男との縁談が持ち上がったことで二人の関係は変化する。

 ダリルを愛しているラウラは、父親にその思いを訴えた。父親は、実は娘を大切に思っていたためラウラの気持ちを知り縁談を白紙に戻す決断をする。が、見合い相手の方にも恋仲の令嬢がおり、ラウラが縁談の断りを申し出るより先に、その恋人の妊娠が発覚してしまう。あっと言う間に噂は社交界を駆け巡り、ラウラは「寝取られ令嬢」と嘲笑されるようになる。そして、その噂のせいで、ラウラは長年の思いを告白した時、「あの男に振られたから俺に言い寄ってきたのだろう」と誤解したダリルから冷たく突き放されてしまう。自分より爵位が高く金持ちの男に靡いたくせに今更何を言っているんだ、と、ダリルはラウラを恨み抜き、そこからダリルの放蕩が始まる。

 ダリルは数多の令嬢達と浮き名を流し、ラウラの愛情を踏み躙る展開が延々と続く。それでもラウラはダリルに一途な愛情を捧げ、紆余曲折後、ラウラの献身が実り二人の結婚が決まる。しかし、玉の輿だと揶揄われたことでプライドの高いダリルが、


「そうさ、あいつの家は資産家だからな。金目当てで結婚して何が悪いんだ? お前らも、もっと賢く生きろよ。適当にいい顔して、外で遊べばいいんだからさ」


 と虚勢を張っているところを、ラウラは目撃する。ラウラは深く傷つくが、ダリルと一緒になれるなら、と全てを見なかったことにして、ただ、ただ、ダリルとの結婚の日を夢見る。しかし、不幸にもラウラの父の事業が失敗して爵位も領地も手放すことになってしまう。

 ラウラは、ダリルにとって自分は何の価値もなくなった、と絶望するが、一抹の希望を胸に、ダリルの元へ向かう。「何もなくても君がいればいい」と言ってくれることを願って。だが、そんなことを知らないダリルは、友人と約束があるから、とラウラを冷たく追い返す。ラウラは遂に終わりを実感する。

 翌日、人伝に事実を知ったダリルはラウラの元へ向かうが、屋敷は既にもぬけの殻だった。幼い日、ダリルがラウラにプレゼントした勿忘草の押し花が残されているだけ。

 ダリルは半狂乱でラウラを探し回るが見つけられない。本当はずっとラウラを愛していた、と、必ず見つけ出す、とダリルの慟哭で幕は下りる。




(無茶苦茶な話だな。こんな男に縋り付く意味あるか?)


 正直ペイトンは、ラウラの縁談が白紙に戻ったあたりから、白けた気分でいた。ダリルの傲慢な態度にも不快感はあったが、それよりラウラが鼻についた。ラウラの献身がただ卑屈に思えた。プライドはないのか、と不愉快になった。


(迷惑がられているんだから、とっとと諦めればよいものを)


 惨めったらしくて虫唾が走る。自分なら絶対にしつこく縋りついたりしない、と強く思った。尤も、人を好きになったことなどないのだが。

 そして、苛々しながらもペイトンはアデレードが気になった。

 義父からのプレゼントの手前、嬉しそうにしていたが、以前も鑑賞しているなら本当はこんな演目は観たくなかったのではないか。


(事前に内容を把握しておけば良かったな)


 そしたら、別の公演に変更を提案できた。

 ペイトンは、気づかれないようアデレードを見た。とても真剣な顔をしている。笑うような話ではないので、当たり前と言えば当たり前だが、視線はしっかり舞台を向いているのに、何処か遠くを見ているように感じる。楽しげな様子は全くない。


(まぁ、そうなるよな。何故こんな演目を選んだんだ)


 失敗したな、とペイトンは遺憾に思った。同時に、曲がりなりにも新婚夫婦にプレゼントする内容ではないだろう、と父親が恨めしかった。

*裏設定 性被害防止のため「席離しておいて」と申告しとけば、劇場の人が見回りにきてくれます。

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