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 週末に観劇に行く、と雑談の中でぽろりと溢していたから、グラディスは六日で一着ドレスを仕上げてくれた。(くだん)のメイズのドレスだ。腰の辺りで切り返しがありアシンメトリーに大きくフリルが何段にもついている。元々の正統派なお姫様スタイルより洒落た出来栄えになっている。


「本当に素晴らしいですね」


 着付けてくれたバーサが満面の笑みで言う。アデレードも鏡の中の自分を見て心が躍った。これまで恥をかかない程度に体裁を保ったドレスばかり選んできたから、好きな服を着るというのはこんなに気分がよいものだったのかという嬉しさと、もったいないことをしてきたなという後悔が絡んだ複雑な気持ちになった。


「演目は勿忘草でしたっけ?」

「そうよ」

「昔、セシリア様と観に行かれていましたよね」

「……うん」


 セシリアはアデレードの姉だ。本当はレイモンドを誘ったが、断られた為に姉に付いてきてもらった。しかし、帰りの馬車では、復縁派のアデレードと破局派のセシリアで大討論になった。家族の中でセシリアだけはレイモンドとの付き合いをやめろ、と何度も苦言を呈していた。だから「あんな男とは別れて正解!」としきりに言うことが、勿忘草に(かこ)つけた自分への当てつけのように聞こえた。それでアデレードもムキになって必死に男を擁護した。尤も実際セシリアは当てこすりしていたのだが。


「今観たらまた印象変わったりするかしら?」

「そうですね。小説とか演劇は、年齢によって自分の心情を反映する人物が変わりますから」


 バーサは静かに言った。アデレードはレイモンドに未練はないつもりだが、あの観劇を見て自分がどう思うか、全く予想できなかった。





「奥様ご支度はよろしいですか?」


 出発の時刻になり、ジェームスが呼びに来た。


「はい」


 アデレードは応じて部屋をでる。

 ジェームスに従って階下に下りていく。一週間前のデジャヴのようだ。だが、傍まで行くとペイトンは、


「別に似合うじゃないか」


 と言った。ドレスを作る際に、似合う似合わないでどれを選ぶか迷っていたから、そう発言したのだろうが、


「何を喧嘩売っているんですか」


 経緯を知らないらしいジェームスが唸るようにペイトンを責めた。


「いや、違うんだ」

「何がですか」

「いやだから……」


 ペイトンがこっちを見てあわあわするので、


(私は何も言ってないけど)


 と困った。


「ジェームスさん旦那様の言ったことは、本当に違うので大丈夫です」


 気の毒なので一応庇うと、


「奥様が仰るなら」


 とジェームスは引いた。

 ペイトンとジェームスの関係性が乳兄弟であることは、バーサの侍女仲間から仕入れた情報で知った。その割に、ジェームスはこっちの味方ばかりしてくるのが不思議だ。


「旦那様、ドレス有難うございます。こんなに早く仕上げてもらえるなんて」

「あぁ、今日に間に合って良かったな」

「はい」

「そろそろ出掛けるか」


 言いながらペイトンが掌を差し出すので、アデレードも素直にエスコートされる。相変わらずのふわふわした手の握り方でぎこちない。だが、朝夕と顔を合わせてそれなりに会話しているせいか、若干ペイトンの女性苦手意識みたいなものが軽くなった気がする。この調子で「私は絶対に貴方を好きにならないから安全ですよ」ということを信じてもらい恙無(つつがな)く一年過ごせたらよいな、とアデレードはエスコートされるまま馬車に乗り込んだ。


 


 ローズウェルズ劇場の公演は最初の一週間は貴族のみに開場されるが、それ以降は平民も入場できるようになる。なので、開演一週間以後は、一階席は平民、二階、三階席は貴族用の座席として区分される。例え一階席の方が演者の表情がよく見えるとしても、平民が自分達を見下ろすなどありえない、という貴族の矜持によりそういう縛りになっている。しかし、フォアード侯爵がくれたロイヤルボックス席は別格だ。二階の舞台正面の個室で、オーケストラボックスがあるため一階席からは見切れる劇場の全容を把握できるし、音響設備もこの席を中心に考えられている。名前の通り王族が鑑賞する際に献上される席で入手は困難なチケットだ。

 フォアード侯爵は「たまたま譲ってもらった」と言っていたけれど「本当かしら?」とアデレードは思った。ただ、ストーリーが悲恋物なので、新婚夫婦に贈る内容でないことを鑑みれば偶然のような気もする。いずれにせよ、


(息子に無茶苦茶な契約を結ばせたのに申し訳ないわね)


 とアデレードは苦く思った。ただ、あまり遠慮ばっかりしていても一年間生活しにくい。兎に角、今日は勿忘草の鑑賞に没頭しよう、とペイトンにエスコートとされるままに二階への階段を上がった。




 室内は蝋燭の明かりが仄かに灯っているだけで薄暗かった。代わりに煌々と舞台が輝いているのだけれど。


「凄い見られてましたね」


 アデレードは、二つ並べられた席の右側へ座りながら言った。


「え? 誰に?」


 ペイトンが青天の霹靂みたいな反応をするので、いやいや、歩いている最中いろんな人に見られていたでしょうよ、とアデレードは逆に驚いた。他人に興味がない人なのか、注目を浴びることに慣れているのか。


「会場に入ってからここに来るまでにいた人達です」

「そうだったか?」


 ペイトンがあまりに「なんのことかわからん」みたいな態度なので、もしかして自分が自意識過剰なのか、とアデレードは一瞬考えたが、やっぱり違う、とすぐ思い直した。女嫌いで有名な侯爵家嫡男の突然の結婚。どんな令嬢を娶ったのか注目を浴びないわけはない。


「……多分、旦那様の結婚相手に興味があったのではないですか」

「何か不快なことをされたのか?」

「いえ、別に……」


 ずっと隣にいて誰も話かけて来なかっただろうに。いちいち言うことが的外れで困る。そして、ペイトンは何故か入り口の前に立ったまま入って来ない。


「座らないのですか?」

「あ、いや……あぁ」


 ロイヤルボックス席と言っても部屋自体は狭い。座席二つにサイドテーブルがあるだけ。テーブルにはアイスバケットが置かれてありワインと水のボトルが入っている。光源は入り口横にランプが備え付けられているだけで部屋の奥へ進むほど暗い。


(密室の薄暗い部屋で二人が嫌とか?)


 体格的に襲われるとしたらこちらでは? とアデレードは微妙な気持ちになったが、自分の部屋でもないし、仕切るのも変なのでそれ以上は黙って舞台へ視線を移した。

 一階席は既にあらかた観客で埋まっている。客層は若い女性が多い。問題の放蕩男を人気俳優が演じるので、非常に話題になっているらしい。三年前にアデレードが鑑賞した時もそうだった。

 アデレードが身を乗り出して舞台を見ていると、ペイトンが隣に腰掛ける気配を感じた。敢えて反応しないでいると、ペイトンは、


「サイドテーブルの引き出しにオペラグラスがあるから必要なら使うといい」


 と言った。教えられるままに引き出しを開けると、確かにオペラグラスが二つ並んである。入り口でチケットを切ってからここへ着くまで誰とも会話していないのに何故知っているのか。


「この席はよく利用されるんですか?」


 明らかに二人用の個室だ。男性二人で来るとも思えないが、ペイトンが女性と二人で演劇鑑賞するだろうか。詮索する気はなかったが、自然に溢れた問い掛けだった。


「誤解しないでくれ。仕事の付き合いで仕方なく来ただけだ」

「そうなんですね」


 正直ペイトンがどう答えても構わなかった。「よく来る」と返答されたら意外に思う程度のことだ。演劇は恋愛を題材にした演目が多いので、ペイトンは興味がないだろうと勝手に決めつけていたから。


「本当なんだ」


 アデレードがオペラグラスを手に取り仕様を確認していると、ペイトンが続けた。


「海外の顧客が渡航してきた時に、一緒に行く人間がいないから、と同行を頼まれることがあるんだ。あと、お礼にと誘われたら、仕事上、無下にも断れないだろう。たかだか二時間の演劇を観るだけだ。密室と言っても舞台からはこっちが見えている。そうだ、君、知っているか? 演者からは案外観客の様子は見えているものなんだぞ」


 ペイトンは、初対面から今までで一番長文を語った。まだその話続いていたの、とアデレードは視線をペイトンへ向ける。

 こんなに熱弁を振るうのだから、やはり一緒に来た相手は女性なのだろう、とアデレードは思った。同時に、それが一体なんだというのか、とも。白い結婚とは言え不貞は道義に反する行為だ。結婚後にこっそり密会していたなら、まだ百歩譲って「浮気じゃない! ひどいわ!」と茶番を繰り広げることも可能だが、こんないつの話かわからんようなことを熱く語られてもどうすればよいのか。「そうなんですね」としか思わないが、そのまま伝えたら、またごちゃごちゃ言い訳が続きそうなので、


「別に何も疑ってないですし、結婚前のことまで持ち出していちいち責めたりしませんし、今後も仕事の付き合いに口出しすることはありませんよ」


 と気を遣って返事をした。


「いや。それはちゃんとする」


 しかし、ペイトンが真面目なトーンで返してくる。


(だから自由にしてよ、嫉妬なんてしないし)


 と正直アデレードは思った。が、妻帯者が他の女性と二人で演劇を鑑賞することは一般的ではない。例え不仲な夫婦でも、自分の夫という立場の人間が他の女性と仲睦まじくするのは不快なものだ。ペイトンはそこら辺の感情に気を回してくれているのかもしれない。そう考えれば「自惚れないでよ!」と突っぱねるのはこちらが非常識な気がしてきた。

 

「……お任せします」


 とアデレードは素直に返事して、


「これ、旦那様の分のオペラグラスです」


 と二つのうち一つを手渡した。


「あ、すまない、触れてしまって……」


 受け取る時、僅かに手が触れてペイトンが謝ってくる。


「いえ……」


(さっきまで普通に手を握ってエスコートされていたけどね)


 ペイトンなりに色々気を遣っていてくれているのは分かるが、自分の感覚とは齟齬がありすぎて戸惑う。政略結婚の夫婦は、こんな感じなんだろうか。実兄は親の決めた結婚をしたが幼い時に婚約してお互い好き合っているし、実姉は学生時代の同級生と結婚している。成人してからの見合い結婚をした人間が身近にいない。尤も、自分とペイトンの場合が、一般的な政略結婚に当てはまるとは思えないが。


「開演の時刻となりました。皆様、どうぞお楽しみください」


 アナウンスが流れると照明が落ちた。

 アデレードはごちゃごちゃ考えるのはやめて舞台に意識を集中させた。


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