1
「最初に言っておくが、これは政略結婚だ。僕が君を愛することはない。僕に変な期待をするのはやめてくれよ」
「嫌です」
「え?」
「私は夢と希望を持ってこの屋敷に嫁いできたのですから、ちゃんと愛してもらわないと困りますし、大事にしてもらわないと暴れます」
「いや、だからこれは政略結婚で……」
「政略結婚と愛されないことはイコールじゃないでしょう。何の理由にもなっていないです」
ペイトン・フォアードは口を開けたまま黙った。一方のアデレード・バルモアは珍獣でも見るような視線をペイトンに注いだ。どう考えても非常識な発言なのに何故私が快諾すると思うの、と。
「僕は好きで結婚するわけじゃない」
「そうなんですね。私は結構楽しみにして嫁いできました」
しつこく食い下がってくるが、アデレードは動揺することなく返す。
「……君は、一体なんなんだ」
「え? バルモア侯爵家の次女ですよ? 貴方と結婚することになったので本日よりこの屋敷で暮らすことになりました。お義父様からお聞きでしょう? うちの父と貴方の父が古い友人であり、事業拡大に有用であるから私達は結婚することになりました。つまり、この結婚に関して私達は対等な関係のはずです。然るに私が貴方の望みだけを叶える必要はないのです。貴方が私を愛さないことに関して、私は拒否します」
先程の言葉は説明を求めるものではない。だというのに長々と返答されてペイトンは頭を抱えた。アデレードはそれをどうということもなく見ていた。
この男は結婚の話が出てからも決まってからも顔合わせの会食に参加しなかった。そのたび、この男の父親であるフォアード侯爵が気の毒なほど謝罪するので、アデレードは見たまま「気の毒に」と思った。けれど、ペイトンについてどうでも良かったので「いえいえ」と感じよく返した。だから、つまりは「楽しみに嫁いできた」ことは大嘘だし、ペイトンに「愛されたい」とか「大事にされたい」などとも全く考えていない。ペイトンに対して本日直接会うまで特に何も感じることはなかった。だが今は「お前失礼すぎだろ。苛ついたから嫌がらせしてやる」と思っている。なので取り敢えず困らせるための発言をしてやった。といっても、それほど攻撃的なことは言っていない。だというのに、ペイトンは固まってしまった。自分は失礼なことを平然と口にするくせに、打たれ弱いのかなんなのか。仕方ないので、アデレードは目の前のテーブルに置かれた食べかけのケーキを再び食べ始めた。屋敷に到着してからペイトンが応接間に来るまでかなり待たされた。執事が平身低頭で詫びながら、見目麗しいケーキがふんだんに盛り付けられたケーキスタンドと紅茶でもてなしてくれた。大の甘党であるアデレードは一瞬で機嫌を良くした。最初にイチゴのフレジェを、二つ目にガトーショコラを食べている途中にペイトンが登場した。食べ終わるまで来なくて良かったのに、と思いつつ一旦フォークを置いたが、今は時間が空いたので、残りを食べることにしたのだ。
「……では、逆に君の願いだけを僕が叶える必要もないのでは?」
「そうですね。貴方の望みはなんですか?」
アデレードはケーキに視線を落としたまま言った。かなり無礼な態度だがペイトンは動転しているのか、それには全く触れず、
「僕は女性が嫌いです。実母は家の財産を持って男と逃げ、信頼していた家庭教師の女は当時十二だった僕の寝台へ忍び込んできた。金目当てで近寄ってくるのも、色目を使われることも反吐がでる」
と告げた。
アデレードは、ペイトンが女性嫌いなことは知っていた。その原因もざっくり聞いていたが、具体的には教えてもらっていなかった。多感な年齢に最も身近な女性に二度も手酷い目に遭わされていることには同情する。が、正直、ここで切々と訴えられても……と思う。だったら結婚を了承しなければ良かったのだ。尤もペイトンも喜んで承諾したわけではない。これまで散々見合い話を蹴ってきたが、侯爵家の適齢期の嫡男がいつまでも独り身でいるのは体裁が悪い、と周囲の人間にくどくど言われ続けていた。自分でも自分の立場は理解していた。だから、父の親友で家柄も総資産も同等の侯爵家の娘なら、取り敢えずは実母のような金目当てではないだろう、と結婚に応じた。後は家庭教師の女のように色欲魔でなければよい、と思った。こちらに関わってくれなければよい。なので、開口一番にがつんと宣言してやった。アデレードからすれば、知らんがな、という話ではあるが。
「じゃあ、私は貴方を愛さないし貴方は私を愛する、ということでよいですね」
「えっ」
「私の願いも貴方の願いも叶うので。良い妥協案が浮かんで良かったです」
「えっ、ちょっと、何を言って……」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。好きこそものの上手なれといいますし、愛しているふりをし続ければそのうち本当に愛せるようになるかもわかりませんよ? 何事も食わず嫌いはよくないですし、結婚してしまったものは仕方ないのですから二人共の条件を満たす方法でやっていくしかないでしょう。取り敢えず一年は頑張ってみましょう。白い結婚が一年続けば双方どちらかの申し出で離婚はできるのですし、一年我慢した実績があればお義父様も貴方に結婚生活は無理だったと諦めてくれるのではないですか」
跡継ぎ問題があるからこの結婚が上手くいかずとも、その後ペイトンが独身を貫くことが可能とは思わないのだけれど、自分が別れた後のことなど関係ない、とばかりにアデレードは捲し立てた。
「それとも他に代替案を提示して頂けるのですか? 反対意見ばかり言うことは簡単ですよ。私は、女性嫌いの貴方の為に私から貴方に愛されたいと望むようなことはしませんし、貴方は私が望むように私を愛して大切にする。こんなに両者の意見が一致する妥協案がありますか? なんなら誰か第三者の意見を聞いてみましょうか? ちょっとそこの執事の方、ジェームスさんと仰ったわね? どうです? 私の意見? 見事な折衷案だと思いませんか」
「え、あ、はい。そうですね……」
「そちらのメイドの方はどうかしら?」
「奥様の仰る通りだと思います!」
「ほら、貴方の屋敷の方々が同意されていますよ。今日来たばかりの私より貴方の味方のはずでしょう? 貴方が屋敷の嫌われ者なら話は違ってきますが……」
「そんなことあるわけないだろう!」
「そう。なら決まりですね。言質とりましたけれど、口約束はあれなんで後で書面に起こしますから署名お願いしますね。では、挨拶も済んだことですし、私は自室を用意して頂いているようなのでそちらへ参ります」
アデレードは立ち上がると、
「部屋の案内をお願い。それから、後であのケーキを部屋に運んで頂いても?」
とメイドに告げて部屋をでた。
女嫌いで偏屈で傲慢な男だと噂できいていたけれど、噂は所詮噂ということかしら? いくらなんでもちょろすぎでは? と思いながら。
▽▽▽
アデレード・バルモアの初恋は物心つく前から始まり一月前に終わった。相手はリコッタ伯爵家の嫡男レイモンドで、母親同士が学生時代の友人同士だった。だから、二人はお腹の中にいる頃から両家を行き来していて、その後も家族ぐるみの付き合いは続き、アデレードは気づいた時にはレイモンドを好きだった。幼い頃はレイモンドの方もアデレードを好いており「大きくなったらアデレードをお嫁さんにする!」と皆の前でしょっちゅう宣言していた。だが、子供はいつか大人になる。幼馴染同士の結婚とはロマンチックであるが、世界は広く、出会いも多い。アデレードはずっとレイモンドを慕っていたけれど、レイモンドは変わっていった。
レイモンドは母親譲りの端正な顔立ちで文武両道になんでもできる。おまけにリコッタ伯爵家は、爵位こそ伯爵位であるが紡績業で財をなしている資産家で裕福だ。モテないはずがない。
一方、アデレードは侯爵家の令嬢であること以外、特筆すべき優れたところのない娘に成長した。そんなアデレードをレイモンドは疎ましげに扱うようになった。更に周囲もそれに便乗し「高位貴族であることを盾に無理やりレイモンドに関係を迫る厚顔無恥な女だ」と誹謗中傷するようになった。
だが、レイモンドの母親であるリコッタ夫人は、アデレードを実の娘のように可愛がっていたし、外面の良いレイモンドは両家の親の前ではアデレードに気のある素振りを見せていた。更に、
「わざわざ婚約なんてする必要はないだろう。学園を卒業すればちゃんと結婚してやる。それまで自由にさせてくれ。お前がせっつかなければ親も余計なことは言わない」
とアデレードに言い含めていた。学生のうちは遊びたいから婚約という契約に縛られたくない、という意味にほかならない。だが、当時お花畑脳であったアデレードは「卒業したら結婚するとプロポーズしてくれた!」と有頂天になった。毎日毎日鏡を見ていると変化に気づかないように、幼い頃、自分に優しかったレイモンドを頭に刷り込んでしまっていたから、全てを良い方に捉えた。レイモンドが家族の前では良い顔で振る舞うのも、アデレードの盲目な思考を加速させた。
そんな中、三月前、メイジーというリコッタ伯爵の遠縁の娘がレイモンドの屋敷で居候を始めたことにより状況が変わった。父親に「新しい環境に慣れるまで面倒を見るように」と頼まれたレイモンドは、四六時中メイジーと過ごすようになった。他の女性を優先するのはいつものことだが、今回は「父親の頼み」という名目がある。これまでの「親の前ではバレないように」という態度を翻して、レイモンドはアデレードよりメイジーを優先した。
そして、一月前アデレードはある事件がきっかけでとうとうブチ切れたのだ。
「お父様、フォアード侯爵のご子息が結婚相手を探しているお話、私が立候補したいのですけれど?」
「え、お前はレイモンドを好いているだろう?」
「それはもうよいのです」
レイモンドがアデレードを冷遇していることを、家族が全く気づいていなかったわけではない。バルモア家の面々はアデレードに甘いため「アデレードが納得しているなら」と一任してきた。そのアデレードがレイモンドに見切りをつけたことに、喜びはすれ反対するはずはない。正式な婚約を結んでいなかったことも良いように働いた。話はトントン拍子に進み、アデレードは本日、遠路遥々隣国であるバリバラ王国のフォアード侯爵家へ嫁いできたのだ。
「お嬢様、顔合わせは如何でした?」
応接間を出て案内された部屋では、自国から連れてきた侍女のバーサが既に荷解きを始めていた。
「あのクソ野郎と比べたら誰でもマシだと思いますけどね」
バーサが何の躊躇いもなく言うのでアデレードは笑った。クソ野郎が誰なのかは聞くまでもない。
バーサはアデレードより六歳年上の商家の生まれで元踊り子という異色の職歴を持つ侍女だ。自分の力で生きる度量があるからか明け透けな発言をする。上品な貴族令嬢とは相入れないはずだが、アデレードとは妙に気が合って三年前からアデレード付きの侍女としてバルモア家で奉公している。
「私は彼を愛さないし、彼は私を愛することで折り合いがついたの。口約束だと後で揉めるかもしれないから早急に書面にして署名してもらうわ」
「え、どういうことですか?」
あまり物事に動じないバーサが困惑するので、アデレードはまた笑って、応接間での出来事を話した。
ペイトンとは、かなり難ありの相手だと分かっていて結婚した。知っていて敢えて選んだのは「私が不幸な結婚をしたらレイモンドが罪悪感を抱くかもしれない」という非常に捻じ曲がった思考に陥っていたからだ。物心つく前からずっと好きだった人に失恋し自暴自棄になっていた。冷静になれば「私が誰と結婚しようがレイモンドは何とも思わない」と簡単にわかるのにその時はまともな考えじゃなかった。今は随分落ち着いたけれど、自分から「結婚したい!」と押しに押しまくっていたので引くに引けず、やはり何処か投げやりなまま「まぁ、いいか」と嫁いできた。
尤も一年間の白い結婚制度を使用するという前提なのだが。
白い結婚制度とは、貿易に関する国際法が制定される以前に、他国間で詐欺が横行していた時代の不文律だ。姻族になることで信頼を得る慣習があった。自分の娘を相手国へ嫁がせ、事業が安定すれば離縁させ母国に戻ってこさせる。普通の政略結婚と何が異なるかといえば「離婚することが前提」であること。現在もその思想は根強く残っている。つまり、他国との事業提携を名目に結婚するならば、白い結婚で罷り通り、離婚しても後ろ指を指される心配はない。
バルモア夫妻もフォアード侯爵も、自分達の子供が「問題あり」だと重々承知していた。故に、白い結婚として推し進めることに決めた。両家が立ち上げた新規事業は手堅いものだから、軌道に乗るまで恐らく一年も掛からないだろう。だから白い結婚期間を一年として。その後、二人が仲睦まじく婚姻関係を続けてくれたら儲けもん、くらいの感覚で。
この件に関しては、アデレードもペイトンも承知している。白い結婚は結婚式を挙げないことが第一前提として必要だ。後出しできないし、周囲からも非常に分かりやすい制度だ。だが、恐らくペイトンは「そんなことを言いながら、なし崩し的に婚姻関係を継続させる気だ」とでも考えていたのだろう。でなければ初対面で開口一番「君を愛することはない」など言わない。どれだけ自意識過剰なのか。
(でも、あんな約束を引き受けるなんて意外だわ)
アデレードは、バーサに応接室での話を語りながら、ペイトンの様子を思い浮かべて笑いそうになった。
「それってつまりどういうことですか?」
余すことなく起こった出来事を喋り終えても、バーサの困惑は消えなかった。
「私がどんなに蔑ろにしても、向こうは変わらず私を好きってことじゃない?」
「え、どうしてそんなこと承諾しちゃったんですか?」
「さぁ? 動揺していたから流れでかしら」
アデレードも改めて、なんで承諾しちゃったの、と思ったが、特に自分が困ることにはならないし、下手に撤回して不利益を被ることになるのは御免なので、宣言通りさっさと契約書を作ることにした。