運命のひと
私の家には男児がいなかったため、親類が父の爵位と遺産を相続することになっていた。その遺産相続人がウィリアムだったのだ。
ウィリアムは端整な顔立ちの青年だった。
ジュリエットのように、私のなかの強烈な劣等感を刺激するような華麗な容姿ではない。
彼は多くの人に親しみを感じさせるであろう、柔和な顔立ちをしていた。そして、私と同じ黒い髪と黒い瞳の持ち主だった。
同時に、笑みの下に一抹のさみしさを隠している人でもあった。
何をしても埋まることのないさみしさ。あるいは欠乏。あるいは空虚。
家族のなかでそれに気づいたのは私だけだったはずだ。
なぜなら私も彼と同じものを心に抱えて生きていたから。
向こうもそれに気づいたのだろう。
ウィリアムは私と目が合ってから、しばらく視線をそらそうとしなかった。
私も無言で彼を見つめ返していた。
言葉はいらなかった。ただ見つめ合っているだけなのに通じる何かがあった。
それをさえぎったのはジュリエットの甲高い声だ。
「ウィリアム様ってとっても素敵な方ね! ぜひお友達になりたいわ! そうだ! これからはウィルって呼んでいい?」
ジュリエットを見た私は彼女がウィリアムをいたく気に入ったことを知った。
青と緑が混ざり合う目が明るく輝き、白い頬が薔薇色に染まっていたからだ。
両親もそんなジュリエットを微笑んで見守っていて、二人が何を考えているのかありありとわかってしまった。
両親は未婚で婚約者のいないウィリアムにジュリエットをあてがいたいのだ。
母からしてみれば、先に夫が亡くなってしまっても、ウィリアムがジュリエットと結婚していればこの屋敷を出て行かずに済む。
――目を、つけられてしまったのね。
私はウィリアムを気の毒に思った。
ジュリエットは手に入れたものにあきて放り捨てるくせがある。彼がそんな目に遭わされては――同じものを抱えるものとして――可哀そうだった。
私はウィリアムがジュリエット以外の女性を選んでくれることを願った。
それ以降、ウィリアムは定期的に私の家を訪ねてくるようになった。
両親がなんやかんやと理由をつけて招いていたらしい。
私はウィリアムを気の毒に思いつつ、かといって自分には何もできないので、なるべく関わらないようにしていた。
それなのに、ウィリアムは何度も私に話しかけてきた。
廊下で。玄関ホールで。庭で。
彼はジュリエットと一緒に歩いているときでも、私の姿を見かけると近づいてきた。
「やあ、クローイ。よかったら君も庭を歩かないか?」
私はそんな彼にいつも冷たい反応しかしなかった。ジュリエットに嫉妬されるのが面倒だったからだ。
ジュリエットはウィリアムに夢中だった。彼が屋敷を訪ねてきた日の夜は、夕食の席でいつまでもウィリアムの話をしていた。
「ウィルはわたしにとっても優しいの! わたしの話を楽しそうに聞いてくれて、前に話したこともちゃんと覚えてくれているし……」
彼のような人と結婚したいわ、と目を細めて言うジュリエットの邪魔をしようものなら、あとでどんな目に遭わされるかわからなかった。
しかし、ウィリアムはどんなにすげなくされてもわたしに話しかけるのをやめなかった。
どうしてなのかと、私は彼と二人きりになったとき、卑屈さを隠さずに訊ねた。
「ジュリエットと話している方が楽しいでしょう。明るい性格だし、綺麗で魅力的ですもの」
彼女はわがままだが、天真爛漫で甘え上手で、一緒にいる人をあきさせない。私とは違う。
ウィリアムは私の目をのぞきこむようにして答えた。
「君に惹かれたからだ。ぼくと同じで、どこか翳をまとう君に」
――ぼくには欠けたところがある。体ではなく、心のどこかだ。
ぼくはそれが父親に愛されなかったせいだと考えている。君もぼくと同じなのでは? ご両親は、ジュリエットほど君を大事にしていないのでは?
「一目でわかったよ。ぼくと君は同類だって。だから興味がわいた。ジュリエットの無邪気な明るさは、悪気なく人を傷つけるところは……ぼくには合わない。ぼくは君がいいんだ、クローイ、君のことをもっとよく知りたいんだ。それに、君だって彼女に負けないくらい魅力的だ。綺麗だよ、とても」
はじめてだった。誰かにそう言ってもらえたのは。
はじめてだった。悲しみではなく、喜びの涙を流したのは。
胸が熱くて、痛くて、どうしようもなく苦しかった。
「ウィリアム。私は……私は……」
やはり気づいていたのだ。ウィリアムも。はじめて目を合わせた瞬間から。
――私もあなたのことを、もっとよく知りたい。
私たちはどちらからともなく手を取り合い、互いの体を強く抱きしめた。そうすることが当たり前であるかのように。
誰かに見られていてもかまわなかった。あとでジュリエットに何を言われても平気だと思った。
彼とぴたりと重なってみて、私は理解した。
私はこの人に出会うために生まれてきたのだ、と。
ウィリアムと結婚したいとジュリエットが言い出したのは、その翌日のことだった。
彼女は家族がそろっている場でその言葉を口にした。
「おお、そうかそうか。して、ウィリアムの方はどうなんだね?」
「もちろん好きだって言ってくれたわ。わたしと結婚したいって」
「わかった。そういうことなら、彼が次にこの屋敷に来たときに話をしておこう。――おまえもそれでかまわんだろう?」
「もちろんですわ、あなた。ウィリアムは素晴らしい青年ですもの。ジュリエットにぴったりの人よ」
笑い声が響くなか、私はただ一人、青褪めて震えていた。
私の頭を占めるのは〈なぜ〉という疑問だった。
――どういうことなの、ウィリアム。
君に惹かれたと言ってくれたのは嘘だったの。私がいいと言ってくれたのは嘘だったの。私のことを知りたいと言ってくれたのは嘘だったの。
私は部屋を出たあと、ジュリエットに話しかけた。
「あの話、本当なの?」
鼻歌を歌っていたジュリエットは振り返り、見惚れるような笑みを浮かべてみせた。
「本当よ。なあに? 私が嘘をついているって言いたいの?」
「ウィリアムは……」
自信がなかった。
ウィリアムは私がいいと言ってくれた。けれど、その言葉が嘘だったら?
本当はジュリエットに惹かれていて、彼女に愛の告白をしていたとしたら?
わたしが両親に愛されて育っていたなら、欠けていない心を持っていたなら、ウィリアムを疑うことはなかっただろう。
けれど、そうではなかった。
勝ち誇ったように去っていくジュリエットの華奢な背中を、ただただ眺めていることしかできなかった。
それから数日後、ウィリアムが訪ねてきた。
私は部屋に閉じこもり、ぼんやりと外を眺めていた。
いつになく心は虚ろで、あきらめが私を支配していた。
メイドが呼びに来たのは、何もかもが嫌になって、目を閉じようとした直後だ。
旦那様が書斎でお嬢様をお待ちです、と言うので、のろのろと部屋を出て行く。
書斎にはジュリエットとウィリアムがいて、幸せそうに手を取り合っているのだろうと思った。
ところが、いざなかに入ってみると、そこには予想外の光景が広がっていた。
ジュリエットが泣いていたのだ。父の膝にすがりついて。
父は苦虫を潰したような顔をしていて、現れた私を射殺さんばかりににらんだ。
その視線から守るように立ちふさがったのは、ウィリアムで――。
「クローイ、君を愛している。ぼくと結婚してほしい。一緒に幸せになろう」
彼は私の足元にひざまずき、手を握ってそう言ってくれた。
私はその場にくずれおち、泣きながらウィリアムを抱きしめた。
彼を信じられなかった情けない自分を、心のなかで何度も責めながら。
階段から突き落とされたのは、ウィリアムと正式に婚約した三日後だった。